とらドラ! 第12話「大橋高校文化祭【中編】」
2008/12/19/Fri
「上手い。これは感心しちゃうかな。ここまで見事に原作の機微を映像に再現できるだなんて、少しうれしい気持さえ生まれてきちゃうくらい。何がよいかって、本作は原作の微妙な心情のゆれ動きと、それについて変化する人間関係の変転を、実にひとつの群像心理劇として叙景的に表現することにこれまで過不足なく成功してるっていえるからなんだよね。たとえば今回のエピソードでまず目につくのは、竜児とみのりんが喧嘩しちゃうシーンかなって思うけど、あの多重に象徴的な場面をとても鮮烈に描写しえてたっていえると思う。それであのやりとりが何を意味してたのかなって疑問が生まれるけど、まずここで思い返しておきたいのは原作に出てきた亜美さんの言葉であって、竜児、大河、みのりんの関係は「家族ごっこ」のようだという台詞の意味が、実はあの場面に端的に結実してるってふうには解釈できるのじゃないかな。つまり、あそこで竜児とみのりんがいい争っちゃうのは子どもの教育方針で意見が食いちがうお父さんとお母さんの図そのもので、またべつな見方をするなら竜児とみのりんが大河に求めてる、あるいは期待してる役割というのは実は同一のものだってことが鮮明になってるのだよね。そう、竜児の本心は、その本人も気づいてないだろう奥底は、みのりんと大河で家族を‥それは自分の捨てた父親への復讐もあり、また自分が渇望する理想への憧憬でもある‥ほんとに素敵な彼なりの家族を、やりたいってことなんだ。そしてみのりんも、実は大河にみてるものは親友のそれというよりもうちょっと深刻な響きが隠されてる。だからみのりんの独善性というのは、竜児と似た方向にあれど、でも少し根深いかな。彼女の場合、本心をぜんぜん露わに出さないから、よけいにわからない部分は多くなっちゃってるのかなって気がする。」
「家族ごっこ、というのはいい得て妙なのよね。ここで竜児と実乃梨が衝突したからといって、彼らの恋愛関係がどうこうするというわけではないのでしょう。むしろそれより竜児も実乃梨も、実に大河への依存が強烈であることがここで判然となるのであって、表面上は大河が世話を焼かれっぱなしで、頼りきっているといういんしょうなのでしょうけど、本質は竜児と実乃梨こそが大河に期待しすぎているのよね。ま、なんというか厄介な二人でしょうね。大河がいちばん常識的でさえあるのよ。」
「みのりんの深刻さというのは、そろそろみえてくるころかなって気がする。彼女の場合、いつも道化を装ってみずからを糊塗することが通常化しちゃってるから、彼女の実際の部分、つまり素顔に近づきえた人はたぶん今まで竜児をおいてほかにいなかっただろなって予想がつくかな。というのも、彼女のような人に恋愛って次元において好意を抱いただろう人は竜児がはじめてだったろし、またそういった人とこんなに接近しえたのも‥それは今回、あのみのりんが竜児の言葉に激昂してることからもいえること。彼女があんなにむきになるなんて、ぜんぜんなかったよね‥竜児がさいしょだったろなって思ってたぶんまちがないと思うから。‥大河は以前からみのりんの親友だったけど、でも今回の話でうかがえるように二人の関係性はみのりんが一方的に大河を愛してるという偏りが見えるのであって、それはみのりんが熱烈に大河を求めてるっていうふうに認識してよいと思う。だからそれを踏まえれば、自身の主体的な意志によって彼女と仲よくなることを欲した竜児の存在は、やっぱりどういい繕っても決して軽いものではありえないんだよね。たぶん、お調子者で空気を読むことに長けたみのりんが、クラスメートの前でああまで感情的になっちゃうこともこれまでなかったのだろな。竜児という存在は、だからそれほどにみのりんの心に食いこんでると見てまちがいない。ただそれに気づけてないし、気づくほどにみのりんを見つめてないのが、竜児って人なのだろうけど。」
「実乃梨のふだんの態度というものは、自分を恋愛の対象には見てほしくない、またそう見られないようにという意図の入った防衛手段と考えてもいいのかしらね。こういってはなんでしょうけれど、恋愛事に係りあいたくないために、あんなふうにことさら真面目に相手されないようなふざけた態度をとってしまうような人というのは、またそういった時期というのは、あるものよ。ただ彼女の場合、その恋愛に対する怯えというのが少し強いのでしょうね。これはなんというか、彼女の自己貶下というか自信のなさのあらわれなのかしらね。なぜあんなふうに振舞ってしまうのか、なぜ素直になれないのか、どんな心の重さを抱えているのか、気になるのよね。どういった過去があったのかしら。」
「素直になれないみのりんのつらさ、か。たぶん彼女の重荷を解放してやれるのは竜児じゃ無理なのかなって、私はさみしく思う。だって、彼はあまりに自分のことしか、自分が理想って思えることにしか目を開けない傾向の人であるものね。それは彼が大河の父親に自分の理想を投影してしまって、その卑怯さとそして何より大河に対する残酷さに無自覚だったことにもあらわれてることであり、ここらの事情は想像するに悲しいかな。だから私は、竜児がだめだとするならほかにみのりんを引き受けられるほどの人はいたかなって考えると、それは亜美さんをおいてほかにないだろうって気持がしてくることを否めない。でも、亜美さんの立場を考えると、それはそれでひどく酷なんだよね。亜美さん、人が好すぎるから。今回の亜美さんよかったよね。あなたと同じ道の一歩前を私はゆくだなんて、素敵。あやうく惚れちゃいそうになっちゃうほど、殺し文句で、あったじゃない。」
「いい女という言葉がなんかぴたりとはまるのよね、亜美の場合。アニメになって格好よさが一段と映えるのはうれしい限りよ。いや本当、このアニメ化はすばらしいものがあるといえるのじゃないかしら。ここまで見事だと感動ものね。次回も心から楽しみにさせてもらうとしましょうか。すばらしい人間心理の観察よ。たまらないものがあるかしら。」
→竹宮ゆゆこ「とらドラ7!」
→「とらドラ!」雑感 嘘の囚われ人としての実乃梨
「家族ごっこ、というのはいい得て妙なのよね。ここで竜児と実乃梨が衝突したからといって、彼らの恋愛関係がどうこうするというわけではないのでしょう。むしろそれより竜児も実乃梨も、実に大河への依存が強烈であることがここで判然となるのであって、表面上は大河が世話を焼かれっぱなしで、頼りきっているといういんしょうなのでしょうけど、本質は竜児と実乃梨こそが大河に期待しすぎているのよね。ま、なんというか厄介な二人でしょうね。大河がいちばん常識的でさえあるのよ。」
「みのりんの深刻さというのは、そろそろみえてくるころかなって気がする。彼女の場合、いつも道化を装ってみずからを糊塗することが通常化しちゃってるから、彼女の実際の部分、つまり素顔に近づきえた人はたぶん今まで竜児をおいてほかにいなかっただろなって予想がつくかな。というのも、彼女のような人に恋愛って次元において好意を抱いただろう人は竜児がはじめてだったろし、またそういった人とこんなに接近しえたのも‥それは今回、あのみのりんが竜児の言葉に激昂してることからもいえること。彼女があんなにむきになるなんて、ぜんぜんなかったよね‥竜児がさいしょだったろなって思ってたぶんまちがないと思うから。‥大河は以前からみのりんの親友だったけど、でも今回の話でうかがえるように二人の関係性はみのりんが一方的に大河を愛してるという偏りが見えるのであって、それはみのりんが熱烈に大河を求めてるっていうふうに認識してよいと思う。だからそれを踏まえれば、自身の主体的な意志によって彼女と仲よくなることを欲した竜児の存在は、やっぱりどういい繕っても決して軽いものではありえないんだよね。たぶん、お調子者で空気を読むことに長けたみのりんが、クラスメートの前でああまで感情的になっちゃうこともこれまでなかったのだろな。竜児という存在は、だからそれほどにみのりんの心に食いこんでると見てまちがいない。ただそれに気づけてないし、気づくほどにみのりんを見つめてないのが、竜児って人なのだろうけど。」
「実乃梨のふだんの態度というものは、自分を恋愛の対象には見てほしくない、またそう見られないようにという意図の入った防衛手段と考えてもいいのかしらね。こういってはなんでしょうけれど、恋愛事に係りあいたくないために、あんなふうにことさら真面目に相手されないようなふざけた態度をとってしまうような人というのは、またそういった時期というのは、あるものよ。ただ彼女の場合、その恋愛に対する怯えというのが少し強いのでしょうね。これはなんというか、彼女の自己貶下というか自信のなさのあらわれなのかしらね。なぜあんなふうに振舞ってしまうのか、なぜ素直になれないのか、どんな心の重さを抱えているのか、気になるのよね。どういった過去があったのかしら。」
「素直になれないみのりんのつらさ、か。たぶん彼女の重荷を解放してやれるのは竜児じゃ無理なのかなって、私はさみしく思う。だって、彼はあまりに自分のことしか、自分が理想って思えることにしか目を開けない傾向の人であるものね。それは彼が大河の父親に自分の理想を投影してしまって、その卑怯さとそして何より大河に対する残酷さに無自覚だったことにもあらわれてることであり、ここらの事情は想像するに悲しいかな。だから私は、竜児がだめだとするならほかにみのりんを引き受けられるほどの人はいたかなって考えると、それは亜美さんをおいてほかにないだろうって気持がしてくることを否めない。でも、亜美さんの立場を考えると、それはそれでひどく酷なんだよね。亜美さん、人が好すぎるから。今回の亜美さんよかったよね。あなたと同じ道の一歩前を私はゆくだなんて、素敵。あやうく惚れちゃいそうになっちゃうほど、殺し文句で、あったじゃない。」
「いい女という言葉がなんかぴたりとはまるのよね、亜美の場合。アニメになって格好よさが一段と映えるのはうれしい限りよ。いや本当、このアニメ化はすばらしいものがあるといえるのじゃないかしら。ここまで見事だと感動ものね。次回も心から楽しみにさせてもらうとしましょうか。すばらしい人間心理の観察よ。たまらないものがあるかしら。」
→竹宮ゆゆこ「とらドラ7!」
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