2007/12/21/Fri
「鷹野三四の動機は、つきつめればそれは単純なものだった。彼女の根底には祖父への愛があって、彼女が多くの人を犠牲にし、為し遂げようとしたことは、ただ「大好きなおじいちゃんのため」だった。たったそれだけの、シンプルで飾り気なくて、あまりな理由。そんなことで彼女は村をひとつ潰そうとした。数え切れないくらいの、個人が背負うには大きすぎる罪を犯してまで、彼女は夢を叶えようとした。それは大好きだった人のため。あの人の想いを遂げるため。‥なんて単純で、愚かな人間。なんて独善的で、悪魔的な所業。そして、なんてくだらなくて、比べようないくらいに、美しい、感情だろう。私は三四のしようとしたことには共感しないし、同情なんてまったくない。敗北して、死んで、然るべきだなって思う。なんて悪だろうって思う。そしてそれと同じく、なんて好ましい人間だろうって思う。私は、こういう人間は、好きだな。きらいでない。」
「あまりに人間的、といえば人間的なのよね。愚かなほど真っ直ぐで。」
「沙都子が好き。弱くて甘えたがりでそのうえ依存的で。でもへんに意固地で。壊れそうっていうのに助けを求めない。他人を頼ろうとしない。我を張ろうとする。彼女は大好きな兄のために。そんな愚かな行為をくり返す。何度も何度も。蹴られても殴られても。その傷つきようは痛々しくて、なんてばかな子だろうって私は思う。そして、なんて美しい人間だろうって私は思う。」
「やることなすこと愚かしい子、ね。もっと打算的にふるまってもいいのでしょうね。」
「詩音が素敵だった。好きになった男の子のために、何から何まで失っちゃう。そのくせその献身が報われたかなっていえば、ぜんぜん、彼女は無駄だった。何もかも、報われなかった。それで、そういたことが人間かなって私は考える。ひぐらしのあの世界って、ふつうにやったらもう三四が勝って当然なんだよね。真夏のあの村のあの状況で、もう完全に詰みの状態。だから完全に圭一たちが勝利しなきゃいけない「祭囃し」の物語は、ああいう、どうしてもちょっと無茶じゃない?みたいな展開になっちゃうものだった。それはしかたないかなって思う。作者さんはきっと自分の信じる、捨ててはいけないって考えてる信念を作品を通して伝えなくてはならなかったから。仲間を信じるって、信念を。私が反発したのはそこ。私はその信念を受け入れられなかった。私がひぐらしを認めがたいって思うのも、ただそれだけの理由から。なんで受け入れられないか。私はこういう人間だから。」
「あなたはこの空のつづく場所にいますか、かしらね。そう願い生き抜かねばならない人間の悲しさ、か。とっくに死んでるのに。」
「どうしようもないよね。孤独な人間は、孤独であるというだけで、悪に面した部分がある。そして悪には、どこかそのなかに正義を有してる場合があって、それは己の義という形で示される。三四が悪を徹底しながら、決意を秘めた人間であれたのはそれが理由。人は義によって立つ。つよくなれる。でもそうした人の姿勢は、世界によってぐちゃって潰される。お前なんてそんな大したものでないよって、不幸な人間が立ち上がって抱いた義は、かんたんに消え去っちゃう。それはやだな。認めがたいな。横暴な神は、そんな私を打ち滅ぼす。」
「義によって立ち直ろうとするところにまた悪があるからかしら、義を抱いた人間が潰されるのは? 世界は無慈悲で無関心。しかし人は無慈悲で無関心であってはいけないのよね。それがまた辛いのかしらね。」
2007/12/19/Wed
まぬけづらさん
『ひぐらしのなく頃にでは世界は複数あるわけではなく、時間がループしていただけと受け取れて、これが一番いいエンドだというのはまあ分かります。鷹野さんも救われたしね。でも、最後のアレはも超能力的なモノで過去を改変したということ?彼女には富竹がいるだけでいいのに、そこでやり直させるのはなんだかなぁ。それは努力の否定で、鷹野三四というキャラクターの否定で、ひいてはひぐらしのなく頃にという物語の否定に繋がるような。』
「そうそうそのとおり。私も同感です。あれがみんな幸せでさいこーの結末だよーというのはすごくよくわかる。でもそれをしちゃったら、人間の地道で非力で世界にとっては無に等しいような生き方が、まったく否定されたりすることにならない? 三四の行為はたしかに愚かなものだったけど、果してそれは否定しさるものであってよかったかな? そこが私は気に入らない。」
「最終的にハッピーエンドというのは、ま、べつに悪いことではないのだけれど。ちょっと奥歯に引っかかるものがあるというかしら。」
「わくわくするよなエドガー・ポーの推理活劇読んでたと思ったら、いつのまにか大江健三郎になってたような感覚かな、ひぐらしって。けっきょく神さま出しちゃったのがあれれなわけで、そしてその神に勝ちつづける三四がなんで勝てたのかといえば、それは彼女の決意が並々ならないものであったということもあるけど、もっと大きいのは彼女が紛うことなき人間だったから。非力で繊弱な、でも信念によって裏打ちされた人であったから。その彼女を否定し忘却することがひぐらしのハッピーエンドに不可欠というなら、私はそのハッピーエンドをこそ否定する。それは大切なものを失ってると思うから。」
「人と神が争ったら人が勝つ。ある面、聖書はそう描いてもいるかしら。‥ああ、どことなく鷹野三四というキャラはエレミヤなどに通じるものがあるかしら。神に引っかき回される人間としての相貌が、重なるかしら。」
→
「ひぐらしのなく頃に」総評
2007/08/18/Sat
「私は沙都子が好き。沙都子はいじめられてて、虐待してた叔父の名前は忘れたけど、そんなのいました。それで、その叔父を圭一は殺したいと思って殺すんだよね。その殺意はわかる。わかるなんていっちゃうとあれれだけど、その殺意に私は感情的に共感するし、仁義の意味も感じちゃうかも。すごくひとりよがりで、思いつめて、感情の末に殺しちゃう。殺意をとめるのは理性じゃない、のかな。憎しみがあるとして、憎しみというのは共感があったとしてもその人個人の問題で、憎しみと折り合うために、人には何がいるんだろ。理性じゃ、ないよね。」
「道徳心とか、倫理とか? それほど抽象的なものではないかしら。」
「未来を想像して、ここで事に及んじゃうとたいへんだから、やめとこーみたいなふうではないのじゃないかな。殺意があるとして、その殺意を食い止められるのは、たぶん孤独じゃないって意識なのかも。ひとりで追いつめられるのでなくて、ひとりで開放されること。世界に開け放たれてること。意識が、膠着しないこと。‥祟殺しで圭一が敗北したのはそんなことで、皆殺しでまがりなりにもなんとかできたのは、彼が言葉をあきらめなかったからなのかも。誰彼かまわず、吠えようとするのを、やめなかったからなのかも。感情を押し殺すのを、潔しとしなかったからなのかも。‥でも、仲間の意味の取り方が、私とひぐらしとでは、ちがうかな。私がひぐらしを最終的に潔しとしないのは、そんななの、かな。」
「仲間、ね。徒党を組むとろくでもないとでも思ってるの?」
「そんなじゃ、ないのかな。」
「はてさて。わだかまりは解けそうもない、かしらね。」
2007/07/10/Tue
「私のなかでひぐらしは決着済み(→
「ひぐらしのなく頃に」総評)。アニメ一期もしっかり見たわけでないし、祭もとくに関心出なかった。たぶん、二期もけっこうなおざりにするだろうな。‥それはそれでそれだけのことですけど、ひぐらしが提示した問題については、今でもちょっと考えます‥。ひぐらしのテーマのひとつには、農村の排他性っていうのがたしかにあって、それは一口にいえば、進歩への不信、ってことになるのかな。農村の価値感覚として、窮乏に耐えるとか、本能的な貯蓄精神はあるけれど、進歩、という観念はたぶん見当たらない。そのことは縄張り意識とか、危険を排する防衛本能とかあるかなですけど、そこにはふだん考えられてるような田舎の純朴性っていうの、たぶん、見つからないかな。田舎のダークサイドというのはこういう意味で、それはおそらく日本精神の根底に通ずるものかとも思う‥」
「純朴さはない、か。ま、人間関係の泥濘のおそろしさね。」
「農村精神の発達というのは、脱税の歴史背景‥なんていうとあれかなですけど、うーん、大化改新以来、農民たちの主要関心事は、税を要求する役人たちをいかに相手するか‥ということであって、そのためにどうやってこっちがもっと得するかな、って考えが生まれました。それは悪戦苦闘の歴史で事例にはことかかないですけど、脱税行為が日本の経済の結び目であって、それが荘園を生み、荘園を栄えさせて、そして衰えさせて、貴族が亡びて武士が台頭する‥その歴史の因子でした。税との戦いが日本の歴史と政治を動かしてきた。そこから日本史をみるといろいろ楽しいかなですけど、そういった歴史背景が裏切りの慣習を養うのは必然で、それに対する忍耐、辛いことは耐えるのがかっこいいのだ的な精神倫理が生まれるのも、また必然じゃないかな。乏しきに耐えるっていうの、我慢の美徳は、今でもたしかにあって‥それは裏切りへの寛容さと、憎悪の軽視、そして忍苦の奨励につながりました。‥そして耐えるってことが、本質的に変化を忌み、排他性を醸成することになるのも、また必然かな。‥こんなのが、日本精神のある通流であるかなって思います。」
「必要を求めるから進歩がある、か。耐えるのが当たり前ってなると、そこに進歩が見出せなくなるのも、仕方ないことかしらね。」
「ひぐらしのテーマには、こんな排他性壊しちゃえー!ってのがあったです。それは新参者の圭一を通して、読者に訴えかける構成になってました。‥でも、なんていうのかな、ひぐらしは率直な排他性を、仲間の絆っていう幻想に頼っちゃった。他人を信ずることで、それが解決できるんだよって、ひどくへんな道徳観に走っちゃった感じがして、私はそこがどうかなーって、ずっと考えてる。ごまかしがあったのでないかって、梨香が何度も失敗してたのは、真理によって復讐されていたからじゃないかって、思います。‥どっちもそんな、好きなことじゃ、ないけど、ね。」
「友情は世界を救うよ。それが極端だったかはしれないけれどね。」
「仲間と友だちはちがうもの‥。なんて私は思うけど、やっぱり沈黙。‥それでも、詩音の孤独と、沙都子の悲しみは、今でもちょっと考えます。彼女たちが、この空のつづくどこかにあるだろうって、生きててくれるだろうって、儚い希いを抱くとき、‥そのときの彼女たちの表情と、心。そして彼女たちを見舞う悲劇の、その救われなさの罪は何? ‥私はなんだか、そのことはときたま、考える。しかたないな、って。」
「笑顔でいてくれたらな、か。その運命を運命として見届けられなかったところに、ひぐらしという作品の業があるのかしらね。はてさて、ね。」
2006/11/23/Thu
「ひぐらしのまんが版をよみました。あうあうをこれから鉈でやっつけてきます♪」
「‥まておい。」
「楽しかったひぐらしの思い出のために! 風土病なんて嘘だーっ!!」
「あー‥まあ、ね。」
「絵がきれいなまんがひぐらしを読んでいても、あーここらへんでぺたぺたあうあうがうろついているのかーと思うとメランコリー一直線です。‥まったくかんけいない話ですが、メランコリーな気分というのは青春的薫香に酔うことで、それで、うーん、ま、どうでもいいです。まんがを読んでいると、犬の糞になってしまえーなひぐらしの印象が癒されるようです。少なくとも魅音に対するいわれのない憎しみは消えました。しょせん園崎さん家はちんぴら集団なんだね、あはは。すっきりです。」
「病んでるね。」
「いじめ問題みんな好きだよね。」
「発言つつしめ!」
「ところでみなさんはのだめ見てますか? ドラマの。そうですか、うん。ひぐらしというのは閉鎖的空間における個人の現実的感覚を媒介としてパラノイアックな妄想をひろげるというのが基本的な展開でした。そのため問題編の四作は登場人物にきわめて密接にかかわれたんだよね。つまり閉鎖空間で起こった悲劇の糸口は、閉鎖空間内にあるなにものかによって解決されなければならない。ひぐらしのあうあうな点はそれを破ったことです。あうあうあうあう。」
『あうあうあうあうあうあうあうあうあうああうあうあうあうあうあうあうあうあう』
「ひぐらしのなく頃に」
『ひゃあああああああああッ!!!一撃で叩き割ってあげるよおおおおおおおッツ!!!!』
竜宮レナ。「ひぐらしのなく頃に」)
『盛者必衰』
2006/10/30/Mon
「徒然とプレイしてみていろいろと楽しめた作品であるのはまちがいありませんが、こうしてみるとあるひとつの道徳律を説くための壮大な仕掛けだったのかなと疑いたくなるのも無理ないけれど、うーん、これは軽々と断じにくいです。皆殺し編をやったときはミステリとしての解答から逃げちゃったのかなと感じたのは事実ですし、途中からはリプレイ物とも論じきれないメタゲームの世界に行ってしまった。最終的な感想としては、これは神(羽入)の気紛れな遊びに翻弄された人々の不幸、を描いた物語、なのかな。どうだろう‥」
「ふーん。それはどうして?」
「えっとね、祭囃し編で羽入が転校生として舞台にようやく登場するよね。それは羽入が傍観者を辞めることにより運命に対し勝利するためというよりは、運命に対し勝利するための駒が出揃ったから、という理由のほうがしっくりくる気がするから。」
「俯瞰的にみるとそうかもね。ひぐらしという世界がゲーム盤であることは言及されてるし、じゃあ、そのゲームは誰と誰が戦うのかといえば‥そうなるかな。」
「人の人との世界を描いていた問題編の四作は、傑作でした。人間の明と暗を示し、矛盾や葛藤、信頼や疑惑など相反する感情を抱き、そのために強くもあれば脆く挫折する人間の存在の深さを教えてくれた鬼隠しから目明しは、すばらしい作品でした。
原因はなんにせよ、私たちの生きている世界がどれだけ儚く崩れゆくか、その怖さとそれでも抗う意志を示した鬼隠し編はとても素敵だった。
綿流し編と目明し編で己の信ずる大切なものために、不条理と悪意の連帯に立ち向かい、心をすり減らしてゆく、寂しさと高貴さはとても素敵だった。
祟殺し編で描かれる人生の袋小路と悪徳の惨劇、希望の灯の無情さ、世界の大いなる無関心さはとても素敵だった。
‥そしてそれら物語が神により幾多ある可能性として選別され、排除され、人間を追い詰めていく様が皆殺し編と祭囃し編で描かれた。‥罪滅ぼし編には敢えて触れません♪」
「レナ嫌いなの‥?」
「罪滅ぼし編のレナはいちばん好き♪」
「あ、そう‥」
「相反する矛盾した想いを抱くのが人間だと私は信じています。そういった意味で過去に縛られ、簡単に壊れてしまう硝子細工のような沙都子は大好きです。どの作でもおんなじだしね。まともじゃない役人には二種類しかいない、悪党か正義の味方だの言辞が似つかわしい大石さんも葛藤に満ちていてとても素敵。‥そして苦痛に疼きながらも誇り高く生を戦おうとする鷹野さんも、とても魅力ある格好いい人でした。そんな人たちの想いを自分に有利なように誘導させ、破滅させた祭囃し編は、とんでもないバッドエンドなんだと私は思うのだけど、お姉ちゃんはどう?」
「ぱっと見では幸せだけどね、祭囃し編は。」
「鷹野さんが悪党だというのは確かです。愚かであったのも確かです。でも、幸せとはそんなにいいものかな‥? 私はそこが気に食わないです。」
「佳代も祭具殿とかに勝手に侵入して拷問具見てきゃーきゃー喜びそうだしね。」
「それでオヤシロさまに祟られて死ぬの。うん、魅力的な最期だね。」
2006/10/30/Mon
「クリアしました。もうちょっと期待していただけに、残念な出来でした。うーん、鷹野さんがとても人間的魅力に富んでいただけに、なのかな。圭ちゃん側(露骨に善)がすごくフラットな人格になってしまい、これまでぐちゃぐちゃの見事な心理描写を通じて得てきたキャラクターたちの魅力が、祭囃し編では皆無。おもしろみがない。どこをどう転んでひぐらしがこんな袋小路に迷い込んでしまったのか、うーん、残念です。」
「ハッピーエンドは嫌い?」
「うー。そういうのじゃないってわかってるくせにー。」
「あはは。でも皆、駒になってるのがおもしろいじゃない。神(羽入)が神を打ち破った人間(鷹野)に対する残酷な復讐戦だものね。いじわるな神様のいんちきなゲーム盤の上での大人気ない苛め。物語も人間性もぜんぶが副産物になっちゃって、道徳的教義を語ることがすべてになってる。あはは、おもしろいじゃないこれ。」
「ユーモアがないのー、ユーモアが。もう知らない!」
2006/10/28/Sat

「ほんとにこんなだったから困ります。ひぐらし解というのはミステリの禁じ手を易々と踏みにじっていくことに愉悦を感じろとでもいうような構成で、とてもがっかり‥。もーミステリとして連続殺人が妄想だの勘ちがいだのには、怒りよりも呆然とさせられました‥。しかも超常的存在がこれでもかと物語に直に関わってきていて、そんなので納得しろというのはアンフェアの極み‥。とどめに黒幕は実は今まで影も形もなかった秘密結社だー、猟奇的殺人の手段は未知のウイルスだー。‥プラトンパンチをくらへー! こんな展開滅ぼしてやるー!!」
「ま、それしか言い様がないね‥」
「鬼隠し編の圭ちゃんの過剰な被害妄想の理由が、これまた風土病の進行によるものだそうで、L5とか、もうえーって感じです。クラスメートの女の子が目の色変えて嘘だッ!とか詰問してきて鉈持って追っかけてきて挙句の果てに仲間連れて家まで押しかけてきてるのに、信じろというのは、信じられるかー!」
「皆殺しと罪滅ぼしの仲間を信じなかったから惨劇になったんだって言い分は、ミステリの物語というのはどうしてもメタ次元から見た場合、批判されるものだってことよね。アンフェアだなー。」
「うん‥。ミステリは一本通行の構成で、それを全体として見通せば必ず失敗や愚かな行動があるものなのです。でもそれをメタ次元から批判することがとてもずるい。それもメタ次元の介入を作中に許しちゃう形で。‥ひぐらしがこんなにアンチミステリとしての機能を発揮するなんて、目明し編までには思いもよらなかったなー‥。ずるいよ、これは‥」
「壮大に肩透かし。」
「もうだめ‥」
2006/10/28/Sat
「えーと、うーん‥あはは、皆殺し編をクリアしましたけど、どういっていいのかなーお姉ちゃん?」
「わ、私に振らないでよ‥」
「ミステリだの実はSFだのということはもーとっくに云々する気も起こらないのだけど、うーん、適当な言葉が思いつきません。左翼メソッドのとんでもゲーム?とかも別にいいませんし、推理がどうのこうのも別に今更いわない‥。でも敢えていっちゃうと、皆殺し編がいちばんつまらなかった。」
「あー‥いっちゃった。」
「もうやだー‥」
「ご愁傷様。」
2006/10/27/Fri
「お姉ちゃんあのね、知り合いのスーパーの店員さんにいきなりお客さんがちょっとあんた何見てんのよ!と詰問してきて、え、別に見てませんが‥嘘よ!あんた私のこと見てたわよ!って騒ぎになって、最終的には店長さんまで出てくる事態になったんだって。たいへんだったみたい。」
「あー、勘ちがいって奴か。そういうのされたほうとしてはえらい迷惑よねー。」
「被害妄想だね。困っちゃうよねー。」
「あはは。」
「あはははは。」
「‥」
「‥」
「寝込みます‥」
「お休み‥」