2011/04/07/Thu
「気づくと、もう本作の毎月ごとの感想をかれこれ去年の12月以来、私、してない。これはあまりに怠惰ってものでないかーって気がしてちょっと慄然とするのだけど、でも毎月、本作に関しては目を通してはいるので、話の筋は大丈夫、私、把握してるよ。でも、じゃ、なんで感想をしないのかーって聞かれると、それはもう私の怠惰以外の理由はないって答えざるをえないんだけど。‥あー、ウィトゲンシュタインも自分はだらけるのが好きだってことをたしか日記に書いていた。その気持、私もすごくわかる。って、これは前にもいったことのような気がする‥」
「本誌のほうでは上原さんのほうに少しずつ話がクローズアップされている最中といったところだったかしら。‥はてさて、それでこの一巻目は内容としてはちょうど昨年十二月までに感想をつけた回で終っているのよね。その意味では都合がいいというか、逆にいえばこのエントリで感想をいうことがなくて残念というべきか。というのも、個別のエピソードについてはそれぞれエントリをすでに書いているのだから。しかし、それではさて、新たに何か記すことがあるかしら?」
「一連のお話をまとめて読むと新しい発見があるかもしれないかなって思って読んでみると、いくつか気づいたことがないでもなくて、そのひとつは、榊さんと立花くんの関係性は危ういほどに純粋なんだということを再認識したこと。二人それぞれにとって、たぶんこれが初恋で、そして本巻に収録されているさいごのエピソードであるところのデートもまた、二人各々にとって、紛れない最初のデートだったんだろうって気がする。その意味においては二人の関係性は、変な言い方をすれば、嫌味なくらい、作為的な部分がない交流になっているし、逆にいえば、それだけ二人の恋人というつながりは、互いが互いをよく知らない、片方が片方を美化しているといった理想の影響を強烈に受けているもので、今後、この初デートの失敗以上のアクシデントに見舞われたら、二人の仲はたやすく瓦解するかもしれないって、そうも私はまた感じた。その危機というのは、一般にはたぶんに、性的なものが絡んでくる類のことだと思う。」
「ま、そうはいっても二人の関係が崩れることを期待するといった悪趣味なことを、この作品に限って、抱いているわけではないでしょうけど。‥これはなんていうのかしらね、美麗も立花くんもどこか幼いというか、ある面、いい人間すぎて、二人の成行はなんともかわいらしく、和やかなものになるだろうことは容易に想像がついてしまう。だからこそというべきか、二人の関係性を主軸に描くと、本作のドラマはさほど盛り上がるものとはならないって予感が萌してしまう。‥ま、だからこそ、上原というキャラクターが存在するたしかな理由があるのでしょうけど。」
「上原さん、おもしろいよね。今までの桐原先生の作品にはいなかったキャラじゃないかなって気がする。こういった種類の大人を適切に用い、物語のキーパーソンとして描くことがかなうなら、本作のドラマは榊さんと立花くんの初恋の模様というに留まらず、さらなる深みを見せてくれるにちがいないって、私はこれからの期待をこめて、そう思うかな。‥ところで、それとは別に、相変わらず松本さんがすごく素敵。こんないい人なかなかない。友だちのために仕事を休んでストーキングしちゃうところなんてもうたまらない。マイフレンド榊さんのことを思って勝手に落ちこんだり、でもすぐ妄想の力によって復活したり、さらにはかわいい榊さんの様子をみて身悶えしている松本さんの姿に至っては、もう本作のなかで誰より魅力あるって、私は感じ入っちゃう。‥と、ここまで話して思ったけど、なんだ、松本さんもお花畑だったんだね! この私の松本さんへの思いいれは、つまるところ、お花畑への共感、それだったんだ‥!」
「お花畑で結ばれる同類だったということかしら。‥いや、はてさて。松本さん、おもしろい人よね。正直、こんな人が近くにいたら退屈しなくてすばらしいと思うんだけど、なんで今まで友だちいなかったようなのかしら? 正直、松本さんを眺めているだけで本作は十分楽しいとさえいえてしまう。それは松本さんが美麗を見つめて至福のときを味わっているように。‥いや、なんとも業の深いことよ。お花畑とは罪作りなものね。はてさてよ。」
桐原いづみ「榊美麗のためなら僕は…ッ!!」1巻
2010/12/26/Sun
「先月号の感想をしないまま、一ヶ月が過ぎちゃった。これは怠惰だなと思いつつ、でも内容的にはまとめてやったほうがわかりやすいだろうって思うから、エントリを書く上でとくに問題はない。話としては、榊さんのデートが失敗した、あははって以上のことはないし。あはは。もし私が榊さんみたいなデート失敗しましたって相談されたら、なんだか、とりあえず、大笑いしちゃいそう。あはは。」
「それで友情に傷がつく、と。はてさてね。」
「しかし実際どうだろう? ‥もし知り合いの誰かが、ここは大学生くらいと仮定して、その誰かが中学生とデートに行くって話を聞いたら、私はなんて答えるかな。‥と、記憶を遡るとそういった例を私は知らないでもなかったか。でも榊さんの場合は、相手が中学生だからという理由は、実は問題の核心ではないような気もする。というのは、作中、年齢差を気にして態度がよそよそしくなったことが原因ってふうに描写されていたけど、でもそれより、なんていうかな、榊さんが純真すぎるのが問題だったように見える。中学生以上に初々しいというか、なんというか。」
「美麗って今までその手のこと何もなかったのかしらね。いや、何かあったならば、ああまで初心な‥といっては失礼に当るのかしれないけれど、ま、ああいうような下手な対応はしないものでしょうし。けっこうもてそうに見えるのに、不思議ね、なんだか。」
「同年代の子にはまじめでしっかりした榊さんは怖そうで、そういう相手にはなかなか選びがたい。かといって、年上の人と知り合う機会もなければ、榊さんにそういった興味も勇気もとくにない。となると、榊さんがショタに走るのは必然的なことだったのかも‥。‥そういえば、ふと思い出すけど、数年前、とある不動産の人と雑談していたとき、大学に入ったばかりの子、とくに女性のほうは気をつけたほうがいい。というのは、それまで恋愛に免疫がなかった子が、大学に入った開放感から、恋人を急いで作るんだけど、加減がわからないから、泥沼にはまるパターンが多い、って。ネット的な洒落めいた言い方を弄すると、ヤンデレ化することが少なくない、って。」
「ま、ヤンデレっていうのはニュアンスがちょっと大げさになるんでしょうけど、相手に過剰に入れ込み、依存してしまうというケースは大いにあるのでしょうね。‥美麗がそうだとはいわないけれど、立花くんと知り合わなければ、なんだか下手な相手に捕まっていたんじゃないかって不安になるような、危うさが美麗には見える。高校のときはそうでもなかったんだけれど。なぜかしら?」
「大学に入ると人は堕落するのだー、みたいな。いや、これほんと。高校って朝は早いし、夜は遅いしで、超大変。大学は楽でよろしかな。あはは。‥と、だめなことをいったついでに、もう一言、だめなことをいっておこう。‥松本さん素敵!! 榊さんは松本さんと付き合っちゃえばいいのにー、みたいな。」
「付き合えばいいかどうかはともかくとしても、松本さんは魅力ある人というのはたしかでしょうね。なんで友だちいないのかしら? それは周りに見る目がないというだけの気がするけれど、はてさてね。」
2010/10/28/Thu
「榊さん、ショタコン。」
「世のなか、少年好きな人って本当多いのかしらね。いや、口をつぐんだほうがいい話題でしょうね、これ。」
「榊さんは頼れる女性ってイメージで立花くんに好かれてるんだからもっとしっかりしなきゃ! ‥って一瞬思ったけど、でもそのうち二人の仲が縮まるにつれて、榊さんは見た目ちょっと怖いイメージがあったんですけど、でもほんとうは女性らしいところもある、かわいい人なんですね、とかいわれて、慌てふためきながらも赤面し、まんざらでない榊さんって図が容易に思い浮ぶので、なんか、べつに、いいや。デート楽しんできてね。」
「なんか投げやりね。」
「あー‥デートで映画かー‥。と、ふと思い出すけど、そういえば私もデートで映画見に行ったとかあったな。それで、話は逸れていくんだけど、デートで映画を見るって実際問題どうなんだろう? それって素敵? いいものなの? というのも、映画ってただ黙って座って画面見てるだけでしょ。なんか一人で見りゃいいじゃんって気がしてきて不毛な気分になってくる。私だけ? でもそれをいったらカラオケとかもそうだよね。それとも二人いっしょにいるのに意味があるんです、あなたのとなりにいられるだけで幸せです!みたいな? 表に出ろー、久々にプラトンパンチをくらわせてあげる。寒くなってきた折に打撲は沁みるよ!」
「ま、でも、映画って妥当な落しどころじゃないかしら。学生同士でしょう? ちょっと本気でデートするとなると、ほら、お金かかるでしょう。食事にしろなんにしろ、費用はかさむでしょうし、その意味では映画は無難なのじゃないかしら。まさかどちらかにおごらせるわけにもいかないでしょうし。」
「立花くんがお金をせびっても、あるいは反対に榊さんが中学生のなけなしのお小遣いをむしっても、それはそれでおもしろいかも。話は殺伐としてくるけど。」
「それはこの作品の芸風じゃないでしょうね。期待するのがおかしいというものよ。」
「でも中学生には映画だってけっこうばかにならない出費だと思う。私がそうだったもん。バイトできるわけじゃなし。」
「それはそうかしらね。」
「あんがい中学生くらいの子がどこでデートするかといった問題は、その人の器量がまざまざと浮び上がるものなのかもしれないかな。‥ところで、松本さんがすばらしいキャラ。桐原先生の作品のなかで、もしかしたらいちばん私好きかも。好き好き松本さん。私と友だちになろう。やさしくしてあげる。」
「さいご意味深ね。‥しかし松本さん、今まで友だちぜんぜんいなかったのかしら。そんなに性格に問題あるようにも見えないけれど、ま、これから描かれていくのかしら。こういうおもしろみのあるキャラクターは久しぶりで、見ていて楽しいものね。期待かしら。」
2010/09/25/Sat
「なんか、すごい、榊さん。三文字。」
「美麗って今回のが初恋だったのかしらね。意外といえば意外な気もするけれど、意外じゃないといえば意外じゃないという気も自然とする。不思議ね。」
「もてそうだけどね、榊さん。‥といっても周囲からすれば、榊さんは怖く映るだろうな。基本的に何ごとにつけまじめで、つっけんどんな風に表面的には見えちゃって。それで本人としてはほかに優先すべきこと、つまり部活のほうに注力して、他人を恋愛って関係性において意識する余裕がなかった。野乃さんのこともあったし。というか、野乃さんとの関係は擬似的な恋愛関係のようなものだった。」
「同級からしたら、美麗は近寄り難い雰囲気はあるのでしょうね。特に高校あたりは同年代のなかの閉じた関係性に終始してしまうから、余計にそうなのでしょう。年齢の離れた付き合いというものが実質ない高校生活は、人間の意識をある意味硬化させるのでしょうね。」
「それが大学に入って、バイトを始めて、そして劇団っていう外の関係も作って、余裕が生れた。異なる人たち、同じ境遇の人間だけでない、さまざまな事情をもった、深みのある背景を抱えた、多種多様な個人を意識する場に出れた。そのおかげで自分を客観視することができ、自然と余裕が生れ出る。‥榊さんは大学に入って、上手いこと変われた好例かな。ときに、大学の開放さで明後日の方向に行っちゃう人もいるけれど。」
「そこらは少なくない例なのでしょうね。‥ま、しかし、最近の大学はどうなのかしら? 地元志向が強まっているというから、案外、大学に入っても高校から連綿と続く関係性が継続しているのかもしれないけれど。‥ただこれは余談に逸れるからやめておきましょうか。」
「榊さんは大学生になってより魅力的になった。中学生の男の子を陥落しちゃうくらいに。‥でもふと気になるのは、もしかしたら気を遣いすぎて疲れちゃうのは立花さんのほうじゃないかな、というところ。大学生のお姉さんに合わせて付き合うというのは、けっこう面倒くさいのじゃないかな。それが生真面目な榊さんなら、なおさら。まじめな二人の恋愛関係というものは、どちらも互いに気を遣いすぎて自滅というパターンがありがち。そういうことにならないかな?」
「立花くんって中学何年生だったかしら? 受験が迫るとまた微妙になってくるのよね、こういうものって。お互いがどこまで近づいていいかという距離感の問題もあるでしょうし、それに性の問題も絡んでくるでしょう。‥と考えていくと、おもしろくなりそうな要素はたくさんあるのね、本作は。次回も楽しみにしましょうか。」
2010/07/31/Sat
「榊さん、あっさり付き合っちゃった。」
「‥ま、そうね。」
「榊さんが十九歳で立花さんが十四歳。すると二人の年齢差は五年で、五年くらいべつにどうでもいっかなと私も思うけど、でも学校というものがあるおかげで、このくらいの時期における年の差は、あんがい大きな要因になっちゃう気がするかな。ありがちな例を持ち出すと、デートのお金とかどうするんだろう。割り勘なのかな?」
「下世話な話だけれど、どうなのでしょうね。これが二十代以上の交際における五年の年の差であれば、問題などそうそう思いつかないのでしょうけど、中学生と大学生の関係性でとなると、なかなか答えにくいかしら。実際の経験がないと、特に。」
「ということで思い出すこと、その一。‥塾で講師などをしてる学生で、こうなんていうのかはっきりいっていいのか迷うけど、中学生が好きな人がいるもので、そのうちのある人は講師をやめたあともある生徒とプライベートな付き合いをしていて、それを可能にしているのは単純に気配りと感性がすぐれているということ、それと最大の要素としては、お金がある、ということなのだと思う。いってなんだけど、中学生くらいなら当然お金がないわけで、そしてどういった局面にせよ、顔がよくて権力があってお金があればもてるもの。‥なんだかけっこうよろしからぬことをいった気分。やばいかな。」
「いけない話ね。‥しかし榊さんってそういうタイプでもないでしょう。立花くんだってそういう人ではないでしょう。どちらかというと、榊さんは、ピュアすぎて困るタイプよ。」
「ピュアだよねー。真剣に告白したら、私でもオッケーしてくれたんじゃないかな?」
「‥はてさてね。」
「でもそう思うくらいに今回の榊さんは呆気なく立花さんの掌中に陥落しちゃって、長年、榊さんのことを見守ってる読者のひとりとしては不安になっちゃう! ‥といったところで思い出したことその二。‥知りあいのとある男性に、これはまちがいなくヒモの才能があるなって思える人がいて、その人は能力はそれなりにあるのに夢見がちで見ていて危なっかしくて、側にいると守ってあげなきゃって気分にさせられる、そういった魅力というか素質を秘めた人。‥その人は二十代そこそこだけど、三十過ぎの見た目いかつい男性も、自然と世話を焼きたい気分にさせられるってこといってたから、その方面の素質は十分かも。」
「いやなんかその話やばい雰囲気がするけれど。」
「私も一回そんな気分になっちゃったので、これはやばい。それはあるパーティの席だったんだけど、ナイフの扱いが下手くそで、もう私が切りますから引っ込んでてください!っていっちゃった。」
「‥ま、ヒモになるには才能がいるのでしょうね。というのも、多くの男性はヒモであることに耐えられないでしょうから。」
「食べさせてもらってるって状況に卑屈さを覚えちゃうんだろうね。でもヒモを養う女性のほうからすれば、食べさせてあげてるってこと自体は悪でもなんでもなくて、むしろそこに卑屈を覚える弱さ、自意識の強さのほうにかわいくないって思っちゃう。母性本能というものは、実に厄介。」
「で、榊さんもそこにやられてしまう人かしら?」
「私にはそう見える。野乃さんの例といい、榊さんはだめな人に惹かれる人。優秀な人なんだけど、いや優秀な人だからこそ、性格にそういった落し穴があるのかもしれないかな。それが悪いとは思わないけど。」
「はてさてね。‥ま、そういった意味ではこれから精神的につらくなるのは、美麗よりも立花くんのほうなのでしょうね。純真な二人の組み合わせは、見ていてちょっと不安にもなるかしら。どう転ぶでしょう。楽しみよ。」
2010/07/14/Wed
「そういえば5巻の感想をやってなかったみたい。でもそれでもべつにいいかなと思って6巻を何気なく読んでみると、ちょっと驚いたのは、シンコのいじめの問題にある程度の決着の方向性を見せ始めたということ。‥いじめの問題は、これは私はけっこう長く考えていることで、そして本作におけるシンコが置かれてる立場、その環境は、ある面、日本で起るだろういじめの状況をよく描写しているように見えて、その点では私の脳裏に引っかかっていた。‥その特徴とは何? ひとつは、シンコが空気を読めない子だからいじめられてるということ。そしてひとつは、シンコがいじめられてることを傍観している人々が実に静かだということ。この点は、大きいかな。」
「空気の問題というものは端的にいえば、空気を読めと命令するものに従うか否かという問題というふうに言い換えることが可能なのでしょうね。つまり誰それは空気が読めないといった場合、この言葉が意味するのは、誰それは私の権力に従属していないということであり、つまりある限定された環境における地位の問題というように指摘できる。‥ま、こういう空気を読めという関係性からは、逃げるのが一番賢い選択なのでしょうけど、はてさて、学校のクラスなんかでは実際は難しいでしょうね。」
「シンコは幽霊が見えるという点で異質であり、そのためにお前KYじゃんってなっちゃってるんだよね。それがシンコがいじめられる原因のひとつで、そしてもうひとつの原因である、これが肝心なのだけど、いじめを傍観するものたちの問題をここで見つめねばいけない。というのも、いじめの本質は、私はこの傍観者にあると思う。‥いじめっ子、いじめられっこ、そしていじめを観察しているものたち、私はこの三者のなかでもっともいじめを助長する要素、装置となっているのは、目前と行なわれているいじめに対し、自身の無力を痛感したために、何もすることができず、ただ環境のストレスに打ちひしがれ、状況の改善を何も望むことのなくなった、傍観者の集団にあると思う。」
「いじめをどう考えるか?といった問題は難しいのよね。その難しさの理由のひとつは、いじめ問題とは、どのポジションで取り組むかにより、いじめの様相はさまざまに変化するからであって、そして最も困難な選択を迫られるのは、まさにいじめを傍観する立場に置かされた人々にこそあるのでしょう。」
「これは個々のケースに基づいて、別個に議論すべき問題であるけれど、でも端的にそして直感的にいうなら、いじめっ子、そしていじめられっ子のそれぞれにおいて、何かしら助言を与えようと想定するならば、それはある一定の方法があるのかもしれない、と思う。‥でもそれに対して、いじめを見る立場に置かれた人々、傍観者がそのいじめをどう考えるべきかと考えた場合、ここに有効な解答が存在するかどうか、私は非常な困難を覚える。‥あるいは、私はこう率直に、答えるかな。‥いじめを傍観する立場には、いてはならない。さりとて、そのいじめを止める力がないのであれば、せめて、いじめを傍観するのは止めたほうがいいんじゃないか。逃げちゃえ、逃げちゃえ。現実の無力に打ちひしがれ、すべてを皮肉な笑いであきらめる面をするよりは、逃げて誰の顔も見えないところへまで行ってしまえ。‥そのほうが、人間らしいじゃない。」
「傍観するという立場は、すでにそれ自体がいじめの本質に参与してしまっていると、果して、いってしまっていいのかもしれないかしらね。そして自分がそういった傍観というポジションにいるくらいなら、そのポジションを放棄してしまったほうが、あるいは妥当なのかもしれない。というのも、なんていうのかしら、いじめは、そして大きくいって学校の問題は、何か人に
絶望に慣れさせる訓練をしているかのように、思える部分があるからよ。‥はてさて、どうかしらね。」
桐原いづみ「白雪ぱにみくす!」6巻
2010/06/23/Wed
「それは恋だよ、ひよちゃん!」
「‥」
「性格から言動まで正反対でとくに身長差のあるひよちゃんと晶さんの二人の組み合わせはとても素敵っ。かわいい! こうもじもじしてるひよちゃんを奥手でなかなか積極的な振舞いには出られないけど、でも芯では包容力があり頼りがいがある晶さんがひよちゃんの無茶を受けとめてあげるんだよねっ。それは萌える! きゃー素敵ー!」
「‥」
「あ、本編の感想はこれで終り。ひよちゃんかわいくてよかった。次回もかわいいといいな。」
「‥まておい。」
「何か。」
「‥ま、いろいろいいたいことはあるけれど、もうちょっと会話しておかないとエントリの体裁が整わないのじゃないかしら。別に実のある対話をすべきとは思わないけど。」
「そうかな。」
「そうよ。」
「それじゃ友情についてちょっと雑談しようかな。というのも本作の主題は明らかに友情が問題であり、友だち関係とは何かを問うことは本作の鑑賞において重要な意義を持つように思われるから。‥友情というと、今私の頭にぱっと思い浮んだのは太宰治の「走れメロス」だった。周知の通り、この作品はメロスが友人のセリヌンティウスを自分の身代りにし、幾多の困難を抱え、友のために疾駆するといったものだけれど、本作のなかで私の記憶にもっとも印象強く残っている一節は、メロスが町にたどり着き、セリヌンティウスの処刑に間に合うかどうかという瀬戸際で、セリヌンティウスの弟子の「あなたは遅かった」という台詞に対し、変とするメロスの言葉だったりする。それは、「間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。」というメロスの台詞。‥私はこの言葉を折に触れ、考える。ここでメロスがいう「もっと恐ろしく大きいもの」というのは一体なんなのだろうって。」
「間に合う、間に合わぬは問題ではないとメロスはいうのよね。これはおもしろい言葉かしら。というのも、そもそもメロスは友のために走っているのであり、処刑に間に合わなかったのならその苦労はすべて水泡に帰すはずなのでしょうけど、しかしそれは大した問題ではないということなのだから。つまりここでメロスは友の命よりも大事な何かに追われているのであり、それは人の命以上に重要な何かであるということなのでしょうね。はてさて、それは何かしら。」
「信じられているからメロスは走るというよね。そしてその信に応えられなかったなら、それはおそらくメロスにとっては自分の命を失うこと以上の恐怖がある事態になるということを予感しているからこそ、メロスは間に合う間に合わぬは問題ではないといったのだと思う。‥私は、ここでメロスが何をいおうとしていたのかと考えると、メロスはほかならない自分のためにこそ、このとき走っていたのじゃないか、という思いがしてくる。別な言葉でいうなら、メロスは自分を信じるためにこそ、約束に応えようとしているのであり、約束を守るということは、逆説的にいうならば、自分のためにすべきことであるのだといえると思う。なぜなら約束を違えたときというのは、その約束をした相手に申し訳ないという感情は強くあれど、しかしそれ以上に、自分自身がもはや信用ならなくなるという、己が己にとって無価値になるという、その恐怖が立ち表れるのじゃないかと思えるから。‥メロスは己の自尊心のために、自分が信じられる自分という価値のために、死ぬ気で走った。そしてその生き様にこそ、ディオニスは感動する。それは生き様への共感なしに友情はありえないという真実を目の当りにした瞬間だった。」
「青臭い価値観のためにメロスは命を賭したといわれるかもしれないけれど、しかし、他人にはどれだけ滑稽に無茶に映ろうとも、メロスにとっては友情を守るということは非常に大切な信念であったのでしょうね。‥もちろんそれはメロス個人の価値観に過ぎず、万人に容易に敷衍できるものではないかもしれない。しかし、そうね、己にだけ大切な小さなことを、あるいは人は大人になるにつれ、これは自分だけのちゃちな思い入れだからといって、あまりに簡単に、無残に、切り捨てすぎているのかもしれない。友情も、自尊心も、あまりに軽く見積もりすぎているのかもしれない。そこにあってメロスの姿は、己の価値観をただ己のためだけに、孤独に守ろうとする意地が感じられるといえるのかもしれないかしらね。それがまた美しいとも、もしかしたら、いえるのじゃないかしら。‥ま、なんかまた話が明後日の方向にいってしまったエントリになったけれど、なんかもうはてさてね。これじゃメロスの感想よ。どうなってるのかしら。」
2010/06/22/Tue
「中学生に告白された榊さん。うらやましい。」
「えっ。」
「そんなことない?」
「‥どうかしらね。大学生が中学生に告白されるというのは、それ以上に面倒くさい部分が大きいように思うけど。」
「ふうん。‥じゃ、お姉ちゃんはどれくらいの年齢差なら付き合ってもいいかなって思える?」
「そうね。そう聞かれると正確には答えられないけれど、実際そういった立場に立たされたなら、年齢よりもその人の人柄を考えるのじゃないかしら。恋人の問題は。」
「私という存在がありながら、さらっとそんなふうに答えられちゃうんだね、お姉ちゃんは、恋人の問題を。はあ。」
「‥ちょ、ちょっと今のは意地悪な反応よね、佳代。‥そ、それじゃ佳代としてはどうなのかしら、こう年齢の格差が恋愛に果す影響という問題については。どう思うの。」
「私? うーん‥私もやっぱりお姉ちゃんがいったように、年齢よりかは相手がどういう人なのかなという部分を考え悩むと思う。というか、あんまり私相手の年齢って気にしないし。なんだか興味もあんまりないし。」
「ま、年齢差がひどく気になるのは学生の間のうちとはいえるのかもしれないかしらね。それに年齢差を気にするというのは文化的にもさまざまでしょう。アメリカ人なんかは恋人の年齢の差なんてあまり気にしないのでなかったかしら。よくは知らないけど。」
「そこらの研究か何か本があれば知りたいよね。題して恋愛における年齢格差の問題、とかいうの。‥あー、でも年齢差がそれなりにあると、シチュエーションとしては盛りあがるというのは、ドラマとしてはあるのはたしかかなとは思うかも。たとえばけいおんの二次創作で大学生になった唯が中学生のファンの子に迫られる場面を想像すると、萌える気がする。」
「へえ。で、また何かの花がモチーフになるの?」
「年齢差がテーマなら、ケシの花が最適かな。花言葉はL'amour ne me suffit plus.」
「その意味するところは?」
「愛だけではもう間に合いません。」
「うわ。」
「閑話休題。‥さてそれで、榊さんは告白を受けるのかな、それとも断るのかな? 告白を受けるというなら、それはそれで今後の課題はいろいろあるだろうけど、当面はさほど支障なく、劇団のほうは続けられると思う。周囲の理解もあるだろうし。‥問題は断る場合のほうで、告白を断るというのは、これはもう難しい局面だよね。修羅場だよね。というのも、下手に告白を拒否すると、相手方がよほど人格的にすぐれていないのであれば、ある種の禍根や恨み、その後に連なる問題を引き起す可能性は大であって、不幸と苦労を避けて通るのは難事にちがいないと思われるから。‥むずかしいよね、相手の思いを、自分の都合によって、却下するというのは。」
「正直に振舞うのが、術策を弄するよりはよほどいいとは頭では分っているのだけれど、なかなか実際の場面ではそうはいかないのよね。こういうのって。」
「なんでかな。」
「人は嫌われたくないからでしょう。これからふる相手にも、人は心の奥底では嫌われたくないものよ。しかしふるというのであれば、嫌われて当り前なのだけれど、なかなかそう自身を納得させるのは困難であるのでしょうね。」
「あと未練なようなものがあったりすると、こじれちゃうのかな。社会的諸条件や、世間の目のためにあなたとは付き合えないけれど、でもほんとはあなたのことそんなに嫌いじゃないよ、実は好きかもしれないよ、という思いが見え隠れしたりすると。」
「そうなると泥沼かしらね。ま、美麗がきれいにふってくれることを期待するとしましょうか。‥いや、待て、まだどう転ぶか分らないのだから、ま、立花くんに悪い結果にならないことを祈りましょうか。はてさて、どうなることかしら。」
「あ、さいごに補足。松本さんが素敵なキャラ。気に入った。こういう人いいよね。活躍するとうれしいな。」
「彼女がどういった経緯で劇団入りしたのかも描かれるとおもしろそうね。ま、それも含めて期待しましょう。」
2010/05/24/Mon
「またすごいタイトル。大学生で劇団を立ち上げた榊さんが主人公ということで、また演劇を、しかも劇団という舞台を中心に描こうというのだから、この演劇を主題に選ぶ試みはなかなか思い切ったものあるかなとは思うかな。私自身は演劇って世界にはほとんど通じてなくて、だから本作で少しなりとも演劇の様子を知りたいって気持が無きにしも非ずなのだけど、でも演劇それ自体がテーマの中心に位置することは、果してあるのかな? 「ひとひら」を思い返すとそういう領域にはあまり踏みこまないように思うけど、実際はどうなるのだろう。」
「作中でも触れられているとおり、新たに劇団を旗揚げしたというのだから、いやはや、その行動力は大したものかしらね。本当に普通ならサークルなりなんなりで最初は活動してもいいでしょうにと思うのだけれど、そうしない何か強い理由が彼女たちにはあるのかしら? ま、そこらが描かれることにも期待したいところでしょう。」
「そういえば私の恩師のひとりが劇団の脚本にかかわっていて、私にも少し顔出してみないかって誘われたこともたしか昔あったかな。めんどうくさくて一度も見に行ったことも実はないけど。‥それで、私事はとりあえず横に置いておいて、今回のエピソードに関するちょっとした感想なのだけど、榊さんを主人公にするって本作のコンセプトを知ったときから、どんな物語にするのだろうって関心が少なからず私にはあった。というのも榊さんって基本的に苦労性の勤勉な人で、その律儀さは以前麦ちゃんが指摘したとおりといってよいほど頑迷な人だから、先の「ひとひら」の主役である麦ちゃんとはある意味正反対なタイプといえて、どう動かすつもりなのかなって興味があったから。これは彼女が主体的に映えるタイプの人でなくて、他者のフォロー、その反応により、より深く自身の魅力が引き出される傾向にある人間ということも起因してる。‥それで本編は案の定、そんな榊さんが突然のイベントに巻き込まれるって形でスタートした。これからの楽しみは、さて榊さんがどういった反応をもたらしてくれるかなって部分にかかってる。ツンデレ榊さんに期待かな。」
「ま、前から野乃以外に対してはとくにツンデレという人でもないのでしょうけどね、美麗は。‥しかし、はてさて、中学生に告白される大学生というのも、なかなかこう、ある種の修羅場ではあるのよね。というのも、一般論だけれど、向き合い方が非常に難しい時期というものでしょう、立花くんあたりの人たちは。それがさらに恋愛という領域に絡んでくると、いわずもがなというもので、どういった心理の変化が表れるか、ま、見物といったものね。しかもずいぶんと好印象の子だから、物語の行方は、どのように結果するか楽しみというものよ。一つ期待しましょうか。」
2009/12/29/Tue
「今回はきょーちゃんのエピソードで、お話自体にはとくに私はコメントない。理咲のきょーちゃんに対する対応はちょっと粗雑かなとは思うけど、それもきょーちゃんがべつに問題にしてなくて、むしろ好意的に受けとめているのなら、あまり問題とすべきでないのかもしれないし‥ここの描写はそれならきょーちゃんの成長と捉えるべき? たぶん、そう読むのが妥当なのだろうかな‥。‥演技してる、上手く他者と付きあえないってことに悩むきょーちゃんだけど、その悩み自体は一般的で、というのはつまりは、自分のことがあまり好きじゃないという状態は人間としてとくに変わったことのないふつうの、平凡な、ありふれた姿だということ。というのも、ふつうの人は人生において大きな成功を克ちうるものではないし、また希望どおりの進路をとろうとも、そこにはもしこうあったならもっと幸福だったのかもしれないっていう仮定の思いが死ぬまで拭えないものだから。だから人は過ぎ去った過去にいつまでも未練を残すものであるし、その未練は現在への心残り、厭世観として機能する。そしてただ未知な未来が大きな謎として居座ってる。明日をも知れぬ人間を、あざ笑うかのように。」
「もし過去の選択がこうであったならという思いはなかなか消せないもの、か。ま、はてさてといったところなのでしょうけど、しかしそういった思いを超克できるのは浅はかな思想のみという気もするし、あるいはたとえばニーチェのように歓喜のみを人生の価値と捉えてもね、挫折は必至でしょう。となると、やはり人はあまり好きではない自分を抱えてずっと生きていくほかないという結論に至るのかしら? それはそれで、なんとも悲観的というべきね。」
「べつに自分のことを嫌いでもいいけど、私は自分が嫌いですごく心が傷ついてるから生きるのやめますっていうふうに自殺まで至っちゃうというのも困り者ではあるから、かな。だからたいていの場合、自分のことが嫌いでも嫌いなまま人は生きていかなくちゃいけないわけだし、そうして生きてるうちになんとか嫌いな自分との向きあい方を模索しなきゃいけなくなるのが、通例とも、さては人が語らない人の処世術ともいうべきなのかもしれない。‥私は、本心をさらけ出さず、仮面をつけて生きてく生き方を、べつに否定しない。本音での付きあいなんてとうてい不可能なのじゃないかなって、そんなことも思ってる。なら、仮面、多様なペルソナのもとに人は生きてもいいのじゃないかなって思ってる。だって、自己は限定されえず、世界に開ける地盤をもってるって、私は考えるものだから。」
「人の意識とは他者を常に想定しているようにできているような節があるものだから、あまり自分が好きだの嫌いだのといった、狭い自己の領域ばかりに閉じこもっているのは不健全とも、さてはいいうるのかしれないかしらね。そしてならば自分に対する自分の意見や考えを、だんだんと減らしていくのも十分立派なスタンスともいっていいのでしょう。内より外へ己の関心を広げることこそ、もしかしたら硬直した精神を解す秘訣なのかしれないのでしょうから。」