2017/07/15/Sat
この前、サクラノ詩をクリアした。この手のゲームを遊ぶのは本当に久しぶりだったのだけれど、はてさて、なぜこの作品を遊ぼうと思ったのかしら。理由を覚えていない。気まぐれからだろうか。いや、私は以前からこのゲームとこのゲームの製作者については興味を持っていた。大体、けっこう昔にサクラノ詩のコミックスを読んだ記憶があるし。
感想をいうと非常に楽しいゲームだったで終わるのだけれど、思うことはいろいろある。第一に本作が非常にペダンティックな構成で、芸術論が多い…というか、芸術論を真正面から扱った作品であることに興味を引かれる。ここまでまっすぐに芸術の問題、特に美術、本質的にはまさしく美少女ゲームを論じようとした作品は珍しいだろう。その意味ではメタ美少女ゲームであり、この作品が完成するのに時間がかかったこともそういった点から理解できるようにも思う。ただ、本作が、そういった性質のために、美少女ゲームらしい美少女ゲームではないこと、つまり単純に女の子と仲よくなって終わるゲームとはなっていない点をどう評価するかは意見が分かれるところだろう。何せ本作のラストは、女の子と仲よくなって終わるというタイプのものとは正反対ともいえる結末なのだから。
製作者の芸術・哲学・文学・音楽への興味・関心には総じて共感を覚えるよ、私は。本作で描かれたような問題意識はよくわかる。特に、美となんなのか?という問いはおもしろい。絶対的な美が存在するのか、それとも美とは他者との交流の上にこそ成り立つのか。いいかえれば、この問題意識は、作品とは受け取り手が存在しなくとも作品たりえるのかと問うのと似ている。人間の知覚の限界を知るプラトンならば、私たちが知る美とは仮初めのものであって、それゆえにこそイデアとしての美を指示するのだろうか。だが、たとえばこの前『図書館の魔女』を読んだのだけど、そこでは書物というのは読み解かれて初めて価値を持つという一節がある。私としても、同感だ。だから、絶対的な美というものが存在したとしても、絶対的な作品というものは存在しえないだろう。と、私は思うよ。ただまあこれは趣味の問題かな。つきつめていえば。
本作では、エロゲ伝統といっていいのかどうかはわからないけれど、十年ちょっと前のエロゲによく描かれた擬古典や奇跡もあつかわれている。興味深いのは本作では奇跡が明確に否定されている点で、奇跡でだれかが救われるということはない。また、本作の主人公は例によって個別のヒロインルートに入るとそれぞれのヒロインを救うわけだけれど、それじゃ救われなかったヒロインはどうなるのか、主人公の力がなかったら選ばれなかったヒロインは不可避的に不幸に陥るのでないかという、これまた伝統的問題があるわけだが、本作はこれにも一定の答えを与えている。ヒロインのだれとも密接な関係にならないメインルートに入ると、ヒロインは皆自力で息抜き、そして自力で立ち直ろうとした主人公に悲劇が襲い、彼は孤独になる。
この点が最も本作がメタ美少女ゲーム的なところで、というのも、これは、ハッピーエンドとは何か、私たちがハッピーエンドだと思っていたものとは何かという問いかけであるからだ。だから、本作のテーマのひとつが「幸福の先」なわけだ。
サクラノ詩は非常に思弁的な作品だと感じる。またその一方で、自己言及的かつ自己批判的でもある。なぜなら、奇跡や救われなかったヒロインの問題は、十年ちょっと前の、ナイーブさを反映しているように思えるから。たとえば、最近のラノベ原作のアニメの「冴えない彼女の育てかた」や「エロマンガ先生」あたりになると、選ばれなかったヒロインがどうなるかなんてナイーブな問題をそこまで根を詰めて考えているようにはどうしても思われないから。おそらく考える必要も意義も認めていないし、そういったことを考えることは失礼なのでないかという反省もおそらくはあったろう。その類の問題は、たぶん美少女ゲームにどうしてもまとわりつく宿痾であったようにも感じる。なぜかというと、そのような問題意識は反省的なものであるから。要するに美少女ゲームの主人公の自己批判の反映であったのだろう。なぜそのような反映が必要だったのかというと、美少女ゲームがコミュニケーションの芸術だからだろう。かわいい女の子と仲よくなるという、人間関係の芸術であるからだろう。
コミュニケーションを必ず必要とするのが美少女ゲームであり、文学も音楽も絵画も、人間関係を必ずしも必要とはしない。ラノベやアニメも実はそうだろう。奇跡や救いというものは、人間関係の最も明瞭かつ深甚な表現であったことも明らかなように思える。
で、話は変わって、サクラノ詩で評価しにくい点もあり、それはたとえば悪役の描き方が表層的でつまらないとか、メインヒロインたちよりも最終章のヒロインたちのほうが完成度が高く魅力的に個人的に思えてしまうのもどうだろうと感じる点ではある。でもこれは製作期間が長かった弊害だとも思う。
まだいろいろ考えていることはあるんだけど、とりあえず備忘ということで、思いついたままの文章を上記のようにあげておく。
「サクラノ詩―櫻の森の上を舞う―」
2012/02/07/Tue
Kayo
私は昔からFateの士郎が嫌いって放言しているんだけど、時折、私がどうして士郎が嫌いなのかってその理由を誤解されることがあったから、今さらではあるけれど、なぜ私が士郎という人を嫌うのか、その理由をまとめておこうって思う。といっても、そう大げさな話にはならないけど。
Nadja
その話題、本当に昔からいっているのよね。八年前からそのこと公言しているでしょ?
Kayo
八年……時の経つのかくの如き早きもの……。……とかいってないで、さっそく本題に入ろう! ……私が士郎を嫌うのは、彼がイデオロギーのマシンだから。端的にいえばこれだけ。彼が単なるマシンというか、機械というか、ただの人形だから嫌い。――ここが誤解されるのだけど、私は彼が正義というものを信奉しているから嫌っているのでない。むしろ、正義とか悪とかいったものは私にとってほとんど重要じゃない。そういった価値観の選択で私が士郎を嫌っているのでない。繰り返すと、私は彼がイデオロギーのマシンだから気に入らない、ということ。
Nadja
はてさて。それはどういうことかしら?
Kayo
たとえば、彼が誰かを助けるとする。――でも、それは彼がその誰かを好きだからじゃなくて、それが正義というイデオロギーに合致するから、そうしているだけに過ぎない。……これが私は気に入らない。――たとえば、彼が女の子は戦っちゃだめだっていうのは、その女の子が大事とかそういうのじゃなくて、女の子を戦わすのが彼の正義というイデオロギーでは許されない事態だから。……これが私は虫が好かない。――彼が誰かと敵対するのは、彼がその誰かを憎んでいるとかじゃなくて、ただその誰かが彼の信じる正義に反するから。……だから、私は士郎が気に入らない。――と、ここまでいえば、私が正義や悪という価値観のちがいを問題にしているのじゃないってことがわかるはず。私はただ、イデオロギーに盲目的な彼の態度が好かないだけ。それはもう憎悪を覚えるほどに大嫌い。
Nadja
だから桜ルートの話だけは好き、と。
Kayo
そう。そうなるよね。だから、彼が自身のイデオロギーを裏切って、好きな子のために戦うHeaven's Feelはいいなと思う。あれはわかる。理解できる。――逆にいえば、私はそれ以外の、ただイデオロギーに盲目的な士郎はまったく理解できないし、ひどく危険なものだとさえ思う。なぜならイデオロギーや思想とは、己の内在に問われなければ、ただ無意味なものだから。
Nadja
正義といったような観念、イデオロギーといったものは、人に簡単な指針を与えるものではなく、個々人が個々人の人生の内在において、その意味を問うて初めて意義があるものとなる、か。……ま、はてさてといったところだけど、観念や概念といったものと正面から向き合って、あれこれ考えたり感じたりするというのは、しんどいのよね。それはときに孤独だし。しかし、そうして吟味されたものじゃないイデオロギーは、つまらないものでしょう。つまらないものよ、きっと。
2011/02/22/Tue
「今度出るスパロボは買おうかなとつらつら考えていると、昔遊んだスパロボのことをいろいろと思い出してくる。たぶんそれほどゲームをやらない私が一番遊んだシリーズはスパロボだと思うけど、さてそのなかで記憶に残っている作品は何かなと考えると、これはけっこう長い話になりそうな気がする。うーん‥私はα外伝が好きだった。たぶん今でも一番好きな作品だと思う。そして、なんだかんだで、第二次αがすごく印象に残っているのは、ブレンパワードのヒメのためかな。‥携帯ゲーム機で一番遊んだのはまちがいなくJだと思う。今まで隠していたけど、私はJが好きなんです。メルアが好きなんです。‥恥を忍んで、告白すると!」
「いや、ま、好きよね、J. 相良軍曹も出るし。」
「そのあとのWは実はそんなに惹かれてもないかも。でもWは私の知人が何週も何週もやりこんでいて、なんでそんなにやってるのかって疑問に思い聞いてみると、さすがにこれだけプレイしてくると退屈になってくるが、それでもやるんだと、まるで覚りを開くため喘いでいる求道者の如く、トーラスを鍛えているその人は返事した。そのことが今でもなんだか記憶に残っている。閑話休題。‥で、なんの話だったかな、そう、一番遊んだスパロボは何かって話だったかと思うけど、いやちがうかもしれないけど、とにかく、たぶんそれはFになるんじゃないかって思う。FとF完結編で二つになるものね。これは長い。戦闘シーンもとばせない。ますます長い。声もついているから、スーファミ作品以上に長い。すばらしい。でもこの作品には、私は苦い記憶がある。」
「はてさて、何が?」
「途中でかったるくなって、修理と補給を繰り返す技で、プルとシーブックのレベルを99にして、私はあっさりクリアしちゃったからです! 邪道です! プラトンパンチをくらへー!」
「プルとシーブックってのが、不思議ね。」
「私の趣味! どっちも好きなの! シーブックの乗るF91はあえてビームサーベルをフル改造した! 好きだから!」
「切り払われるのにね。」
「エヴァのナイフもよく切り払われたね! ‥でも、Fは長かったけど、そのぶん、やけに印象に残っている気がする。たとえば、私、戦闘シーンに入ると、その時間暇だから、本を読んでたんだよね。で、きりのいいところまで読まなきゃいけないから、また余計に時間がかかる。そしてまたユニット一体を動かして、また本を開く。またまた時間がかかる。きりのいいところまで読む。また動かす。またまたまた本を読む。エトセトラ。‥なので、クリアまで、すごく時間がかかった。おそるべきかな。」
「ゲームと平行して読む本だから、気楽に読めるものに限られる。それで思い出すのが、」
「『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズ。そう、私はこれをスパロボFをやりながら読んでいたんです! そして、このエントリでは『おいしいコーヒーのいれ方』の思い出でも話そうかって思っていたんです。つまり今までは前ふりだったんです!」
「長い前ふりね。」
「長くなりすぎたから、今日はここまで!」
「続きはまた明日。‥さて、続くのかしら?」
2008/08/08/Fri
スパロボZの主人公発表。男はX、∀、キンゲ。女は種死ルート「オリジナルなんてどうでもいいじゃん! キングゲイナーと∀が出るのだからっ。きんぐきんぐきんぐげいなー‥きんぐきんぐきんぐげいなー‥きんぐきんぐきんぐげいなー‥。あはは。ふふふ。楽しみだよねーっ。」
「いや、怖いから。というか修理ユニットがオリジナル主人公機で出るのね。これまた英断かしら。外見、マッチョな親父だし。」
「たーんえーたーん‥たーんえーたーん‥。今回のスパロボは久しぶりにとても楽しみなの。だってだって、キングゲイナーと∀が出るのだものねっ。買わずにいられるかというものなのだ!」
「いや、あんた同じことしかいってないけど。ま、バンサーも出るようだしガチコもサザンクロスの技を披露するみたいだし。なかなかどうして、キングゲイナーには期待していいのかしらね。」
「ウルグスク・ドームポリス自警団が使用するシルエットマシンことバンサー! そのいかにもやられ役みたいな地味な外見ながら、質実剛健の性能を示し、対オーバーマン兵器であるBB弾を備えてからはブラック・ドミさえ圧倒する戦力を秘めるようになった、さらにはさいごのオーバーデビル戦においてそれらバンサー部隊の登場によって戦局は窮地を脱したといっても過言でない、まさにヤーパンを代表するメカ、それがバンサー! きっと終盤では量産型ながらとてもとてもつよい魅力的な性能になってくれるって期待してる。α外伝ではカプルをつかってた私としては、カプルも楽しみ。カプルかわいくてよいよね。外伝ではプルツー乗せてた。」
「なぜプルツーなのかと疑問は残るけれど、ま、懐かしい話ね。ああいう地味ながらどこか味のある機体をしっかり描いてくれるのが、富野監督のていねいな長所かしらね。」
「ねー。ガンダムはそんなたくさんいなくてよろしなのだ。いっぱいいても、ヒロイズムがそれで増すと思えないし。ここぞというとこでガンダムがあるから、ゲイナーがいるから、希望はけして捨てちゃいけない。アナ姫さまがいわれたように、私たちにはキングゲイナーがいるのだっ。きーんぐきーんぐきんぐげいなー‥めたるおーばーまーんきーんぐ‥」
「‥で、これでこのエントリ終い? またなんとも中身のない内容だけれど、でもべつにいいのかしら。さて、いいのかしら‥」
2008/07/23/Wed
山日記さん「リトルバスターズ!を勧めること。」
『「リトバスってどんなゲーム?」
みたいな質問に既に答えられないことに気づく。
青春物ギャルゲー、なんて答えだと「To Heart?」なんて思われるだろうし、野球、バトル、友情、どれも微妙に正確ではない。ましてや「感動物」という紹介は大いに間違ってる気がする。かといってRefrainにも触れられない。「メタフィクションっぽいゲームだよ」なんて言われてやる気になるとも思えない。』
「ユートピア全力で否定してモラトリアムから脱却しようとするけれど、さいごのさいごで詰めが甘かったゲーム。あの最終エンディングで、仲間を全員助けてしまうのは、ひどい現実を直視することをおそれた結果かなって気がする。もちろん、keyの作品でそこまでの悲劇をAirのあとに望むつもりはなかったのだけど、麻枝さんて作家は、最終的なとこで家族から離れられることはなかったなって気がする。家族って愛情のユートピアから、リトバスはさいごまで脱せなかったって思う。それがわるいとは、もちろん一概にはいえないかなだけど、ね。」
「リトバスもせんじ詰めれば家族関係の物語だったことは、論を俟つまでもないことなのでしょうね。仲間たちの友情という範囲から、彼らの絆は収まり切らないものがあるのは自明でしょうし。ひとつの家族的な関係性を構築してしまっているとでもいえば適当かしら。」
「家族的な愛情の‥そして性的な物語であるリトバスは、だから控えめにいっても人をえらぶ作品であることはたしかかなって思う。少年少女の恋愛は、実はリトバスという物語のうえではアクセントでしかなくて、その彼らの愛はやがてより大きな集団としての家族に統合される必要があって、サブヒロインのエピソードがそれぞれ枝葉にすぎないというのは、リトバスにおいてはある決定的な意味をもってる。‥ある意味、家長である恭介が、家族の正義を示して、それが結果的に物語世界から無上の肯定を獲得するっていうのが、リトバスのエンディングなんだよね。あの結末をよしととるかどうかは、これはその人の価値観によるけれど、でも私としては彼らの家族愛の表現に、ある種の屈折を見出さずにはいられなかったかな。彼らの家族愛は、たぶん個人の孤独を覆ってしまう。そんなもの見たくもないっていうなら、またべつだけど。ただ私は、理樹と鈴の二人だけがとり残されちゃうあのエンディングが、いちばん美しかったって思う。あのさみしさが、とても美しかったって思う。みんなで助かるエンディングは、理樹の成長を決定的なとこで阻害した。そう思っちゃうのは、私の偏屈かな。たぶん、そなんだろな。」
「偏屈かどうかは、ま、置いておきましょうか。ただしかし、リトバスという作品がある種の納得のいかなさを残しているというのはあるのよね。どうも溜飲が下がらないというか、まだ完全な決着を見たわけではない。何かやり残しがある。この気ぜわしさは、何かしら。」
→
「リトルバスターズ!」 ユートピアと現実と→
リトバスとクラナドとAIRの話 家族という快楽の図式
2008/05/14/Wed
「カノンを見ていて、思ってた以上に楽しめるかなって思う。序盤の雰囲気はAirやCLANNADよりも私好みかな。冬国というのは、それだけで物寂しい印象を湛えてくれて、それがこのしずかな物語と一体化してるって感じさせてくれる。そこはとてもよろしかな。」
「しずかで動きの少ない、起伏の目立たない序盤の展開だからなおさらそう感じるのかしらね。もうちょっと活劇めいたものがあると見やすくはなるのでしょうけど、そこらのバランスはむずかしい、か。」
「落ちつきすぎというのはあるかな。それといっしょに少し気になるのは主人公の裕一という存在で、これはカノンに限ったことじゃないのだけど、keyの作品の主人公って‥なんていうのかな、ちょっと非人間的な部分があるというか、恋愛の情感が欠落してるみたいなとこってあるよね。基本おもしろい人で女の子にもやさしいのだけど、でもある種の感情が欠けてるというか。これは彼らがおしなべてモノローグを好まなくて、繊細な内面の機微を明かしてくれないということも関係しているかなって思う。何考えてるかわかんない飄々とした裕一の態度は、もしかしたら奥底に性愛の情緒が隠れてるのかもしれないけれど、私にはなんだかよく、見えないな。これは原作がゲームで、元々一人称で語ってる形式がアニメになって剥落したというのでもないみたい。私はAirとCLANNADはあそんだけど、主人公のある部分がとても見えてこないなって印象を受けたから。どこか何か無機質な要素を、keyの作品の主人公連からは感じるかな。」
「それはなんていうのかしらね。性自覚の意識、とでもいえば適当かしら。彼らはどこか性衝動というものに無自覚的である節が見受けられるのかしらね。ま、露骨に性意識をあらわされてもそれはそれであれでしょうけれど。」
「うーん‥性の感覚というのは思ってるほど意識的なものでなくて、もっと内臓的‥なんていえば適当かな‥みたいなもので、keyの作品は意図的かどうかはわかんないけど、そこらが幻想化されてて、それが裕一に感じる私の違和感の正体なのかも。とてもきれいな物語ではあるけれど、でも恋愛の機微は描けないだろな。そんなこと思っちゃう理由がここに存してあるのかも。」
「プラトニック‥というのも少し感じがちがうかしらね。なんというか生々しさを極端に嫌悪した世界観とでもいうのかしら。それはそれでひとつの美ではあるのでしょうけど、少し疲れる部分はあるでしょうね。物足りないというより、何かエネルギーを吸われるような。どうもそこらは言葉にしにくいかしら。」
2008/04/19/Sat
スパロボ公式サイト 参戦作品
劇場版 機動戦士Zガンダム
超重神グラヴィオン
超重神グラヴィオン ツヴァイ
創聖のアクエリオン
交響詩篇エウレカセブン
オーバーマン キングゲイナー
宇宙戦士バルディオス
超時空世紀オーガス
宇宙大帝ゴッドシグマ
機動戦士ガンダム 逆襲のシャア
機動新世紀ガンダムX
∀ガンダム機動戦士ガンダムSEED DESTINY
マジンガーZ
グレートマジンガー
UFOロボ グレンダイザー
ゲッターロボG
戦闘メカ ザブングル
無敵鋼人ダイターン3
無敵超人ザンボット3
THEビッグオー
「スパロボ新作に∀ガンダムがやってきた! きゃーーーーーー素敵ーーーーーー!!!! やったっ。すばらしい! 素敵!! そだよねそだよねーやっぱり∀だよねー。うん、とてもとてもよろしかな。ついに∀がα外伝以来にやってきたの‥。つよくて美しくてかっこよくて、シド・ミードの機能的でスタイリッシュで独創的で、シンプルで人体美に満ち満ちた、最高に繊細で豪壮な、兵器と戦士の美学にあふれた、あの∀ガンダムがスパロボでふたたび立ち上がるのだ。なんて素敵‥。私うれしい‥」
「いやはや‥。なんだかすごい喜びようね。エクスクラメーションマークそんなに連続させるなんていつ以来よ。」
「∀がきた。すばらしいのだっ。いいよねうれしいよねたまらないよね! えへへー。もうほかの機体なんて気にしてられないのだ。∀が出ればそれでいいの。∀とカプルとターンXがいれば、もうあとはいいや‥」
「α外伝でカプルフル改造したのも懐かしい思い出ね。あれはいまだにどうかと思うけど。」
「いいの! 私はカプルも大好きなのっ。でもすごく楽しみー。∀ガンダムがまた見られる。それはとても素敵なことなのだから。‥ところで私エウレカもアクエリオンもSEED DESTINYも途中まで見てつづきぜんぜん見てないや。どしよかな。これを機会にぜんぶ視聴してみるのも一興かもかな。」
「とかいっててもめんどくさがりのあんたが見るのかしら? ま、∀も久々に参戦ということでそれはまあいいことかしらね。はてさて。いつ発売するのかしら。とりあえず気長に待つとしましょうか。」
2008/03/11/Tue
「リトバスもあれはけっきょく家族の物語なのだよね。AIRもその意味では家族に閉じたお話であって、クラナドはいわずもがな。麻枝さんは家族しか描けなくてそして家族を描くべき人なのかな。ちょっと思う。リトバスの最終的なハッピーエンドでは、交通事故でみんな死んじゃうのが、なんとか奇跡とか何かが起こったみたいで、なんとか全員助かってよかったねというものなのだけど、私はそれより理樹と鈴の二人だけが生き残るってエンドのほうが好きだった。あの病室の風景は、さみしくて好き。リトバスという作品自体が、物語的にも構造的にも、閉じた世界‥つまり閉鎖的な家族幻想のなかで繰り広げられる物語で、私はそこに少し息苦しさを感じてた。だから理樹と鈴がほんとに二人だけに取り残されちゃう結末は、ひとつの悲劇であるけれど、私はそこに解放のカタルシスを感じた。それは親離れのようなカタルシスを。」
「閉じた世界というのは、ま、家族を描く以上、家族の閉鎖的な性質からは逃れられないということでしょうね。作中では理樹と鈴が脱走する場面でも、そういった閉じた家族からの脱出の開放感は感じられたかしら。だからあそこの場面は印象的なのよね。」
「家族というのは閉じたもの。それはそれが人と人とが身近になるということの意味だから、あってしかたない。だけど、クラナドしかりリトバスしかり、その家族の雰囲気にはついてけないなという人は、けっこう多いだろなって思う。それはなんでかなっていうと、家長‥リトバスでいえば恭介、クラナドでいえば秋生さん‥の権力というのがどちらも強烈で、その権力に従順になれば家族内に受け容れられるけど、もし彼らのノリに反発をおぼえちゃうようなら、あんたたちのしてることは偽善だよ、みたいに思っちゃうのは必然かなって思うから。恭介も秋生さんも、いってよければあざとくて、そのあざとさに辟易しないということがそれぞれの物語を楽しむことができる必要条件かなって気がする。あざとさ‥というのは家長がそれだけ家族のことを考えてるから生まれちゃうもので、それ自体はけして責められるべきものでないのだけど、でも彼らのつよい思いはそれだけ他者に対して影響力があるから、思いがけない暴力性を孕むことはあるかなって思う。だから恭介や秋生さんの調子についてけない人に、リトバスやクラナドの物語はきついものがあるだろなって思うのです。」
「二人とも作品の狂言回しの位置にあって、彼らのスタンスこそが家族の規律ということかしらね。ま、それに文句があるという人がいるのは自然でしょう。」
「私なんかは秋生さんみたいな人はたぶん苦手かも。あれだよね、たぶん秋生さんのいうことに私は反発できないのじゃないかな。そう、そう、そですよねーって。たぶん私は弱っちゃうばかりなのだ。」
「あら。そうかしらね。ま、それは佳代が信念をしっかりもった人相手にうだうだいうのが苦手というだけでなくて?」
「あはは。私は、そうつよい思いみたいなの、あんまりない。だから私は恭介や秋生さんみたいな人からは、距離をおくほかないのかも。彼らの作る家族の世界は、きっと従順になれば気持いいのだろなって思うけど、でも私はそこに安住するのに躊躇をおぼえる。私はその幻想に跪きたくないなって思いがある。‥だから私は、理樹と鈴の二人だけが生き残るエンディングが好きなのです。彼らが孤独になれた瞬間が、愛おしく、思えるのです。あんまりいうと、あれだけど。」
「閉鎖的な家族幻想ね。ま、なんというかかんというかね。永遠のモラトリアムを提供する家族とでもいえば適当なのかしら。」
「家族ほど性的な関係はない‥なんていったら怒られるかな。‥AIRってそう考えると、家族のあざとらしさが最高に表現された作品なんていえるかもかな。私はゲームしたときはそんなでもなかったけど、アニメをみたとき、ぞっとした。その家族の有様に、背筋が冷えるのおぼえた。AIRは‥放言だけど‥あまりに露骨な作品でないかなって気がする。あれは私は、けっこう恐怖するものがないでないです。あの関係性に、私は引くものがある。」
「徹底した閉鎖性というのかしら? 極限まで家族の関係性を押し進めれば、それは死という形の同一化を計るに至るのでしょう。それだからこそ家族ほど性的な関係はないという言い方は、それほど的を外れてないのかしれないかしらね。それは個の埋没の果ての、快楽よ。」
2008/02/05/Tue
まぬけづらさん
『で、Fateって心を持たないお人形さんがそれを獲得するまでのお話ではないのかなと。凛ルート、桜ルート(主にバッドエンドの方)でそれは解消されている、あるいは解消されるであろうことが示されていると思うのですよ。
もっとも端的にそれが示されているのは桜ルートで、かつ、彼が身体の限界を超えてエクスカリバーを振るって帰って来ないエンディング。桜がひとりで待ち続けてお婆ちゃんになってしまう結末。
士郎は“桜だけの味方”となることでようやく心を手に入れたので。そして誰も救おうしなかった。桜すらも救おうとはしなかった。それは自身は自身によってしか救えず、他者からの救済なんて“救済”にはなり得ないことに気付いたから、ではないでしょうか。本当に他者の幸福を願うのであれば、行うべきは支援であり自分の手で救い出そうとするのは即ち暴虐であるということに。』
「あー、そか。これはそかも。たしかにあの士郎は私も好き。そうきらいでないかなって思えちゃう。桜だけの味方になる士郎か‥そだね、うんきっとそうだ。それがたぶん味方のほんとの意味でないかな。」
「自分と他者。その二元論がどうでもよくなるくらいの価値を見出したからこそ、彼はだれも救うことなく消えていった、か。それはたしかに、痺れるものがあるかしらね。」
「私が味方ってことをよくあらわしてるなって思う場面は、ほかの作品ですけどGUNSLINGER GIRLのトリエラとヒルシャーの関係で‥たしか三巻だったかな。ピノッキオを追ってる途中でトリエラがだれが味方だかわかりませんねっていって、ヒルシャーが心強い味方だっているさって答えるシーン。あそこが私すごい好きで、こういう関係、素敵だなって素直に思える。今はガンスリアニメとかでいろいろあるけど、原作は私とても好き。この作品は、こんどべつに語ろかな。」
「それもいいかしらね。原作もさいきんはトリエラやばそうだけど。」
「いい機会なのでfateの気に入らないとこのつづきー。どうでもいいことばかりなので、軽くね。まずアーサー王を女の子にしちゃったのが私気に入らない。アーサー王物語でおもしろいとこはアーサーとその奥さんのギネヴィアとそしてランスロットのどろどろの三角関係なわけで、それなのにアーサー少女だったら、ランスロットとかギネヴィアとかもういろいろあー!って、なる。‥あれ、でもギネヴィア美少女でアルトリアも美少女だと思うと、そんなやなものでもないよな気がしないでもないかな。‥?」
「いや、おい。ぐだぐだね。ってかそれ瑣末なことねー。」
「その二ー。ギルガメッシュがあんな性格なんて私いやー。ギルガメッシュ叙事詩というのはギルガメッシュとその親友エンキドゥの切ない友情物語が肝要なのであって、それがあんな金ピカギルガメッシュなんて私いやー!みたいな。‥ギルガメッシュは永遠なんてないってことをよく知ってるですよ。でもそんなこれも強くいうことでないかな。あんまりどうでもよろし。」
「まあ強烈なキャラよね。金ピカって。はてさてよ。」
「言峰はそんなきらいでないかな。でもべつにあんまり興味もない。fateもそんな、かな。うーん、奈須きのこ先生のは私あんまり得意でないかも。ほどほどに好き、というのかもかな。」
「ま、なんだか煮え切らないけれど。とくにオチもなしということで、このエントリ終いかしら。」
2008/01/06/Sun
公式サイト「やってみた。へー、とおどろいた。こんななるかな。とても明快で、作品の伝えんとしてるとこがすごく単純。こういう作品を作るのかって思って、私は少しおどろいた。いわんとすることは明確。ユートピアの破壊と、脱出。」
「物語の構図は単純といえば単純ね。永遠に遊んでいられる学生生活、最高に気の合う友人同士と無限にくり返される馬鹿騒ぎ、そして少女たちとの恋愛、か。古典的よね。」
「主人公は胎内回帰願望を具現化したような男の子で、彼は現実より空想を、未来よりも今を、過酷さより快楽を執拗に求める人。もちろんそれがわるいことだなんて私いわないです。むしろ私はそういった理樹くんの気持には共感すること多いかな。それは人類の根底に眠る、必然的な衝動だって思うから。私は現実世界というものにそれほど重きおいてなくて、夢の価値は現実のそれと比べて劣るものだなんてけして思わないから。ううん、夢のほうが楽しいかな。夢のなかの体験は、あらゆるやくざな日常を越えるものであるのだから。」
「ま、古今東西のユートピア詩人がそこらへんはいくらでも描いていることね。この作品の独自な点は、そういった観念世界を作り上げた目的が、ひとりの少年と少女を鍛え上げるためだというのでしょう。現実を生き抜くために空想世界で精神を成長させることが、その主目的であったのだから。」
「なんかすごい矛盾。夢を現実に供したんだよね。私はそれが気に入らないといえば、表に出ろー! 夢をそんな目的に利用するだなんてつまんないじゃないかー! っていいたくなるくらいに気に入らないけど、でもどんなだろ。現実の理不尽さに人間の心が抗う物語ではあるのだよね。そのエゴは私の気に入るところであるから、全体として私はこの作品に錯雑した思いを抱くことになっちゃうのだ。うー、あー。」
「なんにせよ、夢も現実も越えていくという物語ではあったかしらね。越えていく。それがテーマよ。EDなんてそのままよ。」
「でもメッセージ性がすごくつよい。「AIR」なんてほんとに作者のしたいことやったぜーってよくいえば芸術性が結実したよな作品で、「CLANNAD」はそれとは反対で主張がつよくなったかなって思ったていどだったけど、「リトルバスターズ」はさらにくっきりと明確にメッセージがある。だからこの作品の評価は、そのメッセージを読者がどう受けとるかというところで、けっこう決っちゃうかなって思っちゃう。その価値観と判断をどう思うか。私みたいにのらりくらりとかわしてもよろしかな、ですけど。」
「そこがこの作品の評価の決定するところでしょうね。ある意味読者に要求する部分がとても大きいのよ。構図は単純。ユートピアの否定と脱出。はてさて。ほかの人はどう受けとるのかしら。」
『快楽とは、部分的に肉体を抜け出すことであり、小規模な蘇りである。死はおそらく彼岸へとつづく痙攣であろう、ちょうど赤ん坊の産声が快楽の頂点における叫びと似ているように』
マルコム・ド・シャザル
リトルバスターズ!