2017/07/23/Sun
パリではモンパルナスが好きなので、パリに滞在するときは大抵モンパルナスに宿をとる。芸術家の街だから気に入っているのか?と聞かれたら、いや別にそういうわけじゃない、と答えると思う。タワーがあるのはよろしい。私は高いところが好きなんだ。墓地があるのも好ましい。ただ一番の理由はド・ゴールからバスが出ているからで、要するに慣れているからだ。といっても、決まった宿があるというわけでなし、いろんな安ホテルに泊まっている。ひどいホテルは本当にひどい。だがまあ値段相応である。その分、気楽でもある。
カフェ。私はコーヒーとコーラが好きで、毎日飲んでいるけれど、コーヒーはイタリアのほうがよかったな。イタリアのバールというもの。ちょっと立ち寄って、軽く飲み干して、出て行く。バールの人も愛想よくて、とても感じがいい。これに比べてフランスはどうだ。フランスのカフェのやつらは、実に無愛想だ。それも慣れたといえば慣れたけど。しかし、三月にモンパルナスに行ったときはアジア系の人がやっているカフェを見つけて、まあそこは味も悪くなかったし、なかなかいいところだったよ。
2017/07/16/Sun
毎年のことだが、夏は気分が沈む。夏に遠藤周作をほぼ全部読むということをしてみたことがあるが、そのときは遠藤の欝々とした世界観と説教とちょっとのユーモアが夏の湿気と暑さと合わさって、非常に落ち込んだことを覚えている。夏より冬のほうが好きだし、私にとってフランスは冬とよく結びついている。…という話をある先生にしたら、それは秋から留学するからだよね、といわれた。正しい。欧米の学校は秋から始まる。個人的には寒いときのほうが勉強がはかどる気がするので、秋から学期が始まるのは賢明なのかもしれないとも思う。まあ個人の好みかしら。
またあるときある先生に、お前には独学者のいい面と悪い面がはっきり表れているといわれたことがある。それも正しい。私はフランス語は独学だが、いや厳密にはそうともいえなくて、というのも学部のときにフランス語初級の単位は取得しているからなんだけど、しかし一年のときに初級を落として、三年になってようやく必修のこの単位を取り直したんだよ。本当にやる気がなかった。で、いい面と悪い面というのは、つまり独学者というのは自分の好きなことしか勉強しないものなんだよ。私は、要するに、発音が下手だ。聞くのも得手ではない。ここらへんはしっかり勉強しなきゃなとは常々思ってはいる。思ってはいる。
語学は始めた当初は、なんていうかものすごく頭が重かった。勉強して唸るということはあるのだな。身体的にそれは表に出るんだな、と思った。いかにそれ以前の自分が勉強不足で怠けていたかということを思い知らされたかのように、頭が重かった。たぶん、使っていなかった脳細胞を突然使い出したからだろうか。夢でも辞書を引いていて、で、起きて、辞書を引くんだよね。なんか、朝起きて数学をしようと思って数学するんじゃダメで、常に数学していなきゃいけない、みたいな感じ? 夢の中でも語学していたようなもので、まああれはあれで初級者としてはちょっとは正しかったといえるかもしれない。はてさて。
2016/08/22/Mon
板書が苦手で、というのも私は字を書くのが下手だからなんだが、できる限り、板書を減らしたいと、二年前は思っていた。腕が疲れるから。同様の理由で、ライブでサイリウムを振るのも嫌いだ。といいたいところだけれど、振ったことなんてないに等しい。そもそもライブに行かないし。
しかし、今は普通に板書をしている。仮に板書を減らすなら、プリントを作ったり、口頭の説明を工夫しなきゃいけないが、だったら板書のほうがまだしもかと、考えが変わった。ただ、黒板にチョークはいいんだけれど、ホワイトボードにペンで書くと、そもそも下手な字がさらに目も当てられないことになる。ホワイトボードに上手く字を書くためにはどうしたらいいんだろうか。知り合いにこのことを話すと、黒板よりホワイトボードのほうが書きやすいといわれた。へー、人によるのか、と感心した。
塾でバイトをしていたとき、きれいな板書ができるようになるために、小さな黒板を買って、家で練習していた人がいたという話を聞いたことがある。そこまでするのかと驚いた記憶がある。塾などに比べて、大学の先生方の黒板の使い方がいかにでたらめなことか! 私はそれに比べるとまだマシだ。と、思うよ。
森博嗣の小説のキャラクターの犀川が、一切板書やプリントを使わず、ただ話すだけの講義をするから有名って設定があったけれど、しかし、ヨーロッパの伝統的な教育では、そんな先生ばかりだな、と思う。学生のほうもそういうスタイル、先生が一方的に話すって講義に慣れているから、各々、ノートをとるテクニックが身についている。ソシュールの『一般言語学講義』も、あれは学生のノートから作られているんだから、推して知るべしだろう。日本から留学して、いきなりあのスタイルに当たると、これはいうまでもなく大変だ。
板書をしていると服も手も汚れる。ホワイトボードなら汚れないかと思ったが、実際は汚れる。まあ、どうでもいいけど。
2016/08/21/Sun
採点をして、腕が痛い。こんな程度で筋肉痛になるのは運動不足だからだろうか。いや、採点に使う筋肉は普段使っていないところだから余計に疲労を感じるのか?
昔、塾でバイトをしていたことがある。いろいろなバイトをしたが、塾の講師が一番長く続いた。模試なんかがあると採点もしなきゃいけないわけだが、そこは私のほかにも多くの講師がいるわけだから、さほど時間はかからず終わったものだ。しかし、今は採点をするのも一人だし、そもそもテストだって私が作っている。良かれ悪しかれ、一人ですべてやればいいというのは、気楽ではあるし、責任をほんの多少は感じもする。いや、責任感にはもっと意識的になったほうがいいのかもしれない、私の場合。
以前、何かの雑誌だったかで、パリに住む教師のインタビュー記事を読んだことがある。中学校か、高校の先生だ。教師という仕事は自分でオーガナイズする自由さと楽しみがあるから好きだと答えていた。このインタビューは、アメリカ的な、といってはあまりに典型的で表層的な見方だが、まあアメリカ的な物質主義、こういってよければお金がたくさんあればクールだぜ、みたいな価値観に反対する主旨で書かれたものだった。フランス人はあまり服を持っていないなんて本も出ていたように記憶している。まあ、なんていうか、フランス人の大多数は実際そんなにお洒落じゃなかろう。風呂、入らないし。
フランスで高校の教師というのはエリートだ。日本とはここはかなり意識がちがうと思う。大学でポストを得られない人が高校で教師をしているというケースも多い。そのうち大学の先生になったりする。ただ、La Magazine littéraireのエントリで触れたように、フランスもまた教育改革とは無縁ではない。今後どうなっていくか…と、そんなことをブログでまじめに考えてもしかたがない。
2016/08/20/Sat
La Magazine littéraireの2016年7月・8月号では、ラテン語・ギリシア語の特集をしている。いうまでもなく、ヨーロッパの教育では基本となる二つの古典語なのだが、フランスの教育改革によって、ラテン語と古典ギリシア語の学習が岐路に立たされているらしい。日本でも最近は大学教育についてかまびすしいわけだが、フランスなんかもそれは同様であるという好例である。いや、別に「好」例というわけではぜんぜんないか。
このブログではあまりまじめな話はしたくないので、いや私は非常にまじめな人間だけれど、大学教育や古典語教育に関してあれこれ私見をいうつもりはまったくない。私個人はフランス語を専門に何年も勉強しているわけだが、フランス語学習において、最も重用なのはラテン語の学習であるとされる。たとえば、カミュの『ペスト』でも、ラテン語の勉強はフランス語を理解する上で役に立つからな、といったセリフがある。フランス十八世紀は、さまざまな改革が構想された時代だが、ルソーなんかをはじめとして、言語改革論もいくつも世に出た。そこでも、古典語の学習は不要だ派と必要だ派の論争があったりする。また、フランス語が偉大な言語なのは、ラテン語に最も近い言葉だからだといった主張も見られる。ヨーロッパの歴史において、ラテン語の占めた地位と栄誉はかくも大きく、計り知れない。
はてさて、現代日本ではどうかというと、まあ、ラテン語も古典ギリシア語も勉強しようとするにはあまりに困難だ。これは本当に大変だ。私はラテン語が本当に苦手だ。不勉強を反省しなければならない。古典ギリシア語は、勉強を続けようとは思っているんだけれど、なかなか上手くいかない。とある大学のフランス文学専攻では、ラテン語の講義も必修にしていたという話を聞いたことがあるが、立派だといわざるをえない。すごい。すごすぎる。ラテン語はつらい。つらすぎる。
フランス人に、日本の高校で使うような英語の文法問題集を見せたとき、すごくいいテキストだ、これで英語やラテン語を私も勉強したよ、みたいな反応をもらったことがある。私もフランスの大学に通ったことがあるけれど、詩学や歴史の講義なんかで、先生がガンガンラテン語を使うので難儀した記憶がある。講義中、私は自分の仏和辞書をよく見ながら聞いているんだけれど、あるとき、先生に、今の言葉はラテン語だからあなたの辞書で調べてもきっとわからないよ、といわれたことがある。まあそれはそうなんだけれど。でも仏和辞書はよくできているから、使用頻度の高いラテン語は載っていたりするんですよ。
まあ、何はともあれ、英語だ。もうちょっと英語を勉強しておいたほうがきっといいんだろう。しかし、ああ、英語は苦手。いや、苦手というのは不勉強の言い訳に如かず、かな。はてさてだ。
2016/08/19/Fri
安ホテルで思い出したけれど、モンパルナスのあるホテルは、まさに安ホテルなのだが、今まで泊まったなかでも微妙なホテルだった。というのも、パリにしては比較的安いホテルなのだが(しかし今になって考えるとそれでもそれほど安くはない)、受付で早々お金を清算してくれといわれる。それは普通のことなんだけれど、普通じゃないのは現金じゃないとダメだといわれたところだ。普通、カードでいいじゃないか、と思う。最初は何を要求されているのかわからなかったくらいだ。現金を持ち歩いてはいないので、なぜならフランスというのは基本的にカード社会で多額の現金を持ち歩くことはまずないからなのだが、私はホテル近くのマシンで金をおろす羽目になった。また、そのホテルはシャワー・トイレ共同で、まあそれはよろしいのだけれど、シャワールームは鍵がかかっており、入るには受付で鍵を借りにいかなければならない。店員によってはここでも追加料金をとられる場合もある。とられない場合もある。どちらかは運次第だ。なんて連中だ。宿泊した時期は夏で、昨今のパリは猛暑が続くから、非常に過ごしにくいホテルだった。フランスのホテルにはエアコンなんてものは基本的にない。
ユースホテルに泊まったほうがよかったかな、と若干後悔するくらいのホテルで、あとでBooking.comにでも文句を書いてやると思うくらいだったのだけれど、このホテル、家族経営で、子どもらも手伝っている。なので、こうなんていうか、悪口を書きづらいし、文句も表立ってはいいづらい雰囲気が湧いてくる。あとで人に話すと、それがそのホテルの戦略なのだと返された。まあ、そうかもしれない。
2016/08/17/Wed
五年という年月は、何ごとかをなすには不十分だが、決して短いわけじゃない。私が最後にコミケに行ったのは、2011年の夏のはずだから、実に五年ぶりにコミケに顔を出したことになる。もちろん、コミケに行くも行かぬも気分次第だから、この五年間、コミケに参加しなかったことにはとりたてていうほどの理由はない。しいていえば、フランスに行ったり来たりを繰り返していたから、積極的にコミケに行く動機に乏しかったのかもしれない。それに、やっぱり、夏は暑いし。いや、今年は十分に過ごしやすかったけれど。
2010年の夏だったと思うけれど、コミケに行って、友人と会って、食事して、カラオケして、徹夜して、そして街をフラフラ歩いていたことがあったのだけれど、そのときはあまりに眠くて、非常に眠くて、かといってベンチで寝るのは不用心だし、何より暑くてとても屋外で眠れたものじゃないし、ということで、悩んだ末に、私はガソリンスタンドに付属しているカフェで居眠りをしたことがある。スタンドにまったく用がないのにスタンドのカフェでウトウトしていたから、店員の人に怪訝な顔をされたことを今でもよく覚えている。
コミケで並んでいるときは暇である。これはプレイヤードの分厚い本を読んでいるときと似ている。一ページ、一ページ、一段落、一段落、一行、一行と読み進めていくほかないのである。読み続けてさえいれば、いつかは終わる。……ということを知り合いに話したら、悟りみたいですね、といわれた。
で、並んでいるときだけれど、ふとアイカツのことを考え、もしかしたら、蘭はユリカに劣等感を抱いていたのではないか、と思った。しかし、これは、ないね。ないない。ありえない。人と話しても、まあ、ないよね、で終わった。だけど、なんていうか、蘭というキャラは便利な立ち位置にいて、だれも真剣に蘭という人間について考えていないのかもしれない、とはふと思った。私も、以前、おと蘭の話を書いたけれど、あれもおとめちゃんが書きたいのであって、蘭のことをまじめに考えていたかというと、答えに窮するところがある。
このコミケの間は、ある安ホテルに泊まっていたのだけれど、そこで、学会前日なのに一行も発表原稿を書いていないという夢を見た。絶望した私は、もうこうなったらアイマスの話をするしかないと考え、L'histoire de Chihaya renforce notre hypothèse.(千早の物語は私たちの仮定を裏づける)とか、ノートにシャーペンで泣きながら急いで書きつけるという夢なんだけれど、諸君、これこそ悪夢でないか。
2014/12/14/Sun
中学生のころ、アルセーヌ・ルパンが好きだった。どうして好きになったのか、読み始めたきっかけはなんだったのか、よく記憶していないが、おそらく偕成社のルパンシリーズの装丁がきれいだった(おそらく表紙は剥されていただろうが、それでもきれいな本だったと思う)という程度の理由が、私がルパンを手にとる最初の単純な動機だったかもしれない。ルパンばかり読んで、結局、ホームズはあまり読まなかったし、数年前に多少目を通したがそれでも深い関心を覚えることはなかった。私がルパンに耽溺したのも、ルパンが冒険活劇ものとしての性格が強かったからなのかもしれない。
なぜこんなことを言い出したかというと、数年ぶりにミステリを読んだからだ。私には「ミステリ勘」がないと指摘した人もいたが、私としてはそんなこともなかろうと考えていたのだけれど(こう思ったのはたぶん私が本当にミステリを読まない生活に慣れていたからだろう!)、森博嗣の小説を、最近人気があるし評価も高いという話だったので、試しに読んでみたら、私はまさしくその指摘のとおり、まったくミステリというジャンルに向いていないんだなということを深く自覚してしまったのである。なんてことだろうか。
いや、もしかしたら、これは驚くに足らないことかもしれない。私自身の意識とは別に、第三者から見たら私はミステリに到底興味を持つような人間ではなかったということは自明であったかもしれない。たぶん、私はトリックに関心がないのだ。おまけにミステリを成り立たせている諸々のルールにも興味を引かれないのだ。推理小説なんてゲームでもない、というのは多少不用心な発言だろうが、ミステリというジャンルがゲームをゲームとして問い直してしまう、メタ的な志向があるのはたしかだろう。そういう点に私は冷めてしまうのだろう。
トリックより人間の心理や思想的な厚みが必要なんじゃないか、とまで考えてしまうとこれはもう話が行き過ぎだ。だが、はてさて、フランス人も推理小説好きだよね。娯楽や気晴らしとしてはすばらしいとは私も思った。だって、一気に読んでしまったもの。でも文句をいうのか、私は。文句をいうのも娯楽というのか。さて、これは事実かもしれない。因果なことだが。
2014/12/04/Thu
ワタモテを買ったことで、電子書籍に対する偏見がなくなった。というより、漫画は電子書籍で買ったほうがいいのかもしれない。でもすでに日本のamazonで何冊か漫画を注文してしまったんだ、私は。ワタモテを買う前に。どうしても「こもりクインテット!」の2巻がほしかったんだよ。「こもりクインテット!」は相原さんがモテモテでおもしろい。相原さんの百合ハーレム…といいたいところだけれど、果たして百合ハーレムなんて安易な言葉を使っていいのだろうか。この作品のよさを示すためには、もっと工夫して語らなきゃいけないんじゃないか、と、頭のなかでグルグルと考えがめぐる。はてさて、ところで私は典子さんが好きです。あれだよ、相原さんは典子さんが一目ぼれしてバンドに加えたのに、相原さんはメンバーみんなから好かれてモテモテで、一番最初に相原さんを見つけたのは典子さんなのに典子さんはムードメーカーなんだけど上手く相原さんとの距離を縮めることができなくて嫉妬しちゃうんだ。まったく、なんてことだ。
ワタモテもおもしろい。3巻の19話なんてもうすごい傑作。もこっちはモテたいって思っているけれど、たぶんそれは錯覚というか、単なる思い込みなんだろう。もし、もこっちが本当にモテる状況に置かれたら、たぶん自分をめぐる人間関係の煩雑さにうんざりするはずだ。もこっちがモテたいと思うのは、学校という環境に置かれているからで、学校から解放されたら、おそらく彼女はモテたいとは考えなくなるだろう。彼女がモテたいと思うのは、単純に学校でひとりぼっちで寂しいからで、彼女自身は一人の時間を一人で楽しむ術を十分に見出すことのできる人間だ。だから、19話のもこっちが学校で一人きりになれる空間を見つけて、一人で楽しそうにしている場面は、なんとも印象深い。
電子書籍で思ったけれど、私は電子辞書を使ったことがただの一度もない。いつも紙の辞書を持ち歩いている。重い。腕力がつく。パワー!
2014/12/02/Tue
私のフランス語は独学だ、という話は何度かしている。なぜ独学する羽目になったかというとこれは私の個人的な事情が大きく関係しているので(当たり前か)、あまりいいたくない。親しい知人には何度か話したことがある。そう大した話じゃない。でも隠す。
関口存男などは、ドイツ語など独習したほうが身につく云々ということをいっていた。たしかにそのとおりかもしれない。より正確にいえば、これは、ある程度のレベルを越えたら、勉強など一人でやるしかないという当然の事実なんだろう。語学教育法でも初級ではさまざまな方法や論があるが、上級以上となると個人で勉強する以外に安易な、あるいは有効な道はないともいえる。しかし、関口先生にいわせれば、何をもって中級・上級と区別するのかというのは難しい問題、別な言葉でいえば、見栄や世間体の問題でしかなかもしれないが。まあこれは余談だ。
独学で何が大変かというと、モチヴェーションを維持するのが大変だろう。何か必死になる理由がないと、人はなかなか勉強を続けることは困難だ。またまったく何も知らない人がただ文法書と辞書だけで語学を勉強するのは、もしそれが初めての外国語学習であれば、あまりに大変な労苦になるだろう。だから、本当の初級であるならば、だれか適当な先生に習ったほうがいいのでないかとは思う。たぶんそのほうが早いし挫折しないだろう。
ところで、エントリのタイトルを考えるのが面倒なので、「雑記」にしておいたが、これはちょっと味気ないかもしれない。だがタイトルを考えるのは大変なんだよ。pixivに置いてある二次創作のタイトルを考えるのもこれでいてなかなか苦労しているんだ。