杉本彩が“セックスの勧め”「日本を官能の国にしたい」『タレントの杉本彩(38)が17日、東京・千代田区の英国大使館で行われた「デュレックス セクシャル ウェルビーイング グローバル サーベイ2007」の発表会にゲスト出演した。
コンドームブランドのデュレックスで知られるエスエスエル ヘルスケアが行う世界最大規模の性意識・実態を調査したもので、杉本は「私は昔から性に関する意識改革が出来ればいいと思ってきました。日本を官能の国にしたいんですよ」と興味津々の様子。「快楽を求めることに罪悪感を持って欲しくない。でも、快楽を求めるのは努力も必要。相手をいかにその気にさせるかも大事」と、杉本流“セックスの勧め”を語っていた。』
「杉本彩ってだれ? ま、だれでもいいですね。今どき快楽に罪悪感もってる殊勝な人がどれだけいるかな、とか思うけど、そういった羞恥心なりそういうのも大切じゃないかな、とか思います。純白な感受性、なんて詩的な表現つかってみてもいいかもです。」
「あら、もっと快楽的になれなんていうのかと思ったけど。」
「うー。お姉ちゃん、私のこと、そんなふうに思ってるの!?」
「だっていつもエロティシズムの話とか嬉々としてするじゃないのよ! サドとかマゾッホとかばかりじゃないのよ!」
「プラトンパンチをくらへー!」
「がっ‥!?」
「そんな粗野な扱いしてないもん! 官能は繊細妙なるものだから、丁寧に接さなきゃ! だから真っ白な部分って大切なのっ!」
「‥ま、ならどうしたって返し方もできるけど、官能に感受性の機微が大切っていうのは理解できるかしら。繊細さは必要ね。」
「うん! あの人のこと私好きなのかな、私のことどう思ってるのかな‥なんてロマンチックなのが恋情なのだよね! きゃー!」
「でもサドとかそんな描写皆無だと思うけど。すごい機械的だし。」
「‥サドは偉大だからいいのっ。惰弱な感情なんてエロティシズムの探求の前には無縁だもん。必要ないもん。」
「なんか矛盾しまくりだけど。まったく矛盾だけど。」
「もー! お姉ちゃんぐだぐだー。だめだめー。」
「だって話の流れ上そうじゃないのよ! サドの何度も何度も繰り返される官能って、すごい機械的でしょ?」
「‥うーん、ま、そだね。サドは官能を連続させることで、官能をひとつのメカニズムの運動の結果、自分以外の他者をオブジェ化しちゃうんだね。官能を徹底的に理性というメスで解剖したサド侯爵らしいといえば、らしいかな。」
「ほらね。サドはパターン化してしまうのよ、官能を理詰めに分析していって。だから情緒の鮮やかさは取り除かれることになる。」
「あはは。だからサドの作品は退屈だっていわれるんだよねー。‥さて件の記事内容にもどって、杉本彩さんは日本を快楽の国にしたいっていってますけど、日本はもともと快楽に対しては開放的な国でした。江戸時代まではエロティシズムは隆盛をきわめてて、その名残は数々の春画や歌舞伎、小説作品なんかに伝えられてます。でも明治期になると西欧化がはじまって、それまでの文化が猥褻だっていわれるようになった。外国列強の目を気にした政府の対応は微に入り細に入り。裸の彫像に腰布をまいたなんておかしな話もあるよね。そんな極端なことだったのでした。」
「まあ繊細な時期でもあったしね。その当時では当然と思われても、歴史的な視点では滑稽になる。そんなことはたくさんね。」
「官能と対立する語は猥褻です。猥褻概念の問題はいろいろな事例としてあらわれました。
サド裁判や
チャタレー裁判はいうに及ばず、かな。ここで大切なのは、猥褻って感覚が、見る側の意識にしか生じ得ないってことじゃないかなと思います。猥褻なる概念は、ある対象を猥褻だって考える個人の脳裏にしかないのであり、見られるものに猥褻なんてさらさらなくて、逆説的にいえば、猥褻概念は猥褻を信じる者のなかにしかないのです。‥猥褻を弾じる者にしか、ね。」
「サドにチャタレー、ね。そして現在の法体制いろいろ、なかなか消えがたい問題ね。」
「猥褻を完全に消すことはできない。それで、もちろん猥褻物を完全に除去した社会に人間はいませんし、サド的世界を実現したところにもまた人間はいないです。肝要なのはバランスかな。猥褻、官能、エロティシズム。これらの話題はけっこう人の冷静さをなくしちゃう気がする。だから、うん、どうだってこともないけどね。」
「で、杉本彩さんは快楽を求める努力が必要っていってるわけね。」
「それは賛成ー。エロティシズムは奥がふかいのです♪」
「相手をその気にさせる技術も大事っていってるけど?」
「エロティシズムは孤独なのだー。」
「はいはい。まあ、官能の国なんて話題はこんなものよね。」