2007/08/31/Fri
「邪視が魔法なんていってるようだけど、それってただの迷信じゃないかーって、いう人いるかな。邪視や栄光の手が迷信だっていうの、それはそのとおり、迷信です。迷信以外の何ものでもない。‥それで、その迷信は何を根拠に迷信としているか‥が重要だったり。私たちの常識は、私たちの現在の世界観が基礎となってて、世界観が未来永劫変わらないなんてことは、たぶんないし、たとい変わらなくても、唯一絶対の世界観というのは存在しえないです。だから、そこに魔法使いの秘密がある。迷信を迷信呼ばわりする人、そこに魔法使いのつけいる隙がある。気をつけたほうが、いいかもです。」
「またまた。流言めいたこというのよね。」
「いってもただなら、いっておかなきゃ。それでだまるの。魔法使いはそんな感じ。」
「だから魔法使いは駆逐されたのよ‥といっても仕方ないことかしら。永遠にのさばりつづけるようなものだものね。ほんとう、致し方ないこと。」
2007/08/30/Thu
「フランスの小説家テオフィル・ゴーチエは非常な迷信家として知られてました。テーブルのうえのコップが倒れただけで、不吉な前兆だーって騒いじゃうような人だったって、伝えられてます。ちょっと大げさ。そんな彼がとくにこわかったのがいわゆる邪視でした。邪視はある人々がもってるって信じられた、すごい力をもったとくべつな目のことで、その目ににらまれると禍が起こったり、病気になったりするそうです。私もさすがに欲しくない。」
「そりゃそんな目はだれでもご免でしょうよ。」
「英語ではイヴル・アイ、フランス語ではモーヴェー・ズイユ、ドイツ語ではベゼル・ブリック、イタリア語ではマロキオ。日本語ではどかなっていうと、日本にも邪視の信仰はあったのだろうけど、名前は伝えられてなかったり。邪視というのはほんとは仏教用語。だからインドです。」
「ふーん。邪視の日本の正当の呼び名は不明なのね。」
「なんだったのかな。邪気眼とか?」
「いや、それはない。」
「ゴーチエはこの眼をおそれて、玄関に闘牛で殺されたスペインの牛の角をぶらさげたっていいます。なんで牛の角かはわかんない。」
「護符のつもりだったのかしら、それ。」
「でも邪視の防ぐ手段でむかしから有名なのには、獣の角を利用するのもあるのだよね。ほかには隕石とかも有用だったです。ほかの方法としてはイタリア語でマノ・フィカっていわれるのがあります。やり方はかんたん。人さし指と中指のあいだに親指をはさむこと、俗にいう女握りかな、これをすることで邪視の呪いから逃れることができるっていわれました。」
「へー。なんでかしら。」
「この手の形がつまり性器を暗示してるんだよね。マノの意味は「手」で、フィカは「イチジク」。性器には魔力をはらう力があるってことなのかも。」
「性器崇拝の一種、か。これは世界中に見受けられることね。」
「邪視信仰は世界中にあるよね。日本でも今昔物語に動物の目に射すくめられちゃう女性の話があったり、ギリシア神話のゴルゴンやバジリスクなんて有名だよね。他人の視線はこわいのだ。」
「まあにらまれるというのは気持のいいものでないし、そういった関係がこの種の俗信をひろめたのかしらね。」
「さいごにおまけ。グラマーってよくつかわれる言葉だけど、ほんとの意味は邪視のように魔法をかけて、人を射すくめてしまうって意味なのです。いい得て妙、かな?」
「英語でも本来の意味は魅力だし。日本での使用法を鑑みると、なかなか皮肉も効いてるのじゃないかしら。おもしろいことね。」
2007/08/30/Thu
「アンチというのは、特定のアニメ信者を消耗させるためにあるのです。そして消耗して、信者がこれまでどおりに作品にばんざいできなくなった状態を、意見が集約されたっていいます。逆もまた真なり。どっちもけっこうあるかな。」
「今年いちばんの放言ね。それ。」
2007/08/29/Wed
「作り方はこんな感じ。まず絞首刑になった罪人の手を切りとります。そしたら屍衣で包んで、きりきり縛って、ありったけの血をしぼりとってしまいましょう。それから土製の壷に塩と硝酸とコショウとを混ぜた液体を用意して、その混合液にからからになった手を漬けます。そしてまつこと二週間。手を壷から出して、太陽の光で乾燥させます。水気を完全になくすことが肝心。もしうまくいかなかったら、シダとクマツヅラを燃やして、炉にかけて乾燥させましょう。そしたら乾燥した手を燭台の代わりにして、そのうえに蝋燭を点します。ただし、その蝋燭はやっぱり絞首刑に処せられて死んだ男の人の脂肪と、混じりけのない蜜蝋と、ラップランド産のゴマとからできたとくべつな蝋燭でなきゃいけないです。これで栄光の手の完成ー!」
「‥で、それ何か役立つの?」
「えへへー。実はこの「栄光の手」をもって泥棒すれば、成功することまちがいなし!っていうマジックアイテムなのだ! 栄光の手から発散するつよい魔力は、家の人をまるで金縛りのようにしちゃって、昏々と眠らせちゃうんだって。イエズス会の悪魔学者デルリオは、ある男が栄光の手をつかって泥棒したんだけど、家族全員が眠りこけたのに召使いの女の子ひとりが起きてて、なんとか栄光の手の火を消そうとするのだけど、水くらいじゃ消えなくて、やっと牛乳をかけたら消えて、魔力が解けて、泥棒を捕まえることができたって伝えてます。おそるべきかな、栄光の手。」
「牛乳で消えたってのが、なんともオカルトね。家族以外には効きにくいのかしら、栄光の手の魔力は。」
「英語ではハンド・オブ・グローリー、フランス語ではマン・ド・グロワール。中世では栄光の手を作ろうとして、墓場の屍体を掘り出して告発された女用術使いなんかもいたそうです。現代では作れるかな、栄光の手。火葬の日本じゃむずかしそ。」
「泥棒するだけで一苦労よ、それは。魔法ってのはまったく、割に合うのかどうかわかったものじゃないこと。本当に。」
2007/08/29/Wed
「だめだ、つまらないです。なんでつまらないのかーとか考えるのもめんどくさくなっちゃった。つまらない。だめかな。」
「あら、リタイヤ?」
「心情としては、だけど、さいごまでみるよ。‥見限ってもよいのだけど、まんが版からずっと付き合ってるから、かな。途中で切るのはあれれな気分。なのはには思い入れがあったから。」
「ふーん。感傷ね。」
「でもまんがはおもしろいよね。本編はこんなごちゃごちゃしてるのに。もう終盤ですけど、これまでの物語はどんなだったかなって、なんかわかんないです。六課があって、新人が入って、レリックがどうたらで、実は予言があったんだよで、ヴィヴィオが保護されて、さらわれて、実はスバルがサイボーグで、でもみんなどうでもよくて、敵もついでにサイボーグで、スカリエッティが本部襲って、その目的が‥なんだっけ? スカリエッティは、うーん‥なんだろ。なんでもいいかな、なんでもいいです。」
「起承転結で言い表せないのかしらね、なのは三期って。かといって筋立てが複雑な物語、というのともちがう印象がある気がするし。」
「なんでこんなぐだぐだなのかな。なのはが戦う理由が、わからないです。仕事のため、ヴィヴィオのため、なのだろうけど、うーん、率直にいっちゃえ! べつになのはは正義の人でないし、たぶん自分以外のこと眼中にないです。孤独が彼女を歪ませてる。だからフェイトやヴィヴィオとの関係が、すごく不自然にみえる。わー放言だー。」
「健全な雰囲気じゃ、ないのよね。なのはもフェイトも、これはなんていうのかしらね。」
「管理局での十年が、とかかな。何があったのかわかんないけど、もしかしたら逆に何もなかったのかな。ほかのキャラはどうでもいいです。そんな意味ある描写に見えなかったし、どうにでも、なるのじゃないかな。ラグナはかわいかったけど。」
「あとは敵を倒すだけ、かしらね。」
「ほんとに敵を倒すだけ。それ以上は何もなかったり。それがいちばんの問題だったり。」
「はてさて。設定の不具合はあってもいいのだけど、それが物語の速度をつまずかせるのがあれなのよね。目に見えて、どうも、蹉跌ね。」
2007/08/28/Tue
『だれそれは美しいとか、並はずれているとかいうのもみんな他人にとっての話だ。連中は他人に喰われている!』
ポール・ヴァレリー「ムッシュー・テスト」
「私は私である、というのは、なんでかわからない。私が他者であっても、それはなんらおかしなことでなくて、私が私であり、私以外の他者でないことには、たぶん偶然以上の意味はない。私はあなたであってもいいし、世界の豊かさは、それをゆるすんじゃないかな。でもゆるされてない。私は私を存在してるだけ。‥でも、ほんとに私は私を存在してる? 私の存在と、こうして考えてる私とは、もしかしたらそれほどつよいつながりはないのかもしれない。私の意識が、もしの話で、私が完全に意識を失ったとしても、私って存在は世界から駆逐されるわけじゃないよね。思考する私は、私という存在の、たぶん途切れない瞬間の返答なのかも。」
「感覚を失っても、肉体が存命なかぎり、私は失われたわけではない、か。でもそれは想像できることじゃない感じね。」
「虫とか、頭つぶされても生きてるのってあるよね。ああいうのってなんだろね。人間も、同じようなものなのかな。」
「さてね。虫と人間を分けてる要素なんて、あってないようなものだし。高等とか低劣って表現が、自然の前でどんな意味をもつかなんて、わからないものだし。」
「なら私は、私を探らなくちゃ、いけない。でも、どんなかな。私は私に与えられてるって思うことが、もう瞞着なのかも。私は、私を得るために、戦わなくちゃ、いけないのかも。その闘争を、精神って、いうのかも。」
「なら向わなくてはならない、か。私たちはどこに立ってるか、まったく不明瞭ではてさてね。」
『表現という上演行為では、ひとは自分自身に特別な価値をあたえている―自分が端役として登場しようと、姿を見せぬ中心人物だろうと、変わりはない。
しかしながら―自分自身の役を演じる登場人物を、いったいどうやって撰ぶのか―この中心は、言ったいどのようにしてかたちづくられるのか?
この精神の演劇のなかに、なぜあなたは、「あなた」なのか?―「あなた」であって、このわたしではないのか?
したがって、この仕組はありうべきもっとも一般的なものではない。
かりにそうだったら、‥もはや絶対的な自己はない。
―だが、それこそはムッシュー・テストの探求ではないだろうか? 自己から―日常的な自己から身を引きはなし、意識の不均衡性、異方性を縮小しよう、それと戦おう、それを補償しようと、たえずみずから試みて。』
ポール・ヴァレリー「ムッシュー・テスト」
ポール・ヴァレリー「ムッシュー・テスト」
2007/08/27/Mon
コミックエールVOL.2(
公式)
「コミックエールに掲載されてる秋枝先生の「純真ミラクル100%」がすごくおもしろかったのでご紹介です。第一話を読んでない私はすごく後悔。時間よ、もどれー。」
「いや、わざわざもどさなくてもいいと思うけど。」
「アイドル事務所の所長が新人アイドルをいじめて楽しんじゃうお話。なんて書くとあれれですけど、もうすごくすごく素敵っ。さすが秋枝先生! きゅっとするような恋愛話なら右に出るものは滅多にいないです!」
「たまにはいるかしら。知らないけど。」
「モクソンがすごく可愛い。所長さんもとても魅力的。いちばんかっこいいのが工藤さん。あーすごくおもしろいなー私気に入ったなーこれいいなー。」
「こういうの好きよね、ほんと。」
「恥ずかしいの大好きっ。これからどうなるかな。もっと甘く切なくなるといいなー。楽しみですっ。」
「でもこの雑誌って季刊なのね。次回は十一月か、ま、のんびり待ちましょうか。」
2007/08/27/Mon
「私は私の人生の原因であるのかな。私の人生が最終的なとこまでいったとして、その人生をそうならしめてる原因は、たぶんほかならぬ私であるのかも。でも生きてくには偶然とかなんとかとかあるものだから、あるらしいから、そう私だけが人生の絶対的な要件なのだーとは、いっちゃいけないことなのかも。」
「必然と偶然ねー。運が作用する部分というのはあるでしょうし、才能というのも無論あるのでしょうね。ただ才能でできる部分も、運でなんとかできる部分も、人生のうちではそう大きくないかもしれないし。」
「もしかしたら、自分の人生を自分だけの責任として、自分だけが私の結果のすべてなんだって、主張するところにニーチェの運命愛があるのかな。私だけがって、極端に自己を強調するところに。」
「そして自己以外の原因を省いたら、自己をまったく愛することができるようになる、ってこと? 孤独ね。」
「いわゆるひとつの運命愛。でもその愛の拠るところは、世界の豊穣さ、それを自分のものとすることなのかも。世界の豊かさに、わずかながらでも自分が関係してるんだって信じることなのかも。それが、私は私の人生の原因だって、世界の紛れないひとりだって、確信することなのかも。」
「世界とひとつ、か。自然の無関心さは、それを黙認するのでしょうね。なら問題は、自分にしかありえない、か。」
2007/08/26/Sun
「ずいぶん読むのに時間がかかった気がする。暑いなか、ちょっとずつ読んでたけど、この小説は、何かな‥。ここに描かれてる汚辱と死は、何ものなのかな。描かれるのは、果てしない貧困階級の一家族の、徹底した没落と穢れ。ゾラはこの作品をひとつの教訓っていってるけど、この小説の本編には観念的なところとか、示唆的なところとか、そういうのはぜんぜんなくて、あるのはただただ生活をそのまま写しとったっていう、冷静な筆致。そして苦しみに悶える魂の、慟哭。」
「仮借ないものね。容赦なく時間が進み、そのなかで誤りつづけていく家族の肖像、か。」
「誤って、たのかな、これ。私にはわかんない。ジェルヴェーズは働いて働いて、身を粉にして、そして死ねればいいって、慎ましい願いをもつ人だったのに、夫が不幸な事故からアルコール漬けになって、事業で一時は成功しながらも過去の情人やアルコールや、そして安逸さと単調な堕落から、余裕を失ってくジェルヴェーズの姿は、いったいなんなのかな。これもあることだって、紛うことなき現実の、目を逸らしてはならない真実だって、そう伝えたいのかな。消費と、欲求と。ジェルヴェーズはその二つに捕われてく。彼女の姿は、末路は、仕方ないって、いえるのかな。ほんとは、そんなの、いやだけど。」
「彼女らの消費には、意味がないのかしら。いや、意味っていうのもへんだけど。」
「消費消費消費‥消費、か。この作品のもつ恐怖とリアリティ。私は、けっこうぞっとしたな。たぶん、その私の感じる恐怖は、私の背後によりそう、一歩ずれれば面と向き合える、死神の肖像にほかならないから‥かもかなって、思う。なんだか、すごかった。」
「名作というのは、ほんと、あれよね。おそろしい話だことよ。」
「うん‥。でも、さいごのジェルヴェーズを見舞ったのは、愛、だったのかな。グーシェと草原に、風に吹かれたジェルヴェーズの描写は、すごくきれいだった。貧困で、飢え死にする寸前だったジェルヴェーズが見上げた雪舞うパリの無慈悲な暗黒は、すごく、美しかった。この小説は、すごく、美しかったです。」
「観念も、世評も、この作品はどこか振り切ってるのかしらね。あるのはただ場景ばかり。私たちにできるのは、見ることだけなのかしら。」
ゾラ「居酒屋」
2007/08/26/Sun
桐原いづみ「白雪ぱにみくす!」1巻「月刊コミックブレイドで連載してる桐原いづみ先生の単行本一巻です。桐原先生なので感想しなくちゃ! ちかくの本屋に売ってなかったのでちょっと苦労しちゃった。それはおいといて、一読した感想はけっこうおどろいたです。こういう雰囲気の作品とは思わなかった。ひとひらとかとはちょっと雰囲気ちがうかな。こういうのもあるのかっておもしろかったです。」
「ひとひらなんかが堅実な‥というかなんというのかしらね、ていねいに地道な人間の軌跡を描いているとすると、この作品はファンタジーを装ったコメディ作品、なんていえるかしら。」
「主人公がちょっと影うすくて、ヒロインが居丈高なお嬢様で、妹が幽霊と話せるマイペースっ子で‥テンプレートっていってもいいよなキャラ造詣なのだよね。それで委員長キャラがトリガーハッピーの素敵な人で、あはは、すごいはっちゃけてて笑えたです。無用な説明や冗長なところはなくて、テンポよく進む物語。問答無用な性格の人ばかりなので、眺めてて楽しいです。おどろいたな。桐原先生の作品で、こういうのが読めるとは思わなかったな。」
「テンプレートを駆使してオリジナリティを出す、ね。そういうの好きなのじゃない?」
「大好き! 真子ちゃんや霧島さんがいいよねー。好奇心と快楽に正直な人に、わるい人はないのだ。」
「いや、けっこういると思うけど。」
「そんなわけでおもしろかったです。白雪ぱにみくす。意想外でよかったな。ごちゃごちゃした設定を吹き飛ばしてるとこ、とても素敵。あと本家の白雪姫もそうとう傍若無人だったから、白雪の性格も納得かな。王子と結託してお妃焼き殺す姫さまだし。」
「あの話はねー。とりあえずストレートなのよ。感情の反応が。ま、ある意味美徳といえなくないけれど。」
2007/08/25/Sat
「私はこの世界のベーオウルフなのかも。」
「まておい。目を覚ませ。」
「私アルトアイゼンやるから、お姉ちゃんソウルゲインね。やられてね。」
「なんで私がやられなくっちゃならないの!? ってかちょっとまちなさい!」
「問答無用! くらへー! 伊達に大口径じゃないんだぞー!」
「それはリーゼになってからでしょ! ああもう無茶苦茶!!」
2007/08/25/Sat
「今回も恋愛論の時間です。でも今までいろいろいってきた気がするから、もう、めんどくさいやー。お茶がおいしいなー。」
「まったくやる気ないことね。べつにいいけど。」
「男と女の都合がつかないのがなんとやらっていう誠、あーって感じですけど、そういう人なのですよね。刹那がいくら誠に糾問しても、意味なくて、悲しいな。誠のような人は、好きとかきらいとか、ないですよ。ないってことないけど、でもなんだろな、人間としてじかに接するってことがないのかな。言葉も世界も、誠はそれなり好きだし、それなり苦手にしてる。それはたぶん嫉妬とか情愛とか人間の生身の部分を、誠は避けたいって思ってる。いっちゃえば、厄介ごとはごめんだぜ、みたいな。覚悟がないっていえば、それまでだけど、そんなでも、ないかな。」
「言葉にしろ、ひどく直情的だしね。もっと軽く、しかしまじめに向かい合えるようなタイプのほうがいいのでしょうけどね。」
「気軽に深刻にならずに、さらりと付き合える人のほうが言葉には向いてるのだろうな。世界は、けっこうだれとでもよろしじゃないのかな。うーん‥」
「難儀なところね。誠には刹那みたいなタイプが合ってるような気もするけれど。」
「妹喫茶はグッジョブです。私、感動した。」
「するな。ってかゾンビの群れは壮観だったことね。」
「さいごは刹那と言葉がばったり。そろそろ殴りあいにでもなるかな。私、楽しみです。」
「修羅場一直線だこと。わるい条件が、本当に重なっていく話ね、これって。」
2007/08/25/Sat
「なのは三期はテーマがわかんないな、とか思う。テーマってかんたんにいっちゃえば、描きたいこと、で、なのは三期は正直何がしたかったのかな、よくわかんないです。訓練とか成長とか、そういうのが当初のキャッチコピーだったけど、今までみてきてそんなじゃないよね。かといって家族ものだとすると、エリオやキャロがぜんぜん目立たないの納得いかないし、出てきてすぐ仲良くなっちゃったヴィヴィオなんて論外な気がする。だったらバトルものかなだけど、魔法つかった派手な戦闘シーンなんて数えるほどなかったり。うーん、こうなるとつまんないなーで、感想終っちゃう‥」
「訓練での成長がメインだったら、スバルがロボットだったはやるべきでなかったし、家族ものだったら訓練ばかりでない日常での心理描写が求められるはずなのよね。どっちつかずになってしまったのかしら。」
「なのはやフェイトもただ仲良いだけだから、それ以上の描写にはいかない。ただ仲良しなだけだから。意見の衝突とか葛藤とか、そういうのもない。現状に満足しちゃってる、なんて言い方はあれれかなだけど、フェイトは馴れ合い以上にはいかないんだよね。だから、恋愛も、つまらない。」
「ま、そういうカラーの作品じゃないというのもあるのでしょうけど。」
「じゃ、なんだろな、ってなるのかな。‥なのはも、エースエースっていわれてるけど、むかしとぜんぜん変わってない。だからって、老成すればよいのかーとか、そういうのもないです。子どもっぽくて、ぜんぜんいいのに、その子どもっぽさが、へんな方向に出てる感じ。いっちゃえば、べつになのはは穢れなき存在でも、不可侵の存在でもないです。でも作品世界がなのはをそういう存在に祭り上げちゃってる。それはめんどくさいことのよに思えるけど、な。十年は長かったのかなー。」
「十年後のキャラクターを描くというのは、ま、難儀なことでしょうよ。その間に何があったのか、まったく想像できないのが不味いのでしょうけど。教導隊のなのはがどういうふうだったかなんて、はてさてだし。」
2007/08/25/Sat
「
利口系無重力blog@北大さんの線研ブックレットがおもしろいです。PDF形式で読めるみたいなので、おすすめ。‥読んでぼんやりと思うけど、ブログの意味かー。ブログが勉強になるというのは、たぶんそかなって思う。意欲的に向おうとすれば、そうなるのはそうなのでないかな。私は‥自己満足以上はないし、楽しさって自己満足以外の意味はべつにいらない。意味なんて、べつにいらない。でもただ、理解されたいって感情があるときとか、ブログは、たぶん小さな自己以上の意味をもちうるのかもって、なんとなく思う。どこかで、読まれたいって、気持があるのでないかなって、思う。そして、だからブログはネットのなかに、世界に、刻まれるのでないかな。ブログは残る。たぶん、そんなこと祈ってる。その意味で、私の気持はさいしょと変わんなかったり(→
ブログについて)。」
「読まれたい、か。その気持の由来するところは、何かしらね。」
「私は、どこかでエントリの意味を尋ねているのかも。たとえばこれ(→
幽々子の話)とか、当てのない夢のようなもの。」
「はてさて。届くかしらね。」
「届かなくても、いいのだ。」
「言い切っちゃう? それこそご随意に、ってやつね。」
2007/08/24/Fri
痛いニュースさん「エロ同人誌を委託販売していたイラストレーターの男を逮捕…愛媛・松山」
「サド裁判とかチャタレー事件のことは前に書いたよな気がする(→
官能と猥褻の極限とは どちらもけっきょくユートピア)。それで、あんまりこのことについていってもな、みたいな気持。サドを読み返したらどかな、とかもいってもあれれかな、みたいな感じ。言葉を濁してごにょごにょいうと、澁澤は表現の自由ということには、関心なかったです。表現の自由なんてくだらない。大切なのは、自由を表現することだって。そのことをわかってない猥褻議論なんて、空論でばかばかしいって。」
「さてね。今さらサドを発禁にするなんて議論が通るわけがないし、ある意味、猥褻の基準というのはその文化の社会の合意なのよね。」
「だからぐだぐだいわずに裁判すればよいのじゃない。でも裁判しても猥褻がはっきりするなんてことないけれど。ひとついえるのは、猥褻猥褻騒ぐ人は、いつも糾弾する人で、創造する人でない。猥褻は、猥褻なものつくってやろー!って、そういうふうにはつくれない。猥褻は、猥褻を感じる人の頭のなかにしか、いうなれば、空想のなかにしか、存在しない。だから、猥褻云々するのは、基本的にあれれな方向にしかいかない。結論なんて、できないもん。」
「万人に納得は無理でしょうね。当たり前だけど。」
「でも、だから猥褻ってレッテルを貼る人は、自分がそんなにえらいものでないって、思ったほうがよいですよ。猥褻ってされるものが、よりえらいんだーとかもべつにないけど。猥褻を猥褻として非難することに、強みなんて実はないんだよ、とは考えてたほうがいいのじゃないかな。自然は猥褻なんて創造しなかったのだもの。」
「はてさてね。自然にとっては猥褻なんてものはひとつもないのでしょうけど、人間の自意識はそれを生み出してしまう、か。まったく、サド侯爵からちっとも離れてないのね。社会って。」
2007/08/23/Thu
「今回は演劇部で夏合宿に行こー!というお話。公演が終って、麦ちゃんも役者としてがんばることに決めたみたいでよかったな。一年前と性格はそんなに変わってないけど、でも確実につよくなってる。ゆっくりと、しずかに。麦ちゃん可愛いです。一年前の野乃先輩にいじめられた合宿のこと思い出してうっとりしてるのどうかなですけど。あはは。」
「あれから一年ね。ひとひらはテンポよく進むからいいことね。」
「新しい演劇部にも馴染んだよな感じで順調みたいだけど、きょーちゃんが不安そっぽいのはなんでかな。うーん、あんまり描写されてないから予想できないけど‥」
「そういえば、文化祭のときにいっしょに来てた彼女はどうなったのかしらね。きょーちゃんって。」
「学校別々になっちゃったに一票。それでたまにしか会えないから、関係もあれれ。」
「なんともありそうなことだこと。しかしつづいてる雰囲気はないのよね‥」
「麦ちゃんにあこがれてるみたいだし。でも麦ちょこは渡しません。私許さない。」
「いや、あんたに許されてもね‥」
「夏合宿は修羅場になるのがお約束。今回はどうなるかな。荒れるの期待です。」
「期待するな。ってか、ま、そう厳しくするような人もいなさそうだけど。今の演劇部って。美麗と野乃はほんとう大した人たちだったのね。はてさて。」
2007/08/23/Thu
「ティアはスバルが好きなのだね。それはけっこう素敵な描写かなと思ったですけど、やっぱり戦闘はみんなばらばらになっちゃうのですか。うーん、部隊というより軍団と考えたほうがいいのかも。六課って。」
「見事にばらけてるものね。訓練では連携に重点をおいてあったようだけど。」
「頼れるのは己ひとり、かな。べつに個人プレーばかりでもいいのですけど、それにしてもうまくない。やるなら味方の数と敵の数を適当に調整して、一対一、真っ向勝負すればよろしです。ワンピースとかガオガイガーみたいに。でもそうでないからティアナひとりたいへんなことになっちゃう。キャロエリオが隊列崩してルーテシアに向ったのもよくわかんないし‥」
「ルーテシアはあのときヘリを狙ったのかしらね。」
「だからヘリなんていらないのにー。さいしょからみんなフリードに乗っていけばいいのじゃない。なんの戦力もないヘリなら放置してないで、すぐに離脱すればいいのじゃない。それか警護の人おくとか。ヘリいらない。」
「ま、陸士の設定もね。新人も飛んでるし。ティアナだけ走ってるのは画的にも微妙かしら。」
「ヴィータもなのはも、変わってないのかな。今回みてて思ったけど。前にこんなの(→
なのはStrikerSを現時点で評価するとするならば‥)書きましたけど、もしかしたら、私はこの十年でなのはたちはきっと変わってるのだろうなって思ってたけど、ほんとはぜんぜん変わってないのかもしれない。なのはもヴィータもフェイトもはやても、まったくむかしと同じ存在なのかもしれない。成長、してないのかもしれない。‥それならそれでそれだけのことですけど、ちょっと、さみしいかな。なのはは相変わらず、悲しみを打ち砕こうとする。ヴィータは無茶して突進する。悲しみや不条理を打ち砕く力、か。そんなのどこがいいんだろ、なんて思うけど、たぶんいちばん矛盾してるのはなのはのそんなとこじゃないかな。悲しみは、凡庸な悲しみは、払うことはできないですよ。ただそれだけ。それがないと、いたずらに暴力だけが増してくんじゃないかな。ちょっと放言。でした。」
「はてさて。なのはというキャラがつかめなくなってきたかしら。すごくてやさしい人、なのでしょうけど、ま、どんなかしらね。」
2007/08/22/Wed
「泥沼ー。あはは。おもしろいです、さすがスクイズ。他人の修羅場は楽しいです。目を覆いたい。」
「なんともね。言葉が出づらいこと。」
「好きになったらしかたない、だけど、その好きになることはとても不条理なことだったりする。私があなたを好きになる。そこに理由を求めることはいろいろできるかなだけど、その理由を知ったところで、認めたところで、私は何もできるわけじゃなくて、そこがいろいろ切なかったりする。恋愛は素敵なものだけど、誠のような人を好きになったことは、言葉や世界にとってはどうだったのかな。彼女らにとって、誠はどんな意味をもっているのかな。」
「端からみれば、ね。別れてしまわないのが不思議なくらいっていうのでしょうけど、当人にとってはそうでないのでしょうね。」
「不条理。誠がきらわれるのもわかるけど‥。そこらって運不運なのかな。なんで好きなの、なんて、きけないもん。」
「どうしてあなたはそれが好きか、か。たしかにこの手の質問に答えられるとは思えないかしらね。」
「恋愛って個的なものだから。ただ好きな人と好かれた人との対の関係だから。自分だけが引き受けなくちゃならない、責苦のようなものだから。恋愛の破局は、たくさんのことを傷つけるけど、じゃ破局しなかったらいいのかなとかいうと、そうでもなかったり。破局しないように、ごまかしてごまかして、それで自然に消え去るよりかは、破局したほうが‥なんて、はっきりいえないことかな。でも破局して、すべてが失われるなんてことはないから。破局しても、周りには残骸が残るから。その残骸は、いろいろと、愛情をあなたに示す。なんとかなるかもです。たぶん。」
「ま、ね。恋愛というのもきついものね。そのきつい恋愛は人を選ぶようにも思えるけど、ま、そんなわけもないかしら。」
2007/08/22/Wed
メイドカフェって何が楽しいの?「ユリイカのインタビューで人形師の四谷シモンさんが秋葉原に人形遊郭つくっちゃえばいいじゃないなんてことおっしゃられてましたけど、メイドカフェくらいのサービスはもっと前からあってもよかったのじゃないかな、なんて思う。可愛い格好してお客さんとお話するくらいのサービスはあってぜんぜん問題ないし、気晴らしにはちょうどいいのじゃないかな。メイドカフェを気晴らしと思えるとはどういうことかーとかはおいといて。可愛いのは大切です。」
「へんに抑圧しても仕方ないしね。キャバクラもメイドカフェも似たようなものといえばそういえるけれど、その存在意義はしっかりしたものといえるかしらね。」
「単なる喫茶店ではないかな。勉強したり本読んだり昼寝したりなら、スタバとかのほうがいいもん。」
「あら。メイドカフェで勉強してもおもしろいのじゃない?」
「ニーチェ読んでもだれも話しかけてくれなかったもん。」
「メイドカフェでニーチェ読むな。」
「えへへ。でもメイドの格好で素敵だよねー。私のなかでいちばんかも。何のなかかは秘密。」
「メイドの服装好きを公言されてもねー‥」
2007/08/21/Tue
まぬけづらさん
『感情移入はまず“理解”』
「たぶん、そかも。それで、その理解しようって態度が、私には欠けてるのかも。私はお前らとちがうんだーみたいな。ちょっと表に立っていうとあれれだけど、そういう面は私のなかではけっこう深刻、なのかな。」
「自意識過剰っていうの? はてさてね。」
「うーん‥なんだろ。完璧に相手を理解することなんてできないし、そんなのしなくていい。だから、私の問題は私が私を開こうって思えるかどうか、なのかな。衒わず、気負わず、私を曝す。とかとか。なんだか臆病風に吹かれそ‥」
「弱きね。」
「そんなじゃ、ないけど。」
「しかしなんていうか、相手を理解しようというのは、自分のことを理解されたい、なんて思いの反転した形であるのかしら。根っこは同じなのかもね。」
「理解、か‥。ちょっと悪魔的。たぶん私は理解されたいのかな。それは生きづらさの表現の一種なのかな。」
「また泥沼ね。」
「‥いじわる。」
「はてさてね。中途半端な自意識よね。どうしようもないことだけど。」
2007/08/20/Mon
「今まで趣味じゃないかなーとか思ってあんまり読んでなかったです。機会があったから、ここ数日ごろごろ読んでました。それで、ナギかわいー! 伊澄もかわいいです。ハムスターも好き。」
「ハムスターいうな。西沢さんでしょ。」
「あれだよねー。ナギはおもしろいです。お金持ちなのに自分の趣味にしか興味なさそなのがナギの魅力。」
「そういえばそうかしら。自分に正直なのかしらね。ナギって。」
「ナギはハヤテにふられるかなだけど、でもがんばって。とかいってみちゃったり。みんなそれなりシリアスな過去みたいだけど、それを飲み込んでぐっと生きてるよなとこ、私好きです。こういうの、いいよね。粋っていうのかな。」
「粋ねー。みんなが現実に肯定的なところがいいのかしらね。腐らない連中というか、めげないもの。見てて心強いというのよね。」
2007/08/20/Mon
「感情移入ってしたことないな。まんがとかアニメとかで。ゲームでもあんまりない。いろいろな人と話して思ったけど、特定のキャラクターに自己投入‥なんていうのかどうかわかんないけど‥みたいなのはそんなにない気がする。かといってキャラクターに思い入れがないってことはないし、第三者視点から神のごとく俯瞰するように作品鑑賞‥というのはなんか無理っぽいよにも思えちゃう。うーん‥」
「感情移入、ね。感情的に共感なくては感動もないような気もするけど。」
「あー‥ひとひらの麦ちゃんにはすごく感情移入しちゃってるのかも。だからすごいひいきなのかも。それで、そういうのはただお気に入りというのとちがう気がする。入れこみすぎるのはあれかなとかもあるかもだけど。」
「入れこみねー。感情移入というのはあるキャラクターに入れこむこと? 同一化というのかしら。」
「失われた半身をとりもどそうっていうプラトニズム! 愛なのだ!」
「明後日な結論っぽいけど。はてさて。」
2007/08/18/Sat
「私は沙都子が好き。沙都子はいじめられてて、虐待してた叔父の名前は忘れたけど、そんなのいました。それで、その叔父を圭一は殺したいと思って殺すんだよね。その殺意はわかる。わかるなんていっちゃうとあれれだけど、その殺意に私は感情的に共感するし、仁義の意味も感じちゃうかも。すごくひとりよがりで、思いつめて、感情の末に殺しちゃう。殺意をとめるのは理性じゃない、のかな。憎しみがあるとして、憎しみというのは共感があったとしてもその人個人の問題で、憎しみと折り合うために、人には何がいるんだろ。理性じゃ、ないよね。」
「道徳心とか、倫理とか? それほど抽象的なものではないかしら。」
「未来を想像して、ここで事に及んじゃうとたいへんだから、やめとこーみたいなふうではないのじゃないかな。殺意があるとして、その殺意を食い止められるのは、たぶん孤独じゃないって意識なのかも。ひとりで追いつめられるのでなくて、ひとりで開放されること。世界に開け放たれてること。意識が、膠着しないこと。‥祟殺しで圭一が敗北したのはそんなことで、皆殺しでまがりなりにもなんとかできたのは、彼が言葉をあきらめなかったからなのかも。誰彼かまわず、吠えようとするのを、やめなかったからなのかも。感情を押し殺すのを、潔しとしなかったからなのかも。‥でも、仲間の意味の取り方が、私とひぐらしとでは、ちがうかな。私がひぐらしを最終的に潔しとしないのは、そんななの、かな。」
「仲間、ね。徒党を組むとろくでもないとでも思ってるの?」
「そんなじゃ、ないのかな。」
「はてさて。わだかまりは解けそうもない、かしらね。」
2007/08/17/Fri
「コミケ一日目に行ってきました。暑くてふだんよりずっとぼんやりしてた気がする。流れるままにうろうろ。のんきしてたら東方買えなかったです。」
「けっきょくそれだもの。もっと臨機応変にできた気がするけど。」
「気にしてないもん。そのうち委託で買うもん。」
「負け惜しみじゃないかしら?」
「でもこんなだよ(→
いよいよコミケ初日なのだが)。」
「あー‥ま、ね。」
「でもだいじょぶ。私、前向き。暑くても前向き。死ぬとき前のめり。」
「なんのことよ。」
「ほんと暑かったよね。ぬるいファンタでのどを潤した昼下がり。ひとひら買えてよかったです。」
「麦ちょこというのだっけ。それはよかったこと。」
「あと百合のコミックハイっていうの買った。率直でよろしです。」
「なんの衒いもない題名だことね。清々しいというか‥」
「これに掲載されてるひとひらの番外編、なかなかおもしろかったです。たまちゃん先輩、素敵。」
「ある意味、露骨なテーマといえなくないけど。」
「暑くて疲れたー。一日終っていろいろ思ったりするけれど、こういう場所での健康管理ってどんなのがいいのかな。こんなの(→
ヴォイスさん)あったり、こんなの(→
コミックマーケット2007夏)みつかったりで、むずかしいところ、ではあるかな。熱中症は日差しよりも体温下げることが大切だから、コミケみたいなとこでは、うーん‥何かあるかな?」
「難問ね。妙案はすぐには浮かばないけど。」
「気合なのだ。それで、死ぬとき前のめり。」
「だから、それ何よ。」
2007/08/17/Fri
「ゾラの居酒屋を読んでてなんだかすごいデジャヴな感じ。あー‥やだな、これ。身を粉にして働く、か。そういうのが、働いて働いて一所懸命がんばって、自己犠牲、っていうのかな。尽くさなかったら、きらわれる。ほんとはそんなでもないけど、そう思っちゃう。思っちゃって、それはもう他人にはどうしようもできない領域。そういう人って、けっこういるかな。他人のため、が、自分のためそのものな感じな人。そういうのはそれでいいし、ただそれだけ、なのですけど‥」
「違和感はある?」
「違和感、なのかな。他者への信用問題、っていうのともちがってて、もしかしたら、自己犠牲がふつうな感じの人は、それは理想主義からくるのかも。自分の望む理想と現実の乖離を、自分が常に必要とされてるって、他者か是認されてるって理想‥をできるかぎり実現しようって働きなのかも。放言、かな、だけど。」
「自分がここにいてもいいっていう存在理由? 十分で、慎ましやかで、そして神経質な理想ね。」
「でも、ふつう、っていっていいよね。そういうのは、たぶんふつう。否定されるの、辛いもん。」
「だから他者のために? しかし理想は、ま、挫折するものよ。現実原則と快楽原則は、相容れないものだから。」
2007/08/16/Thu
「キャラ萌えがなのはのよいところ‥なんていうと皮肉かな、ですけど、アニメとか映画とか作品を作品ならしめてる部分にフェティッシュの欲望はまちがいなくあって、だからそんなわるいことでないなって思います。率直にいっちゃえば、ドラマなんてどうでもよくて濡れ場があればいいよ、みたいなの。キャラが萌えればそれでいいのかーな感じになっちゃう人もあるかなですけど、視聴者を飽きさせないでドラマを展開するために、濡れ場を効果的に挿入する‥みたいな方法論が有効なテクニックとして模倣されてる。確立されてるっていえるかな。たとえばスパロボって、たぶんドラマなんてだれもさいしょ期待してないよな気がする。このスパロボストーリーが素敵なんだよーが宣伝として有効でないかなって思う。プロモーションビデオが戦闘シーン全面で、今のスパロボがそこに重きがおかれてるのはいうまでもないことかなです。かくいう私もそんななのですけど、スパロボOGのラミアさんの話はよかったです。人形が存在意義を獲得してくって物語は、よかったな。」
「エンターテイメントの骨格というものかしらね。能書きだけの作品というのはまずいもの。視聴者の欲望と直面して、いかに作品を成立せしめる、か。」
「一期や二期はそこがうまかったかな、って思うよね。なのは可愛かったもん。」
「今もキャロとかいるのじゃない?」
「バトルがなくてあれれ。もともとそんな多くもなかったかなだけど、一話完結のエピソードがぜんぜんないのはいけない気がする。起承転結の単純なカタルシスがないよな感じ。一期の3話みたいなの。なのはが連日の魔法で疲れちゃって、だらだらしてるあいだに街がたいへんなことになる。それで焦って必死で解決して次からもっと真剣にならなきゃ、決意を新たにする。シンプルでわかりやすくて砲撃の醍醐味もあって、私的にとても好きな話。かんたんで、いいよね。」
「ま、複雑にしすぎたというのはあるかしらね。それがドラマを誘引するのならいいのだけど、今は自縄自縛になってる印象があるのが、何より残念かしら。さて、どう終着するのかしらね。」
2007/08/15/Wed
「他人なんてどうでもいいよ、なんて思うけど、たぶん私は自分だけのためには生きられない。他人なんてどうでもいい、という言葉には、どこかに強がりがあって、でも本音の部分も相応にある。それは希望の意味合いもあって、そしてそれは現実と空想の兼ね合いから生まれたものかも、なんて思う。‥でも、他人を完全に排除することなんてできなくて、それは何かよくわからない感覚。世界と離れたくないって感覚。私は世界そのものだって感覚。‥私が抱いた夢とか、目標とか、そのためにがんばることとかには、他人への気持があった。自分のためだけにがんばるのは、たぶんある特殊な状況が必要になるのかも。‥私は、他者を、恋い慕いたいって、願ってるのかな。それは、なんなのかな。」
「主体的にとりくめば、方法はあるのじゃないの?」
「そかな。たぶん、そかも。」
「自分のためにより、人のために、ね。敬虔には何か意義があるのよね、きっと。」
「西行は、友だちが死んで、それで家族を捨てて、ひとりきりに、生きたんだよね。人のために、何より自分のために、もっとひろくあるために。‥そこには、何があったんだろ。西行は、何を見たんだろ。」
「さてね。まったく、それは風の行方をきくようなものね。はてさてよ。」
『消えにける本の雫を思ふにも誰かは末の露の身ならぬ』
西行
2007/08/15/Wed
「今回のなのは感想ー。‥なのですけど、何を感想したらいいのかなーなんてちょっと考えてて、何も思うことないかな、みたいにあきらめちゃってる私がいたりしてあれれ。とくにいうことない‥といえばないかななのですけど、文句も批判もべつにいくら弄したとこで意味ないし、ですし、演出が滑っちゃってる、っていうのかな。率直にいっちゃえば、今回はおもしろくなかったね。あはは。」
「ま、情報量だけは豊富なのよね。次々と出される情報を、消化できて、それをもとに物語の骨格が描き出されたかといえば、それはべつなのだけど。」
「なかなかむずかしいところ。なのかな。黒幕が脳だったり、出撃前の激励が何かだったり、アルハザードがまた出てきたり、そういう瑣末なとこはけっこうどうでもいいかなですけど、おもしろいかといわれれば、あんまりおもしろくないです。でも仕方ないのかなー。王道を目指したけど、それがちょっと予期せぬ方向にいったのが一期で、その一期の尖った部分を衒わずストレートに表現したのが二期だとすると、三期がごてごてになるのは必然だったのかも。‥なんて放言。でもさいごまで見る。半端でおわるのもやだから。」
「ま、それなりにまとめてくれるのを期待しましょうか。まとめを無視して派手にしてもいい気もするけど、どちらもどっちかしらね。」
『なぜ、アニメ業界は『ヤマト』のような作品がつくれなくなったのか? 全員がおもしろがって一緒に盛り上がれるアニメーション。三百万人、四百万人が観てしまうアニメーションを誰もが求めている。でも、誰もつくれない。それは『ヤマト』や『ガンダム』といった強力な作品が、観客に“アニメという形式”それ自身を訓練させてしまったからだ。
その結果、一度訓練されたアニメファンはその後どんなアニメにでも対応できるようになってしまった。そうなると“これしかない”という王道的作品が生み出される必然性がなくなってくる。どんな作品でもアニメであればお客さんが勝手に自己補完して楽しんでしまうので、あとは好みの問題になってしまうのだ。残された道はキャラと絵柄が異なるだけの“以下同文”の世界が溢れるだけになる。
アニメファンが求める快感とは、収まるところに収まってくれる快感であり、自分の胸のなかに収まる場所のない作品は敬遠される。今のアニメファンに受け入れられるかどうかを決定するポイントは、映画としての完成度やドラマ性ではなく、彼らが蓄積してきた“アニメの体験”のなかにその作品が“収まる場所があるか”“ないか”のふたつにひとつだ。逆にアニメのアニメたるツボを押さえていれば、『ガンドレス』のように未完成で劇場公開をしても喜ばれる作品ができてしまう。』
押井守「これが僕の回答である。」
押井守「これが僕の回答である。」
2007/08/14/Tue
「暑い暑い暑い! お姉ちゃん、じゃんけんしよー!」
「え!? じゃ、じゃんけん‥」
「勝ったー! はい、お姉ちゃん服ぬぐー。」
「仕方ないこと。‥って、まておい!」
「何か。」
「なんでぬぐ!?」
「暑いから。」
「帰れ! そういう要領を得ないことはいわないの!」
「うー。プラトンパンチをくらへー!」
「痛っ‥!? な、何するのよ!?」
「暑いからもう一発だー! ぬげー!!」
「ちょ‥!? きゃー!?」
「‥」
「‥」
「‥暑いね。」
「‥まったくよ。」
2007/08/13/Mon
「凡庸な絶望はたくさんの人にふりかかる、という点でまず凡庸。絶望する、という態度はよくあることで、そこの点で普遍的。大げさにいうことじゃないなってなる。でもだったらそんな絶望なんて大げさな文句をつかなわなくてもいいじゃないってなるけど、それが普遍的だといってもだれかといっしょになって解決することはできなくて、あくまで容赦なく、たったひとりの個人の問題にすぎないことが絶望を絶望ならしめてる。永遠なんてこの世にない。あるのは束の間の意識だけ。その意識だって怪しい。ほんとにあるかなんて、だれにもいえない。わからないもん。蝶のはばたく夢を見た私が、ほんとは蝶のみてる夢だって、それを否定する根拠は現実にない。夢と現実の境なんて、ほんとにない。私は一個の幻想で、吹けば消えるようなものじゃないか。私の絶望は、その点で、救われない。救われる術がない。変わらない。私は胡蝶の夢だって、私の蝶がささやく。でも、私がたとえ胡蝶の夢だとしても、それが私を否定する、私を私から奪う理由にはならないって、私の夢は、私に教える。」
「懐疑と独我論、か。逃れられぬものね。」
「孤独な魂は何を見るか。絶望を見る。凡庸で、ありふれた悲劇を見る。孤独な魂は何を見るか。自分が儚い幻想のものだって、居場所のない放浪者のようなものだって、人間の生は夢とあまり変わらないものだっていうことを見る。私は現実を生きていないのかもしれないって、考える。私は胡蝶の夢だ。でも、それは嘆きの言葉じゃない。決して、そうじゃない。それから、美しい蝶が私の心を舞う。」
「雫のように僅少な個人の心を?」
「私はそう考えてる。地獄はある。でも人の地獄は人を敗北させない。人は悪に勝てない。ただ負けないだけ。敗北しないで、いることができるだけ。負けないでいたら、それは地獄じゃない。それは、きっと花だ。私は、花だ。」
「胡蝶の夢は嘆きの言葉じゃない、か。それは祈りのようなものよ。人のする、祈りのようなものよ。届くことは、あるのかしら。」
『落下する小林は地獄を見たかもしれぬ。しかし落下する久米の仙人はただ花を見ただけだ。その花はそのまま地獄の火かもしれぬ。そして小林の見た地獄は紙に書かれた餅のような地獄であった。彼はもう何をしでかすかわからない人間という奴ではなくて教祖なのだから。人間だけが地獄を見る。しかし地獄なんか見やしない。花を見るだけだ。』
坂口安吾「教祖の文学」
坂口安吾「堕落論」