議論における勝ち負けの問題
2007/11/30/Fri
ブロガーに意見して考えが変えられるなんて思ったら大間違い
「ま、そかな。議論の勝ち負けというのは第三者が決める。当人同士がどれだけぶつかりあって相手をなんとか説得しよう、論破しようってがんばっても、その明確な決着を実感することはまずない。あるのは疲労感と勝ったかなー?っていうそれなり達成感か、あるいはでも私は負けたわけじゃないよね私のが正しかったもん‥っていう苛立ち感。議論というのは勝敗でなくて、大切なことはどれだけ目に見えない部分を表に引きずり出すか、それを考える契機を少しなりともつかめるか、ということだと思う。議論が不毛というのでなくて、議論の意味があるとするなら、それは議論があぶり出した問題点をどうやって乗り越えてくか、それを批判的にみずからの糧とするか、ということだと思う。議論で勝ち負けに終始しちゃうのは意味ないのじゃないかな。率直に、それでいて気楽に負けをみとめることができるような議論の環境がいちばんだと思う。‥正面から向いあえる議論というのがいちばん楽しいって思うし。見えない相手とするのがずっとつらいかな。議論は可視の部分と不可視の部分のバランスが大切なのかも。」
「沈黙の閲覧者がどう判断するか、というのよね。第三者は発言しないのだけれど、しかしその第三者との関係性こそが、その関係性を築けるのならば、議論の意義というのは証されることになるのでしょう。」
「あとは議論の当事者のモラルの問題になるのかな。堂々と、というのが肝心みたい。ちょっとあんまりかっこつけだけど。」
「かっこつけようとしなければ独立や責任も生まれないのかしら? ま、勝ち負けに拘泥してもしかない話題ではあるのよね、これ。」
「ま、そかな。議論の勝ち負けというのは第三者が決める。当人同士がどれだけぶつかりあって相手をなんとか説得しよう、論破しようってがんばっても、その明確な決着を実感することはまずない。あるのは疲労感と勝ったかなー?っていうそれなり達成感か、あるいはでも私は負けたわけじゃないよね私のが正しかったもん‥っていう苛立ち感。議論というのは勝敗でなくて、大切なことはどれだけ目に見えない部分を表に引きずり出すか、それを考える契機を少しなりともつかめるか、ということだと思う。議論が不毛というのでなくて、議論の意味があるとするなら、それは議論があぶり出した問題点をどうやって乗り越えてくか、それを批判的にみずからの糧とするか、ということだと思う。議論で勝ち負けに終始しちゃうのは意味ないのじゃないかな。率直に、それでいて気楽に負けをみとめることができるような議論の環境がいちばんだと思う。‥正面から向いあえる議論というのがいちばん楽しいって思うし。見えない相手とするのがずっとつらいかな。議論は可視の部分と不可視の部分のバランスが大切なのかも。」
「沈黙の閲覧者がどう判断するか、というのよね。第三者は発言しないのだけれど、しかしその第三者との関係性こそが、その関係性を築けるのならば、議論の意義というのは証されることになるのでしょう。」
「あとは議論の当事者のモラルの問題になるのかな。堂々と、というのが肝心みたい。ちょっとあんまりかっこつけだけど。」
「かっこつけようとしなければ独立や責任も生まれないのかしら? ま、勝ち負けに拘泥してもしかない話題ではあるのよね、これ。」