「ハルヒ」は「エヴァ」の継承者か(2007/12/12)「スルーかな、と思ってみたらけっこうおもしろい‥のかな? うーん、ハルヒかー。私はこの作品よくわかんないです。原作は2巻まで読んでやめちゃった。アニメはいちおうぜんぶ見たけど、それだけ。べつにいうことないかな。でもニッケイが今の時期にハルヒとりあげる理由がけっこうわかんないかも。エヴァが映画やったからかな?」
「いや、なんというか本当にはてさてねとしかいえないけれど。しかしどうかしら、これ。」
>かたや戦争、かたや日常。水と油のような2つの話は、よく似た構造を持つ。
「そだね。それはそかな。似てるといえば似てるけど、でもこれは古典的な構図な気がする。けっこうどんな作品にも当てはまるかもかな。ドラえもんでもけっこうはまるかも。」
「ドラえもんねー‥。ま、どちらも珍しいスタイルの作品ではないのよね。あくまで伝統的な様式に沿ったうえで、そこにプラスアルファしたというか。それは何かしらね。」
>エヴァにあってハルヒにない存在は父親と上司だ。主人公の少年と強い父親(戦闘集団内では上司でもある)の葛藤はエヴァの主要テーマの1つ。
「これはそのとおり。エヴァはけっきょく息子が父親を殺して母親を犯す話なのだよね。対してハルヒは乗り越えるべき障害というのなくて、その物語は基本恋愛。エヴァのほうが極度のマザー・コンプレックスに支配されてるっていえるかな。」
「キョンを脅かす存在というのはたしかにないかしらね。しかしみくるが言いなりになるおもちゃね、なかなか歯に衣着せぬ言い方だこと。」
>しかし相当数のファンはテレビ版の最終回に、ごく短時間だけ登場した短いエピソードに激しく反応した。つらい立場に追い込まれた主人公が、「もう一つの世界」の自分たちを垣間見る場面。戦闘はなく、自分もふつうの中学生で、高飛車な美少女は気さくで、無口な少女は明るく、女性上司は話の分かる担任教師に「変身」していた。
「今までだれにもいったことなかったけど、ここで告白。私テレビ版のあの学園編の最終回みて泣けたんですよ。アニメの最終回みて、劇場版のラストみて、そしてアニメの最終回。あれはほんとに希望の片鱗だったですよ。でもそれが溶けて消えた夢なのが、エヴァの回答だった。あれはけっこう穿って見ちゃいけないのじゃないかな。学園編なんていわれるけれど、あれはシンジにしてみれば、この上なく切ないって、思わないかな。」
「ありえたはずの未来、かしらね。ただありえるはずはないのよね。そこはけっこう気づきにくいのよ。」
>精神崩壊せず、平和な世界で楽しく暮らす主人公やヒロインを見たい。戦闘するにしても、あくまで「普通のロボットアニメ」的に分かりやすく。そんなファンの願望の表れだ。
「ここはだめだめ。分かりやすいアニメだったら、そもそもエヴァが受けるわけない。それはほんとにファンの願望? そこはちょっと保留かな。」
「願望のひとつではあるかしらね。ただそれがすべてではないでしょう。」
>ハルヒでは「この世界」を壊すエネルギーの源泉は、ある登場人物の心の中にある。一方エヴァも、古いアニメに似て、一見外敵と戦う物語として始まりながら、最後は世界を作るのも壊すのも「人の心」だ、という予期せぬ主題に行き着いた。エヴァとハルヒはこの点でも、一見対照的だが実はつながっている。
「ここは秀逸。そのとおり。心が問題。そして素直になれないハルヒとゲンドウはあれれかな。」
「そこでハルヒとゲンドウを対置する? ま、いいけど。」
>ゲーム的リアリズム
「これはべつにゲームだけじゃないと思うけど。それに現代特有の問題でもない。カフカの「城」のラストでも考えてみるとかどうかな?」
「現実は一回性のものではなく、何度でもやり直せる、ね。ましかし、これこそ古典的な問題よね。悔いなき生涯を生きれるかという。」
>「エヴァ」では、上に述べた「もうひとつの平和な学園世界」のくだりで「やり直し」の可能性を垣間見せた程度だった。
「しつこいけどまた言及。あの最終回にやり直しの可能性を見出せる? 私はぜんぜん。テレビ版の悲愴さは、劇場版とは比較にならないです。」
「アスカが隣にいた劇場版と、けっきょくは孤独を見つめるほかないテレビ版、ね。ま、やはり同じ話ではあるのかしらね。」
>「ハルヒ」の物語ではやり直しが普通に行われる。たとえばある話では、主人公は何万回目だったかの「高1の夏休み」を体験している。主人公もその状況を理解し、脱出の「カギ」を見つけようと苦労する。まさにゲーム的な展開だ。
「ううん。それプラトン的。なんていったら怒られるかな?」
「永遠の夏休みというのかしら? ま、ユートピア願望よね、べたな。」
>自分に命令する者、規範を語る者を忌避し、「都合よく言いなりになるもの」を欲する。(みくるにさまざまな命令をくだすのは主人公の少年ではなく少女ハルヒだが、男性視聴者がこの瞬間だけはハルヒに同化していることは想像に難くない。)豊かな胸と受容的な性格は、理想の母親の象徴でもある。エヴァは母親に捨てられた子供たちの物語だった。
「つまり言いなりになる母親が欲しいということかー。えー。そう読むの。うーん、でもそれもありかな。ただエヴァは母親に捨てられた物語でなくて、あれは母親に固着する物語。そこはちがうよな気がする。」
「ま、みくるが母性の象徴というのは頷ける部分あるけれど。これってエヴァではミサトの役割になるのかしら?」
>ひとつの戦いに「すべてを賭ける」ことより「日常」を愛する。自分は本来、ヒーローという柄ではない、とも思う。ただし退屈も嫌なので、少しだけ「向こうの世界」にも触れていたい。
「あはは。それはそかも。でもそれでいいのじゃない?」
「日常を愛するのに退屈が嫌だというのは少しへんな気もしないでないけれど。ま、向こうの世界とはどこを指してるのかしらね。」
>「この現実」が唯一の現実ではない。バッドエンドなら(あるいはそうなりそうなら)やり直せばよい。
「まさか。とだけいっとく。」
「はてさてよ。」
>「もしやハルヒ世界のすべては、(エヴァの主人公である)シンジの妄想では?」
「ここは瞠目すべきとこ。うん、それはすごくおもしろい意見かも。」
「皮肉が効きすぎの感もあるけれど。」
>当の若者は甘いささやきに乗せられないよう注意しなければならない。残念ながら「この現実」は一つしかなく、「この人生」は誕生から死まで一直線につながっている。分岐はいくつもあるが、戻ってやり直すわけにはいかない。
「せっかくおもしろい意見だったのに、さいごが人生訓に落ちちゃったのはちょっと残念かも。少し思うけど、こういった現実と幻想を対比させて、現実でがんばろうとしないのはいくないよ、とか、アニメなんてほんとのことじゃないからあれれだよ、みたいなこというのって、ほんと、意味ないのじゃないかなって思う。現実は現実であるし、幻想も現実の私に訪れる、世界の一瞬間にほかならない。私にできることは、ただ私が私であることを受け容れること。ただそれだけ。下手にアニメだの現実での奮起だのいってたら、たぶん自分の心を見失う。人生は誕生から死まで一直線につながってる。たしかにそう。そのとおりです。ただ私たちは、誕生の瞬間と、そしておそらく死によってこの世界から断絶される瞬間を明確に認識できない。その二つの事実の狭間に、幻想が入りこむ余地がある。それを知らなきゃ、甘いささやきに乗せられちゃうものかもかな。」
「ま、現実がひとつしかないということは、そうかしらねとしか言い様がないのよね。しかし現実ばかりに人の心が向いているわけじゃない。文学的修辞だと思われるけれど、しかしそれが、実感ではあるかしらね。ま、はてさてよ。」