竹宮ゆゆこ、絶叫「とらドラ!」2巻
2009/02/28/Sat
「すごくよい漫画版。というのも、大河と竜児ってこんなにかわいかったかなって少しおどろいちゃくらいキャラクターの一挙手一投足を魅力的に、そしてめくるめく変化する感情豊かな表情を愉快に巧みに描出するその筆致は、「とらドラ!」って作品のもつ人間味あふれる物語のおもしろさを十二分に伝えることに成功してるっていっていいのじゃないかなって、私は思うから。とくにドジで思わぬミスをしちゃう大河の挙動はすごくかわいらしく描かれてて愛らしいし、それを見て放ってけないってふうに甲斐甲斐しく世話する竜児の細やかな気配りも、ある意味原作以上の臨場感をもって読者に伝えることになってるのじゃないかな。絵柄もかわいらしいし、物語の展開も原作にこれほどないくらい忠実で、こういう作品をみると「とらドラ!」はメディアミックスにほんとに恵まれた作品なのかなって気がする。アニメの卓抜な点はもう何度もいってるよね。それに加えて漫画がこの出来なのだから、「とらドラ!」は実に作品のクオリティと完成度って面において外れがない稀有な存在なのだと思う。大河とてもかわいくてよかった。」
「少していねいすぎるくらいに原作を再現しているというふうにも感じるかしらね。実際、漫画できちんと話の筋を描こうと試みるとこうも繊細な技量が要求される話もないのじゃないかと思えるから奇妙なものよね。とくに原作一巻の話は竜児と大河の馴れ初めという、その後のストーリーの展開の根幹を成す重要な部分であるのでしょうから、蔑ろにできないのはきわめて自然なのでしょうけどね。そして原作もアニメも終盤に差し掛かった今であるからこそ、この作品の最初期の展開をふり返るのは、なかなか軽くない意義があるようにも思われる、か。さて、どうかしらね。」
「まず大河と竜児がどんなふうに仲よくなってったのかなって経緯を踏まえることは、そののちの人物関係の変転を理解するうえでも外せない要素に思われることを注目すべきかな。‥これは中盤以降のみのりんや亜美さんと竜児の関係の段階の発展を追ってくとわかりやすいのだけど、竜児は大河とはまず心の底をさらけ出して真正面から相対するのであり‥お互いの好きな人が互いに知れて、それで大河の告白の失敗を経過して、二人は腹の底からゆるしあった対等の関係性の立場にあって向きあうことになる‥理屈や打算を捨てた、恥も外聞もない姿を見られたからこそ、両者ともに代りのないパートナーになれたのだよね。それは二人が心中これまで自分のことを真にわかってくれる人なんていない、そう頑なな心持でいたっていう孤独を抱えてたからこそ、二人は互いのさみしさを慰謝するために‥でもそれは一方的な依存でなくて、相並び立つ、互いが互いを同等に支えあうといった公平の意識に支えられたものであった‥距離を縮められたのであって、亜美さんもまた同様、ストーカーを機縁とした恐怖に震える自己を竜児に見せたときから、亜美さんの変革はしずかにはじまってく。‥私は、それだから大河も亜美さんも、二人の物語内での立ち位置は対等な立場で堂々と誠実にふるまってるからこそ‥その内面はおいといても‥好ましいのであり、素敵だなって思うのだけど、ただそこに行くとみのりんがちょっと特殊な位置にいるのは明白になってきちゃうのだよね。つまり、みのりんは腹を割らない、何事かを秘めつづけ、そしてそれが結果的にクリスマスの水晶も割ることになっちゃう。だから私は、みのりんの問題を閑却して本作を結論づけることはしちゃいけないなって感じてるのだけど、でも原作がどうラストを飾るかはけっこう不安に思っちゃうとこあるかな。‥みのりんの問題は、むずかしい。そしてもしかしたら竜児たちでは、みのりんの支えになることはできないのかもしれない。その認識に至ることは、なんて恐ろしいことで、あろうかな。だってそしたらみのりんは、救われないにちがいないのであるのだから。」
「結局、実乃梨の問題を正面から扱おうとすると、どうしても相当な労力と時間が求められることは必然なのよね。さらにいうなら、実乃梨の悩みの解決か、またはその解明に物語が進行した場合、大河や竜児の問題とはかならずしも二つは交差しあわないかもしれない。ま、要するに、大河や竜児が実乃梨の苦しみの原因の一端であるならば、実乃梨は二人から離れたほうがいいのかもしれないという話よ。ただしかし、そうなるとそれはそれで悲劇性でしょうから、実乃梨が今よりも孤独になるという展開は見たくもないという心情はあるのよね。ま、しかしはてさて、すばらしい完成度の漫画版よ。この出来は素直に感嘆するかしら。次巻以降も期待してこれならまちがいないでしょうし、「とらドラ!」という作品がどういう軌跡を伴って終りを迎えるのか、それを含めながらつづきも楽しませてもらいましょうか。良い漫画版であることよ、本当に。」
竹宮ゆゆこ、絶叫「とらドラ!」2巻
「少していねいすぎるくらいに原作を再現しているというふうにも感じるかしらね。実際、漫画できちんと話の筋を描こうと試みるとこうも繊細な技量が要求される話もないのじゃないかと思えるから奇妙なものよね。とくに原作一巻の話は竜児と大河の馴れ初めという、その後のストーリーの展開の根幹を成す重要な部分であるのでしょうから、蔑ろにできないのはきわめて自然なのでしょうけどね。そして原作もアニメも終盤に差し掛かった今であるからこそ、この作品の最初期の展開をふり返るのは、なかなか軽くない意義があるようにも思われる、か。さて、どうかしらね。」
「まず大河と竜児がどんなふうに仲よくなってったのかなって経緯を踏まえることは、そののちの人物関係の変転を理解するうえでも外せない要素に思われることを注目すべきかな。‥これは中盤以降のみのりんや亜美さんと竜児の関係の段階の発展を追ってくとわかりやすいのだけど、竜児は大河とはまず心の底をさらけ出して真正面から相対するのであり‥お互いの好きな人が互いに知れて、それで大河の告白の失敗を経過して、二人は腹の底からゆるしあった対等の関係性の立場にあって向きあうことになる‥理屈や打算を捨てた、恥も外聞もない姿を見られたからこそ、両者ともに代りのないパートナーになれたのだよね。それは二人が心中これまで自分のことを真にわかってくれる人なんていない、そう頑なな心持でいたっていう孤独を抱えてたからこそ、二人は互いのさみしさを慰謝するために‥でもそれは一方的な依存でなくて、相並び立つ、互いが互いを同等に支えあうといった公平の意識に支えられたものであった‥距離を縮められたのであって、亜美さんもまた同様、ストーカーを機縁とした恐怖に震える自己を竜児に見せたときから、亜美さんの変革はしずかにはじまってく。‥私は、それだから大河も亜美さんも、二人の物語内での立ち位置は対等な立場で堂々と誠実にふるまってるからこそ‥その内面はおいといても‥好ましいのであり、素敵だなって思うのだけど、ただそこに行くとみのりんがちょっと特殊な位置にいるのは明白になってきちゃうのだよね。つまり、みのりんは腹を割らない、何事かを秘めつづけ、そしてそれが結果的にクリスマスの水晶も割ることになっちゃう。だから私は、みのりんの問題を閑却して本作を結論づけることはしちゃいけないなって感じてるのだけど、でも原作がどうラストを飾るかはけっこう不安に思っちゃうとこあるかな。‥みのりんの問題は、むずかしい。そしてもしかしたら竜児たちでは、みのりんの支えになることはできないのかもしれない。その認識に至ることは、なんて恐ろしいことで、あろうかな。だってそしたらみのりんは、救われないにちがいないのであるのだから。」
「結局、実乃梨の問題を正面から扱おうとすると、どうしても相当な労力と時間が求められることは必然なのよね。さらにいうなら、実乃梨の悩みの解決か、またはその解明に物語が進行した場合、大河や竜児の問題とはかならずしも二つは交差しあわないかもしれない。ま、要するに、大河や竜児が実乃梨の苦しみの原因の一端であるならば、実乃梨は二人から離れたほうがいいのかもしれないという話よ。ただしかし、そうなるとそれはそれで悲劇性でしょうから、実乃梨が今よりも孤独になるという展開は見たくもないという心情はあるのよね。ま、しかしはてさて、すばらしい完成度の漫画版よ。この出来は素直に感嘆するかしら。次巻以降も期待してこれならまちがいないでしょうし、「とらドラ!」という作品がどういう軌跡を伴って終りを迎えるのか、それを含めながらつづきも楽しませてもらいましょうか。良い漫画版であることよ、本当に。」
竹宮ゆゆこ、絶叫「とらドラ!」2巻