「けいおん!」二次創作 L'amour m'a fait perdre la raison #5
2010/05/30/Sun
夕方、学校からの帰り道、私はまっすぐに家に向わず、街を目的もなくふらふらと歩いていた。学際ライブが間近に迫り、ジャズ研の練習はいよいよ真剣みを増している。中途から参加したとはいえ、部活内で重要な立場を任されていた私も、どんなに気分が低調とはいえ、練習を疎かにできるはずもなく、表面上はきわめてまじめに部活に取り組んでいた。
「……はぁ。」
しかし、あの日、唯先輩たちのストリートライブを見て以来、私の心はもやもやと曇り、一向に晴れる兆しがない。虫の鳴き声が喧しい未だ日の高い夕刻、私は憂鬱な心を抱え彷徨していた。
「あ、あずにゃーん! おーい!」
ふと私の名前を呼ぶ声が聞こえて顔を上げると、交差点を挟んだ向かいの歩道に唯先輩がぶんぶんと私めがけ手を振っていた。あずにゃんなんて渾名で私を呼ぶのは、広い世界で唯先輩をおいてほかにないのだから、誰が声をかけたのかはすぐにわかったけれど、でも往来であずにゃんと大きな声でいわれるのは少し気恥ずかしい。
「どうしたんですか、こんなところで?」
「ごはん食べに来たんだぁ。よかったら、あずにゃんも一緒しない?」
唯先輩と合流した私は、その申し出に軽く応じた。特に断る理由もなかったし、お母さんにメールを一通手早く送ると、私に会えてうれしいらしい笑顔の唯先輩と私は並んで街路を歩き始める。
「でも今晩はどうしたんですか? 澪先輩は何かあったんですか?」
「澪ちゃんは今日はりっちゃんの家に泊まるんだって。だから私一人で夜どうしようかなぁって思って。たまには外で食べようかなぁって。」
「…律先輩のところに澪先輩はいるんですか。そう、ですか。」
私は胸騒ぎを覚えた。しかし、目の前の唯先輩は、見た感じは特にいつもの先輩と変わった様子は少しも見当らない。
「どこで食べようかなぁ。あずにゃん、何か食べたいものある? ラーメン? それとも牛丼?」
「また色気ない二択ですね…。あ、たまにはイタリアンとかどうです? この前、駅前通りに新しいお店できたそうですよ。」
私パスタ大好きだよ!と唯先輩はこちらがおかしくなるくらいに喜ぶのだった。私はそんな唯先輩の無邪気な姿に微笑し、なんだかんだで私も唯先輩のペースに付き合うのは嫌いではないんだなと感じる。
「――あずにゃん、この間、私たちのストリートライブ見に来てくれた帰り、大丈夫だった? 急にいなくなっちゃって、私たち少し心配したんだよ。」
「あれは…その、なんでもなかったんです。はい。」
「そっかぁ。うん…」
食事を終えた私たちの皿を店員さんが片づけ、続いてコーヒーを運んできてくれる。私たちの前に湯気の立つカップが置かれ、唯先輩は砂糖とミルクを見ているこちらが辟易するくらいにたっぷりと入れた。しかし、そういう私も人のことはいえず、コーヒーにはふんだんに砂糖を混ぜるのだった。だってコーヒーはそうしたほうが絶対においしいもん。
「…澪先輩たちもご飯を終えた頃ですかね。」
「そうかも。…澪ちゃん何してるかなぁ。」
唯先輩はちょこちょことスプーンでカップの中身をかき回す。いくぶん憂愁を帯びた唯先輩の表情が、私の瞳に映じていた。私は唯先輩のそんな表情とどこか寂しそうな言葉を聞くと、変に胸がどぎまぎしてしまい、本当ならいわないで済ますべきであったかもしれないことを、口にしてしまう。
「…唯先輩は、澪先輩と律先輩が二人きりだと、不安になったりしますか?」
「うん。不安だよ。」
私は、とっさのことに手にしていたコーヒーカップを落してしまうところだった。それは唯先輩の私の問いに対する返事が、あまりに呆気なく、そしてよどみなく、ささやかれたためであった。私はこんなに淡白に唯先輩がそんなことをいうとは信じられなかった。
「え、唯先輩…?」
「この前、澪ちゃんとりっちゃんがソファーで抱き合っていたときから、余計に、かなぁ。…そのずっと以前からも、澪ちゃんとりっちゃんが二人でいるとこ見るのは、その、いろいろ思っちゃうことあったけど。」
「でも、あれは事故でただふざけあってただけだって、いってたじゃないですか、澪先輩も律先輩も。」
「うん。…でも、そうはいっても、そういう気がないと、お互いに好きって、安心だって気持ちがないと、ああいうことは冗談でもできないよね。…りっちゃんは、澪ちゃんと仲良くて、いいなぁ。」
「な、何、弱気なこと、いってるですか!?」
私は思わず声を荒げてしまった。店内の視線が一斉に私たちのほうを見るが、しかしそんなことを意に介している場合ではなかった。困った顔をした唯先輩に、私はなお突っかかる。
「唯先輩は、澪先輩が、好きなんでしょう!?」
「大好き。私は、澪ちゃんが、大好き。…でも、澪ちゃんは、どうなのかなぁ。」
「…唯、先輩。」
「私、しっかりしてないし、頭あんまりよくないし、私じゃ、やっぱり、だめなんじゃないかなぁ。澪ちゃんが自然と笑顔になれて気安いのは、私じゃなくて、りっちゃんの隣でじゃないのかなぁ。…あずにゃんは、どう思う?」
唯先輩の、こんなときでも緊張感のないどこか抜けたような緩い口調でつづられるその言葉は、私に、唯先輩がどんなに一人で、孤独に、いろいろなことを考え、思い詰めているのかということを、愕然とするくらいに如実に物語っていた。私はそんな唯先輩の姿に痛ましい思いと、どうしようもない苛立たしさを同時に感じ、それはひどい焦燥感となって私に表れる。
「み、澪先輩に電話してみてください!」
「え、なんで?」
「澪先輩は、唯先輩のことが好きなんです! 直接、聞いてみてください!」
「わ、わかったよぅ。」
私の剣幕に押された唯先輩は、しどろもどろに携帯を取り出す。しかしいくら経っても澪先輩にはつながらず、澪先輩の携帯の電源がどうやら切れているらしいことがわかっただけだった。
「私が律先輩に電話してやるです!」
律先輩のほうは電源は切れていないらしかったが、しかし一方こちらはいつまで待っても出る気配がない。無機質な電子音が耳障りに私の鼓膜を叩き、私は苛立たしく、携帯を投げ捨てることしかできなかった。
「きっとお風呂にでも入ってるんだよ。無理しなくていいよ、あずにゃん。」
「でも、もし…!」
私は焦っていた。…このときのことを思い返せば、私より唯先輩のほうがずっと落ちついていた。しかし、にもかかわらず私は、澪先輩に連絡が通じないのはともかく、律先輩が電話に出ないことのほうにより強い不安を覚えていたのだ。それは、私が以前、律先輩の心を、揺さぶった事実があったからだ。律先輩に澪先輩に対する思いの是非を、問いただすようなことをいってしまった事実があるからだ。
「もし何か、何かあったら…澪先輩と律先輩が…」
私は知らず泣きそうになっていたのだろう。悲痛に歪んだ私の表情を、唯先輩はあたかも春のような柔らかく暖かい笑顔で包むように見つめている。大丈夫だよと、唯先輩の瞳は私に語っている。…そして唯先輩は、やさしく、この上なく穏やかに、次のような言葉を言い放つのだ。
「人の気持ちは、他人がどうしようと、結局、落ちつくところに落ちついちゃうよ。あずにゃん。」
「唯先輩…」
私が律先輩を焚きつけたんだと、そう思うことは私の驕りであったろうか。しかし、無論、このときはまだ何があったというわけでもない。それなのに、私の不安はいや増すばかりで、唯先輩の笑顔を私はもうまっすぐ見ることはできなかった。長い夜が、始まっていた。
「……はぁ。」
しかし、あの日、唯先輩たちのストリートライブを見て以来、私の心はもやもやと曇り、一向に晴れる兆しがない。虫の鳴き声が喧しい未だ日の高い夕刻、私は憂鬱な心を抱え彷徨していた。
「あ、あずにゃーん! おーい!」
ふと私の名前を呼ぶ声が聞こえて顔を上げると、交差点を挟んだ向かいの歩道に唯先輩がぶんぶんと私めがけ手を振っていた。あずにゃんなんて渾名で私を呼ぶのは、広い世界で唯先輩をおいてほかにないのだから、誰が声をかけたのかはすぐにわかったけれど、でも往来であずにゃんと大きな声でいわれるのは少し気恥ずかしい。
「どうしたんですか、こんなところで?」
「ごはん食べに来たんだぁ。よかったら、あずにゃんも一緒しない?」
唯先輩と合流した私は、その申し出に軽く応じた。特に断る理由もなかったし、お母さんにメールを一通手早く送ると、私に会えてうれしいらしい笑顔の唯先輩と私は並んで街路を歩き始める。
「でも今晩はどうしたんですか? 澪先輩は何かあったんですか?」
「澪ちゃんは今日はりっちゃんの家に泊まるんだって。だから私一人で夜どうしようかなぁって思って。たまには外で食べようかなぁって。」
「…律先輩のところに澪先輩はいるんですか。そう、ですか。」
私は胸騒ぎを覚えた。しかし、目の前の唯先輩は、見た感じは特にいつもの先輩と変わった様子は少しも見当らない。
「どこで食べようかなぁ。あずにゃん、何か食べたいものある? ラーメン? それとも牛丼?」
「また色気ない二択ですね…。あ、たまにはイタリアンとかどうです? この前、駅前通りに新しいお店できたそうですよ。」
私パスタ大好きだよ!と唯先輩はこちらがおかしくなるくらいに喜ぶのだった。私はそんな唯先輩の無邪気な姿に微笑し、なんだかんだで私も唯先輩のペースに付き合うのは嫌いではないんだなと感じる。
「――あずにゃん、この間、私たちのストリートライブ見に来てくれた帰り、大丈夫だった? 急にいなくなっちゃって、私たち少し心配したんだよ。」
「あれは…その、なんでもなかったんです。はい。」
「そっかぁ。うん…」
食事を終えた私たちの皿を店員さんが片づけ、続いてコーヒーを運んできてくれる。私たちの前に湯気の立つカップが置かれ、唯先輩は砂糖とミルクを見ているこちらが辟易するくらいにたっぷりと入れた。しかし、そういう私も人のことはいえず、コーヒーにはふんだんに砂糖を混ぜるのだった。だってコーヒーはそうしたほうが絶対においしいもん。
「…澪先輩たちもご飯を終えた頃ですかね。」
「そうかも。…澪ちゃん何してるかなぁ。」
唯先輩はちょこちょことスプーンでカップの中身をかき回す。いくぶん憂愁を帯びた唯先輩の表情が、私の瞳に映じていた。私は唯先輩のそんな表情とどこか寂しそうな言葉を聞くと、変に胸がどぎまぎしてしまい、本当ならいわないで済ますべきであったかもしれないことを、口にしてしまう。
「…唯先輩は、澪先輩と律先輩が二人きりだと、不安になったりしますか?」
「うん。不安だよ。」
私は、とっさのことに手にしていたコーヒーカップを落してしまうところだった。それは唯先輩の私の問いに対する返事が、あまりに呆気なく、そしてよどみなく、ささやかれたためであった。私はこんなに淡白に唯先輩がそんなことをいうとは信じられなかった。
「え、唯先輩…?」
「この前、澪ちゃんとりっちゃんがソファーで抱き合っていたときから、余計に、かなぁ。…そのずっと以前からも、澪ちゃんとりっちゃんが二人でいるとこ見るのは、その、いろいろ思っちゃうことあったけど。」
「でも、あれは事故でただふざけあってただけだって、いってたじゃないですか、澪先輩も律先輩も。」
「うん。…でも、そうはいっても、そういう気がないと、お互いに好きって、安心だって気持ちがないと、ああいうことは冗談でもできないよね。…りっちゃんは、澪ちゃんと仲良くて、いいなぁ。」
「な、何、弱気なこと、いってるですか!?」
私は思わず声を荒げてしまった。店内の視線が一斉に私たちのほうを見るが、しかしそんなことを意に介している場合ではなかった。困った顔をした唯先輩に、私はなお突っかかる。
「唯先輩は、澪先輩が、好きなんでしょう!?」
「大好き。私は、澪ちゃんが、大好き。…でも、澪ちゃんは、どうなのかなぁ。」
「…唯、先輩。」
「私、しっかりしてないし、頭あんまりよくないし、私じゃ、やっぱり、だめなんじゃないかなぁ。澪ちゃんが自然と笑顔になれて気安いのは、私じゃなくて、りっちゃんの隣でじゃないのかなぁ。…あずにゃんは、どう思う?」
唯先輩の、こんなときでも緊張感のないどこか抜けたような緩い口調でつづられるその言葉は、私に、唯先輩がどんなに一人で、孤独に、いろいろなことを考え、思い詰めているのかということを、愕然とするくらいに如実に物語っていた。私はそんな唯先輩の姿に痛ましい思いと、どうしようもない苛立たしさを同時に感じ、それはひどい焦燥感となって私に表れる。
「み、澪先輩に電話してみてください!」
「え、なんで?」
「澪先輩は、唯先輩のことが好きなんです! 直接、聞いてみてください!」
「わ、わかったよぅ。」
私の剣幕に押された唯先輩は、しどろもどろに携帯を取り出す。しかしいくら経っても澪先輩にはつながらず、澪先輩の携帯の電源がどうやら切れているらしいことがわかっただけだった。
「私が律先輩に電話してやるです!」
律先輩のほうは電源は切れていないらしかったが、しかし一方こちらはいつまで待っても出る気配がない。無機質な電子音が耳障りに私の鼓膜を叩き、私は苛立たしく、携帯を投げ捨てることしかできなかった。
「きっとお風呂にでも入ってるんだよ。無理しなくていいよ、あずにゃん。」
「でも、もし…!」
私は焦っていた。…このときのことを思い返せば、私より唯先輩のほうがずっと落ちついていた。しかし、にもかかわらず私は、澪先輩に連絡が通じないのはともかく、律先輩が電話に出ないことのほうにより強い不安を覚えていたのだ。それは、私が以前、律先輩の心を、揺さぶった事実があったからだ。律先輩に澪先輩に対する思いの是非を、問いただすようなことをいってしまった事実があるからだ。
「もし何か、何かあったら…澪先輩と律先輩が…」
私は知らず泣きそうになっていたのだろう。悲痛に歪んだ私の表情を、唯先輩はあたかも春のような柔らかく暖かい笑顔で包むように見つめている。大丈夫だよと、唯先輩の瞳は私に語っている。…そして唯先輩は、やさしく、この上なく穏やかに、次のような言葉を言い放つのだ。
「人の気持ちは、他人がどうしようと、結局、落ちつくところに落ちついちゃうよ。あずにゃん。」
「唯先輩…」
私が律先輩を焚きつけたんだと、そう思うことは私の驕りであったろうか。しかし、無論、このときはまだ何があったというわけでもない。それなのに、私の不安はいや増すばかりで、唯先輩の笑顔を私はもうまっすぐ見ることはできなかった。長い夜が、始まっていた。