隠れ蓑～penseur～

「先月号の感想をしないまま、一ヶ月が過ぎちゃった。これは怠惰だなと思いつつ、でも内容的にはまとめてやったほうがわかりやすいだろうって思うから、エントリを書く上でとくに問題はない。話としては、榊さんのデートが失敗した、あははって以上のことはないし。あはは。もし私が榊さんみたいなデート失敗しましたって相談されたら、なんだか、とりあえず、大笑いしちゃいそう。あはは。」
「それで友情に傷がつく、と。はてさてね。」
「しかし実際どうだろう？　‥もし知り合いの誰かが、ここは大学生くらいと仮定して、その誰かが中学生とデートに行くって話を聞いたら、私はなんて答えるかな。‥と、記憶を遡るとそういった例を私は知らないでもなかったか。でも榊さんの場合は、相手が中学生だからという理由は、実は問題の核心ではないような気もする。というのは、作中、年齢差を気にして態度がよそよそしくなったことが原因ってふうに描写されていたけど、でもそれより、なんていうかな、榊さんが純真すぎるのが問題だったように見える。中学生以上に初々しいというか、なんというか。」
「美麗って今までその手のこと何もなかったのかしらね。いや、何かあったならば、ああまで初心な‥といっては失礼に当るのかしれないけれど、ま、ああいうような下手な対応はしないものでしょうし。けっこうもてそうに見えるのに、不思議ね、なんだか。」
「同年代の子にはまじめでしっかりした榊さんは怖そうで、そういう相手にはなかなか選びがたい。かといって、年上の人と知り合う機会もなければ、榊さんにそういった興味も勇気もとくにない。となると、榊さんがショタに走るのは必然的なことだったのかも‥。‥そういえば、ふと思い出すけど、数年前、とある不動産の人と雑談していたとき、大学に入ったばかりの子、とくに女性のほうは気をつけたほうがいい。というのは、それまで恋愛に免疫がなかった子が、大学に入った開放感から、恋人を急いで作るんだけど、加減がわからないから、泥沼にはまるパターンが多い、って。ネット的な洒落めいた言い方を弄すると、ヤンデレ化することが少なくない、って。」
「ま、ヤンデレっていうのはニュアンスがちょっと大げさになるんでしょうけど、相手に過剰に入れ込み、依存してしまうというケースは大いにあるのでしょうね。‥美麗がそうだとはいわないけれど、立花くんと知り合わなければ、なんだか下手な相手に捕まっていたんじゃないかって不安になるような、危うさが美麗には見える。高校のときはそうでもなかったんだけれど。なぜかしら？」
「大学に入ると人は堕落するのだー、みたいな。いや、これほんと。高校って朝は早いし、夜は遅いしで、超大変。大学は楽でよろしかな。あはは。‥と、だめなことをいったついでに、もう一言、だめなことをいっておこう。‥松本さん素敵！！　榊さんは松本さんと付き合っちゃえばいいのにー、みたいな。」
「付き合えばいいかどうかはともかくとしても、松本さんは魅力ある人というのはたしかでしょうね。なんで友だちいないのかしら？　それは周りに見る目がないというだけの気がするけれど、はてさてね。」

　クリスマスイブの前日は強い雨だった。この時期に似つかわしい暗澹とした雲がぐずついた影を地面に落しており、身に沁みる冷たい風が枯れた枝先を時折揺らしていた。
（せめて雪になれば気分も変わるのに）
　朝早く、電車に乗った佳代は灰色に沈む車窓に目を向けながら、そんなことを思った。耳元のイヤホンからはiPodがランダムに流す何の統一感もない楽曲が、電車の振動と相まって、世間のクリスマスムードとは程遠い心情を佳代にもたらす。それに何より、昨夜、なかなか寝つかれなかった影響か、深い靄のような疲労感が佳代の頭を覆っていた。車内は時間帯のためもあって、閑散としている。毎年のイブにはこんな行き当りばったりの遠出はしないのだけど、と佳代は考えた。
（ま、いいや。明日はお姉ちゃんもいるし……）
　姉のナジャは、イブの今日、知り合いの参加するとある教会のパーティへと呼ばれていた。クリスマスに予定のないことをうっかり口を滑らしたために、半ば強引に誘われたらしい。それは付き合いという以上の意味はなく、もちろん佳代も少し顔を出すだけなら付き合っても何も問題はなかったのだが、しかし彼女は乗り気になれないまま、返事を保留し、朝起きるとまっすぐ駅へと向っていた。今日はふらふらしてくると姉にメールを済ませれば、あとは気にすることなど何もない。携帯の電源を落し、佳代はiPodの流す音に意識を戻した。乱雑なギターの音色が寒々とした風景に似合っていた。
　電車で一時間ちょっと揺られた先は、彼女が一年前まで暮していた街だった。この春に引っ越してからはとんと足を向けずにいたが、駅前の様子は記憶にあるものとぱっと見ては何も変わっていないように思えた。彼女はそれから以前の日常を辿るように手慣れた足取りで雑踏を横切った。目的の場所であるアパートの一室はそこから十分もかからなかった。
「久しぶり。元気？」
　インターホンを鳴らし、しばらくして顔を見せた女性に、佳代はこんにちは、里奈さんと気さくにあいさつした。里奈と呼ばれた女性は佳代より一回り背が高く、眺めの髪を無造作に束ねた、落ち着いた雰囲気のなかにどこか線の細い印象を与える顔立ちをしていた。彼女は佳代の悪びれもしない飄々とした表情に、呆れた様子だった。
「来るなら、連絡くれればいいのに。」
「イブだから、いるかなって。」
「もし私が留守にしていたら、どうしたの？」
「そのときは帰るだけ。」
　佳代の言い様にため息を洩らすと、里奈は無遠慮な来訪者に困った顔をしつつも、佳代を招きいれ、熱いコーヒーをいれてくれた。小ぎれいに整理の行き届いた部屋の様子は一年前と少しも変わっていないなと佳代は思った。乱雑でだらしのない自分とは大ちがいだと、この女性の几帳面さを思った。
「……そういう気ままなところ、相変わらずね。佳代。人に嫌われるでしょう？」
「好かれる人には好かれる。」
「両極端だから、悪いのよ。」
「でも里奈さんは……」
　里奈の反応をうかがおうと顔を上げた佳代だったが、しかし里奈のまっすぐな眼差しにぶつかると、たまらず、ためらいがちにその視線を避けた。
「佳代のいけないところはね、自分が寂しいときにしか、相手を見ないところよ。」
「そんなこと……」
「引っ越したって、何が変わるわけでもないじゃない。……もちろん、距離が生まれることは別れの理由には適当なんでしょうけど、でも相手にも感情があるってことを理解しなきゃ、ずっとあなたは他者との距離の取り方がわからないままに置かれる。……佳代はメールもしてくれない。そして、大体、一年か。」
　そういって里奈は佳代に背を向けた。その仕草に佳代は胸が締めつけられる思いがしたが、しかしうつむきかけた佳代の頭をぽんと叩くと、里奈は、リボンであしらわれた小包を佳代に向って差し出していた。
「メリークリスマス。」
「……そんな、私、何も用意してない！」
　佳代の叫びを聞くと、里奈は笑った。普通、こういう日に会いに来るなら何かしら持ってくるのが礼儀じゃない、と。
「……でも、もし私が来なかったら、どうしてたの？」
「さあ。そのときは私から会いに……。……いや、たぶん、何もしなかったんじゃないかな。」
　そういって里奈は雪のような笑みをこぼした。……帰りの電車のなかで包みを開くと、彼女のプレゼントは木彫りの猫の置き物だった。手でその猫をもてあそびながら、窓越しの空を眺めると、またぽつりぽつりと雨が降ってきた。バッテリーの尽きたiPodは、佳代の意識をどんな音で埋めることも、まやかすこともできなかった。

「落ち着くところに落ち着くべくして落ち着いた最終巻って感じ。物語の筋を追えば、ここで終るのがいちばんきれいかなって素直に思える。でも、だけど、ちょっときれいにまとまりすぎていて、その点では若干インパクトに欠けるかも‥と、思っちゃうのは、たぶんぜいたくな不満というべきかな。ただこの作品に関しては、始まりから最後までほぼリアルタイムで読んできたということもあって、私個人はいろいろ感慨深い。その意味では、無事にまとまったことを喜ぶ気持のほうが強いかもしれない。」
「長かったものね。一話あたりから丁寧に雑誌で追ってきた作品というのは、我が身の不精さから数少ないけれど、本作についてはその希少な例外となったって感じかしら。そしてまとめて読み返して思うけれど、これはキャラクターのおもしろさで読むべき作品なのかしれないかしらね。ドラマはあるけれど、それは典型的なもので、目新しい点はさほどない。しかし、ただ、登場人物の造詣が多様でよかった。深いキャラは実に興味深い印象を残してくれる。それが本作の美点だったのでしょう。」
「純真ミラクルというけれど、でも私は本作の登場人物がさほど純真とは思ってない。とくに主人公のモクソンに対してはまるでそうは思ってない。モクソンは実に屈折したキャラだった。というのは、彼女は常人にはなかなか理解しがたい複雑な感情の持ち主でありながら、そのことを自覚しておらず、素直に複雑な感情に駆られるがまま、愚直に自分の気持を周囲に吐き出す人物だったから。持て余した感情と善意のあいだで、子どもの部分と理性ある大人の部分を、音楽という才能で覆った歪な人間というのが、私の偽らないモクソンという人の印象だった。その意味では、このキャラほど好き嫌い、合う合わないが分かれるキャラもないのでないかな。ちなみにいうと、私はモクソンは少し苦手。」
「モクソンって、たしか音楽をやるために家を飛び出しているのよね。学生時代は友だちも少なかったっていうし、外見どおりのいい子ではまったくないのよね。その意味では食えない人間だし、底知れない不気味さもどこかある。ま、ずいぶんとおもしろいキャラだったかしら。」
「それと対照的なのが末澤さんで、彼女はすごくよかった。仕事に苦しみ、悩みながらも自分の責務を果そうと尽力し、なおかつ他者を傷つける自分のエゴイスティックな側面に目を避けることができず、苦悩し、それでいながら自分にとって大切なものを守るために、最終的には勇気ある決断をする度胸を有する。‥すばらしい。純真ミラクルの後半の物語はまさに彼女の物語だったといって過言でない。末澤さんはすばらしかった。」
「ある意味、最も常識的な立場にあった人物だったから、彼女の印象はより濃いのでしょうね。そこへ行くと、所長さんと工藤さんの恋愛劇のほうは、多少、物足りない感じが残るかしら。」
「二人とも、ヘタレだったから。‥でも、ちょっと悪口のようなこといっちゃうと、私、この二人が恋人としてやっていく姿がよく想像できないんだけど‥私だけ？　この二人って、二人きりで、一体、どんなやりあいするんだろう。ちょっとイメージが湧かない。うーん‥」
「ま、そこらははてさてね。というか、工藤さんがこの作品のなかで一番できた人で、ある面、完璧超人のようだったから、そういった印象が生まれるのかもしれないかしらね。この二人の恋愛がどう転ぶかは、なんか予断を許さない気がするけれど、それは穿ちすぎといったところでしょうね、たぶん。」
「オクソンもよかった。オクソンはずっとかわいかった！　それだけでよろし！　‥と、ある程度、感想をいったところで、このエントリはおしまい。長い間、楽しませてもらいました。ありがとう。」
「この作品にかこつけて、ブログでもいろいろなことをいわせてもらった気もするかしらね。‥考えてみると、四年間、か。思い出深い作品の一つとなったといえるでしょう。ただ感謝ね。」

　秋★枝「純真ミラクル100%」５巻

「こんなおもしろい漫画があっていいのかって思うくらいにおもしろい。百合漫画って書いてあるけど、でもこの漫画の本質はそんなところにない。‥いや！　別に百合が嫌いとかよけいとかそういうのでなくて！　むしろ私は好きだけど！　大好きだけど！　でもそういう観点から本作を安易に仕分けしちゃうのは実にもったいない！！　‥というのも、この漫画はとてもおもしろい。すごくおもしろい。なんだかさっきからおもしろいとしかいってないけど、この漫画の魅力を上手く言葉にできる気が私はしないから。‥もし、この漫画の作風を意識してやっているというなら、作者は天才。あるいは、もし天然にやっているというなら、作者は大天才！　なんでこんな漫画ができるんだろう。すごくおもしろい。」
「独特な感性とか、個性的な作風とか、そういったステレオタイプな言辞を弄して本作を評価することは簡単なのでしょうけど、しかし本当の意味で、独自性が見られる作品というものはきわめて稀にしか存在しないものであることは確かにいえることにちがいない。‥本作は、絵はとても綺麗で繊細に描かれており、台詞だってそれほど突飛な口調とか内容がほとばしるわけではない。その意味では凡百の作品が描くところの個性とはまるで反対にあるのが本作なのでしょうけど、しかし、この作品ほど独特としか思えない作品もないといえる。いや、こんな漫画、読んだことなかったかしら。」
「すごいよね。何がすごいのかーといわれると、これを説明できる自信がないんだけど、でもとにかくとりあえずすごい。‥たとえば、間の取り方が上手い。漫画という媒体でこんなふうに珍妙というか、絶妙な笑いの様子をかもし出す間の取り方を表現する技は、もう奇蹟としかいいようがない。また、どこかずれている‥というより、何から何までずれているような登場人物たちの持つ、その内面の豊かさは、筆舌に難い。別な言葉でいえば、本作のキャラクターたちは彼女たちが自分の価値観で自分の人生を自分とちがう他者と向い合い生きている、その様がしっかりと感じとれる。彼女たちの繊細で同時に味のある食えない人間性が見てとれる。‥こんなに存在感のある人物たちが躍動する作品はそうそう多くないはず。その点もまたすばらしい。」
「普段は喜劇のような立ち居振舞いをする彼女たちだけれど、その実、自分の人生と生活に確かに足を下ろし生きている実感が理解せられるように描かれていればこそ、物語の動く局面における彼女たちの心理の痛切さ、迫真性といったものは比類のないものになるのでしょうね。その意味では、これほど愛着の湧くキャラクターたちというのも、またとないかしら。」
「なんだかべた褒めになっちゃった。‥でも、余計なことかなって思うけど、一応、補足すると、本作は極端に好きになるか、あるいは極端に合わないかの二つに一つの作風だと思う。好きになる人にはこれほどたまらない漫画もないんじゃないかな。私がそうだったように。」
「真に個性と冴えのある作品というものは、どうしてもそうなっちゃうのでしょうけどね。いや、４巻も心から笑わせてもらった。続きもとても楽しみよ。」

　平尾アウリ「まんがの作り方」４巻

→平尾アウリ「まんがの作り方」１巻、２巻

「アニメをレンタルし出すと止まらない。フリクリ、マクロスF、カオスヘッドと来て、今はあかね色に染まる坂を見ている。なんであかね色？　ええと、これ、そんな興味があったわけじゃなかったんだけど、一話見たら、もう笑いながら楽しく見れちゃったんだよね。この美少女ゲーム的な当たり障りのない奇妙な秩序に支配された無難なドラマがたまらない！って思っちゃって。なんだか好きになっちゃった。しかも、あー‥湊がかわいい。われながら、不覚。‥まさか私がこういうキャラを好きになってるだなんて！って衝撃。アイデンティティ・クライシス。私にもごはんつくって、湊。」
「なんかどれも三年ばかり前の作品ね。あえて放映が終ってから見る必要もないとは思うけれど。時勢から遅れているというものでしょう。」
「数年ほど寝かしてから視聴したほうが、熟していておもしろいの！　‥と、わけのわからないことは置いておいて、マクロスFの感想を一通りまとめておこう。といっても、あまり長文にならない程度に。やたら長いと手が疲れるから。」
「じゃ、短時間で済ませないとね。」
「まずは一言、おもしろかった。これはまちがいない。とてもおもしろかった。でもおもしろいだけだった‥と言葉を付け足すと、なんだか悪口になってくる。つまり微妙な思いが私には残っている。というと、それは何？」
「設定はしているし、宇宙船のなかに都市ができ、そこで生活する人々がいるというディテールの部分は非常に丁寧に作られていたし、その世界観は繊細すぎるほどに練られたものだった。正直、この物語世界の様子を眺めるだけでわくわくしてくるほどなのよね。でも、それだけでは満足できない部分があったということでしょう。」
「要するに、ドラマが物足りない気がした。食い足りないって言葉が適切に思う。‥たとえば、そうだな、ミシェルというキャラクターがこの作品ではおもしろかったんだけど、なぜ彼が一番記憶に残っているのかなっていうと、それは彼という人間のドラマが作品内で完結したからにほかならない。彼が抱えていた問題は描かれ、そして悲恋という形で幕を閉じた。それは悲劇であったけど、ミシェルというキャラクターが果すべき役割、その意味は十二分に表現された。すると、それに対して、そのほかのキャラクターの物語は、どれもこれも決着がつかないままに放置されてしまったという印象を受ける。三人の恋模様が代表的ではあったけど、それ以上に主人公であるアルトの内面のドラマが描かれなかったのが惜しかったって私は思う。彼は家庭内に複雑な心理を持った人物だったけど、結局、それには触れられなかったものね。これはけっこう残念だった。期待してたのに。」
「シェリルもおもしろい性格とそれを形成しただろう興味ある過去を持った人間だったけれど、彼女の扱いも納得行く地点までは進められなかった感じだったかしらね。そしてもう一人のヒロインであるランカは、シェリルに比べると、それほど深い人間性を湛えた人物ではなく、そのためにバジュラとの因縁が用意されたのでしょうけど、これも上手く機能したとは思えなかった。それはなぜかといえば‥」
「バジュラという敵方の存在がよくわからなかった。設定はよくわかったけど、バジュラという敵が持つ作品内での意味がよく呑みこめず、それはつまりバジュラという存在はドラマ性に決定的に欠けた敵役だったということだった。‥これはバジュラが何を象徴し、意味しているかという視点からの意見で、バジュラは人類と意思疎通できなかったために敵対したという話になっていたけど、この対決関係が意味する内容が本作では薄かった。なのでバジュラはさいごまでよくわからない不気味な敵というだけで、ドラマという次元においてはなんら意味を有さない、不気味な怪物という取り立てて魅力のない存在で終っちゃった。実は、私はバジュラという存在の無個性さが、本作のドラマ性を弱める最大の原因だったって気がしてる。」
「マクロスという作品で、もちろん、それほど無茶苦茶な話もできないでしょうし、破綻してしまうのも問題ではあるのでしょうけど、しかし、この作品の持つポテンシャルは、より過激で奇矯なドラマにも十分耐えられたんじゃないかという印象があるのよね。だから、どうにも本作で描かれた物語には小ぢんまりとした感触を受けてしまう。‥と、また長々としたエントリになってしまったかしらね。手も疲れたので、ここらでおしまいにしましょうか。」

「昨日、書こうと思って忘れていたことに、ネットで文章を書くに当り、読み手をどう意識するかといった問題がある。たとえば、ブログをやる上で、PVつまりアクセス数を意識しないというのはまず無理じゃないかな、と思う。私なんかもふだんは話題にすらあげないけど、推移にはそれなりに目を通している。さぼっている間にも一定数のアクセスがあるかと思うと、少し申し訳ない気分もちょっとする。ただPVの規模に関してはいくつか思うことはあるんだけど、詳細に話すのは面倒くさいから、このエントリではしない。‥それで、twitterに関していえば、長らく私は読み手ということは意識してなかった。ただのひとり言、みたいな。そんな感覚。というのも、だって、twitterってアクセスカウンターがあるわけじゃないものね。フォロー、フォロワー数の比率で何かわかる？　でもtwitterに登録してない人でもtwitterを見ることはできるわけだし、それはあまり重要じゃないように思える。かといって、ふぁぼったーとかでふぁぼられ数を気にするのは単に自意識を肥大化させるだけのようにも思えるし、ふぁぼられで重要なのは実はふぁぼられた回数じゃなくて、ふぁぼった人の区別のほうじゃないかなって気がしてる。」
「で、長らく、誰も自分の呟きなんて誰も読んでないだろうと思ってたと。」
「言い切るのは嘘があるだろうけど、でも自分の感覚としてそれは強くあったかな。‥でも、それを言い出すと、同じことはブログにも当てはまることかもしれない。私は自分のブログは誰も読んでないだろうって気分で、どこかしら、書いている節がある。というのは、読み手を意識しすぎると書く意義が失われるようにも思えるし、もっといえば、読み手のために書くといった場合、それもまたただ自意識を無暗に肥大化させていく結果につながるだけのように思えるから。‥となると、読まれるため、あるいは見られるため、もしくは他者に認められるため、といった次元とは別の次元で、ブログを書くことが求められるのかもしれない。同じことはtwitterにもいえるかも‥といいつつ、これは嘘。twitterは快楽を得る場であって、それ以上の意味は、少なくとも私にとっては、ほとんどない。twitter以外の場所でそれに類する快楽が得られるのであれば、twitterを捨てることにもやぶさかでない。」
「そうなってくると重要なのは、twitterの読み方というか、twitterにおけるリテラシーみたいな考えなのかしれないかしらね。おそらくこの手の話はネットのどこかでされているでしょうし、何かしらの本もあるにちがいないでしょうけど、はてさて、勉強不足でどうにもそういう方面には疎いのよね。ま、あまり興味がないといえばないけれど。」
「それじゃ気ままな雑談のさいごにさいきん私が読み返している本の話。‥論語は誰でも読んだことのある本だと思うけれど、下村湖人の『論語物語』は、論語を物語に構成しなおした一冊として、とても読みやすい部類に属するものだと思う。ただ論語ってとてもさまざまに解釈されてきた本で、下村湖人の解釈が一概にいいとはいえない面もあるんだけれど、でもそれでも、読み物としては十分おもしろいと思う。下に引用する箇所のテーマは、ずばり隣人愛だと、私は考える。」
「ここは子路と顔淵を相手に、各々が自分の理想といったものを語っている場面なのよね。子路と顔淵の答えに対し、孔子が自分の志を語る。ここはなかなか味わい深い箇所じゃないかしら。」

『「先生、どうか先生のご理想も承らしていただきたいと存じます」
　孔子は、子路が顔淵に対してすらも、その浅墓な自負心を捨てきらないのを見て、暗然となった。そして、深い憐憫の目を子路に投げかけながら、答えた。
「わしかい、わしは、老人たちの心を安らかにしたい、朋友とは信をもって交わりたい、年少者には親しまれたいと、ただそれだけを願っているのじゃ」
　この言葉を聞いて、子路は、そのあまりに平凡なのに、きょとんとした。そして、それに比べると、自分のいったこともまんざらではないぞ、と思った。彼のいらいらした気分は、それですっかり消えてしまった。
　これに反して、顔淵のしずかであった顔は、うすく紅潮してきた。彼は、これまで幾度も、今度こそは孔子の境地に追いつくことができたぞ、と思った瞬間に、いつも、するりと身をかわされるような気がしたが、この時もまたそうであった。彼は、自分が依然として自分というものにとらわれていることに気がついた。
　先生は、ただ老者と、朋友と、年少者とのことだけを考えていられる。それらを基準にして、自分を規制していこうとされるのが先生の道だ。自分の善を誇らないとか、自分の労を衒わないとかいうことは、要するに自分を中心にした考え方だ。しかもそれは頭でひねりまわした理屈ではないか。自分たちの周囲には、いつも老者と、朋友と、年少者とがいる。人間は、この現実に対して、ただなすべきことをなしていけばいいのだ。自分にとらわれないところに、誇るも衒うもない。――彼はそう思って、孔子の前に首をたれた。』
　　下村湖人「論語物語」

　下村湖人「論語物語」

「ブログを書かないのは精神の堕落、それとも知的な怠慢？　でも毎日欠かさず長文エントリを書くのは何かの心の病気の発露なのかも。でも、それとて、twitterでぶつぶついってたら同じじゃない？　結局、何ごとかを吐き出す場所が必要なだけであって、それは掲示板でもtwitterでもmixiでもブログでも同じなのかもしれない。つまり、実生活の流れのなかで到底いえないことをぼそりというところを欲しているっていうか。‥でも、といっても、ブログとtwitterが同じような場とは思えない。少なくとも、性質をまったく同じくしているものとは思えない。じゃ、そのちがいは何かなと考えると‥」
「ブログを書くのは大変ということかしらね。」
「大変だよねー！　‥でも、じゃ、なんで大変？　卒業とか引越しとかなんだかんだの生活環境の変化でブログをやめちゃうという話はよく聞くけど、twitterはそういった外面的な変化でやめるということはなかなかないような印象を受ける。そこにたぶんブログとtwitterの差異がある気がする。それもけっこう本質的なちがいが。」
「それは‥twitterは即時的、インスタントというところでしょうね。」
「インスタントに何を得る？」
「要するに、快楽を。」
「文章を書くこと‥ではなくて、たぶん人と交流することの直接的、即時的、瞬間的な快楽を獲得する。twitterはそれを容易に可能とする。呟きというのは、文章というのでも、ないものね。呟きと、それに連続して紡がれる諸反応の連鎖が、つまり目に見える快楽の図式であって、twitterは私を気持よくしてくれる。そこには画面にあらわれる最も簡易な全能感の図式が表現されるのかもしれない。‥対して、ブログは？　これは面倒。単に私が長文になるだけだからかもしれないけれど、まとまった文を書くのは骨が折れる。それに、こんなにネットでいろいろ書いていていうのもあれだけれど、私、キーボードで文章書くの好きじゃないんだよね。コクトーが「散文は歩行である」といったように、文章を練る人の思考は身体と連動し、それはきわめて時間のかかるもの、時間と神経と精神を費やさなきゃいけないものだという直感がある。というのも、人は脳と目だけでなく、身体と心とによって物事を考え、理解し、創造するのだから。フランスの現代詩人ミシェル・ドゥギーは、この時勢だからパソコンは使うけれど、仕事は紙に文字を書くことによってしか行なわないっていっている。私も、ネットにあげてるのは二次創作の類ぐらいだけれど、それらは一端ノートに書いて、それからパソコンに写している。それが一番効率がいい。‥と、なんの話だったかな。でもいいや。話が散漫になったところで、おしまい。」
「本当はみつどもえの二次創作をあげようかと思っていたけれど、難しいのよね。好きな作品だから。案外、好きじゃない作品のほうが二次創作はできるのかもしれない。というと、東方やけいおんはそれほど好きではないってことかしら？　ま、愛憎いろいろあるのかしれないでしょう。はてさてね。」

　今回はアリスの話でした。人形は個人的に昔から関心のあるテーマの一つで、書いていて楽しかったです。いろいろとオカルティズムもまじえられたし。でも思ったより長くなりました。時間も案外かかった。

　「パチュリーのたまには動く大図書館」はまだまだ続きます。次は早苗の話かな。

　では以下にちょっとしたコメントを。

#1
・ユイスマンス…ここの引用は『さかしま』から。蘭は図書館に持ち込んだら、においがすごそう。
・人形への固執…人形作家である四谷シモンは人形とは何かと考え続け、ついには人形は人形だということを悟ったといっていた。わけがわからん。

#2
・エジプトの人形…逃げられないように足のない人形があったりと、人形の象徴的な意味性は考えれば考えるほどおもしろい。デカルトが人形を娘のようにかわいがったという話は有名だし、子どものいない老夫婦が一体の人形と常に行動を共にしたという話もある。ところで最近「カオスヘッド」ってアニメを観てるんだけど、主人公がフィギュアに話しかけていた。あれもけっこう意味深といえば意味深。というか、アニメもまた人形を作り続けるメディアともいえる。

#3
・コントラ・トリニタス…権力と叡智と愛を表す聖三位一体に対応する魔王ルシフェルの三位一体は、無力と無知と憎悪を表すという。Contra-Trinitasと書く。ボッティチェリのデッサンではこんな具合。

・ホルトゥス・デリキアルム…ラテン語で「逸楽の園」を意味する。作者はヘラデ・フォン・ランツベルク。本物は別に呪われた書物でもなんでもないので安心。
・魔法使いは最強…パチュリーの考え方は、どんなに相手が強くても核爆弾作って投げれば勝てるんだから、核爆弾作れる自分が最強というのに似ている。時間と手間を考えると限りなく非現実的だけど、パチュリーは本気でそう思っている。パチュリーが語り手なので見えにくいが、そこにパチュリーの強さと狂気がある。

#4
・グリル「足男」…有名なのはヒエロニムス・ボスの「聖アントニウスの誘惑」に出てくる「足男」。画像中心に位置する喘ぐ聖者の眼前にいる頭と足しかないこの存在の異様なリアリズムはなんなのだろうか。


#6
・至高天…天国の最上層。そこは光の大河が丸い湖のように広がっていて、天使と祝福された人々が薔薇の花のように円をなしており、十字架によって分断された中心には一輪の薔薇が咲いているという。

――そは万象における完全なる父なり。その力は大地の上に限りなし。汝は、火と大地を、精と粗を、静かに巧みに分離すべし。そは大地より天に昇り、たちまち降りて、優と劣の力を取り集む。かくて汝は全世界の栄光を己がものとして、闇はすべて汝より離れ去らん。そは万物のうちの最強者なり。すべての精に勝ち、全物体に浸透するが故に。かく、世界は創造せられたり。かくの如きが、示されし驚異の変容の源なり。かくて我は世界霊魂の三部分を備うるがゆえに、ヘルメス・トリスメギストスと呼ばれたり。

　『エメラルド・タブレット』の文言が私の周囲を取り巻き、やがて光り輝く文字は円環を取るよう配列していき、ついには宇宙蛇ウロボロスの模様を成した。アゾット石を吸収した私の身体は仄かに真紅に光り、かすかな熱を発し続ける。紫はそんな私を注意深く見つめ、一定の距離をとりながらも、しかし臆することなく、昨晩私を両断した空間を穿つ光の線を走らせた。その軌跡は通常なら私の肉体を無造作に横断し、精神を迷妄へと誘う力を秘めているのだろうが、今の私の前には無力だった。赤く輝く私の肌に触れるか否かといった手前まで接近したとき、跡形もなく境界の切れ目は煙のように霧散する。それと時を同じくして無数の目玉が私を取り巻くよう出現するが、しかしそれらは私を視界に収めた瞬間、太陽の激しい熱に直接焼かれたかのように、苦しみ悶えながら消滅していった。
「……錬金薬「エリキシル」。」
「そう。……もうあなたは私の境界を認識できない。あなたの攻撃は、私にたどり着く前に、焼け尽きる。」
　私が手をかざすと、この場の物理法則を歪めていた紫の境界の能力はことごとく無力化され、もはや紫は武器を奪われたに等しかった。現と幻が奇妙に混在した迷いとイカサマの支配するカオスは消え去り、そこにはただ丸腰の妖怪がいるだけだった。
「あなたの境界の能力は決して無敵の能力ではない。もし本当にこの世界のありとあらゆる境界を意のままにできるのであれば、月の民でさえあなたの敵ではないはず。……あなたはあなたの認識できる境界しか、操作できないのよ。逆にいえば、あなたはあなたの想像を越えた存在を相手にしてはどうしようもできない。だから、私はあなたの想像を振り切った。なぜなら、あなたは誰かの想像と願いの上に成り立つ妖怪なんだから。」
「……錬金術は賢者の石により不純な物質を完全なる物質へと変成させることを目指した技術。当然、そのアナロジーは術者本人にも適用でき、賢者の石を服用した人間は、完全な身体を得ることが可能だという……」
「そのとおり。……ただだけど、まだまだ試験段階のアゾットだから、仮初の効果が得られるだけね。あなたの能力を無効化できるくらいで、蓬莱の薬には程遠い。」
「ふふふ。すばらしい。……でもそれだけでは私の刃を防いでいるに過ぎない。私の刃はあなたに届かないといえど、あなたの刃が私に届くわけではない。」
「それはそう。単なる魔法なら、インチキ極まりないあなたには通用しない。……だからこうやって工夫するのよ！」
　そういって私は咲夜愛用の銀のナイフを所構わず周囲に投げつけ、そして同時に薄く灰色に濁った岩石の欠片の納められた小瓶を宙に掲げ、そこに能う限りの魔力を注ぎ込んだ。
「とっておきのサイレントセレナ！！」
　小瓶に込められたのはこっそり持って帰っていた月の石の欠片であるイルミナイト。そこから放射される青白く凝縮された月の光は天に霞む月光と重なり、月の属性を示す銀のナイフを無数の槍と化し、紫目掛け、雨あられと降り注いだ。私の用意できるなかで月の性質を表現できる最高の媒介を二つ用いた魔法は、月の呪力の前に二度も膝をつくこととなった境界の妖怪を幾度も串刺しにしていく。穢れ深き地上の妖怪を代表するかのようなこの妖怪にとって、月精の加護を受けたこの魔法が通じぬ道理がなかったのだ。
「……お見事。……ですが、あなたも限界のようですね。」
　全身を膾のように切り刻まれ、血の海に沈んだ紫が、しかしそんな傷などどうでもいいというかの如く、意識が朦朧とし、危うく地面に墜落しかけた私の身体を受けとめた。すでにアゾット石の効力は消え、鈍い痛みが全身に広がっている。赤い発光はもう収まり、ひどい頭痛がし、嫌な汗が全身を流れていた。
「不完全なアゾット石はすでにあなたの魔力をほとんど食らい尽したようですね。……ここから私があなたをくびり殺すのはたやすいでしょうが、しかし、パチュリー、私はあなたの知恵と決断と度胸に敬意を評し、今回の異変からは退きましょう。……アリスを救う方策はあるのですね？」
「……当然でしょう。私はパチュリー・ノーレッジ。幻想郷に並ぶもののない大魔道師よ。」
「わかりました。――では、パチュリー、私の力もあなたに預けます。今ここからアリスの心へと境界を開く。手を伸ばし、さあ、アリスを引っぱり出してあげなさい。」

――私にあなたの心はわからない。私は心理学者でも、まして覚でもないんだから。言葉で伝えてくれなきゃ、わからないのよ、アリス。
――私は私が欲しかった。別の私がいたら、もう一人の私が手に入れられたら、私は可能性を得られるから。
――可能性？
――妖怪じゃなく、人間として死ねた、私の可能性……
――その気持はなんとなくわかる。後悔って、いうのかな。
――…………
――でも、そうね、それより、たまにはお茶でもしにいらっしゃい。
――……え。
――あなたのクッキー、おいしかったから。愚痴くらいなら、いつでも聞くから。
――パチュリー……
――私はここにいる。そしてあなたはそこにいる。手を伸ばせば、届くから、さあ、ほら、手を伸ばして……――

　私の指先が冷たくかすかに震えているアリスの手に触れた気がした。もう少し、もうちょっとだけ腕を伸ばせば、ほら、届く……私は彼女の手をつかむ……でも力が感じられない。彼女の手にはどこかためらいが感じられる。アリスの手のひらを、私はぎゅっと握り締める。力と、思いを込めて。そして……それから……おずおずと私の手を握り返す手ごたえが感じられる。私は思い切って、その手を引き上げた。

「……パチュリー！」
「さあ、クライマックスよ！！」
　そこは魔法の森を抜け出た先にある湖の上空。煌々と照り輝く月を下に、もはやアリスの姿を留めていないグリル「足男」がその奇怪な容貌を顕わにし、邪悪な気を発していた。洋服や髪の毛といったアリスが人間らしくするために人形に施した工夫はすべて剥ぎとられ、骨格を成す木組みのみが残存している。ただ腕はない。なぜならあのグリルは頭と足のみで躍動する悪魔なのだから。そしてそんな足男を前にし、その呪いの拡散を防ぐべく、レミィと幽香が絶え間なく攻撃を仕掛けていた。しかし中世以来悪魔として扱われてきた歴史を背負う足男の呪力は桁違いであり、彼女たちの力でさえも阻まれてしまう。このままではいつかレミィたちも足男に取り込まれようかという状況のなかに、私とアリスは遥か上空から大地へと疾走した。
「レミィ！　幽香！　今から至高天の薔薇を描く！！　あとは手はずどおりに！！」
　そう叫び、私は最後の奥の手、アゾット石と純金からのみ合成されうる錬金術の奇蹟の到達点である「賢者の石」を湖の上に揺らいでいた足男へ向かって、なけなしの魔力を込め、投げつけた。わずかばかりの力であったが、賢者の石はそれでも弾丸のように飛び、七色に輝きながら、足男を中心にダンテの『神曲』天国篇に表現された、想像する限り最高の浄化の力を発揮する至高天の薔薇を、魔力を数百倍、数千倍に増幅させながら、展開した。降臨した聖なる力は足男の呪いを幾重にも封じ込め、周囲に撒き散らされていた邪悪な力をことごとく昇華させていく。
「幽香！！」
　私の声に応じ、大地に深く腰を落とし、展開した傘をあたかも大砲のように構えた幽香が、渾身の光線を足男目掛け撃ち放った。そのあまりに巨体な熱と光の軌跡は夜を昼以上にまばゆく染めあげ、地面を抉りながら足男との距離を一瞬で詰め、その光の粒子のなかにグリルを押し流していった。
「レミィ！！」
　重力の存在を感じさせないかのような猛スピードで彼方の天空に舞い上がったレミィの手には、どんな夜より黒く無骨にそびえる、レミィの体躯より倍も巨大な羿の弓が握られていた。そしてその弦にかけられるは、レミィの力により具現化される神槍「グングニル」。たなびく雲の上で翼をはためかせ、地上へと弓をつがえたレミィの気は一際大きく膨れあがり、吸血鬼の膂力によってのみ引き絞られるだろう強弓から、次の瞬間、極限にまで収斂された太陽さえ殺す一撃が、大地を穿っていた。
「……っ！！」
　間髪入れず衝撃波が私たちを襲う。羿の弓の一射は大地にクレーターを作るほどで、その奈落のような穴からは煙が漂い、もはや足男は原型さえ残していなかった。残骸とも呼べないだろう粉々になったわずかな部分が、しかしそれでもなお、呪いの気をかすかに漂わせている。
「……精神体である悪魔を完全に殺すことはできない。それにアリス、あのグリルはあなたの感情を食ったため、あなたの心そのものと分ちがたく結びついている。あなたを殺さない限り、足男はこの世から消えない。」
「それじゃ……」
「ここから先はあなたの力で決着をつけるの。あなた自身の力で、あなたにしかできない技で、人形遣いのあなた以外には不可能な方法で。……あなたも魔法使いでしょう。なら、意地を見せなさい！」
　私の言葉に、アリスは静かに眼を閉じると、それから意を決したかのようにこくんと頷いた。開かれた彼女の目には強い意志が宿っており、彼女は手を空にかざす。するとそこから黄金の滝ともいうべき魔力で編んだ糸の束が広げられていった。それは普段のアリスならここまで強い力は乗せないだろうという、人形遣いである彼女の真骨頂、人形を支配し操作する魔法の糸の集合であり、それらはまるでオーロラのように空にかかり、静謐に大地に溢れ、足男の存在そのものを縛っていく。金色に紡がれる糸の一本一本が、強靭な決意でもって、彼女の心を一時は食らい尽くそうとした闇の力を、今度は反対に支配しようとし、拘束していく。足男の命を、手中に納めていく。

――そう、アリス、悪魔になんて殺されるな。逆にあの悪魔の力を自分のものにしてしまえ。

　光りたなびく黄金の糸が、そして次第にアリスの手もとに収束していった。……気づくと、もう、夜明けは近い。そしてすべては終っていた。昇り行く太陽を背にし、美しい、私でさえ見惚れてしまうような美しい、グリルを承伏した人形遣いの姿が、そこにはあるだけだった。彼女のまぶしいまでの笑顔が、黎明のなかに輝いていた。私もアリスに、とびきりの笑顔を向けていた。


　　おしまい