2011/06/30/Thu
「今日はちょっと恥ずかしい話。いや、といっても、別に何かエッチな話や萌え萌えな話題をするというのでなくて。というか、その手の話っていつもけっこうしてるものね。萌えって言葉けっこう私使ってるし、私はほらこのとおり気安いし。‥でもときおりオフ会なんかで人に会うと、硬派でちょっと怖いって思ってましたって人にいわれることがあって、なぜなぜって私は疑問に思っちゃう。プラトンパンチとかお花畑とかいってる人間のどこが怖いのかー硬派なのかーって自分では思うんだけど、でもたしかに私がクールなのはいかんともしがたい厳然たる事実だから、クールな雰囲気の余波が、そのオーラが、私をして孤高の様子を身にまとわせることになっちゃってるのかなって思う。これは自重しなきゃ。‥って、なんでですかー。」
「いや、本題からどんどん話がずれていってるけど。‥恥ずかしいから話を逸らしているのかしら?」
「‥ごめんなさい。私、ちょっとまちがえてたことに気づいた。」
「はてさて、何を?」
「Un livre, si triste soit-il, ne peut être aussi triste qu'une vie. もう何回もこのブログで引用したからご記憶の方もいると思うけど、これはアゴタ・クリストフ、
Le troisième mensonge, 邦訳では「第三の嘘」とされているものからの引用なんだけど、これの日本語訳がちょっとおかしかったかなって、今日の、ああもう日付変わっちゃってるね、二十九日の十四時十分くらいにふと気づいたんだ。なのでそれについて釈明したいんです‥」
「訳した文は、「一冊の悲しい本があるとしても、それは一人の人生ほどに悲しくはない」と「悲しい本があるとしても、人生と同じくらいに悲しいことはありえない」と「悲しい本があるとしても、人生ほどに悲しいことはありえない」という三つね。ま、大体、どれも同じ訳と考えていいでしょうけど‥」
「あー‥うん。これはsiの意味が出てないなって思った。私、これ、三つとも、ただ仮定の意味でだけ訳出していたけど、でもここのsi triste soit-ilは、si+接続法なわけだから、本当なら、譲歩として意味を取らなきゃいけない。だから、正確には、「一冊の本は、どれほどそれが悲しいものだとしても、人生ほどに悲しいということはありえない」というものになる。後半はaussiの否定なので、「~ほど~でない」でオッケー。‥今、気づいたけど、一番最初の訳は「悲しくはない」ってなってるけど、でもpeut êtreがあるから、やっぱり「ない」とするより、「ありえない」とするほうがいいよね。これも誤訳かな。」
「ああ、ま、そうよね。そう。なんで気づかなかったのかしら。」
「あー‥うー‥ごめんなさい! まちがえてた! なんてミス! 私が、こんな、誤りを、する、だ、なんてー‥。‥うそ。こんなまちがいをするほど私なんてだめだめなんですよー。ってなんでですかー。というか誰か教えてくれてもいいのにー。ここちょっとちがうんじゃないですかってコメントで教えてくれればいいのにー。それかもっと穏便に済ませるなら、web拍手かメールでこっそり私に知らせてくれて、それで私はこっそり訂正して、これで私は威厳を保ったまま、何食わぬ顔で、クールな風を装っていたのにー。‥ごめん、嘘。そんなのはせこいので、そんなのはプラトンパンチをくらへーだ。私が悪いのです。」
「相変わらず、言い訳、長いのね。」
「私は言い訳が好きだから。‥って、なんでですかー! 好きじゃないよ! こんなのぜんぜん好きじゃないよ! まちがえないのが一番だよ!」
「‥ま、強調の「どれほど」があるかないかという問題だけど、これはあったほうが適切なのでしょう。文学を勉強するということは言葉を勉強するということなんだから、それを雑に扱ってはならないでしょう。このエントリはあとがきのエントリにリンクでも貼っておきましょうか。」
2011/06/29/Wed
「ゆっことみおちゃんのことで胸がいっぱいで、このあふれんばかりの思いを形にしておきたいなって思うんだけど、でも形にするっていうと私の場合、じゃ二次創作でなんか小話でも書こうかなってことになるほかない。けれど、ここのところ、われながら不覚であまりほかのことをする時間が確保できなくて、しかたなく、今日もエントリの枕詞として、みおちゃんとゆっこはいつも仲よしで楽しそうで実によろしという話をすることで、なんとか私は溜飲を下げるのです。あー‥アニメのエンディングテーマは次の木曜日に買ってこよう。今、決めた。そうしよう。」
「二次創作をするのはある程度まとまった時間は必要なのかしらね。ドストエフスキーも、たしか書簡で、仕事をするには静かで誰にも邪魔されない時間が求められると書いていたように記憶しているけれど、しかしドストは借金だの締め切りだので静謐な時間など許されたことなどほとんどなかったのだから、ま、なんだかんだでやる気よね、この種の問題って。いや二次創作しろと早めているわけじゃないけれど。」
「そのうちするよ! ‥するかも。たぶん。おそらく。でもしないかも。わからない。‥さておき。‥ブログとtwitterだと、私の実感として、twitterのほうが時間がとられる印象があるけど、どうなのかな。twitterだと他人の存在が可視になるから、いつまでもだらだらって続けてしまいがちになっちゃう気がする。それに対し、ブログの場合、エントリをきっちりと書かなくてならなくて、それでその文書を作成している時間というものは、基本的に個人の世界にこもるわけだから、エントリに費やす時間というものは限られるし、コントロールできる種類のものといえる。つまり何がいいたいかというと、案外、ブログは効率的な手段であるのかも。」
「何の?」
「ネットで表現するための、とか。」
「掲示板をする趣味はないから、そちらだと時間の管理というか、どれくらい暇な時間を費やしてしまうものなのか、知らないけれど、しかし調べてみたら、もしかしたらおもしろい結果が出るかもしれないかしらね。ま、これは雑談よ。」
「それじゃ今日の本題。いや本題というほど大げさなものじゃないんだけど、なんていうのかな、恥ずかしいんだけど、今朝、
紫の人に緒花さんがいかにかわいいかについてのレクチャーを受けるって夢を見たんだ。わ、恥ずかしい。なんて恥ずかしい夢。これ寝る前にtwitterとか眺めるからこんなことなるんだよ。」
「潜在意識がそれを求めているのかしら。」
「そんなばかな! ‥だって、こう、あれ、あー‥なんていえばいいのかな、こう、裸にワイシャツ姿の、寝起きの、緒花さんで、こう、シャツについた皺がいいとか、袖口でできる影の形がいいとか、なんかそういうことばかり指摘されたんだけど、夢のなかで。‥っていうか、これってセクハラじゃない!」
「へえ。‥潜在意識がそれを求めている、か。はてさてね‥」
「ちがう! ちがうよ! 私そんなのそんなに求めてないよ! 欲してないよ! 欲求不満とかじゃないよ! ‥緒花さんがかわいいのは、それはそれで認めるにやぶさかでないけど、でも緒花さんってすごく厄介っていうか、困っちゃう性格の人じゃないかなとは、けっこう思う。たとえば十三話も見たけど、彼女のキャラが強すぎて、良くも悪くも、彼女の印象のインパクトにほかのキャラが隠れている。」
「主人公としては申し分ない器量があるということなんでしょうけど、しかし彼女も人の話を聞かないというか、暴走気味というか、落ち着きがないというか、なんていうのかしらね。いや、落ち着きがないという表現でぴったりでしょう。」
「勝手に暴走して、勝手に落ち込んで、いつの間にか復活してる。緒花さんに限っては、空気が読めないなんて軽い言葉で彼女の性格を言い表すのは適当でない。緒花さんは空気を読む読まないという繊細な事情など意に介さず、一方的な腕力でもって、周囲を支配してしまう。その様はカリスマと紙一重といっても過言でないかしれないかな。」
「が、しかし、それは独善的だということでもある。実際、それでみんちあたりにはいろいろ迷惑をかけているのでしょうけど、しかしみんちではどうやっても緒花には敵わないから、問題は明らかにはならない。もちろん緒花が善意の人だというのは承知しているけれど、でもそのやさしさのために、押しの弱いみんちは彼女の影に隠れざるをえないのでしょうね。‥いやはや、緒花さんの家系は、なんでこう強いのかしら。一歩下がって眺めているのが一番でしょう、これは。」
2011/06/28/Tue
「みおちゃんとゆっこがかわいくて、生きてるのが楽しい。‥というか、というか、あれだよね、麻衣ちゃんも独特の魅力にあふれていて見ていて楽しいけど、麻衣ちゃんは基本ぼけるから、その意味で麻衣ちゃんが登場する回は良かれ悪しかれ麻衣ちゃんが中心にならざるをえなくなる。そこへいくと、ゆっことみおちゃんの掛け合いには幅を持たす余裕があって、原作でも描写は必然的に多くなる。‥つまり、何がいいたいかというと、みおちゃんとゆっこで妄想する材料に事欠かないってことなんです!!」
「‥いや、そう力説されても困るんだけど。」
「もうもうみおちゃんとゆっこが素敵すぎて私は困惑しちゃう! いや困惑なんてしてる場合でない!! かわいい、ただかわいい。‥ああ、これなんていうのかな、とにかくゆっこのキャラがいいよね。こういうのなんて考えればいいのかな、あれだね、天然誘い受けって奴だね! ‥天然誘い受けなんて言葉、生まれて初めて使ったよ、私!! この私にこんな恥ずかしい言葉を使わせるだなんて、さすがゆっこ、恐ろしい子‥!!」
「なんかもう、何がなにやら、はてさてね。ま、「日常」のコミックスが非常にクオリティの高いギャグを維持しているという点で、すばらしいものがあったという感想は持ったけれど。やはり、喜劇というものはいいものね。こういった笑いを表現してくれる作品は、日々に張りをもたらしてくれるから、楽しい限りよ。」
「閑話休題! ‥ところで、話が急に変わっちゃうんだけど、最近またウィトゲンシュタインの概説書を読み返していて、ふと気になった一節というのがある。それはウィトゲンシュタインが西欧文明における科学技術の発展について深い違和感を覚えていたとするもので、こう書かれている。すなわち、「ウィトゲンシュタインは、科学や科学技術そのものに反対しているのではあるまい。かれはもともと工学者だったのであり、かれが哲学に転じたのは何も工学者であることに幻滅を感じたからではない。科学や科学技術の場面においてひとが取る態度や方法を、それがふさわしくない場面に持ち込むこと、これこそがかれが反対することである。」、というの。」
「また「日常」が萌え萌えだという話題から一気に話が飛ぶことと嘆息するけれど、その科学に対する見方というのは今日においてもなお、いや今日であればこそ、より深い視点を提供しているようにはまず思われるかしら。科学的な見方、理系的なものの見方が論理的だと早合点されがちだけれど、しかし論理とはそう狭いものでもなく、科学における論理が即時的に人間の一般的な生活においても妥当であるとは限らない。いや、逆にそれが非常に不自然になる場合も多々ある。こういった齟齬や勘ちがいといったものは、ある一分野の論理に浅く浸かった場合に、より顕著なのかもしれないかしらね。」
「なんでいきなりこんな話をし出したのかーって疑問に思われるかもしれないけれど、実は今日、ある講演を聞きに行って、それでそこでのテーマが人間の生活に根ざした視点と科学的な客観的視点の差異、そしてその主観と客観の二つに潜むレベル、というものだったから。‥もちろん、この話は難しいので、エントリでさらさらと書いて、考えを終りにするつもりはない。ただ何かな、世界は偶然と必然だけでなく、偶然とも必然ともつかない事象によって、大部分を支配されているといえる。そのとき、科学的なものの見方、すなわち必然を求める態度は、ある障害となる可能性を秘めている。‥と、そんなことを少し考えていたので、非常に雑でわかりにくいと思われるけど、一応、エントリに残しておく。このテーマは、後日、また書いてみよう。」
「偶然でも必然でもない事柄。それはつまり、絶対に起るとは断言できないけれど、しかし起ったからには多くの要因が潜んでいると考えられる事態、とでもいうものかしらね。偶然は、起るかどうか、わからない。必然は、必ず、起る。そのどちらでもないことというものは、起るかどうかはわからないが、起ったからには、必ず理由が存在する。‥と、はてさてね。雑多なエントリとなってしまったかしら。読みにくいしこれだけじゃ無駄なメモに過ぎないけれど、ま、ブログだし、そこは勘弁してもらうとしましょう。」
飯田隆「ウィトゲンシュタイン 言語の限界」
2011/06/26/Sun
「最終話に限ったことじゃないけど、本作は非常に感傷的に作られていて、それが私には苦手に感じられる。途中、何度も見切ろうと思ったのは、この作品が示す感情の、ある意味、狂乱的なまでの吐露に耐えがたい思いを抱いたからだし、同じ理由で「花咲くいろは」も、生の感情をいささかの躊躇なく露出するという点で、私にとってそれほど心安らぐ作風でない。もちろん、とはいっても、感傷的であるということが本作の題目であること、本作の目指すものであることは十分に理解しているので、そこでこの作品を非難するということは安易に過ぎるのだろうと思う。ただ私にはこれほどまでの感傷はつらかった。ただつらかった。」
「吉行淳之介の、
青春は一オクターブ高いものだという言葉を思い出すところかしらね。良くも悪くも、本作は青春の陰湿な部分を見つめた一作で、ある程度、感傷的になってしまうというのは不可避というべきなのでしょう。この感情の流露、抑えがたいエネルギーの力といったものは、否定できないものがあったのは事実でしょうから。」
「陰湿な部分を深く切り取ってくれたという点では、この作品はなかなか比肩すべきほかのものがないようにも思えるかな。その筆頭はゆきあつで、彼はすばらしかった。彼が死んだ想い人を忘れられず、女装をしていたという設定は稀に見るものだった。この点は、私は惜しみなく絶賛する。彼の女装を、ただ変態といって笑うのは、単純に過ぎる。変態であることに悲しみがあるのでなく、彼は悲しみから救われたいがために変態行為をする。ここに性の、命の、人の意識の不可思議さ、神秘があり、そして言葉にできない深い悲しみがある。ゆきあつの造詣はすばらしかった。性が人間の心の表出であるという真実を描写した。己にも未知である心という暗闇を、ゆきあつという人間は示している。」
「突き詰めて考えれば、変態や異常性欲という言葉はむなしいものかもしれない。性欲にある規範を求めるなんて、ナンセンスでしかないのかもしれない。しかし、自分が変なことをしているという自覚があり、その意識から逃れられず、されどそれをしなければならないという強迫観念のもと、ただ悲しみというくびきに泣きつづけている。‥いや、これをもっと直接的に描けば、もっとすごくはなったのでしょう。しかし本作は綺麗なアニメであるから、そこまでは行けないし、行く必要もない。これはこれでいいのでしょう。」
「正直にいうと、私はめんまが好きでない。ただただ呪いであったと思ってる。じんたんも、だから、そんなに好きでない。めんまは彼の見える幻影だって、そのほうがずっといいだろうって最後までそう考えていた。最終回を見ても、めんまはただの妄念だったのだろうって気がしている。もちろん、妄念であることが悪いわけでない。妄念に捕えられ、心を死なしてしまうことは悪いことだとは思うけれど。その観点からは、ぽっぽがもっともめんまが妄念であることの理由を提示していた。死という呪いが、いかに無であるかを、ぽっぽの悲痛な叫びが証している。」
「ぽっぽという人間にはどこか偽善的な側面が見え隠れした。もちろん非難する意味ではないけれど、なんていうのかしらね、無邪気な偽善とでもいうものがあった。それがすべて罪の意識に根ざしたもので、過去のたった一度の記憶が彼の生き方を狭めていた、決定していたと思うと、ああ、めんまは呪いね、彼女の存在はなんて重いものだったのかと嘆息せざるをえないかしら。‥死は無といえど、生きている人の意識に、死は変わらず、死の理由を問うている。人の心は死に意味を欲している。そして、死は、常に意味を教えてしまう。生者に死の理由を、告げてしまう。これはなんて苦しみの物語であるかしら。」
2011/06/25/Sat
「ミルキィホームズもこれで最終巻。さいごはどんな話だったかなって楽しみにしていたんだけど、特典のジャケットを見て、驚愕。コーデリアさんとエリーが両手をつないじゃって笑顔で、なんか、こう、きらきらしちゃってるんだけど‥! ‥ああ、なんていうんだろう、こういうの、なんて形容すればいいのか‥表現すれば適切か‥私は知ってる‥私はこういう感情を知っている‥まさしく! すばらしいお花畑‥!!」
「最後の最後で、また、やってくれたのかしらね、ミルキィホームズは‥」
「素敵‥! なんてサプライズ、感動しちゃった‥。なんでこう毎回、一々、来るたびごとに、私の琴線をいたく震わせてくれるのだろう、ミルキィホームズは‥! いつもいつでもいつまでも、みんなかわいいお花畑でいてね、素敵。‥と、感極まったところで、あらためて最終話まで視聴し直してみたんだけど、エリーって、なんだろう、側にいる人だれにでもくっついちゃうよね、コーデリアさんとかネロとか、なんか近くにいる人の服をつまんだり手を握ったり。‥すると何? たとえば私がエリーの側にいたら、エリーは私の手を握ってくれるの? ほんと? ‥何それいやらしい! 素敵!! エリーってばいつもそうなんだからこの子はまったくなんて魅力的な緑なのかー。緑は目にやさしいし、まったくいいことばかり! ‥何をいってるんだ、私!!」
「ミルキィホームズでとち狂っちゃったのかしらね。っていうか、もうどれほどミルキィホームズにはまっているわけよ。最終巻が出たってことは少なくとも
半年以上はミルキィホームズに夢中になっているわけだし、いや一度はまるとしつこいのね、ほんと。」
「一途っていって! しつこいじゃなくて一途って! 私は一途なの! ‥そもそも、アニメ放映当時はそれほど熱中していなかったのも事実。ただ何かな、去年の大晦日、こたつで眠っていた私の脳裏に、この精緻で深遠でクールな脳細胞に、突如、私のミルキィホームズ‥私のお花畑‥ってフレーズが、まさに天啓の如く、舞い降りたんだよね! すなわちそれが始まり。レジェンドの始まり。ところで今回最終話を見てたら、私のミルキィホームズ‥って台詞はアルセーヌさまのものだったんだ。さすがアルセーヌさま、ルパンやばい。ミルキィホームズにはまりすぎ。」
「‥まあ、こういうばかなエントリでいうことじゃないでしょうけど、いろいろあった半年だったかしらね。今もこうしてミルキィホームズを見てきゃっきゃと笑っていられるというのも、不思議なものね。」
「うん。‥さておき、お話の感想を少ししておくと、この作品はだめだめな人間がすごい超能力を持つ、というところがミソだと思う。強い力、他者をどうにかできてしまう能力を持つものは、弱いもの、つらさや苦しみを味わったことがあって、自分自身に泣いたものであるべきだと、私は思う。古典的なヒーローものはだいたいそんな感じじゃなかったかな。なぜなら、弱さを知る人間は、畢竟、人間を知る人間であるから。」
「ミルキィホームズがトイズを取り戻すためには、彼女たちが自分自身に絶望する、その弱さの意味を理解する必要があった。‥ま、そう考えると、なかなか感動するものがあるかしらね。最後のオチはご愛敬。ミルキィホームズらしくて素敵よ。」
「探偵オペラ ミルキィホームズ」6巻
2011/06/21/Tue
「ノスタルジアドライブ!」
「‥」
「‥気づかれてるかな。私がノスタルジアドライブと叫ぶたびに、世界線が微量に変動していることに。」
「‥気に入ったの、ノスタルジアなんたらっての?」
「でも私にはイデア界から授かったConsiderate lilia agri quomodo crescunt, non laborant neque nentがあるので、世界線を越えても記憶を保っていられるのです。」
「野の百合がいかにして育つかを思え。働かず、紡ぐことなし‥だったかしらね。はてさてラテン語ね。」
「ラテン語よくわかんないけど! 日本語がいちばん得意です!」
「はてさてね。」
「‥さておき! ‥と、張り切ってみたはいいけど、話すことがない。これ、これだ、これだよ。ブログを毎日書く弊害。すなわち、ネタがなくなる。ネタがなくなるとだらだらとよくわからないことをわからないままに話すことになっちゃう。が、何か芸がないとつまらない。‥そうだ! お姉ちゃん、私に質問して!」
「お、それでこそ対話ブログといったものね。対話の長所を生かすのね。つまり相互で会話のキャッチボールをさせることにより、ネタがないことを上手く誤魔化すどころか、対話効果でおもしろい寸劇ができるという魂胆ね。策士ね。」
「いいから! 質問して!」
「最近、楽しみにしている漫画は?」
「大食い甲子園!」
「あー‥」
「これね、会う人ごとにいってることなんだけどね、何をって、大食い甲子園はおもしろいって話を、こう所構わず、相手が無視してモンハンしているのにもこだわらず、熱弁を振っているんだけど、なかなかよさが伝わらない、気がする、みたいな。」
「佳代、少食じゃないの?」
「自分があまり食べられないから惹かれる、かな。‥コンビニのおにぎり二つでお腹がいっぱいになったときは、ああ私はフードファイターには決してなれないんだなって思ったよ。‥この内容のツイートをたぶん2009年の秋頃にした気がする。覚えてる人はいないと思うけど。‥でも、だけど、去年の夏、大盛のつけ麺を完食することができたのは、大食い甲子園で教わったテクニックを実践できたからだと思う。つまり、常に食べ続ける、小まめに食べる、水はあまりとらない、という基本にして奥義を実地に応用できたからじゃないかなって考えてる。あと、なんだろ、あれ、大食い甲子園は話がスムーズなのもおもしろい。もう、なんか、わからないけど、あれはいい。」
「‥ま、はてさてね。」
「‥あとは、何かな、いうことあるかな、ないや、おしまい。また明日。」
「明日も更新するかしら? 近ごろ湿っぽくて暑くてだるいから、書かないかもしれないかしらね。ネタが思いつかないのもそのためね。なら、しかたがないでしょう。たぶん。」
2011/06/20/Mon
「日常については今までけっこう自制して見てたんだけど、でもごめんなさい、今回のお話で私は、その、なんだろう、もうだめ。限界。限界といっても悪いほうの意味でなくて、ほら、あれ、みおちゃんの、ラストの台詞で、もう私は完全にやられちゃった‥。曰く、「キスなしで眠り姫のお目覚めだ」。‥何それ、素敵!!」
「大胆というか、ぽろっとああいうこといえてしまうっていうのは、まああれかしらね、普段から、まあそういうこと考えてるのでしょうね。」
「超素敵! すごく素敵!! すばらしい!! ‥ああもう、なんて心の琴線に響く言葉なんだろう。なんて甘美なシチュエーションなんだろう。‥あれかな、あれだよね、つまりお姫さまはゆっこってことだよね。じゃ、みおちゃんは何? 王子さま? 王子さまなの? キスするの? だれに? ゆっこに? ‥き、きゃー!! すばらしい!! 日常でこんな素敵な一幕を拝むことができるなんて、私、思ってなかった! うれしい! すごくうれしい! いい! 私こういうの大好き! みおちゃんかっこいい!! ‥キスなしで眠り姫のお目覚めだ。‥ああ、かっこいい、みおちゃん超かっこいい、クール、いけてる、すごくいい。お姫さまに向ってそんな台詞をいえるだなんて、さらっと、さり気なく、それがあたかも当然のなんら驚くべきことでないことように口にできるなんて。素敵。萌え萌えだよ‥」
「久々にお花畑全開ね。」
「もう今日はこの台詞ひとつでがんばれた。いや私はいつも余裕だけれど、みおちゃんの言葉は私にいつにない活力とやる気の源泉を与えてくれた。‥キスなしで眠り姫のお目覚めだ。‥なんで? ‥なんでって、それはもう、キスしたかったからに決まってるじゃない!! ‥はー、驚いた。まさかここで日常にここまで動揺させられるだなんて。完全に誤算。みおちゃんとゆっこ、遊園地デートしてるし。むべなるかな。かわいい。すごくかわいい。恐ろしいほどかわいい。あまりにびっくりしたせいで、日常の原作コミックスを3巻まで買ってきちゃったじゃない。今まで買わずに我慢してたっていうのに。」
「残りも買っちゃうのでしょうね。」
「明日、買うよ! ‥ところで、私、なんていうかな、はかせとなのの関係がすごく好きなんだよね。もう今日何回すごいって形容詞を使ってるのかわかんないけど、でもなのとはかせはいいなって思うんだ。というのも、ほらたとえば、はかせはなのを作る前、ひとりぼっちで生きてきたとするじゃない。いやはかせって詳細まるで不明だけど。でもとにかくひとりで暮してたとするじゃない。こう研究に明け暮れるオカリンみたいな中二じゃないマッドな感じで。‥天才というのは何かが欠落しているから天才というのであって、はかせが研究しているのも才能があるからとか頭がいいからって単純な要素でなくて、ただそうすること以外にやることがなかったからなんじゃないかなって考える。でも、すると、そんなはかせがなのを作ったのは、寂しさに自覚的になったからであり、そして完成したなのははかせのことを慕ってくれてるけど、でもはかせはときどきなののいなかった昔を思い出して、いいようない漠然とした不安に駆られるんだ。そしてそれは人間じゃないことを気にしてるなのも同じ。二人は鏡に映ったわが身のように、同じ不安を同じでない身体のなかに抱えている。‥とか考えると、これはもうなんだかすごくよくない! いいでしょう! いいよね! かっこいいし悲しさがあるし切なさがあるし、そしてドラマが生まれるよ! こんなでだれか二次創作でもやると泣ける一篇ができると思う! 素敵じゃない!」
「あー、ま、そういうこというと、結局、自分で書く羽目になるから、いわないほうがいいのよね。というか、最近ただでさえ書くもの多いんだから二次創作やるのは難しいんでないかしら。ほら、一応、コミケとかあるし。なんか書かないとね。はてさてね。」
2011/06/19/Sun
・「花咲くいろは」11話
「腕力に頼りすぎだよ緒花さん。五七五。」
「雑誌に悪口を書かれたらクレームの電話を即座に実行し、相手にされなかったら問答無用で相手の本拠地に直接乗り込み、件の記者の身元を吐かせ、そしてそれが身内の仕業だとわかってもまったく構わず示威行動に移る。‥いやはや、こういうのなんていうのかしらね。」
「ギャングだね!」
「敵に回すとこのうえなく恐ろしいのが緒花ね。味方にすると頼りになるというか、なんか振り回されっぱなしな気がしないでもないけど。」
「この作品、最初は旅館が舞台の群像劇になるのかなと思っていたけど、ここまで視聴しているとどう見ても中心にあるのは緒花さんであり、この物語は緒花さんから軸を逸らすことは欠片もない。いってみれば、本作は緒花さんの物語であり、そして緒花さんが家族を取り戻す過程のドラマのように、なんだか私には思えてきた。祖母と孫、母と子、そんな家庭の確執のドラマのように考えられる。」
「緒花が喜翆荘にあれだけ固執しているのも、喜翆荘が彼女にとって家庭であるからにほかならないのでしょうね。家族の悪口を、またほかならぬ家族の一人である母親にいわれたから、彼女はあそこまで怒る。意固地になる。ただ、緒花のそういった感情は子どもっぽくはある。しかし、そういい捨てるのもの可哀想ではあるのでしょうね。」
「よくわからないよね。緒花さんの家族がどういった状況に置かれているのかって。というのも、女将さんと緒花さんのお母さんの仲たがいの原因はなんだろう。そして女将さんは今の緒花さんの状況にどういう気持でいるのだろう。そこがたぶんこの作品の鍵でもあり、また緒花さんの心の穴のようにも予想される。」
「女将さんの仕事に向う態度と、緒花のお母さんの仕事に対する態度は、これはまったく同じ種類のものなのよね。そしてそれは緒花の仕事に当る態度もまた同様。‥はてさて、血かしらね。」
・「steins;gate」11話
「おもしろい。11話は少し感動しちゃった。本作は、決してアニメ化に適した内容でないって思うけど、でもこのアニメは原作の内容をよく理解したうえで、さらに原作の世界観を広げようって意図が見える。たとえば、あれ、フェイリスにDメールを送らせるかどうかでオカリンが逡巡するシーン。これ以上Dメールを使って過去改変していいかどうかってオカリンは迷うけど、私の記憶がたしかなら、原作ではあそこまでオカリンがDメールの危険性に自覚的ではなかったと思う。でも、何かな、あそこであの場面でオカリンにああいった迷いを抱かせるシーンを描くという、その動機は、非常によくわかる。アニメのオカリンは、原作よりちょっと勘が鋭いかも。」
「牛丼屋のシーンや鈴羽にトウモロコシをあげるシーンなんかも非常によかった。また11話でいえば、綯にやさしくするオカリンの姿は、どうも泣けるのよね。オカリンという人は、なんでああ人がいいのかしらね。」
「強迫メールが届いて、真っ先にラボに向って駆け出すオカリンだけど、そのときオカリンが何よりも第一に心配しているのがまゆりだったってところもよかった。とかくこの作品は、オカリンのまゆりに対する真摯なまでの愛にかかっている。マッドサイエンティストを名乗ってるくせに愛の人だというところが、オカリンの素直な魅力を表現している。」
「自分は友だちが欲しいだけなのかもしれないと、あっさりいえてしまうオカリンだからこそ、かしらね。たぶんまゆりは一番昔から、オカリンの友だちだったのでしょう。いつも隣にいてくれた人なのでしょう。そう考えると、ああこれは泣けるかしらね、友だちが欲しかっただけとあっさりいえてしまう人間というのは、なんだか泣けるくらいにいい人間じゃないかしら。」
2011/06/18/Sat
「格好をつけたいなら文学なんていかがかな、たとえば、今日の私の会話なんだけど、最近は何を勉強してるんですかー?って聞かれて、近ごろはR教理問答書です。聖侯爵の悪の哲学の源泉、その呪いの萌芽ですよ、フフフ‥と返して、ああ、何これ、かっこいい‥みたいな。」
「Rって何よ。」
「そこは秘密。ネタだもん。」
「ふーん。微妙にクールじゃないのね。」
「私はクールだもん。朝起きて、ああなんてクールなんだろうって、嘆息するくらい。」
「ふーん。」
「さておき! ‥先日、エリーがコーデリアさんにキスする夢を見たんだけど、これって運命? 二人の運命? ここでポイントなのは、エリーから‥という点だと思う。お花畑のコーデリアさんからでなく、エリーから勇気をふりしぼって積極的に、というところが、よりお花畑をお花畑らしくする秘密だと思うんです。ただ最近、私はネロがかわいく思ってるから、そのうちネロとコーデリアさんで何か書きたいなと思ってる。」
「でもその夢、続きがあるんでしょう?」
「そう。なぜかそんなお花畑のあと、小衣ちゃんが働くラーメン屋で、餃子を三十九枚食べさせられたんだ‥。なんで三十九枚かっていうと、メニューに四十二枚と三十九枚の二つが大きく書かれてあって、それで、どちらか選べっていうから値段の安いほうを選んだんだけど、でもすでにラーメンを食べていて、お会計がこれで二千円に近くなるから、私は夢を見ながら、昼食にしては高くついたなって、がっかりしていたんだ‥」
「おいしかったの?」
「それがおいしかった。久しぶりに味覚のある夢を見たな、って思った。でもなんで小衣ちゃんがラーメン屋にいたのかな。クビになったのかな。警察。」
「小衣ちゃんだから、それくらいなってもおかしくないでしょうね。はてさてね。」
「‥さておき! ‥ね、ブログって質と量だとどっちが大切だと思う? 別な言い方すれば、適当で少ない文でも毎日書いたほうがいいのかな? それとも一週間に二回くらいの頻度でそれなりの量をそれなりの質で書いたほうがいいのかな?」
「さてね。どう思うの?」
「これ、考えたんだけど、結局、それなりの量と質で毎日それなりに更新するのが一番な気がする。」
「ああ、もっともね。しかし、それが一番大変なんじゃないかしら。」
「さておき。‥と、もう話題がないや。いや、ほんとはあるんだけど、やめておく。よくいく店のカツカレーのカツが、以前はチキンだったのに今はロースになって、ちょっと何それ許せない最悪、とか話題があるんだけど、やめておく。また今度。」
「ロースになって微妙に値段があがった‥とか、ま、はてさてね。チキンって人気なかったのかしら?」
2011/06/12/Sun
「おもしろいといえば、まちがいなくおもしろい。丁寧だし、そつのないシナリオの構成は一流だって思う。でも、これは当初から感じていたことだけど、本作を私の感性は何か拒絶する。ああ嫌だな、早く終らないかなって、そんなことを思って見ている。有体にいえば、もう全編、目を背けたくなるシーンばかりで、これ以上視聴しなくていいんじゃないかなって気に毎回させられる。これはきつい。」
「肯定にしろ、否定にしろ、そう強い印象を与えることに成功しているという意味では、本作はやはり傑作ではあるのでしょうね。テーマの良し悪しは置いておくとしても。」
「みんなが死者に引きずられているのがつらい。これが苦しい。早くみんなめんまのこと忘れようよ、じんたんはちょっと引きこもりすぎて疲れて幻覚を見てるんだよ、あなるあたりがちょっとエッチなことしてあげれば、その刺激でじんたんはめんまのこと忘れるかもしれないよ、とか思う。‥生きている人が死者に左右される様を見るのが、つらい。これがつらい。忘れようよ。少なくとも、忘れたふりをしようよ。そのほうがよほどいいんじゃないかって、私なんかはそう思う。でも、こういう私の態度はめんまに対してひどい? 人でなしかもしれない? けど、私は生きている人のほうが大切なんじゃないかなって思う。生きている人が死者のために生きづらくなるのであれば、その死者のことをゆっくりと、考えなくしていくのは、しかたないんことなんじゃないかなって思う。ただ、人の無意識が死者を呼ぶのは、しかたないことかもしれない、とも思う。」
「生きていると、普通にいろいろな人がいろいろな理由で死んでいくけれど、そういった死者の記憶や思い出といったものは、やはり何か人に課せられる檻というか、重荷というか、十字架というか、そんな感じもどこかするかしらね。無の死に何か意味づけをしたくなる。」
「私事で恐縮だけど、なんだかさいきん葬式に出るのが重なって、ああやだな、逃げ出したいな、と思いつつ、なんとかこなしてたんだけど、ふとわれにかえると、数年ぶりくらいに鬱っぽい自分に気づいて、ちょっと驚いた。あーこれは無意識に相当溜まったものがあるかな、しんどい、面倒だな、と思ってだらだらしてるんだけど、この感じを本作が描こうとしているなら、それはそれでなんとも意地の悪い作品だなって私は考える。そろそろ見るのやめちゃおうかな。どうしよう。」
「本当はもっとどろどろしているのでしょうね。この作品の登場人物たちの内面の本当というものは。しかし、本作の画は一見して美しい。が、その美しさは嘘でしょう。人の死も、その死が生者を呼ぶ声も、きれいなはずがないのよ。それはただ単に無よ。」
2011/06/11/Sat
お知らせです。
夏コミに受かりました。三日目、日曜、東のヘ―45aになります。
サークル名は「隠れ蓑~magma~」。マグマです。灼熱です。
今回はオリジナル小説を書こうと考えています。文芸部の女の子の話でも書こうかなと。高校が舞台で。私が書くので、例によって女の子しか書きません。ってなんでですかー。
あとおまけに「パチュリーはたまには動く大図書館」で参考にした書籍や、ちょっとしたコメントなどを載せられればいいかなと。
ですが、このサークルのメインは私が書くものでなく、相方の
Switchくんの編集にこそあります。サークル参加する意思も私より彼のほうに重きがありますから。…と、プレッシャーをかけてみる。
さらにおまけにお知らせ。
私事になるのですが、九月からしばらく日本を離れる予定です。来年の半分ほどまでフランスにいることになります。ネットでの振舞いはとくに変わることはないと思いますので、ブログやtwitterのほうは今後ともどうかよろしく願います。
夏コミに関しての詳しい告知は時期が近づいたらまたします。では。
2011/06/09/Thu
「今回、小鷹の鈍感さについて、作中、ようやく言及されたわけだけど、あー、彼はただ単にゲイってだけなんじゃないかな。同性愛って珍しくもなんともないし。」
「それいっちゃうと話が全部終ってしまうけどね。」
「だって本当のことだもん! あー、もう! なんで私にばかりそういうこと相談するの! 女が苦手なんです‥って、私にいわれても、私は、あ、そう、としか答えられないってわかりきってるじゃん! なんか近ごろ左手の薬指に指輪はめてくる人多いし、一体、何がどうなってるの! なんで指輪してくるの、見せびらかしたいの!? あれだよね、で、見せびらかされる身としては、それって指輪ですねなんですか恋人でもできたんですか、って聞くべきかどうか微妙で困っちゃうって話! 下手に聞いたらセクハラになるかもだし、聞かないは聞かないで、なんだか無視してる雰囲気になるかもだし、この人間関係の難しさ!」
「なんだか私事全開の愚痴ね。」
「愚痴はここまでにしよう! 私はクールだから! ‥さておき、じゃ、小鷹がゲイかどうかは置いておくとすると、彼は単純に他者にある一定以上の関心を意図して持たないように振舞っている、そしてその理由は何かなって単純に推測すると、友だちの少ない幼少期の体験が原因で、他者に踏み込みすぎるのを怖がっている、あるいは、他者に何も期待することをやめてしまった人間のひねくれた暗さが彼にはあるのかなって、私はそう思うかな。言葉をかえていうと、私には小鷹という人は、けっこうひどい人のように思える。率直にいうと、なんで小鷹にこの作品のヒロインたちが惹かれているのか、正直、ちっともわからない。むしろ人間的な欲望をダイレクトに表現する彼女たちに比べ、小鷹という人間の意匠はきわめて不自然に、非人間的に見える。」
「彼が自分の変さを自覚していないという点も、またなんというか、ラノベ的ではあるのでしょうね。ラノベの主人公は、どうしてこう、変なのかしら。はてさてね。」
「笑える鈍感はいいけれど、笑えない鈍感は堪らない。鈍感が笑って済ませられるレベルにいるうちはいいけれど、そのうちこの鈍感さは笑えない事態を呼び起す。」
「そのときがこの作品の本当のターニングポイントになるだろう、か。ま、そこまで行かないで平和に終るかもしれないけれど。」
「‥ところで、この巻で一番気になったのは、理科が白衣を脱いじゃうところ。‥なんで、なんで、白衣を取っちゃうかー! ちょっと信じられない。何それ最悪。男にいわれたくらいで白衣をやめちゃうなんて、ちょっと私正直ほんとに理科のことを疑っちゃう。だってそうじゃない! 理科から白衣をとったら何が残るの、眼鏡? 眼鏡が残るっていうの? でも私は眼鏡がそんな好きでない。というかそれはどうでもいいとして、白衣やめちゃったらいけないじゃない!! はかせやオカリンを見習ってよ、彼らなら何があっても白衣を着続けるはず。理科にはその決意がなかった。プラトンパンチでイデア界の果てへ叩き落してやる‥」
「男にもっとお洒落したほうがかわいいよっていわれたから自分のアイデンティティをあっさりと捨ててしまうというのは、なんだかリアルで笑えてしまうけれど、ま、こんなものなのかしらね。はかせやオカリンも同じ状況になったら理科みたいになるかしらと考えると、いや、それはないでしょうと思えるのが、少し安心する点かしら。いや、ま、なんの話よ、これ。はてさてよ。」
平坂読「僕は友達が少ない」6巻
2011/06/04/Sat
「さいきんミルキィホームズのネロがかわいく思えてしかたないんだけど、何これ恋? あー‥ネロがかわいい‥。将棋とかオセロとかなんでもいいからその手のゲームで、何度も何度もネロを負かして、彼女を涙目にしてやりたい。‥ゲームで負け続けるネロ。でもやさしいコーデリアさんはそんなネロにわざと負けてあげて、それでネロは調子に乗ってちょっと腹立たしいんだけど、しかしそこはお花畑、コーデリアさんが耐えてあげるんです。なんて素敵。惚れちゃいそう。」
「でもネロってその手のゲーム強いイメージがあるけれど‥いや、弱くて負けるネロの姿も容易に目に浮ぶから、はてさて、事実はどうか曖昧なところかしらね。」
「ミルキィホームズの話題はともかくとして。‥近頃、毎日欠かさずブログを更新することはなくなっているけれど、でも以前考えていたようなブログの明白な終りというものは、たぶん私のブログにはそういう形では訪れないのだろうな、何か予期せぬ事故が起きない限り、というふうに思うようになってきている。というのも、こうやって思い出したようにエントリは書くわけだし、興が乗ればいくらでも継続して書く時期はあらわれるわけだし、数年以上‥今年で六年目かな?‥続けていたブログをあっさりと消去するという決意が、私に生まれるということも、私という人間を考えると、そうあるようには思えないから。」
「更新があまりないのにPVがそれなりに平均しているというのは、考えてみるとちょっと不思議ね。」
「アクセス数というのは私には実感として不思議な現象のように思える。ふだんそれほどカウンタを見てもいないんだけど、何もエントリを新しく上げていないのにPVがそこそこあると、さすがに少し申し訳ない気がして、何か書こうかなって気分に私もなる。‥ところで、私はアクセス解析というものはしてない。ブログを始めてから一度もしたことがない。なんでだろう?って考えると、‥なんでかな。明白な理由があるようには思えない。どうしてだろう。」
「自分の文章の読者にある程度以上の関心を持たないように努めてきたから、かしら?」
「そう積極的な理由ではないけれど、でも当らずとも遠からず、かな。‥自分の意見をブログという形で表明してはいるけれど、それをどう読むかについては私自身がそれほどかかわるべきでない、あるいは、そういった方面についてそもそも私が興味を持たない人間であるということがより大きな要因であるのかもしれない。‥PVはブログの規模を把握するという意味で知る意義があるとは思うけれど。それは別の話。」
「逆に考えると、自分が他者にどう思われているかを意識する場合、ブログよりもっと有効なツールが、具体的にいえば、twitterが存在するから、そういった用途でブログを使っていた人なら、もうブログにそれほど価値を置かなくなるのが自然ともいえるのでしょう。掲示板が肌に合う人なら、また話はちがってくるでしょうし。」
「自意識をどう充足させるか、という問題かな。‥その意味ではブログは手間がかかるばかりでリターンが少ないといえるかもしれない。私も、かつてあったブログを基点としての関係性は、もはやどれも遠くなったといえると思う。すでにコミュニケーションとしての窓口の役割を、ブログが担うことはない。じゃ、それじゃ私はブログに何を置くのかな、何年も同じところに留まって、何をしようとしているのかな、と自問すると、多くの事柄や人間関係から離れながらも‥これはネットとネットとは別の現実での生活をも意味する‥まだ私は私自身を蓄積し、探究することに倦んではいない、と答えるほかないように思う。変遷と退屈を重ねながら、私は過去の私が残した私の残滓を脇目にしながら、今の私を没頭することを欲する。その先がどこへ至るかは、未来の私が知っている。」
「ブログとはあたかもPrivate Hellだとでもいわんばかりね。‥はてさて、しかしブログとはPrivate Hellそのものだともいえる。なので
イギー・ポップがいい。こういう曲がこういった精神には似合っている。ちがうかしら?」
2011/06/03/Fri
「最初にお断り。今回の茨歌仙のエントリは感想じゃなくて悪口。ただ悪口いうだけなら不毛かな、じゃエントリを起すまでもないかな、起さないほうがいいだろうな、と思って、書かないよう自制していたんだけど、でも自分の意見を残しておくというのがブログの存在意義であれば、悪口は悪口として、さらしておくのがよろしかろうって考え直した。私の悪口に対する非難や意見も、ブログという形にしておいたほうがやりやすいだろうし。」
「ま、賛成や好意を示すエントリだけってのも片寄っているでしょうし、悪口にもいくらかの意味があるとは思いたい‥と、はてさて、これは卑怯な言い方かしらね。もっともこのブログはけっこう悪口をいっている気もするけれど。」
「そうかな。それじゃ悪口をはじめよう! ‥今回の話は非常に不愉快だった。気に入らなかった。読んだあとの数時間くらいは、これでもう東方はいいかなって諦めちゃうくらいに、なかなか腹が立っていた。されど考え直し、漫画だけで東方から離れることもないだろうって思って、でも今後茨歌仙を読むことはないだろうなとは、今もって、そう考えてる。じゃ、何がそんなに気に入らなかったのかーっていうと、ひとえに今回の話のオチにある。つまり、「リスクのない恩恵なんてこの世には無い」っていう、ありきたりで平凡で偽善的なメッセージを本作が打ち出した点にある。私はこれが非常に気に入らない。あー、東方も毒にも薬にもならないことをいっちゃったかって、慨嘆がある。この話の作り方には正直幻滅した。」
「電気のような高度な恩恵を得たければかなり大きなリスクを負うのは当然。今ある幸せの量が大きければ大きい程その裏には大きな犠牲がある。常にリスクと隣り合わせだという事。‥ま、いっていることはそのどれもがごもっともといったものなんだけれど。」
「毒にも薬にもならない。そんなことはわかっている。わかりきったそんなことをこういった形の平凡な教訓話に落しこむ、その態度に偽善的な印象を、私は覚える。覚えずにはいられない。こういうのを偽善っていうんだよ。嘘じゃない。リスクを負うのが当然だとはいうけれど、そのリスクがどういった形で具体化したか、それがどういった有様か、それを見つめれば、私はこういった話の仕方はできないんじゃないかって思う。‥むしろ、こういってもいい。こんないかにも新聞の社説に載りそうな教訓話を、東方がやってどうするっていうんだろう。創作とは、毒か薬にならねばならない。強烈な毒となり、読むものの感性を刺激しなきゃいけない。そうでなければ今回の茨歌仙のように、時節を得ただけの、誰からも非難されず、そして誰からも、ま、そうだよねって曖昧な賛同を得られるメッセージを発し、されど実質的には何をももたらすことのない、毒でも薬でもない、ひどく薄い、エピソードに墜してしまう。だから、私は今回の茨歌仙が気に入らない。」
「‥ただそういう見方も誤っているのかもしれない。このエントリでいったことはどれもが穿ちすぎで、悪意に溢れているかもしれない。が、一読して、今回の話には上記のような印象を覚えてしまった。そのことは書いておきましょう。思ってしまったことは、思ってしまったんだから。それは取り返しがつかないんだから。」