2012/05/31/Thu
「うう……。また風邪気味かも……。なんで私ってよく池に落ちるんだろう……」
「さあ、自業自得じゃないの?」
初夏の日差しがまぶしい学院の中庭。ネロが私に向けるじとーっとした視線に私は気まずい思いを味わわされていた。――明智さんと会う約束をしていた日曜のこと、私は明智さんと遊ぶとみんなに告白するのがなんだか恥ずかしくて(たぶんこれがいけなかった)、こっそり明智さんに会いに行って(このこっそりという考えがよくなかった)、そして夜は明智さんにお料理してあげたあと、その残りをみんなに持って帰ってそれでみんなにも喜んでもらおうと思っていたんだけど(もしこの考えをエリーに白状したら、たぶん私は殺されないまでも、腕の一本や二本は折られるかもしれない)、私は自分の考えが甘々だったということをつくづく感じ入っていた。池に落ちて磯くさい私が帰ってきた昨夜のあの気まずい雰囲気、思い出したくもない(池からなんとか自力で這い上がったあと、明智さんが「私の家に寄っていく?」と聞いてくれたけど、もしあのとき明智さんの提案に乗って、そしてお風呂も借りて、きれいになってみんなのところに帰っていたら、たぶん私はエリーに殺されないまでも、指の五本や十本は折られていたことだろうと思う。恐ろしすぎて、考えただけで震えが止まらない)。
「そうね……。最近、ぽかぽか陽気で暖かくて、お花畑が脳に至っていたのかもしれない。気を入れなおして、立派な探偵になれるようにがんばらないとね!」
「今のコーデリアにそんなこといわれてもなぁ。説得力ゼロっていうか……」
「でもその前にお昼を食べましょうっ。はい、ネロの分! コーデリア特製、お花印のハムチーズサンドイッチ、デザートにりんごよ! シャロとエリーには朝に渡してあるの、完璧!」
「おお! すご……一体、これ、どうしたのさ?」
「ふふ……。昨日、明智さんと材料を買いに行ったのよ(おごり)」
「ふーん。明智と、か……」
(しまった! なんてことなのコーデリア!! また微妙な雰囲気になっちゃった!!!)
微妙な沈黙のなか、私とネロはサンドイッチをもそもそと食べる。……あ、おいしい、さすが私ね。ネロもおいしいと思うでしょ?と、居たたまれない空気を打開するために声をかけようとしたとき、
「コーデリアはさ、誰が一番、好きなのさ」
いつになく、真剣なネロの声音が、私の胸に刺さっていた。
前にも聞いたことのある、その質問。あのときは、私はしっかり答えていなかった(答えられなかった?)。今、ネロは、私の作ったサンドイッチを食べながら、遥か彼方の初夏の青空を見上げながら、私の返事を待っている。私は、私は……
「ボクの初恋はコーデリアだよ」
小さな、けれど凛とした声が、私の心に届く。私はネロを見た。ネロは私を見ていなかった。でも、ネロの顔はどこまでも澄んでいた。私は何もいえなかった。手がかたかたと震えていた。心が風邪を引いたみたいだった。
2012/05/30/Wed
「コーデリアをびしょ濡れにしたい」
「池に突き落としましょう!」
朝早く、こっそりとベッドから抜け出して、周りを気にしながら身支度を整え、黙って外出するコーデリアさんの怪しげな挙動は、私たちの疑惑を確かなものにするに十分なものでした。というのも、ここ数日のコーデリアさんの様子は妙に落ちきなく、何を聞いても「私はべつに何も企んでないのよ?」と見当のつかないことを明後日の方向に視線をさまよわせながら答えるばかりで、またそんなコーデリアさんの表情は、これほど隠し事が下手な人はいないだろうって信じることができたほどでしたし、それにそもそも朝に弱くて、起きた直後のコーデリアさんはまるでお花畑が宙に浮いているかのようにぽけぽけなのですから、こんな風に早朝からてきぱきと動くコーデリアさんの姿は、何か悪いものを食べておかしくなったか、もしくは何か私たちにいえない秘密があるのにちがいないのですから。
「きっと、何か怪しいことをしてるんだよ、ボクたちに黙って。コーデリアはそういう奴なんだ」
「そんな! でもたぶんそうかもしれないです! 追いましょう! コーデリアさんを尾行して、秘密を握ってやりましょう!」
寝たふりをしていた私たちはコーデリアさんが部屋から出て行くのを確認すると、コーデリアさんの不可思議な行動の謎を解くべく、行動を開始したのでした。――コーデリアさんのあとを追うのはそう難しいことではありませんでした。尾行されているだなんてコーデリアさんは夢にも思っていなかったでしょうし、それにコーデリアさんの秘密のヴェールを暴くべく一致団結した私たちの尾行には一切の無駄がありませんでしたから。……しかし、いくらコーデリアさんが突飛なことを仕出かす人だと頭でわかっていても、コーデリアさんが明智さんと合流したのを見たとき、私たちの動揺は衝撃的なものだったといわねばなりません。――こんなに朝早くからお洒落して待ち合わせしていた相手が明智さん。そして明智さんもどこか浮ついた様子でコーデリアさんに話しかけ、二人は仲睦まじく、歩き始める。その様子はまるで、まるで……
「一体、いつの間に明智と……」
「小衣ちゃんが、そんな!」
明智さんとコーデリアさん。二人は街を歩きながら、アイスを食べたり、お店を覗いたり、お茶を飲んだり。二人が笑いながら会話するその様子は、まるでデートのようで……私は、思わず、手に握った石をトイズで強化したパワーでぶつけてやろうかと腕を振りかぶりました。……でもすんでのところでシャロが私を止めます。下手なところに当たったら、コーデリアさんは死んじゃうということです。確かにと思い、私は踏みとどまりましたが、けれどむしゃくしゃした腹いせで石を握りつぶします。粉々になった砂礫が地面にこぼれました。
(でもコーデリアさんにひどいことしたい……)
私がそう思ったそのとき、
「コーデリアをびしょ濡れにしたい」
「池に突き落としましょう!」
ネロとシャロがいいました。ちょうどいいことに、今、コーデリアさんと明智さんは公園の池の前のベンチに座り、和気藹々と談笑しています。その仲よさそうなお花畑素敵な雰囲気を破壊すべく、わー!っと突撃した私たちはコーデリアさんを抱え上げ、池に放り投げました。呆気にとられた明智さんを置き去りにし、わー!っと私たちは逃げました。
でも、びしょ濡れになったコーデリアさんが部屋に帰ってきたら、どんな顔したらいいんだろう? ……帰り道、あとのことまで考えていなかった私たち三人はそのことで頭を悩ましました。やさしく迎えてあげましょう!という意見と、たまには冷たくしたほうがいいんじゃない?という意見がぶつかり、私は、はあとため息をつきます。――コーデリアさんと明智さんは一体、何を話していたんだろう。そのことが気にかかり、私は憂うつな気持ちになっていました。池に落とすんじゃなくて、川に流したほうがよかったかなと、そんなことを考えながら。
2012/05/29/Tue
玄ちゃんにキスされたとき、私の胸に湧いたのは相反する二つの気持ちだった。一つは、やっぱりこうなってしまったという後悔に似た、予想した過ちに対するやるせなさ。そしてもう一つは、やっとこうなってくれたという安堵に似た、期待した過ちに対する胸苦しさ。
「お姉ちゃんのこと、私、だからずっと――」
そういって私を壁に押さえつける玄ちゃんの瞳はほとばしる感情を表すかのように涙で潤んでいて、またどこまでもまっすぐに突き刺さるようで、私はその感情の真剣さに耐え切れず、思わず目をあいまいに逸らすしかなかった。自分のそんな振舞いが、玄ちゃんの想いの重さに対する不誠実さのように思われて、かすかに後ろめたい気持ちがする。数刻の口づけのあと、思い惑った玄ちゃんが申し訳なさそうに視線を下げ、顔を暗くした様子を目の当たりにして、私はどう言葉をかけていいか、逡巡する。私と玄ちゃんの間に流れた、わずかばかりの沈黙の時間が、私たち二人の未来を暗示する。
(知っていたよ、ずっと一緒にいるんだから、私と玄ちゃんは姉妹なんだから、玄ちゃんの気持ち、わかっていたよ……伝わっていたよ……)
玄ちゃんがいつか、私にその気持ちを告白してくれるときのことを、私は不安と期待の入り混じった形容しようのない感情で待ち受けていた。その理由は、だって……だって……その理由は……
(人生には、絶対に正しい選択というのはありえないけど、でも、絶対にまちがっている選択というのは、あるはず。たぶん。……でも、だとしたら、私はどうすればいんだろう。玄ちゃんのために、私は、どうすれば絶対にまちがった選択をしないで済むんだろう? 玄ちゃん……玄ちゃん……)
一人、そんなことを考えつつ、私は自分の唇に指を当てる。玄ちゃんがキスしてくれた。玄ちゃんのキス、温かかったなとそんなことを心に思う。それが自分の欲望に火をともし、そして結果的に、私をまちがった選択に導くことになるとも知らずに。
2012/05/28/Mon
「だめだよ、玄ちゃん……。だって、私たち、姉妹だもん……」
お姉ちゃんの肩は小刻みに震えていた。いつも寒くて震えているお姉ちゃんだけれど、今、震えているのは寒さのためじゃないって、お姉ちゃんの瞳にかすかにうかがえる怯えの色を見れば、すぐにわかる。――場所は部室。放課後すぐのこの時間帯はまだ人気なく、ただ壁に架かった時計の針の音と、立ちすくむお姉ちゃんの途切れ途切れの吐息の音と、そして私のはやる鼓動のうるさい音以外には、私たちの邪魔をする存在は何もなかった。――私はお姉ちゃんの肩に手をかける。びくっとお姉ちゃんが反応する。
「だめ……だれか、来ちゃう……もし見られちゃったら……」
「見られたって、いいよ」
――いつのころから、お姉ちゃんのことで、頭がいっぱいだった。やさしくて、寒がりで、温和で、寒がりで、いつも私のことを見てくれていて、寒がりで、臆病で、寒がりで、でもいざとなったらほかの誰よりも強い、夏でもマフラーが似合う私のお姉ちゃん。……お姉ちゃんのことで頭がいっぱいだった。いつも頭の片隅にお姉ちゃんがいて、そしてその私の舞い上がる塵のように積もり重なった想いの堆積は、いつか私の心を重くして、胸に癒されることのない棘を刺し込み、そして、そして……私に向けられるお姉ちゃんの笑顔に耐えられなくて………私以外に向けられるお姉ちゃんのやさしさを認めたくなくて……今、私は、お姉ちゃんの瞳を涙で濡らしている。
「好きだよ、お姉ちゃん……」
こんな私でも、こんなひどい気持ちを抱いて、あまつさえそれを隠し通せなくて、好きな人を戸惑わせ泣かせ、無理に唇を重ねても……そう、お姉ちゃんは私が泣くのを見たくなくて、きっと、私の所業を許すんだ。――そんなお姉ちゃんが私は好きで、そしてどうしようもなく、つらかった。
2012/05/23/Wed
高校のころ、読書家ですねといわれたことがある。すぐ否定した。いや私は読書家じゃないよ、読書家っていうのはもっとまじめな人のことをいうんだよ、と思う。今でもその思いは変わっていない。自分をまるで読書家とは思わない。読書家ってのは勤勉な人のことを指すんであって、その点、私はぜんぜんだめだめだ。
本をたくさん所有したいとも思わない。というか、本をたくさん持つことは別に知的な行為じゃないな、と思うようになった。で、なぜか知らないが私の周りにはこういうスタンスの人が多い。読まない本を捨てられないっていうのは単に感傷だよとある方がいわれる。そのとおりだな、と思う。本にお金をかけるよりレストランにお金を費やしたほうが有益だと気づいたと、ある方がいわれる。それはまたなんて真実を口にされるんだろうかと私は驚く。書籍のデータなんかはパソコンに入っているんで、あとは図書館を使えばいいだけとさり気なくいわれる。ああ、それはまた正しいなと私は思う。私もパソコンにいろいろ入っている。ただ、なぜか電子辞書だけは使ったことないんだよな、私。これは紙のほうが使いやすい気がするんだよ。
ただ紙の辞書の弱点は重いことである。いや辞書に限らないけど、とにかく本という奴は重くて困る。というのも、今日、昼に郵便局に荷物を持っていったんだが、いやこの荷物っていうのが箱に詰まった本のことなんだが、7キロ以上はだめだといわれて、何冊も取り出さなくちゃならなかった。まあ持ち帰れない分の本は捨てるかな、と思う。高いんだよ、しかし、荷物を送るの。なんとかならないかしら(ここに安易に百合漫画を日本から取り寄せることができない理由が語られていることにお気づきだろうか。そう、高いんだよ、この手の奴は)。
本を捨てられないのは感傷だと先に書いた。しかし、人は感傷で生きるものでもあるな、と思う。ほら、ネットで思い出補正って洒落めいた言葉があるけど、しかし人は思い出で半ば生きさせられているようなものだな、だからそれはしかたないんじゃないか、思い出に縛られるっていうのは、と思う。これは何も本に限った話じゃなくて、漫画やアニメや音楽も、その当時の思い出がこびりついてなんともいえなくなってしまう。時に人間でさえも。そして時に悲劇にもなる。
さっき、You Tubeで「とらドラ」の「
プレパレード」と「
オレンジ」を聞いた。いやこの二曲はiPodにも入っているんでそれなりに聞くんだけれど、この曲は、当時の私の個人的な状況なりなんなりも伴って、なんともいえない気持ちにさせてくれる。プレパレードで「強くなんかないけど」とうたって、オレンジで「理想や夢は膨らむばかり」と来て「私みたいで残せないからぜんぶ食べた」だもの。オレンジを食べたけどまだすっぱくて泣いて、でも「私みたいで残せないから」自分で「ぜんぶ食べ」るほかなかったんだろうな。この歌は何をうたっているんだろう。未だに考えているんだが、私はよくわからない。
2012/05/22/Tue
この手の雑談エントリは佳代ナジャで書いてもいいのだが、どうもそういう気分じゃない。気分気分と、お前はそんなに気分屋かといわれそうだけれど、なんの責任で書いているわけでもないブログなので、まあ勘弁していただきたい。と、ま、こんな風に断りを入れる必要もないか。はてさて。
何から話すか。いろいろネタがあるような気がしていたが、いざ書こうとしてみると、どうも思いつかない(エントリは話すように書くということがこの記述から読み取れることを注目しなければいけませんよ!)。そう、澁澤龍彦が文章を書くコツのようなものをエッセイで書いていたのを今、思い出した。それをついでに書いておこう。つまりこういうもので、曰く、文章というものは逆立ちして鼻血も出ないところを無理やり出すようなものだ、と。細部は忘れたが、だいたいこんな意味だったと思う。私はこれは正しいと思う。もちろん出したあとに、いろいろ訂正なり修正なり、添削なり添削なり添削なり(地獄のよう!)は、あることと思う。しかし、書き始めは、鼻血が出ないところを出すように始めればいい、ということらしい。澁澤のいっていることはなかなか信用ならないことが少なくないのだけど、私はこの指摘だけはまったく正しいと思う。そしてこの考えを覚えて以来、私はレポートだのなんだのの締め切りを破ったことは、今のところは、ない。すごい!
何をいおう、この考えは何年もブログを続ける上でも非常に役立った。このブログの過去エントリを見てみなさい。ものすごく書いているだろう。私自身、昔の私はこんなに時間があったのかと目を見張るばかりだ。こんなに時間があったなら、その時間をラテン語の勉強に当てていれば、私のラテン語パワーは今ごろきっとすごいことになっていただろうと悔いるばかりだ。が、そんなことはどうでもよろしい。これら過去ログは私が鼻血も出ないところを無理に出した、いわば鼻血の跡、血痕のようなものだと喩えられるだろう。何、汚いこといっているんだ! わけがわからない! だめだ、この話はもうやめよう、変な方向に来てしまった、なんてことだ、まったく。
話は変わる。さっきちょっと考えたんだけど、私は昔からアニメやゲームのキャラに誕生日が設定されていることが不思議だった。だって、物語で誕生日が重要な鍵にならない限り、意味ないじゃん、と思っていたから。でもこれは、よくよく考えてみると、ただファンがそれを楽しむよう、つまりファンがその設定をもとに連帯できるように取り計らっているだけなんだな、と気づいた。長年の疑問に一応決着がついたので、ここに記しておく。いや大したことじゃないけど。
帰国して百合漫画を買いに行くが売り切れで手に入れられなかったという衝撃の夢を見ただなんて恐ろしくでだれにもいえない。というか、こんな夢を見る時点で私の精神は多大な消耗を強いられているといわねばならないだろう。なんたる悲劇。その消耗が著しいためか、最近はどうもお花畑の短編を書く気力もなかなか湧いてこない。ああ、こんなフレーズも先日思いついた。快適な精神生活を送るには次の三つが必要だ。ひとつは誰にも邪魔されない静かな部屋、ひとつは適度なカフェイン、ひとつは過不足ない百合漫画、だ。Sacrebleu !
Sacrebleuというのはサクルブルーと読んで「畜生!」という意味だ。Sacredieu !ともいう。お気づきかな、ここのdieuは「神さま」って意味、で、もともとはSacredieuっていっていたんだけど、みだりに「神さま」というのもあれだから、dをbに代えて、Sacrebleu !って表現もできたというわけ。ただこの言葉は今は使わないかもしれない。中世の演劇作品などにはよく出てくる。……と、フランス語の話で体裁を整えたところでこのエントリはおしまい。なんて勉強になるブログだろうか!
(追記) dとbだけじゃなくてiもlに代えないと、dieuはbleuにならない。このミスに朝の6時に気づいた。目が覚めたら、あ、まちがっていたと気づいた。だれかに指摘されているんじゃないんかと恐る恐るブログを見たけれど、まだだれも指摘してなかったので、今のうちにこの追記を記しておく。すばら。
2012/05/18/Fri
2012年の5月17日はキリスト昇天祭 « L'Ascension »の祝日である。わざわざ2012年と書いたのは、いわゆる移動祭日という奴だからだ。年によって日付が変わる。理由はよく知らない。今度、調べておこう。
で、そういうわけで休みだったのだが、私はすっかりそのことを忘れていたので今日はいささか困った。というのも、買い物に行くのを怠っていたし、今日は以前、手に入れられなかったデリダの本でも探しに本屋に行こうと思っていたからだ。祝日はどの店も休みだ。まあカフェやレストランなんかは開いているところも多いが、スーパーや本屋なんかは休みだろう。しかし部屋に閉じこもっているのも癪なので、散歩に出かけ、ファーストフードでロングベーコンなるハンバーガーをかじる。日本にもあるね。この手のファーストフードは世界のどこでも変わらない、たぶん。
案の定、本屋は休みだったので、まあこれ以上、話すこともないんだが、たまにはフランス語の話でもしてみよう。今日は発音について。といっても、私は発音が下手だ。日本語の発音だって変なんだ。小学校のころ、発音が下手だったんで、先生に呼ばれて、特別クラスで発音の練習を受けたことがある。小一か小二のころだっただろうか。なんていうか、舌足らずの反対、私は舌が長めなんだ。それでどうも発音が上手くない。困る。
しかし日本語とフランス語では、日本語のほうが変かもしれない。下手をすると。もしかしたら。いやフランス語の発音も自信ないな、私は発音下手なんだよ。別にコンプレックスってほどじゃないけど。劣等感は特にないけど。いや本当。変に疑わないでくれよ、皆さん。
で、なんの話だったか、そう、フランス語の発音。たとえば、LとR. 英語の勉強でもしつこくいわれるのでないか。これは、舌を上につけない。で、喉の奥を震わして発音するらしい。日本語のはひふへほに近いかもしれない。がーっと擦れる感じだ。あれだ、ライオンとかのうなり声。がるるる……って感じ。本当。そうなんだ。日本語では使わない筋肉を使う。練習が必要だ。しかしところでフランス語のRと英語のRの発音が同じかどうかは私は知らない。
Sの音。Françaisなんていうとき。フランセ、このセだ。唇を横に一直線に開くような感じで、スィってやってみるといい。さしすせそじゃなくて、スィって。これは、あれだ、ヘビの鳴き声を真似するといいらしい。スィーって。
Vの音。ヴェって奴だが、これは子どもが車の真似をするときを思い出すといいらしい。ブーブーってやるでしょ、エンジンを吹かすような。そういうのだ。ヴーヴー。下唇で歯を覆うような感じでやるらしい。難しい!
Comme lion, comme serpent, comme voiture.(ライオンのように、ヘビのように、車のように)だ。難しい!
2012/05/17/Thu
ブログなど暇な時間に遊びで書いているだけで、書きたくないあるいは書けないときは放っておいていいし、現に放っているのだが、それでもPVが数百ほど安定してあると、ああなんか申し訳ないな、じゃなんかエントリでもでっちあげるかなという気分になってくる。こんなブログなんて見てないでラテン語の勉強でもされたほうがよろしいのでないかと助言したい気分にもなってくる。ラテン語、ラテン語である。私は最近はずっとラテン語の勉強をさぼっている。よろしくない。ACIMもさぼっている、つまり英語の勉強をさぼっている。実によろしくない。というのも、来週にロンドンに行くからだ。まったく英語の自信がない。問題である。
さておき、そんなことはどうでもよろしい。なんの話だったか、あれだ、ブログの話だ。実はさっき今日はブログを書くか、なんか短編でお花畑の話でも書くかと思ったが、三分でそういう気分じゃなくなった。申し訳ない。ところで、ブログにあげるような短編は私は一気に書く。下書きもせずにマシンでささっと書いて終わりである。ミルキィホームズの二次創作なんかでもそういうのはある。下書きをするのも多いけど。
逆に下書きをしないと書けないのは東方の二次創作である。パチュリーの話は最初に予想していた以上に話がこんがらがってきたのでいろいろ考えなきゃいけない。実はこの五月に最後の章を書いてしまおうとずっと思っていたのだが、前半が忙しかったため、未だ執筆の目処が立たない。ところでしかし、執筆って言葉はなんかえらそうで嫌だね。えらい奴が書いているみたいだ。私はまあ別にそんなにえらくない。えらそうにはなりたくない、特に。まあそんなことはどうでもよろし。
なんの話だったか。すぐこれだ。話が脱線する。そう、あれだ、ブログだ、ブログの話だ。実は
Le grand désert d'hommesの続きも書きたいんだ。実はさっき、お花畑の短編をあきらめたあと、じゃこっちを書くかと思ったが、五分であきらめた。そういう気分じゃないんだ。
しかし、なんだ、百合漫画の不足で目眩がする。フランスに来て、漫画読まなくなったが、もしかして今でも読みたくなる類の漫画は、いろいろな百合漫画と、咲-Saki-なんかの麻雀漫画とケンイチかもしれない。というか阿知賀編と咲-Saki-の新刊はこの前、取り寄せてしまった。くそ、なんてことだ、しかし私は宥姉が好きなんだ。まあ松実姉妹が好きなんだ。いや、そんなことはどうでもいい、何をいっているんだ、こんなことはどうでもいいんだ。
だがこうして自分の嗜好を告白するのがブログの本懐といえる。そもそもブログを始めたのは私が思うようなことをいっている人がそんなにいなかったから始めたのかもしれない。が、これは大げさな言い方だ。まあ思うのというのではいろいろちがうが。
アイマスでは私は真美が好きなんだけど、あれだよ、私も好きなタイプはと聞かれたら明るくてジョークの上手い人って答えるよ。これは本当。
くそ、なんの話だ、真美が好きとかばらすんじゃなかった。ところで、くそというのは、フランス語ではmerdeだ。メルドという。tant pis !ってのもいいね、タンピ、これは残念!って感じだ。残念なときに使おう。
もうよろし。これだけ書けば十分だろう。終わる。
2012/05/12/Sat
高校のとき、美術室が好きだった。といっても、絵を描くのが好きだったわけじゃない。むしろ苦手に思っていた。でも選択科目で音楽か美術を選ばなくちゃいけなくて、私は美術を選ばざるを得なかったのだ(音楽をするのはもっと苦手!)。だから美術を受講していたといえど、私は絵を適当に仕上げるだけで、向上心も何もなく、私の作品といってはとても褒められるものじゃなかった。けれど、そういった事情があったにもかかわらず、私は美術室が好きだった。その理由は、美術室の窓が大きかったから。
それってどういうわけ? 理由は単純。美術室はほかの教室より広くて、美術室の窓もまた広く大きかったから。そしてそこからは、晴天の日であれば、無限に広がるかのような青空を眺めることができたから。――そういった理由で、私は美術室が好きだった。高校のことで、卒業してからも真っ先に思い出すのも美術室の窓から望んだ大空のことだ。反対にほかのことはよく覚えていない。それはあたかも、美術室の窓からうかがえた空の美しさに比べれば、高校のほかの出来事は些事といわんばかりに。――もちろん、本当はそんなわけはないんだけどね。
高校時代にある友人の葬儀に出た。その日は平日で、午前中に葬儀があり、私は午後から授業に出ようか、迷った。好きにするといいと親はいった。とりあえず、私は家を出て、ぶらぶらと学校に向けて出発した。でも気乗りせず、小川の欄干でさざ波を小一時間眺めたりして、時間を潰したりした。しかし結局、私は学校に行った。
その日の午後は選択科目。私はふらふらと校内をさまよいながら、美術室に向かった。途中、とある先生に見つかり、さぼっているんじゃないかと疑われたが、理由を話すと簡単に解放された。美術の先生にもわけを話すと、私はとくに何もいわれず、ぼんやりと課題の制作のつづきを始めた。
しかし何もやる気がしない。ただ美術室の広い窓から空を眺める。青い空に白い雲が悠然とたなびいている。空は超越的だな、と私は思った。きれいだな、とも思った。私の心の空虚さを反映するかのように、空はきれいで広大だった。私は葬儀のときに涙ぐんでいた友人らの顔を思い浮かべた。私は一滴の涙も流していない。何か重い無意識の濁りを感じた。ただ私は、今でも、あの美術室の窓から見える空の美しさだけを覚えている。
――授業終了後、あるクラスメートが私に、「君は遅れてきたから、絶対、美術の先生に怒られると思った。だって、今日、あの先生は自分たちのやる気のなさに激怒したんだから」と教えてくれた。ふうんと私は思った。どうでもいいよ、そんなこと。……しかし、私は今でもそのときの友人の声音と微笑した表情を忘れていない。それは美術室から望む空の広大さと伴って、私の記憶を確かなものとしている。……嗚呼、あの夏の大空よ。私は今でもお前に焦がれている。それをお前は知っているだろうか。知らないだろうな、しかたない、はてさてだ。
2012/05/11/Fri
好きなタイプは聞かれたら、繊細で思いやりのある人と答える。でもそういったら、たいてい笑われる。普段の私の様子からは思いつかないからだろう。わかっている。自分でも私のキャラじゃないって。でも、私のキャラってなんだろう?
小学生のころ、自分でもいうのもなんだけど、私はクラスの人気者だった。学校の行事なんかでは率先して前に出てみんなをまとめて、授業中もよく発言して、昼休みも放課後も友だちと一緒で、塾にも通っていた、そこでも先生に一番認められていたと思う、勉強ができたから、つまり私は中心にいたと思う、たぶん、その自己認識はまちがっていないはず。
そんな楽しかった小学校を卒業するとき、お父さんの仕事の都合で私は転校した。でも私はなんの不安も抱いていなかった。それは今まで何かも上手くいっていたから。卒業式、そしてそのあと友だちみんなに集まってもらって、私の家でお別れ会。泣いた子もいた。私もちょっとだけ泣いた。でもそれ以来、小学校の友だちとは一度も会っていない。
引越し。新しい中学校。けれど、なんて間が悪いんだろう、急にお腹が痛くなったと思ったら、私は病院のベッドの上、急性の盲腸炎、入院して、家でぼーっとして、学期が始まって数週間してから、私はやっと新しい中学校に登校した。すると当然、そこには私の知っている人はだれもいない。私はそうして初めて自分の置かれた状況を認識した。
大げさな言い方に聞こえる? たぶん、大げさなんだと思う。あれから何年も何年も経った今の私は、そのころの私を大げさだなといって苦笑すると思う。でも、当時の私はそうじゃなかった。知らない人ばかり、新しく人間関係を始めなきゃいけない、大丈夫、私は元気だから、すぐまた友だちができるはず、そう思っていた、ずっと私は気楽でいた、でも、あれ、友だちってどうやって作るんだったっけ?
あのころの嫌な気分。学校に行きたくない気持ち。今でも鮮明に思い出せる、孤独って言葉の意味を覚えた中学一年の春。……でもそれがどうしてだろう。あの嫌な心のうずきに始まったあの一年がどうして……。
初めて、あの人に会ったとき、私に似ているなと思った。おどおどしていて、年下の私に過度に気を使っていた、引越し先の隣の家のあの人。あの人の弱気な表情は、転校先で友だちができなくて沈んでいた私とそっくりだった。それがなんだかおかしくて、私は隣の家によく遊びに行くようになった。学校では隣の席の人に声をかけることすらできなかった私が、なぜかあの人には無防備だった。どうしてだろう。今でも私は不思議に思う。どうしてだろう。
中学二年になったとき、クラス替えがあって、自己紹介のとき、私は大きな声で自分の名前をいった。去年一緒だったクラスの人は、私のそんな様子に驚いていた。
今でも夜更けに思い出す。あのころの私。弱い私。――あの人の誕生日。私はあの人に告白した。……ねえ、私の初恋の人。今でも鮮明に思い出せる、私の好きという言葉に見せた、あなたの戸惑った赤い顔。――私はその先に望んだ未来の影の誘惑に囚われて、今でも前に進めない。
2012/05/08/Tue
好きなタイプはと聞かれたら、明るくてジョークの上手い人と答える。そのとき私の頭に浮かぶのは決まってあの子。過去のあの人、思い出の人。たぶんその記憶は美化されている。だってあの子はいつも私のことをからかっていたから。単純で気弱で周囲の雰囲気に流されやすい私のことを、おもしろがっていじっていたあの子の笑顔を、私はどこか苦手に思っていた。嫌いというわけじゃない。ただ、あの子の屈託のない振舞いと、そしていつも楽しそうに毎日を送っているあの笑顔を前にすると、私はなんだか居たたまれなくなって、弱い自分が気になって、嫌になって、だから私は、あの子に無意識のあこがれを抱きつつも、やっぱり、苦手に思っていた。
でもそれがどうしてだろう。嫌な過去。嫌な出来事。嫌な言葉。嫌な目線。高校のときのこと。文化祭の出し物。なぜか私のクラスは演劇をやることになって、私は嫌だった。きっと私は失敗するから。国語や英語の時間、教科書を音読することさえ気が滅入ってしかたがない私なのに、どうして劇なんてやれるだろう。もちろんこんな私に大役が任されるはずもない。出番はほんのちょっと。端役もいいところ。でも、それでも嫌だった。そんな私の予感はやっぱり的中して、簡単な短い台詞を何度もまちがえる。舌をかむ。何度もやり直す。そのたびにみんなが私を見る。またやり直し、やり直し、やり直し……。上手くいくまでやり直し、やり直し、やり直し……。あの目線、あの空気、私の鼓動、私の息、私のおびえ、私の不安、申し訳なさと気まずさで、逃げ出したい。でも逃げることも叶わず、私は目線を下げる。下げる、下げる……。でも、逃げられない。
でもそれがどうしてだろう。そんな嫌な過去の思い出。今でも思い出すことのできる、あの嫌な感覚。でも、それがなぜか……。――あの日の帰り道。もう夜遅い。私はあの子とばったり出会った。中学生のあの子。ジョークが上手くて、頭の回転が速くて、人気者で、私とは正反対のあの子に、ただ数年前に私の家の隣に引っ越してきて、それであいさつして、ちょっとだけ遊ぶようになったあの子に、私は偶然、出会った。制服姿。どうして。もうとっくに学校は終わっているはず。
「待っていたんだよ」
私を? どうして。
「だって、今日は誕生日……」
誰の? ……私の。すっかり忘れていた。でも、いいよ。今日はもう疲れたし、祝ってくれる友だちもいないし、夜も遅いし、もう。
「そんなのだめだよ」
嫌がる私。しつこいあの子。――弱い私は結局、あの子の誘いを断りきれない。……今でも思い出す。あの日の誕生日。たった一度の、高校二年生の誕生日。あの子と過ごした夜を。
どうしてだろう。あんなに嫌なことがあった一日なのに、あの子と過ごした短い夜のひと時が、あの日をすべて、輝かす。
今ではあの子と遠く離れ、私は在りし日のことを夜更けにぼんやり思い出す。あの子の笑顔を思い出す。あの子があの夜、私に伝えた好きという言葉の、意味を取り戻したいというかのように。
2012/05/02/Wed
観光案内というものは疲れるもので、案内する側はことさら楽しいわけでもない。どこが見たいのかと事前に聞いても、相手はパリに何があるかよくわからないのですべて任せるという。日程も短いので簡単なのでいいやと、凱旋門やエッフェル塔なんかを巡る。
この数日はあいにくの雨で(しかしフランスの春らしい天気ともいえる)、エッフェル塔に登るときも小雨のなか、二時間も待たされた。そのせいで今も風邪気味だ。黙々と並んでいると、目の前の子ども連れのご夫婦が二時間待ちだってうわー!(英語)とかいって、さっさとずらかっていく。あなたたちの選択は賢い。エッフェル塔は逃げない。何も雨の土曜日に二時間も並ぶ必要はなかろう。私も見習ってずらかりたかったが、しかしそうはいかないのが人生のきびしさである。
それで一時間ほど並んでいると、眼鏡をかけた細身の旦那に英語で話しかけられる。いやフランス語で話してくれ英語は知らなんだというと、いやおれは英語しかわからんといわれる、じゃあ英語でいい何用か、このエッフェル塔には階段で登るのかリフトで登るのか? リフトだよたぶん、うむそうか、という会話が繰り広げられる。エッフェル塔の中に入るにはリフトだが、降りるのは階段でもいいらしい。まあくわしいことはわからん。
以前もいったかもしれないが、私は高いところが好きだ。東京タワーも好きだしエッフェル塔も高いから好きだ。しかし京都タワーはべつに好きでもない。理由は、ねえ、まあいわなくていいでしょ。
ヴァンセンヌの城も好きだし、凱旋門も好きだ。高くて気分がいい。帰りに凱旋門の近くのレストランに入ると、店員のおばちゃんに、日本人のお客でフランス語を話せたのはあなたが初めてよといわれる。それ本当? ここパリでしょ? もしかしたら、おばちゃんのリップサービスだったのかもしれない。しかしそんな変な気の使い方するか? 謎である。