雑記
2014/09/23/Tue
正確な文章は忘れたが(なら調べればいいのだろうけれど、それも億劫なので記憶を頼りに書くのです。怠惰)、アランはスタンダールの「霊感があってもなくても構わないから毎日書きなさい」という言葉に従い、膨大な『語録』を毎日、新聞のコラムとして書きつづけたのである。逆説的にいえば、霊感や天才とは継続なしには得られぬものなのであろうか。いや、まあそう単純じゃないかな。はてさて。
アランの現代の評価は、ユマニスト(humaniste)ということになるらしい。しかし、アランが積極的な研究の対象になっているかというと、これは疑問だろう。アランを学術的にどう扱うかとなると、これまた少し厄介な話かもしれない。ところで、アランの文章を読むといかにもリセの先生だなといった印象を覚える。たとえば、たとえ話が多いところとかに。リセは日本でいうところの高校だけれど、フランスの高校の先生は基本的にエリートなのです。大学に務める前に高校の先生をやったりする。そこらへんは日本とはだいぶ事情が異なる。
いや、どうしてこんな話を始めたかというと、ブログを毎日書いていたころが一番浮世離れしていたなという話を、日本を発つ前、友人としたことをゆくりなく思い出したからだ。ブログを毎日書くのは、いわずもがな、大変だ。だが毎日書いていると、ブログのことを必然的に毎日考えざるをえないので、意外と精神の健康にはいいのかもしれない。雑念が消えるから。でも今同じことをやれといわれても、それは御免こうむるといわざるをえない。
pixivにももう少し作品を投稿したい気持ちはあるのです。ロコ、志保ロコ、百合子ロコとか。はるみきも。艦これでもう二つだけ書いておきたい話があるんだけれど、さて、いつになるかな。今年中に書けるのかしら。
アランの現代の評価は、ユマニスト(humaniste)ということになるらしい。しかし、アランが積極的な研究の対象になっているかというと、これは疑問だろう。アランを学術的にどう扱うかとなると、これまた少し厄介な話かもしれない。ところで、アランの文章を読むといかにもリセの先生だなといった印象を覚える。たとえば、たとえ話が多いところとかに。リセは日本でいうところの高校だけれど、フランスの高校の先生は基本的にエリートなのです。大学に務める前に高校の先生をやったりする。そこらへんは日本とはだいぶ事情が異なる。
いや、どうしてこんな話を始めたかというと、ブログを毎日書いていたころが一番浮世離れしていたなという話を、日本を発つ前、友人としたことをゆくりなく思い出したからだ。ブログを毎日書くのは、いわずもがな、大変だ。だが毎日書いていると、ブログのことを必然的に毎日考えざるをえないので、意外と精神の健康にはいいのかもしれない。雑念が消えるから。でも今同じことをやれといわれても、それは御免こうむるといわざるをえない。
pixivにももう少し作品を投稿したい気持ちはあるのです。ロコ、志保ロコ、百合子ロコとか。はるみきも。艦これでもう二つだけ書いておきたい話があるんだけれど、さて、いつになるかな。今年中に書けるのかしら。