2014/12/14/Sun
中学生のころ、アルセーヌ・ルパンが好きだった。どうして好きになったのか、読み始めたきっかけはなんだったのか、よく記憶していないが、おそらく偕成社のルパンシリーズの装丁がきれいだった(おそらく表紙は剥されていただろうが、それでもきれいな本だったと思う)という程度の理由が、私がルパンを手にとる最初の単純な動機だったかもしれない。ルパンばかり読んで、結局、ホームズはあまり読まなかったし、数年前に多少目を通したがそれでも深い関心を覚えることはなかった。私がルパンに耽溺したのも、ルパンが冒険活劇ものとしての性格が強かったからなのかもしれない。
なぜこんなことを言い出したかというと、数年ぶりにミステリを読んだからだ。私には「ミステリ勘」がないと指摘した人もいたが、私としてはそんなこともなかろうと考えていたのだけれど(こう思ったのはたぶん私が本当にミステリを読まない生活に慣れていたからだろう!)、森博嗣の小説を、最近人気があるし評価も高いという話だったので、試しに読んでみたら、私はまさしくその指摘のとおり、まったくミステリというジャンルに向いていないんだなということを深く自覚してしまったのである。なんてことだろうか。
いや、もしかしたら、これは驚くに足らないことかもしれない。私自身の意識とは別に、第三者から見たら私はミステリに到底興味を持つような人間ではなかったということは自明であったかもしれない。たぶん、私はトリックに関心がないのだ。おまけにミステリを成り立たせている諸々のルールにも興味を引かれないのだ。推理小説なんてゲームでもない、というのは多少不用心な発言だろうが、ミステリというジャンルがゲームをゲームとして問い直してしまう、メタ的な志向があるのはたしかだろう。そういう点に私は冷めてしまうのだろう。
トリックより人間の心理や思想的な厚みが必要なんじゃないか、とまで考えてしまうとこれはもう話が行き過ぎだ。だが、はてさて、フランス人も推理小説好きだよね。娯楽や気晴らしとしてはすばらしいとは私も思った。だって、一気に読んでしまったもの。でも文句をいうのか、私は。文句をいうのも娯楽というのか。さて、これは事実かもしれない。因果なことだが。
2014/12/04/Thu
ワタモテを買ったことで、電子書籍に対する偏見がなくなった。というより、漫画は電子書籍で買ったほうがいいのかもしれない。でもすでに日本のamazonで何冊か漫画を注文してしまったんだ、私は。ワタモテを買う前に。どうしても「こもりクインテット!」の2巻がほしかったんだよ。「こもりクインテット!」は相原さんがモテモテでおもしろい。相原さんの百合ハーレム…といいたいところだけれど、果たして百合ハーレムなんて安易な言葉を使っていいのだろうか。この作品のよさを示すためには、もっと工夫して語らなきゃいけないんじゃないか、と、頭のなかでグルグルと考えがめぐる。はてさて、ところで私は典子さんが好きです。あれだよ、相原さんは典子さんが一目ぼれしてバンドに加えたのに、相原さんはメンバーみんなから好かれてモテモテで、一番最初に相原さんを見つけたのは典子さんなのに典子さんはムードメーカーなんだけど上手く相原さんとの距離を縮めることができなくて嫉妬しちゃうんだ。まったく、なんてことだ。
ワタモテもおもしろい。3巻の19話なんてもうすごい傑作。もこっちはモテたいって思っているけれど、たぶんそれは錯覚というか、単なる思い込みなんだろう。もし、もこっちが本当にモテる状況に置かれたら、たぶん自分をめぐる人間関係の煩雑さにうんざりするはずだ。もこっちがモテたいと思うのは、学校という環境に置かれているからで、学校から解放されたら、おそらく彼女はモテたいとは考えなくなるだろう。彼女がモテたいと思うのは、単純に学校でひとりぼっちで寂しいからで、彼女自身は一人の時間を一人で楽しむ術を十分に見出すことのできる人間だ。だから、19話のもこっちが学校で一人きりになれる空間を見つけて、一人で楽しそうにしている場面は、なんとも印象深い。
電子書籍で思ったけれど、私は電子辞書を使ったことがただの一度もない。いつも紙の辞書を持ち歩いている。重い。腕力がつく。パワー!
2014/12/02/Tue
私のフランス語は独学だ、という話は何度かしている。なぜ独学する羽目になったかというとこれは私の個人的な事情が大きく関係しているので(当たり前か)、あまりいいたくない。親しい知人には何度か話したことがある。そう大した話じゃない。でも隠す。
関口存男などは、ドイツ語など独習したほうが身につく云々ということをいっていた。たしかにそのとおりかもしれない。より正確にいえば、これは、ある程度のレベルを越えたら、勉強など一人でやるしかないという当然の事実なんだろう。語学教育法でも初級ではさまざまな方法や論があるが、上級以上となると個人で勉強する以外に安易な、あるいは有効な道はないともいえる。しかし、関口先生にいわせれば、何をもって中級・上級と区別するのかというのは難しい問題、別な言葉でいえば、見栄や世間体の問題でしかなかもしれないが。まあこれは余談だ。
独学で何が大変かというと、モチヴェーションを維持するのが大変だろう。何か必死になる理由がないと、人はなかなか勉強を続けることは困難だ。またまったく何も知らない人がただ文法書と辞書だけで語学を勉強するのは、もしそれが初めての外国語学習であれば、あまりに大変な労苦になるだろう。だから、本当の初級であるならば、だれか適当な先生に習ったほうがいいのでないかとは思う。たぶんそのほうが早いし挫折しないだろう。
ところで、エントリのタイトルを考えるのが面倒なので、「雑記」にしておいたが、これはちょっと味気ないかもしれない。だがタイトルを考えるのは大変なんだよ。pixivに置いてある二次創作のタイトルを考えるのもこれでいてなかなか苦労しているんだ。
2014/12/01/Mon
もこっちは高校を卒業したら意外と楽しくやれるんじゃないか、と思わないでもない。高校や中学校のなかにいると、友だち付き合いをしなくちゃいけないというふうに思いがちだけれど、実際はああいった種類の人付き合いにはある程度の適正があるのでないかという気がする。かくいう私もたぶん高校や中学の雰囲気には馴染めなかった人間だろう。部活もやっていたし、委員会なんかにも顔を出していたが(委員会ではいろいろ失敗した。恥ずかしいから秘密)、クラスで上手くやれていたかというと、そこは微妙かもしれない。高校というのは一種の閉鎖的な社会で、いったんそこから離れてしまえば、想像する以上に自由になれるものだ。私は、幼稚園から中学、高校、予備校、大学と通ったが、上に行くほど楽になれたと感じた。予備校では友だちらしい友だちはできなかったが、とりたてて問題もなく、過ごしていた。いや、あまりに一人で気ままに生活していたからか、勉強をほとんどしないで本ばかり読んでいたのは、今思うと、失敗だ。一方、大学に至っては、いまだに居続けているくらいだ。
高校のときもアニメはいろいろ見ていたが、特にそのことをだれかに話すということはなかった。後年、高校時代の友人の一人が、私が思いのほかアニメを見ていたことに驚いていたくらいだ。なぜか知らないが、私は特にだれかとオタク趣味を共有したいという気持ちはほとんど持っていない。
あとになって、自分がある作品について抱いた感想や意見をブログに書くようになったのは、ネットで自分と同じ感想を持つ人をなかなか見つけられなかったからだ。これはもしかしたら学問や研究といった世界でも同様かもしれない。ある個人が感じることは、実はその人だけが抱けることかもしれない。そして、それが意味のあることかどうか、価値のあることかどうかということは、他者に公にしなければ決してわからないことなのだ。