竹宮ゆゆこ「とらドラ7!」
2008/04/10/Thu
『でもおもしろくないんでしょ? 裕作とタイガーが一緒にいるの見ると。それぐらいツラ見てりゃわかるって。だからそんなに機嫌が悪いんだよね。‥倒錯だよねえ。父親でもないのに、先に老いて先に死ぬわけでもないのに、『絶対手を出さない』って決めてる女を、高須くんは大事に大事にしてるの。で、心にはちゃーんと本妻がいて、三人はまるでおままごとみたいに自分の役割をわかってて、パパ役、ママ役、子供役、って』
「ついにいった。亜美さんがやっと竜児に告げてくれた。そう、竜児の矛盾とはそこであって、彼はほんとにみのりんに恋してるわけだけど、それと同時に大河を何より大切に想ってる。そして彼のなかでみのりんに恋着する気持と大河をだれにも譲りたくないって思うほどの執心‥それは大河のお父さんに対する彼の態度や、クラスメートが大河と北村をくっつけようって画策したときの反応に直裁に出てる‥は矛盾しないで同居してる。この矛盾しないというのが曲者で、彼は二人の女性に同時に惹かれてるのだけど、それは彼にとってまったくプラトニックに両立するものだった。‥ここに私は何を見るか。あんまりつよくいうのもあれかなだけど、いえばこれは竜児のエゴのほかないのじゃないかなって気がする。彼はみのりんも大河も離したくない。彼が大河と離れたいわけなくて、そしてみのりんとほんとに恋人になれたらなって真心から願ってる。竜児はどちらも好きなのだけれどでも決められないみたいな優柔不断なタイプじゃなくて、彼は亜美さんに指摘されるまで自分のおかれた、あるいは敷いた状況の不自然さにまったく盲目的だった。‥この少年のこういった心情は、ちょっと私には遠いかな。こういうふうな恋愛といえないまでのあいまいな距離感のままで、結果的に自身を含めて大河とみのりんを追いこむことになっちゃった彼の責はあんまり軽くない。ただ彼はすごくいい奴で、善意の人だっていうのは私も認める。でも大河とみのりんへの向きあい方に対して、そんな変われなかったのは、成長できなかったのは、あー‥なんだろ。ちょっと、ここは、むずかしいかもかな。」
「おそらく彼は家族的な温かさというのを大河との交流で見出していたのでしょうね。それは亜美のいうとおりの父親気分を味わうつもりもあったのでしょう。要するに自身の父親に対するルサンチマンから、自分自身はそういうふうにはありたくないと願い、それが結果として大河への対応諸々に出ると。しかしそれが決してよいことばかりを生まなかったのは、重なる亜美の警告を受けながらも、自覚することさえできなかったことからわかることでしょうね。」
「家族、かー‥。それはそうなのだろね。でもそういった意味で自分を塗り固めた竜児は、大河の気持に気づくことも、そしてみのりんの告白にはっとすることもなかった。これは鈍感というより、麻痺、かな‥? たぶん竜児はあまりに大河に感情的になってた。それが彼を、曇らせた。」
「クリスマスプレゼントを贈る大河に詰め寄ったのも、彼が本人以上に大河に肩入れしていたがため、か。はてさてね。こうして考えると、竜児と大河の恋愛作戦はまたちがった色模様に見えてくるでしょうね。少し悲しいものも混じってくるでしょう。」
『クリスマスはその絶好の機会なの。育ててくれる親がいなくたって、神様なんか信じられなくたって、サンタのことも信じられなくたって、それでも誰かが見ているから、って、私は伝えたいの。クリスマスが来れば、サンタクロースを名乗って自分たちにおもちゃやおかしを山ほど送ってくる誰かが、この世には確かに存在しているんだってことを伝えたいの。どこかで気にかけている誰かが本当に存在しているんだって‥それを伝えたい、信じてほしい、信じたい‥っていう‥私の自己満足、なの。そう。端的に言えば自己満足。それだけ』
「大河の行動の底には疎外があるなって思う。たぶん彼女がこうしてプレゼントを送るのは、彼女の父親の無意識の疎外の結果なのだろな。つまり大河は、かつて孤独で世界を信じられなかった自分に、あなたのことを気にかけてくれる人はぜったいいるって、伝えたい。彼女はそうして、竜児と出会えた今だからこそ、よけいにそのことを、伝えたい。ただ彼女は、竜児が自分のことをだれより愛してくれてることを知ってるから、そんな自分のふるまいを彼が知ったら激昂するって、無意識のうちに了解してる。だからここの大河と竜児がレストランで会話する場面は、切ない。あまりに二人は孤独で、互いの心に、目を向けることが、できてない。」
「サンタに重ねる彼女の願い、か。レストランのシーンは、まさに不自然なままごとをしているようというたとえがぴたりとはまるのかしらね。それはなんとも、残酷ね。」
『竜児がいなければ、恋もできない。』
「そう。それが結論。大河はある意味、恋に恋する子だったのだね。そのことに気づけただけで、ほんとによかった。この巻は、これでよかった。あとは大河ならだいじょぶかな。」
「気づいたのが早かったのか遅かったのか、それはいわないことにしましょうか。どちらに転ぶにせよ、これで彼女はいつか立ち直れることね。」
『すべてを見ていた実乃梨は、しっかり理解した。自分の推測がすこしも間違ってはいなかったことを。』
「さいごにみのりんについて。みのりんは今回ずっと躁鬱のくり返しで、身体だいじょぶかーって心配したくなるくらい。わざとふるまうのは疲れるよ、と。それで、6巻で亜美さんがいってた罪悪感だけど、それはもうずばりみのりんが自分の竜児への恋心に気づいて、でも大河に気兼ねして、不の感情アンチスパイラルで証明完了!‥かな? 竜児と大河とみのりんの不自然な関係性にいちばん参ってたのはみのりんだったのかもしれない。だから彼女はぜんぶをやめることにした。それが彼女に思いつく最良の方法であったから。‥みんないい奴ばかりで、とらドラはつらいね。ここがほんとの正念場、かな。」
「実乃梨のような人こそ本当の他人の視線を気にしてしまうもの、か。はてさてね。他人を害することに極端なほど臆病なのよね、彼女は。実乃梨の抱えてる問題も決して浅くはないのでしょうけど、それに竜児と大河が向えるかしら? 実乃梨という人間が描かれるときこそが、とらドラという物語の要諦なのでしょうね。果して、どうなることかしら。」
『希望を持つことはやがて失望することである、だから失望の苦しみを味わいたくない者は初めから希望を持たないのが宜い、といわれる。しかしながら、失われる希望というものは希望でなく、却って期待という如きものである。個々の内容の希望は失われることが多いであろう。しかも決して失われることのないものが本来の希望なのである。
たとえば失恋とは愛していないことであるか。もし彼或いは彼女がもはや全く愛していないとすれば、彼或いは彼女はもはや失恋の状態にあるのでなく既に他の状態に移っているのである。失望についても同じように考えることができるであろう。また実際、愛と希望との間には密接な関係がある。希望は愛によって生じ、愛は希望によって育てられる。
愛もまた運命ではないか。運命が必然として自己の力を現すとき、愛も必然に縛られなければならぬ。かような運命から解放されるためには愛は希望と結び附かなければならない。』
三木清「人生論ノート」
竹宮ゆゆこ「とらドラ7!」
「ついにいった。亜美さんがやっと竜児に告げてくれた。そう、竜児の矛盾とはそこであって、彼はほんとにみのりんに恋してるわけだけど、それと同時に大河を何より大切に想ってる。そして彼のなかでみのりんに恋着する気持と大河をだれにも譲りたくないって思うほどの執心‥それは大河のお父さんに対する彼の態度や、クラスメートが大河と北村をくっつけようって画策したときの反応に直裁に出てる‥は矛盾しないで同居してる。この矛盾しないというのが曲者で、彼は二人の女性に同時に惹かれてるのだけど、それは彼にとってまったくプラトニックに両立するものだった。‥ここに私は何を見るか。あんまりつよくいうのもあれかなだけど、いえばこれは竜児のエゴのほかないのじゃないかなって気がする。彼はみのりんも大河も離したくない。彼が大河と離れたいわけなくて、そしてみのりんとほんとに恋人になれたらなって真心から願ってる。竜児はどちらも好きなのだけれどでも決められないみたいな優柔不断なタイプじゃなくて、彼は亜美さんに指摘されるまで自分のおかれた、あるいは敷いた状況の不自然さにまったく盲目的だった。‥この少年のこういった心情は、ちょっと私には遠いかな。こういうふうな恋愛といえないまでのあいまいな距離感のままで、結果的に自身を含めて大河とみのりんを追いこむことになっちゃった彼の責はあんまり軽くない。ただ彼はすごくいい奴で、善意の人だっていうのは私も認める。でも大河とみのりんへの向きあい方に対して、そんな変われなかったのは、成長できなかったのは、あー‥なんだろ。ちょっと、ここは、むずかしいかもかな。」
「おそらく彼は家族的な温かさというのを大河との交流で見出していたのでしょうね。それは亜美のいうとおりの父親気分を味わうつもりもあったのでしょう。要するに自身の父親に対するルサンチマンから、自分自身はそういうふうにはありたくないと願い、それが結果として大河への対応諸々に出ると。しかしそれが決してよいことばかりを生まなかったのは、重なる亜美の警告を受けながらも、自覚することさえできなかったことからわかることでしょうね。」
「家族、かー‥。それはそうなのだろね。でもそういった意味で自分を塗り固めた竜児は、大河の気持に気づくことも、そしてみのりんの告白にはっとすることもなかった。これは鈍感というより、麻痺、かな‥? たぶん竜児はあまりに大河に感情的になってた。それが彼を、曇らせた。」
「クリスマスプレゼントを贈る大河に詰め寄ったのも、彼が本人以上に大河に肩入れしていたがため、か。はてさてね。こうして考えると、竜児と大河の恋愛作戦はまたちがった色模様に見えてくるでしょうね。少し悲しいものも混じってくるでしょう。」
『クリスマスはその絶好の機会なの。育ててくれる親がいなくたって、神様なんか信じられなくたって、サンタのことも信じられなくたって、それでも誰かが見ているから、って、私は伝えたいの。クリスマスが来れば、サンタクロースを名乗って自分たちにおもちゃやおかしを山ほど送ってくる誰かが、この世には確かに存在しているんだってことを伝えたいの。どこかで気にかけている誰かが本当に存在しているんだって‥それを伝えたい、信じてほしい、信じたい‥っていう‥私の自己満足、なの。そう。端的に言えば自己満足。それだけ』
「大河の行動の底には疎外があるなって思う。たぶん彼女がこうしてプレゼントを送るのは、彼女の父親の無意識の疎外の結果なのだろな。つまり大河は、かつて孤独で世界を信じられなかった自分に、あなたのことを気にかけてくれる人はぜったいいるって、伝えたい。彼女はそうして、竜児と出会えた今だからこそ、よけいにそのことを、伝えたい。ただ彼女は、竜児が自分のことをだれより愛してくれてることを知ってるから、そんな自分のふるまいを彼が知ったら激昂するって、無意識のうちに了解してる。だからここの大河と竜児がレストランで会話する場面は、切ない。あまりに二人は孤独で、互いの心に、目を向けることが、できてない。」
「サンタに重ねる彼女の願い、か。レストランのシーンは、まさに不自然なままごとをしているようというたとえがぴたりとはまるのかしらね。それはなんとも、残酷ね。」
『竜児がいなければ、恋もできない。』
「そう。それが結論。大河はある意味、恋に恋する子だったのだね。そのことに気づけただけで、ほんとによかった。この巻は、これでよかった。あとは大河ならだいじょぶかな。」
「気づいたのが早かったのか遅かったのか、それはいわないことにしましょうか。どちらに転ぶにせよ、これで彼女はいつか立ち直れることね。」
『すべてを見ていた実乃梨は、しっかり理解した。自分の推測がすこしも間違ってはいなかったことを。』
「さいごにみのりんについて。みのりんは今回ずっと躁鬱のくり返しで、身体だいじょぶかーって心配したくなるくらい。わざとふるまうのは疲れるよ、と。それで、6巻で亜美さんがいってた罪悪感だけど、それはもうずばりみのりんが自分の竜児への恋心に気づいて、でも大河に気兼ねして、不の感情アンチスパイラルで証明完了!‥かな? 竜児と大河とみのりんの不自然な関係性にいちばん参ってたのはみのりんだったのかもしれない。だから彼女はぜんぶをやめることにした。それが彼女に思いつく最良の方法であったから。‥みんないい奴ばかりで、とらドラはつらいね。ここがほんとの正念場、かな。」
「実乃梨のような人こそ本当の他人の視線を気にしてしまうもの、か。はてさてね。他人を害することに極端なほど臆病なのよね、彼女は。実乃梨の抱えてる問題も決して浅くはないのでしょうけど、それに竜児と大河が向えるかしら? 実乃梨という人間が描かれるときこそが、とらドラという物語の要諦なのでしょうね。果して、どうなることかしら。」
『希望を持つことはやがて失望することである、だから失望の苦しみを味わいたくない者は初めから希望を持たないのが宜い、といわれる。しかしながら、失われる希望というものは希望でなく、却って期待という如きものである。個々の内容の希望は失われることが多いであろう。しかも決して失われることのないものが本来の希望なのである。
たとえば失恋とは愛していないことであるか。もし彼或いは彼女がもはや全く愛していないとすれば、彼或いは彼女はもはや失恋の状態にあるのでなく既に他の状態に移っているのである。失望についても同じように考えることができるであろう。また実際、愛と希望との間には密接な関係がある。希望は愛によって生じ、愛は希望によって育てられる。
愛もまた運命ではないか。運命が必然として自己の力を現すとき、愛も必然に縛られなければならぬ。かような運命から解放されるためには愛は希望と結び附かなければならない。』
三木清「人生論ノート」
竹宮ゆゆこ「とらドラ7!」