個別の十一人という思想とクゼに対するちょっとした私的な思い
2008/05/06/Tue
「ひさしぶりに攻殻SAC二期の「個別の11人」を見てみて、何かいろいろ、少し思いこんじゃう部分がある。印象としては初見のときと比べて、それほど異なったものはないのだけど、ただクゼという人には惚れこんじゃう部分があるなって、私をしていわしめるものが彼には備わってることを再認した。もちろん私には英雄願望はほとんどないし、彼のいうような革命が人たちのあいだに成就するということはぜんぜん信じられもしない。それに彼の為そうとしたことに賛同し自爆するような青年の図は、それに対して言葉をつむぐことを拒否することでしか、私の気持は表現しえない。ただ彼の為そうとしたことの情感は理解できる。情感‥という言葉をつかっちゃうけど、そだな、彼の抱いてた情感が今回の視聴でより鮮明に私には見えてきた。それは孤独を埋めるための革命っていう、ひどく人間くさいクゼの心理の発見だった。」
「注目すべき部分は多々ある作品でしょうけれど、クゼが人心を掌握していく過程っていうのはひどく愚直であるという部分は目立つのよね。電脳を介しているとはいえ、あれはつまり一人ひとりと誠実に対話しているというふうに捉えてもそうまちがいではないかしら。人を惹きつける魅力‥カリスマの存在を、明瞭に表現しえたのがクゼというキャラクターなのでしょうね。もちろん人を魅するだけでは英雄にはなれないのでしょうけど。」
「野に下り人と交わること、か。クゼがさいしょに意図したのもそこだったし、彼が彼の抱く革命観を形成しえたのも人野においてだった。‥ね、クゼは人生を達観したがためといってその行動を起こすのだけど、彼の達観は彼のゴーストというものへの信仰の形だったのかななんて思わない? クゼは直接信仰を語らなかったけど、彼の風貌は殉教者のそれだった。ラスト、バトーが十字架で素子ふくめクゼを助けだす場面は、そのまま復活のモチーフだったのかも‥なんてこと、思ったりする。彼の信仰は、けっきょく、実を結んだのかな。」
「英雄というのは志半ばで倒れるからこそ、英雄としての資格を保持しているともいえるでしょう。なら信仰は現世で実を結ばないからこそ、信仰足りえるのよ。革命もまた然りなり、かしらね。水は低きに流れるよ。それが霊魂において異なるかは、また意見の分れるところでしょうけどね。」
→三島由紀夫「午後の曳航」
「注目すべき部分は多々ある作品でしょうけれど、クゼが人心を掌握していく過程っていうのはひどく愚直であるという部分は目立つのよね。電脳を介しているとはいえ、あれはつまり一人ひとりと誠実に対話しているというふうに捉えてもそうまちがいではないかしら。人を惹きつける魅力‥カリスマの存在を、明瞭に表現しえたのがクゼというキャラクターなのでしょうね。もちろん人を魅するだけでは英雄にはなれないのでしょうけど。」
「野に下り人と交わること、か。クゼがさいしょに意図したのもそこだったし、彼が彼の抱く革命観を形成しえたのも人野においてだった。‥ね、クゼは人生を達観したがためといってその行動を起こすのだけど、彼の達観は彼のゴーストというものへの信仰の形だったのかななんて思わない? クゼは直接信仰を語らなかったけど、彼の風貌は殉教者のそれだった。ラスト、バトーが十字架で素子ふくめクゼを助けだす場面は、そのまま復活のモチーフだったのかも‥なんてこと、思ったりする。彼の信仰は、けっきょく、実を結んだのかな。」
「英雄というのは志半ばで倒れるからこそ、英雄としての資格を保持しているともいえるでしょう。なら信仰は現世で実を結ばないからこそ、信仰足りえるのよ。革命もまた然りなり、かしらね。水は低きに流れるよ。それが霊魂において異なるかは、また意見の分れるところでしょうけどね。」
→三島由紀夫「午後の曳航」