「とらドラ!」にみる男の奇妙な性心理
2008/06/28/Sat
「とらドラ!」はスゴ本
『スゴいのは、巻を追うごとに濃度と体温と回転数がヒートアップするところ。そして、二人の関係はだんだん変わっていくところがいい。気がつかない(気づきたくない)自分の気持ちと向き合うことのまぶしさを、彼・彼女と同じように感じる。』
「そういう読み方もあるものかな。ただ私は自分の気持と向きあうことを、単純にまぶしさとは思えないなって保留をつけてこの作品を読んでる。というのも何かなだけど、7巻において大河は自分の本心に少しながら気づけて、たぶんその胸の高鳴りはほんとのものだろけど、でも竜児の場合は彼女のようには行かないだろなって予感がある。これは彼が男だから‥とかいっちゃってもいい問題で、つまり竜児の場合はどちらに転んでも‥大河と付きあおうと、みのりんと仲よくなろうと、あるいはそれ以外の人といっしょになろうと、さらにはだれとも失敗してひとりきりになろうと‥彼は自分の愛した人が性的に他者のものになる瞬間を見ることになるだろなって思うから。そしてそれを彼のような人は、否認したくなっちゃうのじゃないかな。ここが彼の核心なんだけど‥そして彼のある種の過剰な潔癖の性質の拠るところだと思う‥つまり性に対しての偽悪が彼の裏の本質。そしてそれは若さといって切り捨てられない奇妙な心理。」
「竜児という男性はたしかに性を上手く受容できていないというか、思うように性意識をコントロールできていないような印象はあるかしらね。性の目で大河を見ることを拒否しているところが過剰でしょうし、そのために彼女との関係はへんにこじれているのでしょうね。」
「太宰治の「人間失格」とか思いだすかな。あの作品もどことなく純真な部分、あれだけ腐れてるのに子どもっぽい感受性で描かれてるとこがあって、そこに太宰の文学の奇妙な陰影があるのだと思う。つまり太宰は徹底的に自分を潔癖な、きれいな存在として描きたかった‥パフォーマンスしたかったのだけど、その実としては彼は異性を愛するって責任からとことん自分を無縁なとこにおきたかっただけだった。‥なんていうのかな、彼は異性からとにかくもてたのだけど、女性と性的な深みに‥その沼にからめ取られることを極端に怖れた部分があって、その感情の本質をつけば、それは性の責任っていう汚れから、自分をきれいにしておきたいっていう、くだらない潔癖でしかなかった。そしてだから太宰は異性に対してひどいっていいうるほどのふるまいをしてしまうのだけど、でも彼にとってみればそれは自分がきれいにいるために必要なことで、そのくせ女性が自分以外の男性に身を任すことをよしとしない、ひどく独善的な面まであらわれる、そういった部分が「人間失格」にはあったかなって思う。‥そしてこの奇妙な潔癖さがもたらす偽悪の罠に、竜児はそうとう深いところまではまっちゃってるかなって印象が私にはあるのだけど、ほかの人はどうおもうかな。私は「とらドラ!」という作品は、性的にこわい部分をあつかってるものと思う。そしてそこに無自覚で当ることにも、ちょっと危険のにおいは感じる。それは青春の問題というより、もっと根深い性の根幹に係るもののよな気がするから。」
「ま、青春活劇として読むことはできるでしょうけれど、というかそれが基本的な読み方なのでしょうけど、青春の陰湿的な部分もこの作品はなかなか鋭い意見を投げかけてくれるといったところかしらね。キャラ造詣において、なかなか「とらドラ!」は考え抜かれている印象はあるのよね。果してこれがどうまとまるか、どういった結論をつけてくれるかは非常に楽しみとしたいところよ。どう転ぶかによるでしょうけど、どちらにせよ痛い結果にはなりそうね。ま、それもまたひとつでしょうよ。」
→とらドラ雑感 恋愛と自己愛のバランス
『スゴいのは、巻を追うごとに濃度と体温と回転数がヒートアップするところ。そして、二人の関係はだんだん変わっていくところがいい。気がつかない(気づきたくない)自分の気持ちと向き合うことのまぶしさを、彼・彼女と同じように感じる。』
「そういう読み方もあるものかな。ただ私は自分の気持と向きあうことを、単純にまぶしさとは思えないなって保留をつけてこの作品を読んでる。というのも何かなだけど、7巻において大河は自分の本心に少しながら気づけて、たぶんその胸の高鳴りはほんとのものだろけど、でも竜児の場合は彼女のようには行かないだろなって予感がある。これは彼が男だから‥とかいっちゃってもいい問題で、つまり竜児の場合はどちらに転んでも‥大河と付きあおうと、みのりんと仲よくなろうと、あるいはそれ以外の人といっしょになろうと、さらにはだれとも失敗してひとりきりになろうと‥彼は自分の愛した人が性的に他者のものになる瞬間を見ることになるだろなって思うから。そしてそれを彼のような人は、否認したくなっちゃうのじゃないかな。ここが彼の核心なんだけど‥そして彼のある種の過剰な潔癖の性質の拠るところだと思う‥つまり性に対しての偽悪が彼の裏の本質。そしてそれは若さといって切り捨てられない奇妙な心理。」
「竜児という男性はたしかに性を上手く受容できていないというか、思うように性意識をコントロールできていないような印象はあるかしらね。性の目で大河を見ることを拒否しているところが過剰でしょうし、そのために彼女との関係はへんにこじれているのでしょうね。」
「太宰治の「人間失格」とか思いだすかな。あの作品もどことなく純真な部分、あれだけ腐れてるのに子どもっぽい感受性で描かれてるとこがあって、そこに太宰の文学の奇妙な陰影があるのだと思う。つまり太宰は徹底的に自分を潔癖な、きれいな存在として描きたかった‥パフォーマンスしたかったのだけど、その実としては彼は異性を愛するって責任からとことん自分を無縁なとこにおきたかっただけだった。‥なんていうのかな、彼は異性からとにかくもてたのだけど、女性と性的な深みに‥その沼にからめ取られることを極端に怖れた部分があって、その感情の本質をつけば、それは性の責任っていう汚れから、自分をきれいにしておきたいっていう、くだらない潔癖でしかなかった。そしてだから太宰は異性に対してひどいっていいうるほどのふるまいをしてしまうのだけど、でも彼にとってみればそれは自分がきれいにいるために必要なことで、そのくせ女性が自分以外の男性に身を任すことをよしとしない、ひどく独善的な面まであらわれる、そういった部分が「人間失格」にはあったかなって思う。‥そしてこの奇妙な潔癖さがもたらす偽悪の罠に、竜児はそうとう深いところまではまっちゃってるかなって印象が私にはあるのだけど、ほかの人はどうおもうかな。私は「とらドラ!」という作品は、性的にこわい部分をあつかってるものと思う。そしてそこに無自覚で当ることにも、ちょっと危険のにおいは感じる。それは青春の問題というより、もっと根深い性の根幹に係るもののよな気がするから。」
「ま、青春活劇として読むことはできるでしょうけれど、というかそれが基本的な読み方なのでしょうけど、青春の陰湿的な部分もこの作品はなかなか鋭い意見を投げかけてくれるといったところかしらね。キャラ造詣において、なかなか「とらドラ!」は考え抜かれている印象はあるのよね。果してこれがどうまとまるか、どういった結論をつけてくれるかは非常に楽しみとしたいところよ。どう転ぶかによるでしょうけど、どちらにせよ痛い結果にはなりそうね。ま、それもまたひとつでしょうよ。」
→とらドラ雑感 恋愛と自己愛のバランス
