吉行淳之介「悪友のすすめ」
2008/10/24/Fri
「酒と女とギャンブルと、吉行淳之介が歩んだ道のりと生活は、その軌跡においてけっこうテンプレのような無頼漢としてみてもよいのかなって思う。それは吉行のエッセイなり小説なりを紐解けばすぐにわかることで、学生のころから呆れるくらいに酒を煽ってるし‥というか、これは一昔前の小説家ならだれしもに当てはまることではあるけど‥麻雀に賭ける熱意は途方もないし、赤線に通ったり銀座のバーで飲み明かした吉行の様子は、彼の著作に親しむ人たちなら、今さらともいうべきほどかんたんに想起できる図なのだと思う。‥基本的に私は賭け事をしないし‥やってもトランプくらいかな。これも手慰みていどだけど‥お酒もほとんど縁がない。だから吉行の生き方というか、彼の余暇のふるまい方にはどこか遠くに感じちゃう部分があってよろしと思うのだけど、でも私には吉行のもつ感性によく共感できる意識というのがあって、そこが少しふしぎかなって気がする。なんでかなと思うけど、それはたぶん、吉行が酒や女やギャンブルに徹してるからであって、そこには日々を楽しもうとするある種の楽観さ、自分の趣味に正直なある軽薄さがある。そしてそれが私の共感を呼ぶのかなって思う。私も、吉行のもつあまり誠実でないけどの正直さという性質に、縁遠いというわけではないのかなって気がするし。」
「重くないのよね。いや、重くないというよりか、吉行はみずからの重さを辛さや道徳や倫理といった次元においては語らず、ある種のダンディズムを通して文章にしたという点に彼の見栄や格好よさがあるといえるのでしょう。その意味で、吉行はスタイリストといってもよいのかしらね。吉行の文学にある共通したスタイルを見出すことは、そうむずかしいことではないでしょう。」
『今はサラリーマンが麻雀をやっても誰も色めがねで見ないけれども、戦後数十年経つころまでは、麻雀をやる人物というのは世間にかなり悪い印象を与えていた。まして戦争中は、悪徳そのもので、麻雀を打つなんて非国民だと言われた。
燈火官制、といっても若い人には解説が必要な時代になった。
要するにアメリカの飛行機の攻撃目標になるといけないから光を外へ洩らさないように、電燈の傘に黒い覆いをする。あるいは黒く塗った電球があって、下だけ丸く光が出るようになっていたが、その下で麻雀を打っていた。
警戒警報が出ても続けていると、牌のガラガラという音が外へも聞こえるらしく、警防団が、
「この非常時に、何たることか」
などと怒鳴りこんでくる。こっちも、ますます意地になってやめない。
戦争に敗けて、小生の家は空襲で丸焼けになり無一物になってしまったから、働かなくてはいけなくなった。大学を中途退学して働いていたものだから、麻雀は一週に一回、日曜日しかできない。その日曜日には昼から夜中の十二時近くまで、高等学校からの友達が集まって打っていた。戦争の疲れと麻雀の疲れが重なったのか、このメンバーは戦後十年足らずのうちに全員結核になった。
小生もその一人であるが、やはり戦争の疲れと麻雀の疲れというのはキビしい。』
吉行淳之介「悪友のすすめ」
「このくだりで私は笑っちゃったのだけど、戦争の一挿話として吉行のこの体験は秀逸じゃないって思う。学校の歴史の時間とかに教えたらどかな。市井の人たちの生活の様子を伝えるにおいて、このばかばかしくてユーモラスな話は、けっこうイデオロギー的にがちがちになっちゃってる戦争観に少しのゆとりを与えるものかもかなって思うじゃない。でもまじめな人たちから反発くらっちゃう光景はすごく目に見えちゃうし、それにそこまで麻雀好きかーって呆れちゃうのもまた自然だけど、ね。結核になるまで麻雀やるなっていうのは、もっともな指摘。血反吐くまでやってるものね。」
「意外と肝心なのが結核になったという部分なのでしょうね。戦後医療史はある意味結核との戦いの歴史でもあったわけで、吉行淳之介にしろ遠藤周作にしろ、彼らの作品を読むことは今ではほとんど聞くところのなくなった結核の当時の様子を知るに実に適当な代物だといえるのでしょう。吉行のおもしろいところは、酒や女ばかりを滔々と語るばかりでは実はなく、その裏には彼がひどい病苦を抱えて生きてきた、非常に身体的苦痛を伴った人であったという点なのでしょう。そういった病気の苦しみを大仰に語るのでなく、ギャンブルや酒に混じえて語れるところに、吉行のダンディズムの真骨頂があるのでしょう。」
「吉行のおもしろいとこは、そういった病苦や自身の弱さのために、ルサンチマンに感情が走っちゃってるって部分がまるで見当らないとこなんだよね。これは考えようによってはすごいふしぎなことで、なんで吉行はこれほどの病を抱えて生きてきた人なのに、酒や女やギャンブルや、そういった無頼の趣味に離れることなくて、しかも明るい軽佻さを失うことがなかったのだろって思う。この吉行の明るさ、つよさは、いったいなんだったのかな。べつな見方をすれば、吉行はたしかに酒や女を語る文学をたくさん書いたけど、でも小説にできるということは、吉行が酒や女に狂ってたわけでないことを証すことでもあるわけで‥だって熱狂的にはまってたなら、その対象を冷静に作品に結実さすことはできないものね‥つまり吉行が語ろうとしたことは、酒や女やギャンブルを通じてその向うにあるはずの、人間性の感覚にほかならなかったともいえるのじゃないかなって私は思う。それは病気とそして戦後の日本の歴史感覚ともいえる、ひとりの人間の優れた視線だった。」
「吉行の人間観察は、たしかにすば抜けてすごいところがあるのよね。それは自身いっているとおり、あらゆる層の人間と交流してきた経験の積み重ねの産物といってよいのでしょう。偏見で見られがちな娼婦や、肺病患者として忌み嫌われた結核病棟の人々。そんな世界を経廻ったうえに、吉行の文学は構築された、か。おもしろい人物ね。本当、独特な香りのする興味の尽きない著作家よ。」
『ところで、小生反省癖というか、もう一人の自分がいつも眺めている癖があって、これはソンな性分である。二十代のときは、やむにやまれぬという気分ならびに体力があって、眺めている自分を押し除けて、恥の多いことがしばしばあった。
三十代になると、「この年頃は、まだどうも物欲しげな感じが残っていて、いけない」などと反省する。
四十の声を聞くと、「もうかなりのヒヒ爺になってしまった」と、がっかりする。そして、二十台の体力を懐しみ、三十代こそゴールデン・エイジだったのに惜しいことをしてしまった、と悔やむ。
五十になった今では、「とうとう本格的な初老になってしまった」と、がっかりしていて、思い返せば良い時代は一つもなかった。そのくせ、本格的なヒヒ爺になってやるぞ、という気持もどこかで動いている。』
吉行淳之介「悪友のすすめ」
吉行淳之介「悪友のすすめ」
「重くないのよね。いや、重くないというよりか、吉行はみずからの重さを辛さや道徳や倫理といった次元においては語らず、ある種のダンディズムを通して文章にしたという点に彼の見栄や格好よさがあるといえるのでしょう。その意味で、吉行はスタイリストといってもよいのかしらね。吉行の文学にある共通したスタイルを見出すことは、そうむずかしいことではないでしょう。」
『今はサラリーマンが麻雀をやっても誰も色めがねで見ないけれども、戦後数十年経つころまでは、麻雀をやる人物というのは世間にかなり悪い印象を与えていた。まして戦争中は、悪徳そのもので、麻雀を打つなんて非国民だと言われた。
燈火官制、といっても若い人には解説が必要な時代になった。
要するにアメリカの飛行機の攻撃目標になるといけないから光を外へ洩らさないように、電燈の傘に黒い覆いをする。あるいは黒く塗った電球があって、下だけ丸く光が出るようになっていたが、その下で麻雀を打っていた。
警戒警報が出ても続けていると、牌のガラガラという音が外へも聞こえるらしく、警防団が、
「この非常時に、何たることか」
などと怒鳴りこんでくる。こっちも、ますます意地になってやめない。
戦争に敗けて、小生の家は空襲で丸焼けになり無一物になってしまったから、働かなくてはいけなくなった。大学を中途退学して働いていたものだから、麻雀は一週に一回、日曜日しかできない。その日曜日には昼から夜中の十二時近くまで、高等学校からの友達が集まって打っていた。戦争の疲れと麻雀の疲れが重なったのか、このメンバーは戦後十年足らずのうちに全員結核になった。
小生もその一人であるが、やはり戦争の疲れと麻雀の疲れというのはキビしい。』
吉行淳之介「悪友のすすめ」
「このくだりで私は笑っちゃったのだけど、戦争の一挿話として吉行のこの体験は秀逸じゃないって思う。学校の歴史の時間とかに教えたらどかな。市井の人たちの生活の様子を伝えるにおいて、このばかばかしくてユーモラスな話は、けっこうイデオロギー的にがちがちになっちゃってる戦争観に少しのゆとりを与えるものかもかなって思うじゃない。でもまじめな人たちから反発くらっちゃう光景はすごく目に見えちゃうし、それにそこまで麻雀好きかーって呆れちゃうのもまた自然だけど、ね。結核になるまで麻雀やるなっていうのは、もっともな指摘。血反吐くまでやってるものね。」
「意外と肝心なのが結核になったという部分なのでしょうね。戦後医療史はある意味結核との戦いの歴史でもあったわけで、吉行淳之介にしろ遠藤周作にしろ、彼らの作品を読むことは今ではほとんど聞くところのなくなった結核の当時の様子を知るに実に適当な代物だといえるのでしょう。吉行のおもしろいところは、酒や女ばかりを滔々と語るばかりでは実はなく、その裏には彼がひどい病苦を抱えて生きてきた、非常に身体的苦痛を伴った人であったという点なのでしょう。そういった病気の苦しみを大仰に語るのでなく、ギャンブルや酒に混じえて語れるところに、吉行のダンディズムの真骨頂があるのでしょう。」
「吉行のおもしろいとこは、そういった病苦や自身の弱さのために、ルサンチマンに感情が走っちゃってるって部分がまるで見当らないとこなんだよね。これは考えようによってはすごいふしぎなことで、なんで吉行はこれほどの病を抱えて生きてきた人なのに、酒や女やギャンブルや、そういった無頼の趣味に離れることなくて、しかも明るい軽佻さを失うことがなかったのだろって思う。この吉行の明るさ、つよさは、いったいなんだったのかな。べつな見方をすれば、吉行はたしかに酒や女を語る文学をたくさん書いたけど、でも小説にできるということは、吉行が酒や女に狂ってたわけでないことを証すことでもあるわけで‥だって熱狂的にはまってたなら、その対象を冷静に作品に結実さすことはできないものね‥つまり吉行が語ろうとしたことは、酒や女やギャンブルを通じてその向うにあるはずの、人間性の感覚にほかならなかったともいえるのじゃないかなって私は思う。それは病気とそして戦後の日本の歴史感覚ともいえる、ひとりの人間の優れた視線だった。」
「吉行の人間観察は、たしかにすば抜けてすごいところがあるのよね。それは自身いっているとおり、あらゆる層の人間と交流してきた経験の積み重ねの産物といってよいのでしょう。偏見で見られがちな娼婦や、肺病患者として忌み嫌われた結核病棟の人々。そんな世界を経廻ったうえに、吉行の文学は構築された、か。おもしろい人物ね。本当、独特な香りのする興味の尽きない著作家よ。」
『ところで、小生反省癖というか、もう一人の自分がいつも眺めている癖があって、これはソンな性分である。二十代のときは、やむにやまれぬという気分ならびに体力があって、眺めている自分を押し除けて、恥の多いことがしばしばあった。
三十代になると、「この年頃は、まだどうも物欲しげな感じが残っていて、いけない」などと反省する。
四十の声を聞くと、「もうかなりのヒヒ爺になってしまった」と、がっかりする。そして、二十台の体力を懐しみ、三十代こそゴールデン・エイジだったのに惜しいことをしてしまった、と悔やむ。
五十になった今では、「とうとう本格的な初老になってしまった」と、がっかりしていて、思い返せば良い時代は一つもなかった。そのくせ、本格的なヒヒ爺になってやるぞ、という気持もどこかで動いている。』
吉行淳之介「悪友のすすめ」
吉行淳之介「悪友のすすめ」
