CLANNAD ~AFTER STORY~ 第4話「あの日と同じ笑顔で」
2008/10/25/Sat
「あー、この話か。今回のこのエピソードは、朋也が芽衣ちゃんと付きあってないこの場合でいうのなら、まったく完全に事態の非は朋也にあるのだよね。というのも、朋也の行動はまちがいなく行きすぎであって、彼がしてることは端的にいって彼が「こうなればいいな」と思ってることでしかなくて、朋也、渚、そして芽衣ちゃんの行動の指針はぜんぶ朋也の「こうなればいいな」って、幻想に寄りかかっちゃってる。だれひとり現実を見てなくて、だれひとり冷静に事態を把握しようとすらしてない。だからサッカー部の「お前らばかか」は実はほんとに的を射てて、朋也がやってることはただ自分のわがままをふるってるだけにすぎないとさえいえちゃう。だって、彼らの行動の前提には、今の春原はだめだめって確信があるんだよね。なんで朋也たちみんなは、あんなに春原をばかにしてるの。実はこの物語のなかでいちばん春原を評価してないのは、サッカー部でも学校の先生とかでもなくて、曲りなりにも親友の立場にある朋也以外にありえない。その事実に気づけないとこが、つまりこのエピソードの虫唾の走るとこ。朋也最低の拠るところ。」
「サッカー部はあれでなんだかんだで、春原が来れば部内の現状がなんらか影響を蒙るであろうことを予測して春原を拒否してるのだから、朋也以上には春原の能力は認めているのよね。ま、単純な作劇としてああいうふうに悪役にしてしまうのは、物語としてはおもしろくもなんともないのだけれど。どうしてこう、朋也は独善的なのでしょうね。他者に過干渉なのよ。」
「朋也は、他人に期待をもちすぎちゃうんだよね。たぶんこれは彼のファザーコンプレックスの変型した発露なのだろけど、今回は少し暴走しすぎたかなって印象ある。それは芽衣ちゃんも渚もあんまり朋也を買いかぶりしちゃってるからで、ここに杏とか智代とかがいれば、まだ事態はよい方向に向えたのだろなって思う。あれだよね、朋也はけっきょくのとこ何かに依存しちゃう悪癖があって、それがたいてい事態を不味い展開に押し進めちゃう原因だっていえるかな。今回の話でいえば春原に勝手な期待を押しつけたのは朋也であって、それに応えられなかったからといって春原を責めるのはお門ちがいであることにさいごまで気づけてない。そしてそのことをだれも指摘できてないのが、後々の話の渚にまつわる悲劇のあとの朋也の惨状の決定的な原因だった。だから今回のエピソードで友だちって大事だよねって感じでまとめちゃうのは、ひどい虚偽であって、端的にいえばミスリードのひとつかなともいえることと思える。‥でも今回のお話については、私からいうことはあんまりないかな。肝心なことはぜんぶまぬけづらさんがいっちゃってるので、そちら見てくれたほうがよろしかも。このまとめ方は、見事かな。」
「朋也のひどい独善性の問題ね。ま、ぶっちゃけていえば極度の寂しがりなのよね、朋也は。だから常にだれかに寄りかかっていなければ、自分というのを保てないのでしょう。その弱さを克服するのがクラナドの物語ともいえるけど、実は作品全体を総括してみても、朋也がそれを克服できたとはいいにくい。はてさてね。けっこうここらの部分は、あまり指摘されてないことではあるのかしら。」
「それじゃさいごにひとつ小話。無人島で女の子がひとりきりで泣いていた。彼女はお腹がすいてしかたないのだけど、でもどうすればいいのかわからないのだって。さて、あなたはどうすべき? 魚を釣ってあげる? それとも魚の釣り方を教えてあげる? ‥どちらも外れ。魚を釣ればいいんだってことを気づかせてあげることが、ここでは求められてる。やさしさを、勘ちがいしちゃいけないよ。そしてそれは他者の力を信じることにもつながってる。朋也は、人を侮りすぎる。そこが問題なのだよね。」
「方法はひとつじゃないということなのよね。春原と芽衣の関係においても、二人の和解には多種多様な形があってまったくいいのよ。しかし朋也は、みずからのなかにある理想を現実に、他者に押しつけてしまう。それがどのくらい倨傲なことか、わからなければならないというものでしょう。ま、自戒をこめて、ここでは思っておくことにしましょうか。意外とこのエピソードは、クラナドという作品の核心を衝いているともいえるのでしょう。なかなか興味深かったエピソードね。」
まぬけづらの浪漫倶楽部さん「CLANNAD ~AFTER STORY~ 第4話「あの日と同じ笑顔で」雑感」
『智也の場合、後先考えているんだか考えていないんだか、人生を懸けて女の子を救おうとしちゃうんですよ。それは“重い”んですね、行う側にとっても、行われる側にとっても。だって、“誰かひとりのヒーロー”でいることはなんとか可能でも、“みんなのヒーロー”をやるのは手が足りないのが普通だから。
人生の伴侶に対してはお互い持ちつ持たれるなのでそこまで気を張らずともよく、妹に対して兄が幼い時分の一時だけでもよく(大人になっても可能ですが、「いつでもお兄ちゃんはお兄ちゃん」が可能ですが、日常的には無理でしょう。本当の瀬戸際に助けるぐらい)、子供に対しての親も、本当は一時だけでよい。
だのに、智也は気が多過ぎる。いや、お前無理だろ、責任持てないんだから捨て猫拾ってきちゃダメだろ、的なツッコミが為されてしかるべき行動ばっかりしている。面倒看れないのなら最初から手を出しちゃいけないんですよ。代わりに、自分や、自分の大切な人を助けることに力を注ぐべきで。』
「サッカー部はあれでなんだかんだで、春原が来れば部内の現状がなんらか影響を蒙るであろうことを予測して春原を拒否してるのだから、朋也以上には春原の能力は認めているのよね。ま、単純な作劇としてああいうふうに悪役にしてしまうのは、物語としてはおもしろくもなんともないのだけれど。どうしてこう、朋也は独善的なのでしょうね。他者に過干渉なのよ。」
「朋也は、他人に期待をもちすぎちゃうんだよね。たぶんこれは彼のファザーコンプレックスの変型した発露なのだろけど、今回は少し暴走しすぎたかなって印象ある。それは芽衣ちゃんも渚もあんまり朋也を買いかぶりしちゃってるからで、ここに杏とか智代とかがいれば、まだ事態はよい方向に向えたのだろなって思う。あれだよね、朋也はけっきょくのとこ何かに依存しちゃう悪癖があって、それがたいてい事態を不味い展開に押し進めちゃう原因だっていえるかな。今回の話でいえば春原に勝手な期待を押しつけたのは朋也であって、それに応えられなかったからといって春原を責めるのはお門ちがいであることにさいごまで気づけてない。そしてそのことをだれも指摘できてないのが、後々の話の渚にまつわる悲劇のあとの朋也の惨状の決定的な原因だった。だから今回のエピソードで友だちって大事だよねって感じでまとめちゃうのは、ひどい虚偽であって、端的にいえばミスリードのひとつかなともいえることと思える。‥でも今回のお話については、私からいうことはあんまりないかな。肝心なことはぜんぶまぬけづらさんがいっちゃってるので、そちら見てくれたほうがよろしかも。このまとめ方は、見事かな。」
「朋也のひどい独善性の問題ね。ま、ぶっちゃけていえば極度の寂しがりなのよね、朋也は。だから常にだれかに寄りかかっていなければ、自分というのを保てないのでしょう。その弱さを克服するのがクラナドの物語ともいえるけど、実は作品全体を総括してみても、朋也がそれを克服できたとはいいにくい。はてさてね。けっこうここらの部分は、あまり指摘されてないことではあるのかしら。」
「それじゃさいごにひとつ小話。無人島で女の子がひとりきりで泣いていた。彼女はお腹がすいてしかたないのだけど、でもどうすればいいのかわからないのだって。さて、あなたはどうすべき? 魚を釣ってあげる? それとも魚の釣り方を教えてあげる? ‥どちらも外れ。魚を釣ればいいんだってことを気づかせてあげることが、ここでは求められてる。やさしさを、勘ちがいしちゃいけないよ。そしてそれは他者の力を信じることにもつながってる。朋也は、人を侮りすぎる。そこが問題なのだよね。」
「方法はひとつじゃないということなのよね。春原と芽衣の関係においても、二人の和解には多種多様な形があってまったくいいのよ。しかし朋也は、みずからのなかにある理想を現実に、他者に押しつけてしまう。それがどのくらい倨傲なことか、わからなければならないというものでしょう。ま、自戒をこめて、ここでは思っておくことにしましょうか。意外とこのエピソードは、クラナドという作品の核心を衝いているともいえるのでしょう。なかなか興味深かったエピソードね。」
まぬけづらの浪漫倶楽部さん「CLANNAD ~AFTER STORY~ 第4話「あの日と同じ笑顔で」雑感」
『智也の場合、後先考えているんだか考えていないんだか、人生を懸けて女の子を救おうとしちゃうんですよ。それは“重い”んですね、行う側にとっても、行われる側にとっても。だって、“誰かひとりのヒーロー”でいることはなんとか可能でも、“みんなのヒーロー”をやるのは手が足りないのが普通だから。
人生の伴侶に対してはお互い持ちつ持たれるなのでそこまで気を張らずともよく、妹に対して兄が幼い時分の一時だけでもよく(大人になっても可能ですが、「いつでもお兄ちゃんはお兄ちゃん」が可能ですが、日常的には無理でしょう。本当の瀬戸際に助けるぐらい)、子供に対しての親も、本当は一時だけでよい。
だのに、智也は気が多過ぎる。いや、お前無理だろ、責任持てないんだから捨て猫拾ってきちゃダメだろ、的なツッコミが為されてしかるべき行動ばっかりしている。面倒看れないのなら最初から手を出しちゃいけないんですよ。代わりに、自分や、自分の大切な人を助けることに力を注ぐべきで。』