CLANNAD ~AFTER STORY~ 第6話「ずっとあなたのそばに」
2008/11/08/Sat
「秋の一夜の幻想、かな。このお話はつまり志麻さんの本来の飼い主である人が、かつて恩を受けたことを感謝したくてその思いを自分の飼い猫である志麻さんに託して、そして猫志麻さんは人の姿に顕現して美佐江さんのとこにあらわれた、ということなのだよね。でもそこで猫志麻さんと美佐江さんが恋仲になっちゃうっていうのは、たぶんご主人にしてみればあれれな予想外だったのじゃないかな。とかいっちゃうと私あまりに空気読んでないみたいでやになっちゃう。うーあー、感動物語であることはわかってる、わかってるのだけどー。」
「ま、なんていうか、猫の志麻と美佐江がああいう関係性に至るというのは想定外ではあったのでしょうね。願いをひとつ叶えるというのはそもそも本編中為されたような事柄を意図していたわけではないでしょうし。ま、どうなのかしらね、これって。」
「美佐江さんの現在のあり方が猫志麻さんとの思い出に求められちゃってるから、だからかな。‥猫志麻さんと出会わなければ、たぶん美佐江さんは寮の管理人なんてしてないし、もうちょっとちがう人生を送れてたのかなって思う。でも美佐江さんが現状の暮しをしてるってことは、それだけあの夏祭りでの記憶が心に刻まれてるからなのだろし、人が何かに出会うということは往々にしてそういった力が与ることがあることは認めなきゃいけないことだから、猫志麻さんの責任を云々することは野暮以上に愚かなことであるだろな。それに人の生き方というのは他人が口出しできない性質のものであって、私にできることは美佐江さんの立場を他者としてあるていどの儀礼的な無関心をもって、距離をとることであろうし、今回のお話は、その意味で尊重すべきものがあるのだと思う。‥でも猫志麻さんのやったことはあまりに大きいのかなとは思うけど、ね。今はただの猫さんなのだよね。どうにもできなくて、ちょっと美佐江さん、切ないかな。」
「しかしそれが美佐江さんの決意である、か。はてさてね。消えてしまった男への愛情を一途に抱えている生き方というのは、少し生真面目にすぎるかしらとも思えるけれど、彼女の性格なら致し方ないというのもあるのでしょうね。あの友だち二人はきつい立場かしら。おそらく志麻さんにはそうよい印象を保持できてはいないでしょうし。」
「途中で消えちゃう男なんてー!かな。でも猫志麻さんのふしぎを見知ってたから、そんなこともないのかな。‥人の記憶というのはふしぎで、過去過ぎ去った愛情が、それを思い返す現在に与って力もつとき、その愛情の想起がもたらす心の印象は、決して過去のそれと同一でないはずなのに、過去はただ思われ語られるものでしかないはずなのに、人の心はその記憶のなかの愛情に、どしてか固執しちゃう。思い出というのは私だし、記憶というのは感情だし、感情というのは私の存在なのだよね。操を立てるというのはそこに美があるのはわかるけど、でも傍観者としての私は、今の美佐江さんは幸せなのかなって、問いかけちゃう。それが私のエゴであることは自明として。ただなんとなく、でも私が朋也だったら、その夢のお話はぜったいに語らないなって、そのことだけはつよく思って。私が朋也だったら、話さない。だってその行いは、美佐江さんをますます志摩さんって過去に縛りつけるだけじゃない。そのことをだれも指摘しないのが、私はむかつく。それがクラナドって物語の本性だっていうことは、十二分にわかるのだけど、ね。やになるな。」
「美佐江さんがこれから先、べつの人生の選択をしないということも決ったことではないでしょうし、ま、今は、これでもいいのかもしれないかしらね。ただ人は過去に支配される存在である。その意味で人の心というのは、愛情というのは、恐ろしい。青春の恋愛といって、簡単に片づけられるものでもない。はてさてね。あまり考えても埒があくことはないのでしょうけど、やるせなさは残ってしまう、か。ま、仕方ないのでしょう。傍観者は黙するのみよ。それが最適であるのでしょう。」
→遠藤周作「愛情セミナー」
「ま、なんていうか、猫の志麻と美佐江がああいう関係性に至るというのは想定外ではあったのでしょうね。願いをひとつ叶えるというのはそもそも本編中為されたような事柄を意図していたわけではないでしょうし。ま、どうなのかしらね、これって。」
「美佐江さんの現在のあり方が猫志麻さんとの思い出に求められちゃってるから、だからかな。‥猫志麻さんと出会わなければ、たぶん美佐江さんは寮の管理人なんてしてないし、もうちょっとちがう人生を送れてたのかなって思う。でも美佐江さんが現状の暮しをしてるってことは、それだけあの夏祭りでの記憶が心に刻まれてるからなのだろし、人が何かに出会うということは往々にしてそういった力が与ることがあることは認めなきゃいけないことだから、猫志麻さんの責任を云々することは野暮以上に愚かなことであるだろな。それに人の生き方というのは他人が口出しできない性質のものであって、私にできることは美佐江さんの立場を他者としてあるていどの儀礼的な無関心をもって、距離をとることであろうし、今回のお話は、その意味で尊重すべきものがあるのだと思う。‥でも猫志麻さんのやったことはあまりに大きいのかなとは思うけど、ね。今はただの猫さんなのだよね。どうにもできなくて、ちょっと美佐江さん、切ないかな。」
「しかしそれが美佐江さんの決意である、か。はてさてね。消えてしまった男への愛情を一途に抱えている生き方というのは、少し生真面目にすぎるかしらとも思えるけれど、彼女の性格なら致し方ないというのもあるのでしょうね。あの友だち二人はきつい立場かしら。おそらく志麻さんにはそうよい印象を保持できてはいないでしょうし。」
「途中で消えちゃう男なんてー!かな。でも猫志麻さんのふしぎを見知ってたから、そんなこともないのかな。‥人の記憶というのはふしぎで、過去過ぎ去った愛情が、それを思い返す現在に与って力もつとき、その愛情の想起がもたらす心の印象は、決して過去のそれと同一でないはずなのに、過去はただ思われ語られるものでしかないはずなのに、人の心はその記憶のなかの愛情に、どしてか固執しちゃう。思い出というのは私だし、記憶というのは感情だし、感情というのは私の存在なのだよね。操を立てるというのはそこに美があるのはわかるけど、でも傍観者としての私は、今の美佐江さんは幸せなのかなって、問いかけちゃう。それが私のエゴであることは自明として。ただなんとなく、でも私が朋也だったら、その夢のお話はぜったいに語らないなって、そのことだけはつよく思って。私が朋也だったら、話さない。だってその行いは、美佐江さんをますます志摩さんって過去に縛りつけるだけじゃない。そのことをだれも指摘しないのが、私はむかつく。それがクラナドって物語の本性だっていうことは、十二分にわかるのだけど、ね。やになるな。」
「美佐江さんがこれから先、べつの人生の選択をしないということも決ったことではないでしょうし、ま、今は、これでもいいのかもしれないかしらね。ただ人は過去に支配される存在である。その意味で人の心というのは、愛情というのは、恐ろしい。青春の恋愛といって、簡単に片づけられるものでもない。はてさてね。あまり考えても埒があくことはないのでしょうけど、やるせなさは残ってしまう、か。ま、仕方ないのでしょう。傍観者は黙するのみよ。それが最適であるのでしょう。」
→遠藤周作「愛情セミナー」