萌えと対幻想と性的な問題の社会的な受容への葛藤の話
2008/11/10/Mon
「このエントリ(→東方儚月抄 第十六話「旧友の地図」)を書いてから、ここで言及されてる巫女と神々との関係の構図は、昨今のオタク文化の現況とも相関するものがあるのかなって気がしてきた。それは何かなといえば、「○○は私の嫁」という言説に代表されるオタク文化の側面であって、このことについては私は以前これ(→○○は私の嫁という言い方についてのこと)でふれた。今思うと少しアプローチの仕方がまちがってたかなって気がしてて、たぶんこの現象は共同幻想領域と対幻想領域の相関する地平という側面で、考えてみるべき問題じゃないかなって思う。それはすなわちこの問題は古来から連綿としてつづく神々と巫女の交わりの仕方と同型であり、たぶんオタクと萌えヒロインっていうのは神と巫女の関係に酷似した一面がある。そこがたぶん鍵だと思う‥」
「萌えヒロインがアニミズム的な神々の特徴を備えているという主張は、ま、何かしらね。一見するととんでもでしょうけど、しかしある作品において表現されたキャラが、ファンコミュニティの領域でオリジナルとはべつの表層を獲得し、それが個別のオタクのもとで増幅されるというシステムが、現今のオタク文化の著しい側面だと看做すならば、この言にもある程度の妥当性は生まれる、か。さて、どうなのでしょうね。」
「まず萌えヒロインっていう基礎的なイメージを提供する作品、媒体があって、それは共有される幻想だって定義できる。でもその場合は完全な共同幻想というほどのものでなくて、微妙に個人の思慕とか偏見とかがこびりついちゃって、あくまで個人的な部分と外部的な部分は画然と切りわかれてて、オタクは萌えヒロインに愛着はもっててもその埋められない距離に憤懣を抱く。そこであらわれるのが対幻想領域であって、ここにおいて「○○は私の嫁」って主張の効力ある理由が明確になる。つまり○○は私の嫁って主張することは、つまりそのキャラクターないし属性を家族の次元に引き入れることを意味するのであって、それはずばり紛うことない性的な問題なんだ。そう、巫女が共同幻想たる神を引き下した如く、オタクはキャラクターを本質的な性的存在として感受する。そこで力もつ言説が、「嫁」っていう直接的に生活の同伴者を意味する言葉であったとき、萌えヒロインが実在であるか否かが問題ともならない地平が開けちゃうって、いえるんだ。」
「と、いうと、ま、なんか、キチガイ全開なエントリに聞こえるかしらね。しかしこういった意味あいの言説がそう世迷言ともとれない状況が、そこかしこに見られるのがさいきんだという気は、はてさて、するのかしらね。」
「こんなの(→漫画の人気キャラが非処女と判明してヲタ騒然…「単行本全部捨てる」と漏らすファンも)とか、かな。アニメのキャラクターや、これはいっていいのかどうか微妙だけど、でも声優さんのその手の話とかが話題になっちゃうとき、その背景にあるのはまさに対幻想の課題なのでないかな。たぶん問われてるのは恋愛の問題と、あと家族と恋愛が乖離しかかっちゃってる、近現代にかけての恋愛観のパラダイムシフトの影響の余波なのだと思う。だからアニメキャラと籍を入れたいとかいう話(→日本政府に対し「二次元キャラとの結婚を法的に認めて下さい」という署名活動実施中)は、意外とこの種の悩みを抱えてる人たちの当然で、そして凡庸な帰結であるのかなってさえ思う。つまりそれは対幻想を共同幻想領域において把握すること。言葉を変えていうなら、それは「社会的に思いを大切にする」こと。笑い話で、あんがいないかもかな。」
「ま、そこまで時代は来てしまったのでしょうね。と、いうほかないことかしら。澁澤なりバタイユなりベルメールなりが現代を見たらなんていうのかしら。澁澤は爆笑しそうだけれど。はてさてよ。」
→あるオタク論 やさしさの視点
「萌えヒロインがアニミズム的な神々の特徴を備えているという主張は、ま、何かしらね。一見するととんでもでしょうけど、しかしある作品において表現されたキャラが、ファンコミュニティの領域でオリジナルとはべつの表層を獲得し、それが個別のオタクのもとで増幅されるというシステムが、現今のオタク文化の著しい側面だと看做すならば、この言にもある程度の妥当性は生まれる、か。さて、どうなのでしょうね。」
「まず萌えヒロインっていう基礎的なイメージを提供する作品、媒体があって、それは共有される幻想だって定義できる。でもその場合は完全な共同幻想というほどのものでなくて、微妙に個人の思慕とか偏見とかがこびりついちゃって、あくまで個人的な部分と外部的な部分は画然と切りわかれてて、オタクは萌えヒロインに愛着はもっててもその埋められない距離に憤懣を抱く。そこであらわれるのが対幻想領域であって、ここにおいて「○○は私の嫁」って主張の効力ある理由が明確になる。つまり○○は私の嫁って主張することは、つまりそのキャラクターないし属性を家族の次元に引き入れることを意味するのであって、それはずばり紛うことない性的な問題なんだ。そう、巫女が共同幻想たる神を引き下した如く、オタクはキャラクターを本質的な性的存在として感受する。そこで力もつ言説が、「嫁」っていう直接的に生活の同伴者を意味する言葉であったとき、萌えヒロインが実在であるか否かが問題ともならない地平が開けちゃうって、いえるんだ。」
「と、いうと、ま、なんか、キチガイ全開なエントリに聞こえるかしらね。しかしこういった意味あいの言説がそう世迷言ともとれない状況が、そこかしこに見られるのがさいきんだという気は、はてさて、するのかしらね。」
「こんなの(→漫画の人気キャラが非処女と判明してヲタ騒然…「単行本全部捨てる」と漏らすファンも)とか、かな。アニメのキャラクターや、これはいっていいのかどうか微妙だけど、でも声優さんのその手の話とかが話題になっちゃうとき、その背景にあるのはまさに対幻想の課題なのでないかな。たぶん問われてるのは恋愛の問題と、あと家族と恋愛が乖離しかかっちゃってる、近現代にかけての恋愛観のパラダイムシフトの影響の余波なのだと思う。だからアニメキャラと籍を入れたいとかいう話(→日本政府に対し「二次元キャラとの結婚を法的に認めて下さい」という署名活動実施中)は、意外とこの種の悩みを抱えてる人たちの当然で、そして凡庸な帰結であるのかなってさえ思う。つまりそれは対幻想を共同幻想領域において把握すること。言葉を変えていうなら、それは「社会的に思いを大切にする」こと。笑い話で、あんがいないかもかな。」
「ま、そこまで時代は来てしまったのでしょうね。と、いうほかないことかしら。澁澤なりバタイユなりベルメールなりが現代を見たらなんていうのかしら。澁澤は爆笑しそうだけれど。はてさてよ。」
→あるオタク論 やさしさの視点
