2008/11/12/Wed
「ちょっとうんざり。この作品は、一期のときも感じたけど、狂気とか無理にあらわすことないのでないかな。登場人物が自分の悩み苦しみをあんなふうに言語化できてどどーって奔流のように吐き出せてるという時点で、なんか、ぜんぜん、だいじょぶでない、とか思っちゃう。それに、こういうこといっちゃうとあれれかなだけど、DVに限らずこういった暴力が常態としてある関係性というのの実態にはだいぶ共依存の面があるもので、優子さんと天宮先生のあいだにいつ暴力が介在することになったのかはわかんないけど、でも今の年齢の優子さんにまで暴力をふるってそしてそれを甘受してるってことは、それは優子さんの側にも何か問題はあったかな、という気はするかな。もちろんここで私がこういうこといったとて、だから優子さんの自己責任だーとかっていう気はぜんぜんない。ただひとつだけ、男女の関係のあいだに‥実は親子関係もだいぶ性的関係に収斂されるもの‥起りうる暴力というのは、たぶんに自己愛がからむもので、二人の関係性は二人の暴力をうっすらと欺瞞で覆っちゃってるように見える。あんまり上手くいえないけど、でもなんだろな、この私の優子さんに対する疑いの気持は。」
「また微妙な問題を引っぱってきたという感じかしらね。なんというか、暴力が出た時点でその関係性は明確にある線を越えてしまっているというのに、過去の記憶やその個人への愛情という期待の嘘が、この手の暴力関係を持続させてしまうということなのかしら。優子についていえば、その齢なんだから逃げ出す契機はあったのでしょうといってしまいたくもなるけれど、しかし個別のケースが判然としない状況では、何を傍観者がいっても意味がない、か。はてさてね。」
「天宮先生の態度がまたあれだからなおさら、かな。彼は火村さんに優子に手を出すと後悔するぞといってたけど、それは自身の暴力沙汰を優子を介して知られるのおそれたからそんなこといった、というわけではないみたいに、私には思える。むしろ今回の優子さんのふるまいを鑑みると、少し言葉がわるくなっちゃうけど、火村さんの憐憫を誘って彼をたらしこもうっていう戦略が、うかがえる気がする。‥とかいっちゃうと、私もそうとうひどいかな。ただだけど、優子さんが自分のこれまでされた仕打ちとそれについての憎しみを赤裸々に語るとき、私には彼女が自分のみじめさ、不幸さを披瀝する自分の状況に、ある種の快楽を感じてるような感覚に、ふと、とらわれた。それは悪魔的な意見? もちろんそかな。でもここには女の詐術がある。そして優子さんは、私にはとても女にみえる。それは一種、愉悦を伴っての、かな。」
「非常にこう、誤解されても仕方がないという内容のエントリになってきたかしらね。しかし、ま、微妙なのよ。この話で優子がヤンデレとかいう見方もあることでしょうけど、しかし優子はきわめて正常に女である可能性があるのであり、また天宮を一方的に狂気と断じるのもこの手の問題の理解のうえでは邪魔になるのよ。もちろん天宮が最低の下種だという見方は正しいでしょう。しかし天宮と優子が曲がりなりにも兄妹として、互いに接していた場面はすぐ想起できることもまた事実でしょう。そしてそれを見て火村は二人のあいだにDVのようなものがあるとは予想できなかったでしょう。それはまた視聴者である私たちも同様に。そこがこの種の問題のむずかしさよ。」
「もしかしたらいちばん不幸なのは火村さんになっちゃうのかなって予想が、少し出てきたっていえるかな。私は、暴力が支配する関係は、本能的に嫌忌するけど、でも男が女に相対して暴力のほかふれえざるときがあるということと、そしてそのときの男がどれだけ惨めでありうるかという問題は、とても文学のあつかう領域だなってことは、率直にそう思うかな。むしろこの惨めさの認識の直視が欠けてたことが、天宮先生の行為を促すことになっちゃったのかもだし、それを誘引する何かが優子さんにあって、それは彼女の魔性とさえいえることかもとまで、私は思っちゃう部分ある。‥ただいろいろ微妙かな。私はこの話だけで優子さんをどう見なすか決めることはできない。ただ、火村さんの進退はもうこの時点で決っちゃったのだろなってつよく思う。もう彼は優子さんに陥落してる。その意味で、この作品は自分の描いてるある怖さに、無自覚的でさえ、あるのかも。」
「女性が幅を効かす作品ということかしらね。ま、まだこの回だけでは何ごとかを云々することはできないといった印象だったかしら。不安なのは火村でしょうけどね。彼、このまま天宮を刺殺とかしないかしら? 激情的な行為に駆られる誘因は、さんざん振りまかれた今回だから、余計にその危惧は強まるかしら。さて、どうなるのでしょうね。」
→
遠藤周作「砂の城」
始めまして。
>奔流のように吐き出せてるという時点で
これは大沼監督のインタビューにもあったのですが、
原作側から要望されている演出みたいです。
原作通りこのまま進むと、この後もこんな演出がまだ出てきます。
他にもefの演出テーマには「最後は皆走る」があるので、
今回も最後は皆走りまくるのかな?と思ってます。
優子への虐待ですが、原作では火村が優子に
「どうして逃げなかった?」
「逃げたに決まってるじゃないですか!」
他にも、
「どうして警察に助けを求めなかった?」
と聞き、それに対する優子の答えがあるのですが、
アニメではカットされてしまいそうです。
2008-11-13 木 22:08:20 /URL /鷹村 /
編集
>鷹村さん
どうも。
このような虐待のケースで被害者が警察にいったり逃げ出したりすることができないという場合はよくあることですので、それを省いたとしても全体としては問題ないかな、とは思います。
ただ今回の話では優子は数年来にわたって虐待されてきたということなのですが、そういった場合、そうとうな抑圧が彼女にはかかっているわけで、その抑圧を自覚してなお且つ火村に訴えてしかも火村を責めたてることができてるという時点で、優子の狂気とか被害には迫真性がないなと私は思ってしまいます。
この先も似たようなシーンがあるとすると、ちょっと私としては興ざめかなって気がします。
2008-11-14 金 00:56:05 /
URL /石田麦 /
編集
はじめましてこんにちは(夜ですが)。
優子は別に狂気ではない。拷問と性暴力を受けて(受け続けていて)、「混乱」しているだけですよ。
シャフトも、別に狂気を描いているとは思えなかった。映像の「強度」はむちゃくちゃ強かったけれども。むしろ、優子の恐怖や怒り、絶望の方がよく描かれていたと思います。
性暴力のサバイバー本なんかを読むと、実際の加害者よりも、その性暴力から自分を守ってくれなかった人や、勇気を振り絞って告発したのにそれを拒絶した人の方により強い怒りを感じることがあるようですね。父親や義理父に強姦された子どもが、実際の加害者である父や義理親ではなく、そのことを「なかったことにしよう」と子どもの言い分を信じなかった母親を恨む、みたいなカンジだそうです。被害者自身の感情も混乱している(加害者が怖いというのもある)ものですし。優子が夕を責めているというのは、あながちヘンなハナシではない。むしろ、それだけ夕を大事に思っていた反動でしょう。その意味では、男性スタッフメインのシャフトで性暴力被害者の心情をそこそこきちんと描いたのは、ほんまにスゴイと思いましたけどね。被害者がただ単に弱いだけではない、という姿も含めて。てか、この話、性暴力という社会的な問題ときちんと向き合ってまとめられるのか、それとも優子のための単なる舞台装置として「性暴力」という事象を使い倒すだけなのか(エロゲらしくね)、そこんところがものごっつう気になっておりますねん。
あと、どうして逃げなかったんだ? と加害者を責めるのは(リアルの性暴力の被害者が無神経な警察などによく言われるそうですが)、逃げようが逃げまいが悪いのは加害者なんだから悪くない被害者に対して言ってはいけない言葉(責められている気持ちになるそうです)の筆頭に上げられていますね。ご存じかとは思いますが。
ただ、エントリ拝見しながら、過剰に優子の共依存的側面や優子の落ち度、アラをさがしていらしたように拝見できましたので、ちょっとそこんところが気になりました。
>DVに限らずこういった暴力が常態としてある関係性というのの実態にはだいぶ共依存の面があるもので
優子が雨宮兄に引き取られたのが6歳前後ですよね。それから10年間、兄との生活以外のライフスタイルを知らないのであれば、共依存もなにも、「それ以外」の可能性を想像だにできない、の方が適切なんじゃあありませんかね。これはまだ二次元だからいいけれども、リアルでもよく被害者の粗探しってあるようですし。イヤですね、いや、ホント。
2008-11-19 水 02:42:57 /URL /原作は未経験 /
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>原作は未経験さん
どうも。
「優子は別に狂気ではない。拷問と性暴力を受けて(受け続けていて)、「混乱」しているだけですよ」ということですが、私はその混乱を狂気と呼びます。
というか、私は正気と狂気の境目をあまり確固としたものと考えてません。あるていどの人は、目立たず、狂気だと観察してます。
「優子が夕を責めているというのは、あながちヘンなハナシではない。むしろ、それだけ夕を大事に思っていた反動でしょう」というのは、いやまったく、そのとおりだと7話を見て思いました。ここは私の読みが甘かったところです。
「過剰に優子の共依存的側面や優子の落ち度、アラをさがしていらしたように拝見できました」というのは、たぶん正しいご指摘でしょう。
私は6話の時点では優子をあまり評価してませんでした。ただ7話がよかったので見方を改めました。
2008-11-19 水 22:24:07 /
URL /石田麦 /
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こんばんは。お返事ありがとうございます。
1期2期通して、この作品の中で「狂気」を孕んでいるのは雨宮兄だけじゃあないでしょうか。やっと7話を見て、思ったんですが。ちょっと昔の文学っぽい古臭さがあるけれども、壊れっぷりがいいのでその欠点も目立ちませんし。
あるていどの人が目立たず狂気、というのは同意です。
でも、優子のアレは狂気というよりかはやっぱ計算入ってるよなあ。
それと、これはまあ物語だからどうでもいいっちゃーいいんですが、被害者が共依存であろうとなかろうと、無垢であろうとアバズレであろうと、強姦されたり拷問や虐待を受けていいニンゲンなんて、いていいはずはないですよ。少なくとも、リアルでは。それがどんなに(自分にとって)不愉快で嫌いで、自分に悪意を向けてくるニンゲンであろうとも。
優子がどういう人であれ、また視聴者やゲームユーザーが彼女をどう受け止めたかはさておき、だからといって彼女がああいう酷い扱いを受けていい理由にはならないんじゃないかな、と。まあ、所詮は二次元だからリアルと同じように考えるのは無理があるかもしれませんが。
2008-11-22 土 02:15:11 /URL /
原作は未経験 /
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>原作は未経験さん
どうも。
たしかに仰られるとおり、優子には計算が入っているでしょう。しかし私は計算の有無は関係ないと思っています。むしろ計算しているからこそ、優子はより狂的であるとさえ考えています。
これは狂気をどう定義するかという問題に関係してくるのですが、正気と狂気の明確な境目というのは心理学的にもないといっていいと思います。定義できないといったほうが適切かもしれませんが。
ならば狂気とは何かといった問題ですが、狂気とは個人の内在でなく、集団の評価によって決るものだといっていいのではないか。
すると計算して理性的に混乱を装う(もちろん本当に混乱していた部分もあったでしょうが)優子の振る舞いは、真実、狂気なのだと私は見なすのです。
むずかしいのは雨宮先生なのですが、彼はたしかに狂気を内に潜ませていますが、それを表に出さず今まではさして問題なく社会生活を営んできたんですよね。実際、火村も雨宮の本質には感づけなかった。
すると狂気を社会集団の評価で決るものだと考えると、優子より雨宮のほうが「正常」だということになって、そして雨宮は私は優子より「まとも」だと思っているんですよ。
ここは文学的にもよくテーマになるもので、みずからをよく自覚している狂人は、自身のペルソナをコントロールします。そしてそのため一見して正常なのです。
たとえば遠藤周作「真昼の悪魔」、ドストエフスキー「悪霊」などはこれを描いたものだといってよいのでないでしょうか。
以下のエントリとも多少関連しますのでよろしければご参考に。
http://mugi4ishida.blog71.fc2.com/blog-entry-1040.html
「強姦されたり拷問や虐待を受けていいニンゲンなんて、いていいはずはない」というのは、私もまったく賛同ですよ。
正常とか狂気とかは関係なく、雨宮の暴力は認められるものではありません。
2008-11-22 土 15:23:51 /
URL /石田麦 /
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お返事の返事、さらにありがとうございます。
察するに、ブログ主様とは、「狂気」の概念が違うのだと思います。
それに、世間的には、あんな「狂気」に支配された兄と2人だけで10年も暮らしていて
(しかも虐待つき)精神が狂わないほうがおかしい、という見方もできますし。
そうはいっても、こうした物語というかフィクションの場合、キャラクターの狂気設定は、
安易な「理解したつもり」というか思考停止を招くものだと思います。
(誰もが口にする桂言葉様なんかはいい実例だと思います)
もっともこれは、観る方も描く方も楽に面白がれていいんですけれどもね。
でも、シャフトもとい大沼監督は、視聴者に、そうした安易な「理解したつもり」を
提供するつもりはなさげに見るんですよね。とりあえず、これまでのところは。
漏れ聞こえてくる原作ネタバレの結末を聞いても、
優子は現在の錯乱状況(管理人さまいわく狂気)から
きちんとこちら側(狂気ではない方)に着地しているようですし。
それは、リアルにおける多くの性暴力サバイバーの立ち居地と近いもののようだと
推測しています。
(原作はこれから攻略だしアニメもまだ放映途中だから、これは推測です)
逆に、物語的には、完全に狂言回しである雨宮兄の方は判りやすい狂人として描いている。
ここは、役割分担ということでしょう。
文学的表現が大好きでアート指向が強いシャフトですから、
優子のこの部分はひっくり返る可能性もあるかもしれないけれども、
少なくとも7話までの彼女の描写は、リアルの性暴力被害者、
性暴力サバイバーの傷の深さの証言と比べてみても、
表現のための道具として作品の都合のいいようにつまみ食いしているようには見えません。
さて、もう一点の、前回あえて言わずもがなのことを書き込もうという気になったのは、
「DVに限らずこういった暴力が常態としてある関係性というのの実態にはだいぶ共依存の面があるもの」
「今の年齢の優子さんにまで暴力をふるってそしてそれを甘受してるってことは、それは優子さんの側にも何か問題はあったかな」
「二人の関係性は二人の暴力をうっすらと欺瞞で覆っちゃってるように見える」
「それを誘引する何かが優子さんにあって、それは彼女の魔性とさえいえることかも」
「優子の狂気とか被害には迫真性がない」
などの発言がどうしても気になったからです。
被害者が「純粋な被害者性を持っていない」ことを責めているような文言に見えたので。
もちろん、ブログ主様の、
「「強姦されたり拷問や虐待を受けていいニンゲンなんて、いていいはずはない」というのは、私もまったく賛同ですよ。」
という気持ちを否定したり疑ったりするわけではありません。多くの人の本音もこうでしょう。
けれども、上記のような発言を見たネット上の人の中に、そういう
「被害者の落ち度のあるなし」「落ち度の程度」
「被害の申し立ての嘘っぽさ(という外部の主観)」
「被害者が誘った面もあった(かもしれないという疑惑)」
「誘引する何か、魔性の側面(魔性の女という文学的な記号)」
「共依存ということで、被害者側が何らかの利益を獲得しているかもしれない状態」
etc……という理由付けでもって
こうした虐待やら性暴力やらのリアルの被害者に対してランク付けする心理が芽生えたら、
すげー嫌だな、と思ったもので。
実際、リアルの事件に関しても、こと性暴力問題については、
被害者の粗探しはすぐになされるものですし。
被害者の手記など見ていても、「嘘っぽいと言われた」「疑われた」みたいな記述は
何度も出てきますし。
って、ループしてますね。
人様のブログで長々とすみません。お邪魔しました。
2008-11-25 火 15:44:52 /URL /原作は未経験 /
編集
>原作は未経験さん
どうも。
ああ、なるほど。
正直これまで原作は未経験さんのいいたいことがよく掴めてなかったのですが、今回のコメントで仰りたいことの主旨がわかりました。
そこでこれは私の書き方が不味かったかなと思うのですが、私は「被害者の粗探し」をしているわけでも「被害者が「純粋な被害者性を持っていない」ことを責めている」つもりもありませんでした。
ただ私はここで作品の演出の仕方について言及したのであって、こういった狂気の描き方はあまり優れたものではないだろうということを述べただけだったのです。
これはおそらく原作は未経験さんとは意見を異にする部分だと思いますが、私はシャフトの演出はとりたてて優れたものではないなと思ってるんですよ。
ですから仰られる「表現のための道具として作品の都合のいいようにつまみ食いしているようには見えません」というのも、心から賛同できるわけではないのです。
ですがしかしこれは個人の趣味と価値観の問題でしょう。
だから原作は未経験さんがいわれることはそれでまったくいいと思いますし、ただ私はこう思うというだけなのです。そこで言い争う気は私には毛頭ありませんので、ご了解ください。
2008-11-26 水 00:22:47 /
URL /石田麦 /
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JUGEMテーマ:漫画/アニメ
~火村エピソード~
神様なんてどこにもいない。神様がいないから悲しい事や辛い事がたくさんある。
もしも神様がいるのなら、この世界はもっと綺麗にしてほしい。
辛いことなんて何もなくて、みんなが優しくて、誰も一人ぼっちにならなくて...
朝起きるのが辛い季節。そしてこのアニメを見るのもまた辛い局面に・・。★【初回予約のみ】特典ポスター付き!(外付け)ef-ataleofmelodies.1(初回限定版)(...早速感想。今回も色々な意味でヘビーでした・・・。OPもなんだかめっちゃ不気味・・。その時点で今回はか...
子供時代から学生時代まで隔てられた二つの人生が交差する瞬間の痛みを、より強く感じるのは火村だろうか優子なのだろうか。原作ゲームでの解釈は知らないのだけれど、二つの時代と二人の男に対する優子の復讐編が始まった印象を受ける「ef - a tale of melodies.」第6話?...