川端康成「雪国」
2008/11/17/Mon
「川端の戦前の日本文学を代表する一冊として、さらには冒頭のあまりに有名な出だしに象徴される情景の美の精緻を尽した小説として、今さら私が何かいうことのないほどの知られた作品であることは疑えないかな。でも少しそのあらすじを伝えようとすると、ふとこの小説ほどストーリーを語るのに不適合な作品もないことに気づく。それは物語性といったものがとにかく欠如した小説だってこの作品はいうことができるからで、あらすじを一言で述べるなら、親の遺産であそんで暮してる男の人が温泉宿で芸者を引っかける、といった、ほんとにそんなもの。起承転結とか、わくわく高揚するよな物語のうねりとか、そんなのとは徹底的に無縁なのが「雪国」であり、そしてそれだけでもひとつの作品として成立するというのが小説のもつ可能性であって、ただ場面の一時の限られた瞬間を切りぬこうとした美への執念から生まれる本作は、まさにその正しい証明になるのでないかな。‥もちろん、ただ物語性が欠如してるってだけのことは、いえるわけじゃないのかもしれない。本作を貫いてるのはある女性の生々しい好意の向け方の、その肉声さえすぐそばに感じられるほどの描き方であって、それはある意味「美文」なんて言葉じゃ収まり切らないほど、こわいことなのかもしれない。この小説の女性に接して、人はどう思うかな。ただ美しいとかリアルだなーとか、そういうことだけできっとないよね。そこには、たぶん、ぬるりとした触感がある。そしてその触感を感じられるとこに、川端の常軌を逸した文学がある。」
「生々しいのよね。仰々しい小説にありがちな起伏に富んだストーリーがないぶん、その男女の関係のあり方はこの変哲もない世間一般の人生の一場面と、非常に酷似したものがある。いや、もしかしたら人生というものをそのまま切り抜き小説にしようとしたら、この作品のような形になるのはある意味自然な帰結でさえあるかしら。それは少し考えるべき問題でしょうね。」
「何もないものね。たぶんこの小説を読んで文章がきれいだねーとかそういうこと思える感性のもち主はそう少なくないのでないかなって思えるけど、でもこの小説で描かれる男女関係には目でみえる進展といえる進展はなくて、でもただ日々のちょっとした何げない言葉によって、ときに傷つき、ときに熱狂し、そして個人勝手な思いを蓄積させ絡ませもつれさせ、最終的には、どうにもならない人の情の怨念のこびりつきみたいなのを、もたらせてしまう、人と人の宿命みたいなのを、察知できる人はどれだけいるかなというところに、私はこの小説の少しぞっとする部分を見つける。この小説から漂う女のにおい、そして惚れられる男のたとえようない色気。「雪国」が示すその艶かしさは、もしかしたらそれこそがきわめて日本的風情だったのかもかなって、私は思う。たださいごに至ってもこの小説は何も変わらないし、何も終ってない。ただ情熱の霧散する一瞬前で終ってる。人が色香に狂い、そして我に帰る少し手前で終ってる。その意味で、この小説ほど現実味をきらった作品はないのじゃないかな。雪国なんて、どこにもない。それだから。」
「美は常に現実の前に敗北させられるものである、か。はてさてね。何もないというのはいい得て妙なのでしょう。この作品にはとりたてていうべきほどのものは実際に何もないのよ。しかし日本人がかもし出す色香というものは、そのある種自意識の欠落した穴に発生するものなのかもしれない。そういったことを考え出すと少し怖くもあるかしら。何もなかったであろうこの作品が占める文学史の位置も、考えると、少し怖いものがあるのかしらね。はてさてよ。」
『もう三時間も前のこと、島村は退屈ばぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどろこなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、底に女の片眼がはっきり浮き出たのだった。彼は驚いて声をあげそうになった。しかしそれは彼が心を遠くへやっていたからのことで、気がついてみればなんでもない、向側の座席の女が写ったのだった。外は夕闇がおりているし、汽車のなかは明りがついている。それで窓ガラスが鏡になる。けれども、スチイムの温みでガラスがすっかり水蒸気に濡れているから、指で拭くまでその鏡はなかったのだった。』
川端康成「雪国」
川端康成「雪国」
「生々しいのよね。仰々しい小説にありがちな起伏に富んだストーリーがないぶん、その男女の関係のあり方はこの変哲もない世間一般の人生の一場面と、非常に酷似したものがある。いや、もしかしたら人生というものをそのまま切り抜き小説にしようとしたら、この作品のような形になるのはある意味自然な帰結でさえあるかしら。それは少し考えるべき問題でしょうね。」
「何もないものね。たぶんこの小説を読んで文章がきれいだねーとかそういうこと思える感性のもち主はそう少なくないのでないかなって思えるけど、でもこの小説で描かれる男女関係には目でみえる進展といえる進展はなくて、でもただ日々のちょっとした何げない言葉によって、ときに傷つき、ときに熱狂し、そして個人勝手な思いを蓄積させ絡ませもつれさせ、最終的には、どうにもならない人の情の怨念のこびりつきみたいなのを、もたらせてしまう、人と人の宿命みたいなのを、察知できる人はどれだけいるかなというところに、私はこの小説の少しぞっとする部分を見つける。この小説から漂う女のにおい、そして惚れられる男のたとえようない色気。「雪国」が示すその艶かしさは、もしかしたらそれこそがきわめて日本的風情だったのかもかなって、私は思う。たださいごに至ってもこの小説は何も変わらないし、何も終ってない。ただ情熱の霧散する一瞬前で終ってる。人が色香に狂い、そして我に帰る少し手前で終ってる。その意味で、この小説ほど現実味をきらった作品はないのじゃないかな。雪国なんて、どこにもない。それだから。」
「美は常に現実の前に敗北させられるものである、か。はてさてね。何もないというのはいい得て妙なのでしょう。この作品にはとりたてていうべきほどのものは実際に何もないのよ。しかし日本人がかもし出す色香というものは、そのある種自意識の欠落した穴に発生するものなのかもしれない。そういったことを考え出すと少し怖くもあるかしら。何もなかったであろうこの作品が占める文学史の位置も、考えると、少し怖いものがあるのかしらね。はてさてよ。」
『もう三時間も前のこと、島村は退屈ばぎれに左手の人差指をいろいろに動かして眺めては、結局この指だけが、これから会いに行く女をなまなましく覚えている、はっきり思い出そうとあせればあせるほど、つかみどろこなくぼやけてゆく記憶の頼りなさのうちに、この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだと、不思議に思いながら、鼻につけて匂いを嗅いでみたりしていたが、ふとその指で窓ガラスに線を引くと、底に女の片眼がはっきり浮き出たのだった。彼は驚いて声をあげそうになった。しかしそれは彼が心を遠くへやっていたからのことで、気がついてみればなんでもない、向側の座席の女が写ったのだった。外は夕闇がおりているし、汽車のなかは明りがついている。それで窓ガラスが鏡になる。けれども、スチイムの温みでガラスがすっかり水蒸気に濡れているから、指で拭くまでその鏡はなかったのだった。』
川端康成「雪国」
川端康成「雪国」
