川端康成「古都」
2008/11/18/Tue
「なんてきれいな小説だったんだろう。物語は京都の主に呉服をあつかう問屋のひとり娘である千重子と、彼女と瓜二つの少女である苗子、二人の少女を機軸として展開する。千重子は傾きかけた家業のために少し疲れ気味の父や母を相手にしても、真心から両親を労わり敬慕してる、そんな作中の言葉をつかえば「北山杉みたい」に、まっすぐに敬虔とした人なのだけど、実は彼女は捨て子であって、物語は千重子が双子の片割れである苗子と祇園祭のときに運命的に再会するということで大きくうねりを見せる。自分の出生をくわしく知る機会もなかった千重子は、自分に双子の姉妹がいたって事実にいたくおどろく。それに対して父母とも早、死に別れ、物心もつかないときに別れることになった姉との再会を心から願ってた苗子は、千重子との出会いに涙さえ流すのだけど、二人の機縁はそうかんたんには幸福には結びつかなかった。それには二人の現在の境遇が係ってて、一方はあんまりさいきんは芳しくないといっても京でそこそこ歴史があって評価もされてる問屋のひとり娘である千重子であり、もう一方は杉山で労働に励んでる苗子という構図。もちろん千重子はそういった面で他人を差別するような人でないのだけど、苗子のほうはそうも行かなくて、彼女はお互いの距離と少し感傷的にすぎるとはいえ身分の差まで感じちゃって、できる限り身を引こうと、係わりあいにならないようにって気を配る‥。この小説の見どころは、なんていっても千重子と苗子の双子の美人姉妹の、互いを思いやるその情の交流にこそあるのでないかな。少なくとも私は、もう二人の繊細で気が回るたおやかなやさしさのあふれるふるまいの、お互いがお互いを好きで思いやるがための物語の場面場面の細かな描写に、もう身もだえしちゃったくらい。‥なんて素敵なのかー! 京美人の双子姉妹の愛の様子だなんて、筆舌に尽しがたいに決ってるのだよね!」
「ま、そういう読み方もあるのでしょうけど。しかし随所に挿入される実際の京都の街並の詳細な描写と、各種の祭事を断続的に描きつづけるための京都の町の臨場感は、なかなか興趣に堪えないものはあるのでないかしら。本当、京の景観が思い浮べられるような小説ね。よくもここまで丁寧に書くことと感心するかしら。」
「ねー。京都行きたいよねー。それになんといってもそこで描かれる、悲しい過去を背負ってるけどでも星のめぐり合わせで再会できて、京都弁で交わされるためより肉薄とした印象を与える、千重子と苗子の素敵さは格別かもかな。とくに杉林のなかで突然の雷雨に打たれて、怯える千重子をしっかりと抱きすくめる苗子の場面は、もう私もう転げまわっちゃうかと思っちゃった。えへへ‥あれはよきものかな。」
「‥よくもまあというか、それ、萌え狂いすぎよ。そういうのもありでしょうけど、しかしこの作品のべつの部分は見落してないかしら?」
「萌え狂うよねっ!」
「‥ま、ね。」
「あとは、そだな、千重子と苗子それぞれに関係してくる男性たちという関係性もこの作品には描き出されてくるのだけど、でもそれらがきちんと決着を見ずに終っちゃったとことか、あくまで川端が中心として展開した要所にこの姉妹の動向があることから、この作品の主題に来るものがなんであるかはやっぱりおのずと自明になるかなって気はするかな。‥ただむずかしい部分もあって、ひとつは日常的な場面を淡々と積み重ねてゆくこの小説の形式は、非常に日常性をかもし出すことに成功しているのだけどそこから浮びあがってくる心情、つまりこの小説のきわめて日本的な情感の理解といったものは、京都の風物が随時挿入される本書だから、この作品単体の読書だけではつかみにくいかなとは思う。あとは何より、「気を配る」といった言葉に代表されるような、日本的女性のもつ独特の‥なんていったらいいのかな、機微が、この作品の印象を決定的なものにしてるってとこが、現代の私たちにとっては少し気づきにくいことなのかも。苗子が終盤どれだけ千重子が説き伏せようと、彼女の幸せのためには私は叶うなら消えたほうがいいんだって切々と訴える場面。ここに、私はこの作品の性格の鍵をみる思いかな。それは私を消すことによる、愛する他者への完全な無私なる奉仕。その残り香は、たぶん今もなくなってない、日本的心性の典型的な表現であったのかな。」
「日本らしさ、かしらね。この小説で描かれる各種人物というのは、実にこう言葉にしにくいものでしょうけど、ずばり日本的風土性といったものが感じとれるのよね。苗子が自分を疎かにしてまでも知重子を幸福にしようとするとき、たとえ苗子のその決意が逆に千重子の孤独を深めることになろうとも、あえて自分を無に徹するとき。そこにうかがえるのは単なる臆病さというよりも、もっと深い自分を消して他者を立てるいわれようない快楽なのでないかしら。というと、少し怖ろしいかしらね。その意味では、ま、けっこう恐い小説よ。しかしその恐さは、転じて日本女性の強さでもあったのでしょうけど。ま、そうはいっても、かしらね。」
『「お嬢さん、あたしの親が赤ちゃんを、捨てたのは、お嬢さんの方どしたえ。あたしは、なんでや知りまへんけど」
「そんなこと、もう、すっかり忘れてますえ」と、千重子はこだわりなく、「あたしには、今ではもう、そんな親があったと、思てしまへん」
「ふた親とも、その罰を受けたかしらん、思いますけど……。うちも、赤んぼどしたけど、かにしとくれやす」
「それが、苗子さんに、なんの責任や罪がおすの?」
「そんなことやおへんけど、前にも言いましたやろ。苗子は、お嬢さんの、おしあわせに、ちょっとでもさわりとうないのどす」と、苗子は声を落して、「いっそ、消えてしまいとおす」
「いややわ、そんなん……」と、千重子は強く言った。「なんや、片手落ちみたいな……。苗子さんは、ふしあわせなの?」
「いいえ、さびしいのどす」
「さいわいは短こうて、さびしさは長いのとちがいまっしゃろか」と、千重子は言って、「横になって、もっとお話したいさかい」と、押入れから夜具を出した。
苗子は手つだいながら、しあわせて、こんなんどっしゃろな」と、屋根に耳を傾けた。』
川端康成「古都」
川端康成「古都」
「ま、そういう読み方もあるのでしょうけど。しかし随所に挿入される実際の京都の街並の詳細な描写と、各種の祭事を断続的に描きつづけるための京都の町の臨場感は、なかなか興趣に堪えないものはあるのでないかしら。本当、京の景観が思い浮べられるような小説ね。よくもここまで丁寧に書くことと感心するかしら。」
「ねー。京都行きたいよねー。それになんといってもそこで描かれる、悲しい過去を背負ってるけどでも星のめぐり合わせで再会できて、京都弁で交わされるためより肉薄とした印象を与える、千重子と苗子の素敵さは格別かもかな。とくに杉林のなかで突然の雷雨に打たれて、怯える千重子をしっかりと抱きすくめる苗子の場面は、もう私もう転げまわっちゃうかと思っちゃった。えへへ‥あれはよきものかな。」
「‥よくもまあというか、それ、萌え狂いすぎよ。そういうのもありでしょうけど、しかしこの作品のべつの部分は見落してないかしら?」
「萌え狂うよねっ!」
「‥ま、ね。」
「あとは、そだな、千重子と苗子それぞれに関係してくる男性たちという関係性もこの作品には描き出されてくるのだけど、でもそれらがきちんと決着を見ずに終っちゃったとことか、あくまで川端が中心として展開した要所にこの姉妹の動向があることから、この作品の主題に来るものがなんであるかはやっぱりおのずと自明になるかなって気はするかな。‥ただむずかしい部分もあって、ひとつは日常的な場面を淡々と積み重ねてゆくこの小説の形式は、非常に日常性をかもし出すことに成功しているのだけどそこから浮びあがってくる心情、つまりこの小説のきわめて日本的な情感の理解といったものは、京都の風物が随時挿入される本書だから、この作品単体の読書だけではつかみにくいかなとは思う。あとは何より、「気を配る」といった言葉に代表されるような、日本的女性のもつ独特の‥なんていったらいいのかな、機微が、この作品の印象を決定的なものにしてるってとこが、現代の私たちにとっては少し気づきにくいことなのかも。苗子が終盤どれだけ千重子が説き伏せようと、彼女の幸せのためには私は叶うなら消えたほうがいいんだって切々と訴える場面。ここに、私はこの作品の性格の鍵をみる思いかな。それは私を消すことによる、愛する他者への完全な無私なる奉仕。その残り香は、たぶん今もなくなってない、日本的心性の典型的な表現であったのかな。」
「日本らしさ、かしらね。この小説で描かれる各種人物というのは、実にこう言葉にしにくいものでしょうけど、ずばり日本的風土性といったものが感じとれるのよね。苗子が自分を疎かにしてまでも知重子を幸福にしようとするとき、たとえ苗子のその決意が逆に千重子の孤独を深めることになろうとも、あえて自分を無に徹するとき。そこにうかがえるのは単なる臆病さというよりも、もっと深い自分を消して他者を立てるいわれようない快楽なのでないかしら。というと、少し怖ろしいかしらね。その意味では、ま、けっこう恐い小説よ。しかしその恐さは、転じて日本女性の強さでもあったのでしょうけど。ま、そうはいっても、かしらね。」
『「お嬢さん、あたしの親が赤ちゃんを、捨てたのは、お嬢さんの方どしたえ。あたしは、なんでや知りまへんけど」
「そんなこと、もう、すっかり忘れてますえ」と、千重子はこだわりなく、「あたしには、今ではもう、そんな親があったと、思てしまへん」
「ふた親とも、その罰を受けたかしらん、思いますけど……。うちも、赤んぼどしたけど、かにしとくれやす」
「それが、苗子さんに、なんの責任や罪がおすの?」
「そんなことやおへんけど、前にも言いましたやろ。苗子は、お嬢さんの、おしあわせに、ちょっとでもさわりとうないのどす」と、苗子は声を落して、「いっそ、消えてしまいとおす」
「いややわ、そんなん……」と、千重子は強く言った。「なんや、片手落ちみたいな……。苗子さんは、ふしあわせなの?」
「いいえ、さびしいのどす」
「さいわいは短こうて、さびしさは長いのとちがいまっしゃろか」と、千重子は言って、「横になって、もっとお話したいさかい」と、押入れから夜具を出した。
苗子は手つだいながら、しあわせて、こんなんどっしゃろな」と、屋根に耳を傾けた。』
川端康成「古都」
川端康成「古都」
