ef - a tale of melodies. 第7話「reflection」
2008/11/19/Wed
「復讐が目的っていい切っちゃう優子さんはよかったかな。偽悪的にならなくても、優子さんがしてることはいたずらに火村さんを追いつめちゃうだけのことであって、彼女がもう少し冷静に対処できたなら‥といってもこういう事態に陥っちゃってる人にそれを望むのは酷なのだけど。でも優子さんは存外にきびしく現実認識をしてて、その理由が実はこのお話の要諦なのだろな‥火村さんに責を被せるのはなんら状況の解決に意味ないことは気づくのでないかな。それほどに彼女は賢くて、そして執念ふかい。つまりいえば、優子さんが火村さんを責めるのは、かつて「私を捨てないで」って声ならない声を発した自分を見限った大好きなお兄ちゃんへの復讐であり、そしてその復讐は今なお効力を失わないほどの、彼女のつよい真実の愛の反照でもある。‥前回のお話まではそこまで読めてなかったので困惑したけど、でも優子さんの根底には常に火村さんがいて、そしてその愛が彼への報復を企図していたとするのなら、もしかしたら雨宮先生の折檻でさえ、優子さんの手のひらのうえのことにすぎなかったのかもしれない。とかいっちゃうと、優子さんこわすぎかな。でも、私は彼女はそこまでこわい人にみえる。火村さんを追いこんでく様は、彼女の愛の苛烈な証明にみえる。」
「私を捨てないで、か。ま、なんというか、一見して場面は火村の残酷さを露わにしているように映るでしょうけど、ここで本質的にぞっとするほど非情で残酷なのは、まちがいなく優子のほうであるのでしょう。私を捨てないでと呟かせる男より、実はそう口にする女のほうが、何等か恐ろしいのよ。そしてその鬱積がついに火村の凶行となってあらわれ出る可能性が、今回示されたのでしょうね。いやはや、少しおどろいたかしら。」
「雨宮先生の問題は、私にはこの種の問題を示唆してる気がするかな(→遠藤周作「真昼の悪魔」)。たぶん雨宮先生の優子さんに向う暴力的な衝動は、自身の過去の悲劇の清算の不始末から生まれた、空虚さへの代償行為なのだと思う。そしてそれを埋めるのにいちばん適した立場にあったのが、事実優子さんのほかなかったのであって、その雨宮先生の妹さんの代わりになって先生を支えられる立場にいたはずの彼女は、いつまで経っても火村さんへの恋慕をやめることができなかったから、雨宮先生はより空しさをふかめちゃったのかなって、私は推測する。ただこの間の事情もそのうち描かれるだろから、それなり期待しよかな。意外とこちらのストーリーもおもしろくて、楽しみにしてよいみたい。」
「それに対して久瀬とミズキはどうなのでしょうね。ま、テーマ的には繋がりがあると見てよいのでしょうけど、どちらの物語もある意味空虚さへの抵抗としての愛の獲得を主眼としておいていると考えてよいのかしら。一方は優子と雨宮であり、もう一方は死の呪縛に囚われた久瀬である、と。さて、どうなるのかしらね。」
「死ぬのは、こわいよね。それは、わかる。ミズキの愛は、果してそれを穿てるのかな。久瀬さんよりミズキのほうが謎が多くて、私はあんまり何もいえない。どうなるかな。」
「描写が深まってきた久瀬に対して、当のミズキのほうがあまりくわしく生い立ちなり性格なりは判然となってはいない、か。そういえばそうね。おそらく後半のストーリーはそこが基点となって進行するのでしょうけど、とりあえず期待しましょうか。今回はなかなかよかったことよ。これなら次回もわくわくさせられるというものね。楽しみよ。」
→死の恐怖とかの話
「私を捨てないで、か。ま、なんというか、一見して場面は火村の残酷さを露わにしているように映るでしょうけど、ここで本質的にぞっとするほど非情で残酷なのは、まちがいなく優子のほうであるのでしょう。私を捨てないでと呟かせる男より、実はそう口にする女のほうが、何等か恐ろしいのよ。そしてその鬱積がついに火村の凶行となってあらわれ出る可能性が、今回示されたのでしょうね。いやはや、少しおどろいたかしら。」
「雨宮先生の問題は、私にはこの種の問題を示唆してる気がするかな(→遠藤周作「真昼の悪魔」)。たぶん雨宮先生の優子さんに向う暴力的な衝動は、自身の過去の悲劇の清算の不始末から生まれた、空虚さへの代償行為なのだと思う。そしてそれを埋めるのにいちばん適した立場にあったのが、事実優子さんのほかなかったのであって、その雨宮先生の妹さんの代わりになって先生を支えられる立場にいたはずの彼女は、いつまで経っても火村さんへの恋慕をやめることができなかったから、雨宮先生はより空しさをふかめちゃったのかなって、私は推測する。ただこの間の事情もそのうち描かれるだろから、それなり期待しよかな。意外とこちらのストーリーもおもしろくて、楽しみにしてよいみたい。」
「それに対して久瀬とミズキはどうなのでしょうね。ま、テーマ的には繋がりがあると見てよいのでしょうけど、どちらの物語もある意味空虚さへの抵抗としての愛の獲得を主眼としておいていると考えてよいのかしら。一方は優子と雨宮であり、もう一方は死の呪縛に囚われた久瀬である、と。さて、どうなるのかしらね。」
「死ぬのは、こわいよね。それは、わかる。ミズキの愛は、果してそれを穿てるのかな。久瀬さんよりミズキのほうが謎が多くて、私はあんまり何もいえない。どうなるかな。」
「描写が深まってきた久瀬に対して、当のミズキのほうがあまりくわしく生い立ちなり性格なりは判然となってはいない、か。そういえばそうね。おそらく後半のストーリーはそこが基点となって進行するのでしょうけど、とりあえず期待しましょうか。今回はなかなかよかったことよ。これなら次回もわくわくさせられるというものね。楽しみよ。」
→死の恐怖とかの話