CLANNAD ~AFTER STORY~ 第8話「勇気ある闘い」
2008/11/22/Sat
「なんかよくわかんないかな。宮沢さんはみんなが争わないようにって訴えてるっていうのはそれはべつにそれで立派な志なのでないかなって思うけど、でもそれで宮沢さんがしてることってただ単にあちこちの不良グループの人と縁故をつないでるってだけのことであって、その行為自体はなんら争いをなくすって目標には益してなかったのじゃないかな。争いをなくしたいってほんとにその実現を願うなら、やるべきことはもっとほかにあるはずで、たとえば抗争が起きるってことは集団内の党派性とかその地域の権力構図とかいろいろ要素はあるだろけど、でもそれらに対してただ争いはよくないよーっていいながらそれぞれの派閥の人たちと仲よく談笑してるだけなのなら、なんていうのかな、すごく意味ないじゃない、それ。ちょっとわるい言い方をしちゃうなら、今回けんかが起った理由の責は、もちろん春原が名前を騙ったということもあるにはあるけれど、でもそれより重いのは宮沢カズトさんって故人の清算を上手くできてなかった有紀寧さんとそのグループにあるのでないかな。大元締めがなくなっちゃって、それで集団が統制とれなくて、あろうことか他集団とぐだぐだになっちゃうなんて、それは状況としては最悪のぐだぐだでない。もっとこうなる前に宮沢さんはやることあっただろなって、ふと私は冷徹に、思っちゃう。」
「基本的に有紀寧は理想論しか語らないからでしょうね。争いをなくしたいと思っても、そのために現実的な方策をとるでもなく、実務的に行動するでもなく、ただ抽象的な道徳訓を語っていただけではあるのでしょう。その意味では智代は生徒会に入って実際的に行動しているからまだしもなのでしょうけどね。ま、かといって有紀寧が果していた役割が意味がないとまではいわないけれど。しかし彼女の理想論は理想論としてあるべく現実の前に挫折してしまった、か。世知辛いことね。」
「そこまでいっちゃうときついかなだけど、ね。でもここまでいうのも、だって、有紀寧さん殴られてるでない。べつに軽症だったからよかったとか、問題はそういう次元にあるわけないでない。つまり私がいいたいのは、暴力がいけないとかそういった理想論は、それが世界において実質的なシステム的な方法論として語られないただの正義や道徳といった言説に留まる限り、なんの意味ももちえないじゃない、ということ。実際に、ほんとに現実に、暴力がいけないって思ったなら、それがない状況を現出したいって思ったなら、やることは愛をもって抽象的な訓戒を垂れることでなくして、ていねいに堅実に謙虚に、現実に小さく働きかけてくことでないかなって、私は思う。小さいことで、自分の周囲から。何も私は有紀寧さんがお兄さんの代わりになってリーダーになっちゃえーとか、そういうことはいわない。ただもっと小さく、やれることはあったはず。そしてやれることがなかったなら、自分の小さな関係性の世界を守るために、あえて逃げることも、汚名を被って引き下がることも、できたはず。それがなかったから、あんな暴力沙汰になったんだよ。勇気ある闘いなんて、私は、信じない。」
「もちろん有紀寧に智代のようなことができたとは思わないのよ。しかし有紀寧には有紀寧の果すべき役割が、ただたしかにあったはずだと思えてしまうのが、なんともやるせないのかしらね。ある意味理想論のもつ危うさを、有紀寧というキャラクターはあらわしていたともいえるのかしら。ラスト大団円で終っていたのは、端から見たら少し危険にも思えるのよね。カズト兄さんが喜んでいたと語るのは、どうも危うい満足感のような気がするけれど。ま、そう思ってしまうのも仕方ないことではあるのでしょう。理想論のもつ魅力は厄介、か。はてさてよ。」
「基本的に有紀寧は理想論しか語らないからでしょうね。争いをなくしたいと思っても、そのために現実的な方策をとるでもなく、実務的に行動するでもなく、ただ抽象的な道徳訓を語っていただけではあるのでしょう。その意味では智代は生徒会に入って実際的に行動しているからまだしもなのでしょうけどね。ま、かといって有紀寧が果していた役割が意味がないとまではいわないけれど。しかし彼女の理想論は理想論としてあるべく現実の前に挫折してしまった、か。世知辛いことね。」
「そこまでいっちゃうときついかなだけど、ね。でもここまでいうのも、だって、有紀寧さん殴られてるでない。べつに軽症だったからよかったとか、問題はそういう次元にあるわけないでない。つまり私がいいたいのは、暴力がいけないとかそういった理想論は、それが世界において実質的なシステム的な方法論として語られないただの正義や道徳といった言説に留まる限り、なんの意味ももちえないじゃない、ということ。実際に、ほんとに現実に、暴力がいけないって思ったなら、それがない状況を現出したいって思ったなら、やることは愛をもって抽象的な訓戒を垂れることでなくして、ていねいに堅実に謙虚に、現実に小さく働きかけてくことでないかなって、私は思う。小さいことで、自分の周囲から。何も私は有紀寧さんがお兄さんの代わりになってリーダーになっちゃえーとか、そういうことはいわない。ただもっと小さく、やれることはあったはず。そしてやれることがなかったなら、自分の小さな関係性の世界を守るために、あえて逃げることも、汚名を被って引き下がることも、できたはず。それがなかったから、あんな暴力沙汰になったんだよ。勇気ある闘いなんて、私は、信じない。」
「もちろん有紀寧に智代のようなことができたとは思わないのよ。しかし有紀寧には有紀寧の果すべき役割が、ただたしかにあったはずだと思えてしまうのが、なんともやるせないのかしらね。ある意味理想論のもつ危うさを、有紀寧というキャラクターはあらわしていたともいえるのかしら。ラスト大団円で終っていたのは、端から見たら少し危険にも思えるのよね。カズト兄さんが喜んでいたと語るのは、どうも危うい満足感のような気がするけれど。ま、そう思ってしまうのも仕方ないことではあるのでしょう。理想論のもつ魅力は厄介、か。はてさてよ。」