ef - a tale of melodies. 第8話「reutter」
2008/11/26/Wed
「雨宮先生のいってることは結果論ではあっちゃうんだよね。お前は逃げたのだーとかいわれても、あの状況ではしかたなかったじゃんって、ふつう傍観者の私なんかは思っちゃう。でもその冷静に考えてみれば理路がめちゃくちゃでただの難癖かって切り捨てられる雨宮先生の言葉を真に受けちゃえるほどに、火村さんというのは素直な人だし‥ばか素直かな。少しこの純真さは、危ういな‥彼の心に過去の災害の記憶は、今なお消えない影響力をもっちゃってるほど、悔いがついて回ってるってことなのかな。‥ただ、でもうん、妹さんを失っちゃったって事実は事実それとしても、そこに火村さんの罪があるって考えることは理屈としてナンセンスだっていうことは、少なくとも理性的に考えたら当然に至りつく結論だけど、火村さんはその悲劇をただの悲劇としてでなくて自身の罪業としてとらえ、そしてある意味その償いのために火村さんは生きてきたともいるから、物語はむずかしくなっちゃってるのかな。それは火村さんは、むしろ悲劇を己の責任に帰することで、生きるための力を得てたともみえるからで、そうしなきゃ生きられないほど‥放っておいたら自死に至った‥妹さんの彼において占める割合は大きかった、か。‥それはそれで健全な関係だったとはいえないかなだけど、でも火村さんは過去のためによくもわるくも生かされてたとはいえるのかな。そして雨宮先生のしたことは、火村さんのそういった内罰的な傾向を見抜いたうえでのいちばん痛い部分を突いちゃったのだろな。ある意味、火村さんは雨宮先生自身の生き写しだろから、彼の心理はよくわかって当然なのかも。」
「危うい人間というのはまったく、かしらね。いきなり優子を連れて出奔してるところは何ごとかと思ったことよ。まさか駆け落ちしてしまうとは、いやはや、はてさてというか、人は見た目に寄らないというか、ある意味見た目どおりというか。まったく激情的な性のもち主であることよ。これほど加熱しやすい心性の人だから、雨宮のいうことでもあれほど動揺してしまうのでしょうね。冷静に見返せば雨宮の主張に妥当性はないことに気づけるでしょうに。それができないのが、ま、火村が雨宮に拮抗しえない理由かしら。それは、少し哀れでさえあるのでしょう。」
「ここで雨宮先生に火村さんを捨ててついてっちゃう優子さんの心理が問題となるのかな。優子さん何考えてるのー、みたいに。ただだけど思うのは、人の心というのはそんなつよいものでないし、優子さんはとりたててつよい人でないっていうこともわかってたことだから、この展開は、ある意味しかたないことではあったのかなって、私は思うかな。というのも、たぶん二人の出奔の最終的に行き着く先は、心中でしか、ないのじゃないかな。そして優子さんははっきりとはいえなくても、薄々その可能性に思い至ってたから、雨宮先生の出現に心揺れちゃったのでないかな。‥ここで私がそう思うのはいくつか理由があって、まずひとつめは、火村さんと優子さんは、どちらも若いから。こういうと危険かなだけど、若さの美は自殺を誘引する。‥もひとつは、そしてこれが核心であるのだけど、火村さんの深層心理にはたぶん雨宮先生が指摘したように妹といっしょに死にたかったって欲望があって、そして妹を‥これは火村さん自身は否定してたけど、でもそうじゃないってことは、彼が燃えた時計の遺品を捨てきれないでいることからも察せる‥忘れきれない彼は、いつか妹の影を優子さんにだぶらせて、そして優子さんを妹の代替にして、彼女を幸せに、つまり救うために、ともに死のうとしちゃう傾向があることは、今回のある意味彼の楽天的なふるまいから、予見できることでさえあったのじゃないかなって、私は思っちゃう。‥火村さんの願いが、妹の無念を晴らすことだとしたなら、優子さんに求められるのが、優子さん自身にとって決して幸福な未来を約束する方向でないことは、むしろその対極であることは、ほかならない優子さん自身にとって、感づけちゃうことであったのじゃなかったかな。優子さんは、火村さんの危うさに、気づいてた。だからこの作品でもしいえば、優子さんより、そしてもしかしたら雨宮先生より、火村さんの狂気は色濃いのかもしれない。‥妹って死神に、誘われて冥府に落ちるのは、彼という人にこそ、ふさわしいことであるのだから。」
「優子は回の進むにつれ、どんどん常識的な人であることが判明してくるのが、より火村の尋常でなさを証し立ててくれているのかしらね。こういうとなんでしょうけど、不幸である女性の姿に萌えてしまうという心性をもった人は、実はそう少なくないのよ。そしてそのときその心理には、少なからず女性に対しての自己投影と若干の美化が起っているとはいえるのでしょう。ま、なんだか口にするだけでとんでもない話だけれど、火村はけっこう怖いのよね。優子が火村を怖がったとしても、そうおかしくはないのでないかしら。もちろん、それが火村の不幸を呼び寄せようと、優子にしてみれば、詮無きことであるのでしょうが。はてさてね。ままならないものよ。」
→救いについての意味あい 生と死の混淆
→まほらば~Heartful days~ 第19話~第21話
「危うい人間というのはまったく、かしらね。いきなり優子を連れて出奔してるところは何ごとかと思ったことよ。まさか駆け落ちしてしまうとは、いやはや、はてさてというか、人は見た目に寄らないというか、ある意味見た目どおりというか。まったく激情的な性のもち主であることよ。これほど加熱しやすい心性の人だから、雨宮のいうことでもあれほど動揺してしまうのでしょうね。冷静に見返せば雨宮の主張に妥当性はないことに気づけるでしょうに。それができないのが、ま、火村が雨宮に拮抗しえない理由かしら。それは、少し哀れでさえあるのでしょう。」
「ここで雨宮先生に火村さんを捨ててついてっちゃう優子さんの心理が問題となるのかな。優子さん何考えてるのー、みたいに。ただだけど思うのは、人の心というのはそんなつよいものでないし、優子さんはとりたててつよい人でないっていうこともわかってたことだから、この展開は、ある意味しかたないことではあったのかなって、私は思うかな。というのも、たぶん二人の出奔の最終的に行き着く先は、心中でしか、ないのじゃないかな。そして優子さんははっきりとはいえなくても、薄々その可能性に思い至ってたから、雨宮先生の出現に心揺れちゃったのでないかな。‥ここで私がそう思うのはいくつか理由があって、まずひとつめは、火村さんと優子さんは、どちらも若いから。こういうと危険かなだけど、若さの美は自殺を誘引する。‥もひとつは、そしてこれが核心であるのだけど、火村さんの深層心理にはたぶん雨宮先生が指摘したように妹といっしょに死にたかったって欲望があって、そして妹を‥これは火村さん自身は否定してたけど、でもそうじゃないってことは、彼が燃えた時計の遺品を捨てきれないでいることからも察せる‥忘れきれない彼は、いつか妹の影を優子さんにだぶらせて、そして優子さんを妹の代替にして、彼女を幸せに、つまり救うために、ともに死のうとしちゃう傾向があることは、今回のある意味彼の楽天的なふるまいから、予見できることでさえあったのじゃないかなって、私は思っちゃう。‥火村さんの願いが、妹の無念を晴らすことだとしたなら、優子さんに求められるのが、優子さん自身にとって決して幸福な未来を約束する方向でないことは、むしろその対極であることは、ほかならない優子さん自身にとって、感づけちゃうことであったのじゃなかったかな。優子さんは、火村さんの危うさに、気づいてた。だからこの作品でもしいえば、優子さんより、そしてもしかしたら雨宮先生より、火村さんの狂気は色濃いのかもしれない。‥妹って死神に、誘われて冥府に落ちるのは、彼という人にこそ、ふさわしいことであるのだから。」
「優子は回の進むにつれ、どんどん常識的な人であることが判明してくるのが、より火村の尋常でなさを証し立ててくれているのかしらね。こういうとなんでしょうけど、不幸である女性の姿に萌えてしまうという心性をもった人は、実はそう少なくないのよ。そしてそのときその心理には、少なからず女性に対しての自己投影と若干の美化が起っているとはいえるのでしょう。ま、なんだか口にするだけでとんでもない話だけれど、火村はけっこう怖いのよね。優子が火村を怖がったとしても、そうおかしくはないのでないかしら。もちろん、それが火村の不幸を呼び寄せようと、優子にしてみれば、詮無きことであるのでしょうが。はてさてね。ままならないものよ。」
→救いについての意味あい 生と死の混淆
→まほらば~Heartful days~ 第19話~第21話