とらドラ! 第9話「海にいこうと君は」
2008/11/27/Thu
「竜児の言い分には一理ある。それは彼が恋愛を幽霊にたとえてるとこで、自分は幽霊に会いたいって思ってる、今までたぶんしっかりと認識したことはないけどでもいつか会ってみたいなって意中の人相手に語る場面は、私が竜児というあんまり好きでない人のなかで、とてもよいな素敵だなって感じられた瞬間のひとつだった。そう、そなんだよね。恋愛というのにあこがれちゃうっていうのはわかっちゃう。メディア幻想とか、恋愛が物語として語られるようになってだれも彼もがラブコメで非モテの人は疎外されてるとか、そういった言説があるていど有効な主張であることは認めるけど、でもそれらに係らず、つまり現代って文脈を踏まえたうえにも係らず、変わらない恋愛への憧憬とそれにつりあうべき恋愛の力の本質というのは、あるにはあるのかなって思うくらいに、私は恋愛には期待しちゃう心情というのがあるのかなって自覚する。恋愛って、めんどいね。たぶん自殺するより、恋愛のほうがめんどい場合って、たいていだよ。そこがときおりやになっちゃう、かな。」
「竜児が実乃梨と語りあう場面が非常に良かったというのは、たしかにそう首肯できるものあるのでしょうね。この語らいがある意味竜児と実乃梨が対等に接したはじめての瞬間であったのであり、ここでの印象を感じると、実際問題竜児と実乃梨はそう相性悪いというわけじゃないのでしょうね。ま、もちろん、こういった話題を二人が共有できたからといって、それが互いが互いを恋愛対象として十分に機能するかといえば、微妙なところではあるのでしょうけど。」
「ここでみのりんがいう、恋愛感情ってなんなのか私わかんないって答える態度は、わかる人にはすんなりわかることでないかなって、私は思うかな。というのも、これはあんがい男性にはつうじにくいことかもだけど、恋愛感情を実感したことのない女性はずっといる。たぶんだけどこれが恋愛かーって自覚できるほどに恋愛を体験してその機微を意識できる人というのは、意外というほど身近に偏在してないのじゃないかな。それはその人が美人か不美人かということには無関係で、つまりほとんどの人は素敵な恋愛の物語を演じるには自分は役不足だなって感じてるってことが大きく与ってて、そしてそれに恋愛の劇的な開始の告示というものも、明瞭に訪れる人なんて早いうちにそんないないから、みのりんが恋愛がわからないって語るのは、その言葉どおりに受けとめるべき発言であったって、私は思う。‥たぶん、これは作者の竹宮ゆゆこのよく実感のこもったシーンだったのじゃないかな。竹宮先生というのは、たぶん、恋愛のドラマ性というのを幻想としては信じてない。それでも恋愛の力というのは考えてる。この作品のことを考えると、下世話だけど私、竹宮先生の人となりと抱く恋愛観にちょっと興味湧いてくるかな。それは作家論としてよりも、私の単純な好奇心のせいかもだけど、「とらドラ!」を読むと、この人はけっこう現代的な恋愛観の文脈の背景に対して、違和を感じとってたのでないかなって、私は少し思うかな。」
「恋愛というのは愛だの出会いだの感動の涙だの、そういった大衆的には大仰な言葉で飾られるものであるけれど、しかしそういうのを心から信じている人は、いないだろうというある種の感慨かしら。恋愛がわからない人はけっこう普遍的に存在するものだと語る女性の心情というものは、これで実に素直な感情がこめられていたりするから意想外なものよね。さて、ここでひとつの問題が浮上もするでしょう。竜児や実乃梨は幽霊に会いたいってことを肯定する形であの対話は終了していたけど、ではそれじゃ幽霊に出会えない人生といういのはあるものかしら? そしてまた幽霊に出会えなかった人生には意味があるのかしら? これは本質的な問題よ。さて、どう答えるべきでしょうね。」
「竜児が実乃梨と語りあう場面が非常に良かったというのは、たしかにそう首肯できるものあるのでしょうね。この語らいがある意味竜児と実乃梨が対等に接したはじめての瞬間であったのであり、ここでの印象を感じると、実際問題竜児と実乃梨はそう相性悪いというわけじゃないのでしょうね。ま、もちろん、こういった話題を二人が共有できたからといって、それが互いが互いを恋愛対象として十分に機能するかといえば、微妙なところではあるのでしょうけど。」
「ここでみのりんがいう、恋愛感情ってなんなのか私わかんないって答える態度は、わかる人にはすんなりわかることでないかなって、私は思うかな。というのも、これはあんがい男性にはつうじにくいことかもだけど、恋愛感情を実感したことのない女性はずっといる。たぶんだけどこれが恋愛かーって自覚できるほどに恋愛を体験してその機微を意識できる人というのは、意外というほど身近に偏在してないのじゃないかな。それはその人が美人か不美人かということには無関係で、つまりほとんどの人は素敵な恋愛の物語を演じるには自分は役不足だなって感じてるってことが大きく与ってて、そしてそれに恋愛の劇的な開始の告示というものも、明瞭に訪れる人なんて早いうちにそんないないから、みのりんが恋愛がわからないって語るのは、その言葉どおりに受けとめるべき発言であったって、私は思う。‥たぶん、これは作者の竹宮ゆゆこのよく実感のこもったシーンだったのじゃないかな。竹宮先生というのは、たぶん、恋愛のドラマ性というのを幻想としては信じてない。それでも恋愛の力というのは考えてる。この作品のことを考えると、下世話だけど私、竹宮先生の人となりと抱く恋愛観にちょっと興味湧いてくるかな。それは作家論としてよりも、私の単純な好奇心のせいかもだけど、「とらドラ!」を読むと、この人はけっこう現代的な恋愛観の文脈の背景に対して、違和を感じとってたのでないかなって、私は少し思うかな。」
「恋愛というのは愛だの出会いだの感動の涙だの、そういった大衆的には大仰な言葉で飾られるものであるけれど、しかしそういうのを心から信じている人は、いないだろうというある種の感慨かしら。恋愛がわからない人はけっこう普遍的に存在するものだと語る女性の心情というものは、これで実に素直な感情がこめられていたりするから意想外なものよね。さて、ここでひとつの問題が浮上もするでしょう。竜児や実乃梨は幽霊に会いたいってことを肯定する形であの対話は終了していたけど、ではそれじゃ幽霊に出会えない人生といういのはあるものかしら? そしてまた幽霊に出会えなかった人生には意味があるのかしら? これは本質的な問題よ。さて、どう答えるべきでしょうね。」