CLANNAD ~AFTER STORY~ 第11話「約束の創立者祭」
2008/12/13/Sat
「むかしなんだったかな、押井守がジブリの「耳をすませば」を批判してた文章があって、そこで押井はお客さんは浮世のつらさを忘れたいからわざわざ映画館に足を運ぶのに、こんな完璧な家族を描いたら自分の生活を思いだしちゃって逆に落ちこませることになっちゃうじゃないか、みたいなこといってた。だからおれは娯楽作品しか作らないのだって豪語してたけど、押井の衒学的な作品をエンターテイメントとして楽しめる人もまた限られてはくるのが自明なのがちょっとおかしい。でも私は、ここで押井がいいたかったことはなんとなくつかめるかな。そして今回のクラナドのエピソードをふり返ると、もうこれは完全に娯楽作品じゃないなって思う。あえていうならプロレタリア文学の系譜? それはそれでなんだろなだけど。」
「幻想世界が出しゃばる余地のない話だったことにもそれはうかがえるのでしょうね。はてさて、どうなのかしら、これは。この話単体で評価するとすれば、なんだか一労働者が職場で如何に成長していくかを実に丁寧に描いた良作とかなるのでしょうけど、これが元は学園どたばたラブコメをやっていた主人公の姿とは、どうにも言葉がないものがあるかしら。本当、この現実に足のついた話は何かしらね。改めてみると、いろいろとんでもない作品かしら。」
「働くこと、というのを実直に描いてるんだよね。ここまで生真面目に仕事の有様を描写しようって努めた作品は、大衆向けでは皆無なのでないかな。それはいわゆる一般大衆に広く受け容れられる作風というのは、前述の押井がいうとおり浮世を忘れさせてくれるものであることが求められてるからで、こんな勤勉な作業風景をあえて観賞するなんていうのは、仕事についての感慨を呼び起しこそすれ、息抜きには程とおいだろな。一昔前のプロレタリアートだの小林多喜二でもあるまいし、今どきこんな廉直に働く若者を描こうとするなんてある意味狂気の沙汰でさえあるのかも。‥でもおもしろいのは、こういった種類の作品が二十一世紀になって目立ってあらわれ出たのがほかならない美少女ゲームっていうオタク文化からであるってことなのだよね。オタクというと世間的には反社会的な態度の象徴なのかもだけど、今回のクラナドのエピソードだけみたら、まるで労働賛歌の一作じゃない。この事態は、たぶん、人が思ってる以上に奇異なものじゃないかな。」
「文化の潮流というのを考えると、ここまで馬鹿真面目に労働を描く作品なんていうのはもう大衆文学の地平にはないでしょうからね。職種ものというジャンルの作品がないわけではないでしょうが、しかしクラナドの朋也の仕事は電気工よ。これを描こうとした事実は非常に注目されるべきことであるのでしょう。まったく真に、クラナドという作品は変り種かしらね。アニメで映像で再現すると、その独自色がより鮮明にあらわれるのでしょう。」
「労働は人の本質だなんて、マルクスの言葉を思いだしちゃうくらいに、かな。仕事というのの本質は分業であって、分業の必然性から人それぞれが個人の役割を担いあう社会の状況が生まれる。そしてクラナドという作品が描こうと試みてるのは、まさに個々人がそれぞれに生きる生活の実体から形造られるであろう、生活そのものの場に対する、愛着。その愛着こそが奇跡の正体なんだって、一見するととても正気には受けとれないような、そんなメッセージがこの作品にはこめられてる。‥だから、たぶん、今回の朋也の労働をきちんと描くことは、この作品全体において必要不可欠な重要性を帯びることになってるのかなって私は思う。私は、でもその主張するとこにかならずしも賛同ではないけれど、ね。あんがい仕事の本質が、浮き彫りにされてなおかつ讃えられてるのが、本作のこわい部分でもあるのかな。これが美少女アニメでやるのだから、世の中というのはわからない。」
「ここまで現実の生々しさを描かれてもね、という思いはあるでしょう。しかしおそらくここの景色こそが本作は描きたかったのであり、さらには本作がどういった思想を抱えて作成されたかの一端が、この労働に勤しむかつての不良少年の姿に示されているのでしょう。そう思うと、どうにも見づらくなってくる作品ね。こういう作品を今の時代にどうやって受け容れるべきなのかしら。プロレタリアとかいいたくないけど、しかしそういった言葉が思い浮ぶのよね。はてさて、評価しづらくなってきたものね。」
「幻想世界が出しゃばる余地のない話だったことにもそれはうかがえるのでしょうね。はてさて、どうなのかしら、これは。この話単体で評価するとすれば、なんだか一労働者が職場で如何に成長していくかを実に丁寧に描いた良作とかなるのでしょうけど、これが元は学園どたばたラブコメをやっていた主人公の姿とは、どうにも言葉がないものがあるかしら。本当、この現実に足のついた話は何かしらね。改めてみると、いろいろとんでもない作品かしら。」
「働くこと、というのを実直に描いてるんだよね。ここまで生真面目に仕事の有様を描写しようって努めた作品は、大衆向けでは皆無なのでないかな。それはいわゆる一般大衆に広く受け容れられる作風というのは、前述の押井がいうとおり浮世を忘れさせてくれるものであることが求められてるからで、こんな勤勉な作業風景をあえて観賞するなんていうのは、仕事についての感慨を呼び起しこそすれ、息抜きには程とおいだろな。一昔前のプロレタリアートだの小林多喜二でもあるまいし、今どきこんな廉直に働く若者を描こうとするなんてある意味狂気の沙汰でさえあるのかも。‥でもおもしろいのは、こういった種類の作品が二十一世紀になって目立ってあらわれ出たのがほかならない美少女ゲームっていうオタク文化からであるってことなのだよね。オタクというと世間的には反社会的な態度の象徴なのかもだけど、今回のクラナドのエピソードだけみたら、まるで労働賛歌の一作じゃない。この事態は、たぶん、人が思ってる以上に奇異なものじゃないかな。」
「文化の潮流というのを考えると、ここまで馬鹿真面目に労働を描く作品なんていうのはもう大衆文学の地平にはないでしょうからね。職種ものというジャンルの作品がないわけではないでしょうが、しかしクラナドの朋也の仕事は電気工よ。これを描こうとした事実は非常に注目されるべきことであるのでしょう。まったく真に、クラナドという作品は変り種かしらね。アニメで映像で再現すると、その独自色がより鮮明にあらわれるのでしょう。」
「労働は人の本質だなんて、マルクスの言葉を思いだしちゃうくらいに、かな。仕事というのの本質は分業であって、分業の必然性から人それぞれが個人の役割を担いあう社会の状況が生まれる。そしてクラナドという作品が描こうと試みてるのは、まさに個々人がそれぞれに生きる生活の実体から形造られるであろう、生活そのものの場に対する、愛着。その愛着こそが奇跡の正体なんだって、一見するととても正気には受けとれないような、そんなメッセージがこの作品にはこめられてる。‥だから、たぶん、今回の朋也の労働をきちんと描くことは、この作品全体において必要不可欠な重要性を帯びることになってるのかなって私は思う。私は、でもその主張するとこにかならずしも賛同ではないけれど、ね。あんがい仕事の本質が、浮き彫りにされてなおかつ讃えられてるのが、本作のこわい部分でもあるのかな。これが美少女アニメでやるのだから、世の中というのはわからない。」
「ここまで現実の生々しさを描かれてもね、という思いはあるでしょう。しかしおそらくここの景色こそが本作は描きたかったのであり、さらには本作がどういった思想を抱えて作成されたかの一端が、この労働に勤しむかつての不良少年の姿に示されているのでしょう。そう思うと、どうにも見づらくなってくる作品ね。こういう作品を今の時代にどうやって受け容れるべきなのかしら。プロレタリアとかいいたくないけど、しかしそういった言葉が思い浮ぶのよね。はてさて、評価しづらくなってきたものね。」