自己表現が現在の状況では商品化されることは免れないという事情が、本家と二次創作の境界を曖昧にするのかなって思う
2008/12/13/Sat
欲辨已忘言さん「幻想郷は全てを受け入れる。けど、変わらない」
『私、巨大匿名掲示板や○コニ○動画に全く興味の無い者ですので、こちらのサイトさんの「二次創作のほうがもう巨大かなだし、それは手おくれの印象さえある」とかいう話を見ても、今ひとつピンと来ないんですよね。
「派生のほうが主流になってしまう」って言うのは、極端な例えを挙げれば、「フラッシュ作品が原作で、神主の弾幕シューティングは、フラッシュのキャラを用いて作られた」って思う人の方が一杯いる状態って事?
・・・面白いな、それは(爆笑)。
いや、そう思ってる人にはそう思ってて貰えば良いんじゃないかな(笑)。
興味があれば自分で調べて事実を知る事もあるかもしれない。
そこ止まりの人なら、そのままで居れば良いし。
少なくとも、派生を作っている人は原作を(どのくらいかはともかく)知っているのだから。
派生の派生を作っている人は知らないかもしれないけど、その元をたどれば、絶対に神主に行き着くわけだし。
何が公式で何が非公式なのか解らない位しか興味が無い人は、別にそこ止まりなので、そのままで楽しんでいれば良いんじゃない?
結局、外野が何を考えていようと、主流がなんだろうと、何処まで行っても原作と派生の境界は、何も変わらないよね。』
「私も以前はそう思ってたのだけど。でも実際に「ねこ巫女れいむ」の歌をオフィシャルとか、「ゆっくり」が東方の代表みたいにあつかわれてるの見ちゃうとちょっとおどろいちゃうものあったかな。そしてそれとここで私が危惧してるのは、ZUNさん自身が「非公式(ファン作品)である事が手に取った全ての人にちゃんと伝わること」というとこに注意していってるからで、この発言はこれまでのそれこそ「何が公式で何が非公式なのか解らない位しか興味が無い人は、別にそこ止まりなので、そのままで楽しんでいれば良いんじゃない?」っていうスタンスのもとでは生まれない意見だと思う。つまり私は、これまでのたぶんZUNさんの態度とほかの多数の東方ファンの姿勢はあまり問題がなかったとはいえないのじゃないかなって思って、それというのも、現状は原作と派生の境界が実際にあいまいになってきちゃってる背景が関係してる事情があるからだと思う。つまり原作と派生を決めるのは本人でなくて大衆であって、そしてそれは真実がどうであろうと人気があるほうに傾き、そして評価するという動向が関係してることかなって気がする。」
「二次創作をべつに否定しているわけではないでしょう。その人がそれをやりたいというなら、それを止める術というものはないのよ。がしかし、何をしてもいいというのは、そこにZUNさんみずからがいっている括りであるそれが「同人であれば」という制限が不可欠なのよ。つまり、ここはいいにくいでしょうが、個人と商業主義との折り合いが問われているのよ。」
「いいづらい話題。でもこんな機会じゃなかったら私ずっと何もいわないだろから、少しだけつづけてみよかな。‥とりあえず問題を整理すると、これは東方のアニメ化って話題の出る以前から存在してた問題と連なる議論の延長であり、それは何かなといえば、同人と商業の兼ねあいのむずかしさとしてよいと思う。露骨にいえば、東方というのはマーケット的にはそうとう美味しい領域だっていえちゃうのは大多数の人が納得できることであるだろし、同じ同人発の「タイプムーン」や「ひぐらし」とかと比べても独特の複合的なモデルを形成してる‥ニコニコ、pixiv、カラオケ、ゆっくり、等々‥ことは注目に値することだと思う。もちろんこの種の問題はいろいろ多様に議論されてきたことで、アフィリをきらう人が日本に多いのと同様、同人作家の商業主義的なふるまいというのは非難されやすい傾向があることは踏まえておいていいのだけど、でも単純に金儲け反対! 拝金主義者はコミケに出てくるなー!みたいなかんたんにいえる世界ではなくなってることは理解しなきゃいけないことなんだよね。それはつまり、どのような人も商品化されるということとは無縁でない‥それは本人の意志とは関係なく‥この社会の状況が関係してる。ブログの言説さえ商品にされちゃう背景がある。その機微を無視しては、たぶんこの間の事情の複雑さというのは見えてこないのでないかな。」
「商業と同人の境目とはいうけれど、しかしその境目なんてもはや確固とした定義などできる道理もないということなのでしょうね。東方本家でさえ商業誌に漫画や小説を載せているし、その延長で音楽も発表している。ただSTGゲームというそもそもの根本が微動だにせず同人のスタイルを堅持していることが、ある一定の評価につながるとはいえるのでしょうが、傍目から見たらその差異はそれほど目立ったものではないし、消費者はそこに確固とした区別を認識することはまずないのよ。それはいわば同人と商業の境目とは、受け手たる消費者にとっては単なるその創作家個人の主義信条の問題にすぎなく、すると同人と商業の境目というのはなかなかはっきりと定義しづらくなるのは自然でしょう。なぜならいえばこの世界、商品にならないものはないからよ。同人作品といえどもそれは免れる術はなく、ただひとつ、利益追求を第一におかないという点を除いて、市場性からは逃れられないといってよいのでしょう。」
「本人の意見に係りなく、というとこがミソかなって気がする。つまりこれはべつな言い方をするなら、自己表出がけっきょく商品化に落ちつくのが現状の必然であり、そこで作家は自己表出にどうしてもついて回っちゃう商業的問題に常に向いあわなくちゃいけなくて、その葛藤とリスクをできるだけ減らす手段のひとつが、二次創作と本家の徹底した無関係って構図の意図にはあったんだと思う。‥ただそう、この本家と派生の断絶という点が、東方のここまでの隆盛の一因であったのだろし、また逆説的な言い方をすれば派生作品の影響によって東方の根幹が見えづらく、つまり評価されづらくなってきた背景の本質でもあるのかなって気がする。‥こういう言い方はあれかなだけど、「神主は神主でやりたい事をやり、神主のやる事を欲しがっている人がそれを受け取る」ための環境を維持するためには、その整備をもっと初期に行なうべきだった。きちんとその旨を明文化しておくべきだった。と、私は思うけど、でもここらの問題はむずかしくて気軽にいえないかな。商業と同人の境目は、もはやそれほど平坦な裾野で検討されるべき、単純な課題ではありえないのだから。」
「それが二次創作であることがすべての人に伝わるように、というのは、暗に著作権の法的な次元も関係するから厄介なのよね。しかし、おそらく欧米的な発想をすれば、成文化して自分の作品の管理を図るというのは自然な発想であるのでしょう。ただそういったきちん文章で意見表明すべきものを、個々人の誠実さからの行動に求めてしまいがちなのが、何かしらね、日本人ではあるのでしょう。単純な感情論では行かない問題なだけに、根気強い議論が求められるでしょうね。はてさて、ま、どうかしら。」
『私、巨大匿名掲示板や○コニ○動画に全く興味の無い者ですので、こちらのサイトさんの「二次創作のほうがもう巨大かなだし、それは手おくれの印象さえある」とかいう話を見ても、今ひとつピンと来ないんですよね。
「派生のほうが主流になってしまう」って言うのは、極端な例えを挙げれば、「フラッシュ作品が原作で、神主の弾幕シューティングは、フラッシュのキャラを用いて作られた」って思う人の方が一杯いる状態って事?
・・・面白いな、それは(爆笑)。
いや、そう思ってる人にはそう思ってて貰えば良いんじゃないかな(笑)。
興味があれば自分で調べて事実を知る事もあるかもしれない。
そこ止まりの人なら、そのままで居れば良いし。
少なくとも、派生を作っている人は原作を(どのくらいかはともかく)知っているのだから。
派生の派生を作っている人は知らないかもしれないけど、その元をたどれば、絶対に神主に行き着くわけだし。
何が公式で何が非公式なのか解らない位しか興味が無い人は、別にそこ止まりなので、そのままで楽しんでいれば良いんじゃない?
結局、外野が何を考えていようと、主流がなんだろうと、何処まで行っても原作と派生の境界は、何も変わらないよね。』
「私も以前はそう思ってたのだけど。でも実際に「ねこ巫女れいむ」の歌をオフィシャルとか、「ゆっくり」が東方の代表みたいにあつかわれてるの見ちゃうとちょっとおどろいちゃうものあったかな。そしてそれとここで私が危惧してるのは、ZUNさん自身が「非公式(ファン作品)である事が手に取った全ての人にちゃんと伝わること」というとこに注意していってるからで、この発言はこれまでのそれこそ「何が公式で何が非公式なのか解らない位しか興味が無い人は、別にそこ止まりなので、そのままで楽しんでいれば良いんじゃない?」っていうスタンスのもとでは生まれない意見だと思う。つまり私は、これまでのたぶんZUNさんの態度とほかの多数の東方ファンの姿勢はあまり問題がなかったとはいえないのじゃないかなって思って、それというのも、現状は原作と派生の境界が実際にあいまいになってきちゃってる背景が関係してる事情があるからだと思う。つまり原作と派生を決めるのは本人でなくて大衆であって、そしてそれは真実がどうであろうと人気があるほうに傾き、そして評価するという動向が関係してることかなって気がする。」
「二次創作をべつに否定しているわけではないでしょう。その人がそれをやりたいというなら、それを止める術というものはないのよ。がしかし、何をしてもいいというのは、そこにZUNさんみずからがいっている括りであるそれが「同人であれば」という制限が不可欠なのよ。つまり、ここはいいにくいでしょうが、個人と商業主義との折り合いが問われているのよ。」
「いいづらい話題。でもこんな機会じゃなかったら私ずっと何もいわないだろから、少しだけつづけてみよかな。‥とりあえず問題を整理すると、これは東方のアニメ化って話題の出る以前から存在してた問題と連なる議論の延長であり、それは何かなといえば、同人と商業の兼ねあいのむずかしさとしてよいと思う。露骨にいえば、東方というのはマーケット的にはそうとう美味しい領域だっていえちゃうのは大多数の人が納得できることであるだろし、同じ同人発の「タイプムーン」や「ひぐらし」とかと比べても独特の複合的なモデルを形成してる‥ニコニコ、pixiv、カラオケ、ゆっくり、等々‥ことは注目に値することだと思う。もちろんこの種の問題はいろいろ多様に議論されてきたことで、アフィリをきらう人が日本に多いのと同様、同人作家の商業主義的なふるまいというのは非難されやすい傾向があることは踏まえておいていいのだけど、でも単純に金儲け反対! 拝金主義者はコミケに出てくるなー!みたいなかんたんにいえる世界ではなくなってることは理解しなきゃいけないことなんだよね。それはつまり、どのような人も商品化されるということとは無縁でない‥それは本人の意志とは関係なく‥この社会の状況が関係してる。ブログの言説さえ商品にされちゃう背景がある。その機微を無視しては、たぶんこの間の事情の複雑さというのは見えてこないのでないかな。」
「商業と同人の境目とはいうけれど、しかしその境目なんてもはや確固とした定義などできる道理もないということなのでしょうね。東方本家でさえ商業誌に漫画や小説を載せているし、その延長で音楽も発表している。ただSTGゲームというそもそもの根本が微動だにせず同人のスタイルを堅持していることが、ある一定の評価につながるとはいえるのでしょうが、傍目から見たらその差異はそれほど目立ったものではないし、消費者はそこに確固とした区別を認識することはまずないのよ。それはいわば同人と商業の境目とは、受け手たる消費者にとっては単なるその創作家個人の主義信条の問題にすぎなく、すると同人と商業の境目というのはなかなかはっきりと定義しづらくなるのは自然でしょう。なぜならいえばこの世界、商品にならないものはないからよ。同人作品といえどもそれは免れる術はなく、ただひとつ、利益追求を第一におかないという点を除いて、市場性からは逃れられないといってよいのでしょう。」
「本人の意見に係りなく、というとこがミソかなって気がする。つまりこれはべつな言い方をするなら、自己表出がけっきょく商品化に落ちつくのが現状の必然であり、そこで作家は自己表出にどうしてもついて回っちゃう商業的問題に常に向いあわなくちゃいけなくて、その葛藤とリスクをできるだけ減らす手段のひとつが、二次創作と本家の徹底した無関係って構図の意図にはあったんだと思う。‥ただそう、この本家と派生の断絶という点が、東方のここまでの隆盛の一因であったのだろし、また逆説的な言い方をすれば派生作品の影響によって東方の根幹が見えづらく、つまり評価されづらくなってきた背景の本質でもあるのかなって気がする。‥こういう言い方はあれかなだけど、「神主は神主でやりたい事をやり、神主のやる事を欲しがっている人がそれを受け取る」ための環境を維持するためには、その整備をもっと初期に行なうべきだった。きちんとその旨を明文化しておくべきだった。と、私は思うけど、でもここらの問題はむずかしくて気軽にいえないかな。商業と同人の境目は、もはやそれほど平坦な裾野で検討されるべき、単純な課題ではありえないのだから。」
「それが二次創作であることがすべての人に伝わるように、というのは、暗に著作権の法的な次元も関係するから厄介なのよね。しかし、おそらく欧米的な発想をすれば、成文化して自分の作品の管理を図るというのは自然な発想であるのでしょう。ただそういったきちん文章で意見表明すべきものを、個々人の誠実さからの行動に求めてしまいがちなのが、何かしらね、日本人ではあるのでしょう。単純な感情論では行かない問題なだけに、根気強い議論が求められるでしょうね。はてさて、ま、どうかしら。」