東方ブームは新たな人々の連帯のあり方を示そうとしている
2008/12/15/Mon
欲辨已忘言さん「やっぱり何も変わってないと思う」
『つまり、「いろいろ騒動が起きてて煩わしいし、折角だからこの機会に騒ぎが自分の所に及ばない様にきっちり二次創作のガイドラインを明示しておこうかな」程度の気分なのではないですかね?
結論として、以前と変わりなく神主は、自分が手を煩わされないなら東方原作を知らない東方好きが、いっぱい居ても気にしないんじゃないですかね?
原作知らなくても、そのまま楽しんでる分には良いんですよ。変に騒ぎになったりしなければ(笑)。だからこその、「非公式表記徹底」「過度の宣伝禁止」「流通の制限」だと思うんですよね。
っていうか、同人活動の常識だと思うんですよね、この3つ。これ破ったら、一般の商業の出版社だって黙ってないでしょう?』
「仰られてることに基本的に同意です。だからこのエントリはとくに批判ということでなくて、今回の件に関してちょっとした補足みたいなの。‥まず私はくり返しになるけど今回のZUNさんのメッセージで重要だと思うのが「度を過ぎた宣伝(特に東方が何なのか判らない人に向けての宣伝)を行わないこと」だと思ってて、これが引っかかるのは具体的に過度な宣伝をしないってどういうことを指すのかな、って疑問があるから。だってふつう同人サークルがどこかの雑誌に広告載せたりしないものね。そんな予算は見こめないというのが同人のひとつ基本的な環境であって、するとしても自分のサイトで告知するくらいのものだと思う。そして大多数のサークルさんはそのくらいに留めてるし、そこから上の段階は経済的な事情から不可能なのが実情なのじゃないかな。でもただふしぎなのは、そういった一部の商業作家を除いた過度な知名度を誇れないだろうファン・コミュニティの一群が東方の隆盛の中心にあるということで、ここに私は二次創作が自由にできて可能性の大きな東方だからこそ可能になったある消費モデルが存在してるって考えてる。そしてそのモデルを前提とした場合、過度の宣伝行為の自重は、実際上不可能であって、なぜならファン・コミュニティ内における宣伝行為はひとつのシステムの機能として駆動してるから。ここがとてもおもしろいとこかなって思う。」
「ファン・コミュニティ内における独特の作品消費のモデル、か。まず末端にはイラストなり音楽なりで具体的な個別の作品をつくるクリエイターがいる。そしてそれを有機的に結びつける「場」である、たとえばニコニコ動画なりpixivなりが存在する。さらにはそれらをリストアップするいわゆる一群のニュースサイト、まとめサイトがあり、それらによってファン・コミュニティのある種の階層が、ユーザーには可視化されている、と。簡単に述べればこんなところなのかしらね。大ざっぱなモデルではあるでしょうけど。」
「私は以前ファン・コミュニティの勢力構造が目に見えるようになっちゃってるのがあるとくていの人たちには圧力として作用するかもかなってことを危惧する文章を書いたけど(→東方儚月抄が不人気な理由のひとつはファンの連帯感の構築に与れなかったからかな)、東方ブームの一因にはまちがいなくネットを主体的に介してのファン同士の交流の活発さがあることは否めないと思う。そしてそういった先に挙げたモデルがあればこそ、コミュニティ内での創造と宣伝と消費のサイクルは回るのであって、その創造の巨大な核に本家東方STGはあれど、でもすでに大きな円環のひとつとして組みこまれてるとはいえるのじゃないかな。‥つまり今の私の関心をまとめれば、ひとつはこのファン・コミュニティはどういったモデルによって示され説明されうるのか? そしてこのコミュニティのサイクルがどういった手段によってファン層の拡大に成功しつづけてるのか? ‥私は正直「風神録」のあとの例大祭がピークかなって思ってたけど、でも現状、ファン・コミュニティはまだ独特の力強い活動をつづけてる。私はこの全体像が知りたい。そしてこの東方のもつ作品論とはちがった時代的な展望が覗きたいかな。この現象は、とても興味あるものにちがいないって、私は気になってしかたないくらいだから。」
「東方のファン・コミュニティが実際にどのようなモデルで表示されるのか、またどのように大勢のファンによって支えられているのか、そのもっと詳細な考察が欲しいのよね。何か上手く東方ブームを説明できる意見がないものかしら。そしてネットによって有機的に結びついたファン・コミュニティの威力というものを、もっと詳しく検分できないものかしら。これは単に二次創作や自主制作アニメなどに留まる話じゃないのよ。オタクの新たな消費と創造のスタイル、そして人と人との連帯のもつ可能性のかつて見えなかった形態のあり方が問われているといえるのじゃないかしら。興味は尽きないものね。まだまだこれは、観察しがいがありそうよ。」
『つまり、「いろいろ騒動が起きてて煩わしいし、折角だからこの機会に騒ぎが自分の所に及ばない様にきっちり二次創作のガイドラインを明示しておこうかな」程度の気分なのではないですかね?
結論として、以前と変わりなく神主は、自分が手を煩わされないなら東方原作を知らない東方好きが、いっぱい居ても気にしないんじゃないですかね?
原作知らなくても、そのまま楽しんでる分には良いんですよ。変に騒ぎになったりしなければ(笑)。だからこその、「非公式表記徹底」「過度の宣伝禁止」「流通の制限」だと思うんですよね。
っていうか、同人活動の常識だと思うんですよね、この3つ。これ破ったら、一般の商業の出版社だって黙ってないでしょう?』
「仰られてることに基本的に同意です。だからこのエントリはとくに批判ということでなくて、今回の件に関してちょっとした補足みたいなの。‥まず私はくり返しになるけど今回のZUNさんのメッセージで重要だと思うのが「度を過ぎた宣伝(特に東方が何なのか判らない人に向けての宣伝)を行わないこと」だと思ってて、これが引っかかるのは具体的に過度な宣伝をしないってどういうことを指すのかな、って疑問があるから。だってふつう同人サークルがどこかの雑誌に広告載せたりしないものね。そんな予算は見こめないというのが同人のひとつ基本的な環境であって、するとしても自分のサイトで告知するくらいのものだと思う。そして大多数のサークルさんはそのくらいに留めてるし、そこから上の段階は経済的な事情から不可能なのが実情なのじゃないかな。でもただふしぎなのは、そういった一部の商業作家を除いた過度な知名度を誇れないだろうファン・コミュニティの一群が東方の隆盛の中心にあるということで、ここに私は二次創作が自由にできて可能性の大きな東方だからこそ可能になったある消費モデルが存在してるって考えてる。そしてそのモデルを前提とした場合、過度の宣伝行為の自重は、実際上不可能であって、なぜならファン・コミュニティ内における宣伝行為はひとつのシステムの機能として駆動してるから。ここがとてもおもしろいとこかなって思う。」
「ファン・コミュニティ内における独特の作品消費のモデル、か。まず末端にはイラストなり音楽なりで具体的な個別の作品をつくるクリエイターがいる。そしてそれを有機的に結びつける「場」である、たとえばニコニコ動画なりpixivなりが存在する。さらにはそれらをリストアップするいわゆる一群のニュースサイト、まとめサイトがあり、それらによってファン・コミュニティのある種の階層が、ユーザーには可視化されている、と。簡単に述べればこんなところなのかしらね。大ざっぱなモデルではあるでしょうけど。」
「私は以前ファン・コミュニティの勢力構造が目に見えるようになっちゃってるのがあるとくていの人たちには圧力として作用するかもかなってことを危惧する文章を書いたけど(→東方儚月抄が不人気な理由のひとつはファンの連帯感の構築に与れなかったからかな)、東方ブームの一因にはまちがいなくネットを主体的に介してのファン同士の交流の活発さがあることは否めないと思う。そしてそういった先に挙げたモデルがあればこそ、コミュニティ内での創造と宣伝と消費のサイクルは回るのであって、その創造の巨大な核に本家東方STGはあれど、でもすでに大きな円環のひとつとして組みこまれてるとはいえるのじゃないかな。‥つまり今の私の関心をまとめれば、ひとつはこのファン・コミュニティはどういったモデルによって示され説明されうるのか? そしてこのコミュニティのサイクルがどういった手段によってファン層の拡大に成功しつづけてるのか? ‥私は正直「風神録」のあとの例大祭がピークかなって思ってたけど、でも現状、ファン・コミュニティはまだ独特の力強い活動をつづけてる。私はこの全体像が知りたい。そしてこの東方のもつ作品論とはちがった時代的な展望が覗きたいかな。この現象は、とても興味あるものにちがいないって、私は気になってしかたないくらいだから。」
「東方のファン・コミュニティが実際にどのようなモデルで表示されるのか、またどのように大勢のファンによって支えられているのか、そのもっと詳細な考察が欲しいのよね。何か上手く東方ブームを説明できる意見がないものかしら。そしてネットによって有機的に結びついたファン・コミュニティの威力というものを、もっと詳しく検分できないものかしら。これは単に二次創作や自主制作アニメなどに留まる話じゃないのよ。オタクの新たな消費と創造のスタイル、そして人と人との連帯のもつ可能性のかつて見えなかった形態のあり方が問われているといえるのじゃないかしら。興味は尽きないものね。まだまだこれは、観察しがいがありそうよ。」