とらドラ! 第13話「大橋高校文化祭【後編】」
2008/12/25/Thu
「大河のお父さんのふるまいと彼が大河にしたことの残酷さの意味というのは、得心できる人にはよくわかるだろう人の類型なのでなかったかな。こういうお父さんのように無自覚に他者を傷つけちゃうタイプはあるもので、その人の何がそうさせるのかなっていえば、単純にその人が無邪気だって事実に行き着くのだと思う。竜児は大河のお父さんに激昂してたけど、でもたぶん、この人の前で竜児が怒ってみせても、お父さんはなんで怒られてるのかきっとわかんないんだよ。そしてたぶんなんで怒ってるのかってその理由を純真にたずねてくる。つまりこの手の人は、心の底から人生を自由に主体的に楽しむってことに一念の迷いも抱いてなくて、そして人生を自分のよきことのためにこそあるって信じて疑わないのだよね。大河のお父さんの問題というのはそういった部分から生まれるもので、それはある意味、無邪気な善意のあらわれの余波だって、いっていいかもかな。」
「快楽主義的なのよね、ある意味。なんというかこの一群の人々というのは他者の気持を斟酌するということに決定的に無自覚であり、すべての自分の選択と決断は例外なく自分のためになるだろうことを選ぶに迷いがないのでしょう。もちろん他者のことよりまずは自分の幸福を考えろというのはある面正しい。しかし生活にはそれだけでは機能しない、たとえ自分に損になろうと他者のために尽さねばならない不運というのは、ま、訪れるものよ。しかしこのタイプの人間は、そういった不運に気づかないという点に‥しかもまったく自然に‥類稀な才能があるのでしょうね。」
「そういったら皮肉かなだけど、ね。‥たぶん純真なんだろな。大河のお父さんもまったく悪人というわけでぜんぜんなくて、ただ純粋に自分の楽しみを追求するために、他者への思いやりというのを欠いてしまってるだけではあるのだと思う。もちろん純粋や邪心のないこと、というと、それらは子どものうちはよいこととして教育されることではあるのだけど、でも実際はそんなことなくて、そこのとこの事情はあんまり語られないものではあるのかなって気がするかな。‥私は、やさしさとは想像力で量られるものだと思う。そしてだからこそ、自分自身に複雑さや陰影を感じてる人ほど、やさしさの機微には聡くなっちゃう傾向はあるのかなとさえ思う(→true tears雑感 真心の想像力)。その意味で、竜児もみのりんもやさしいし、亜美さんもずっと、大河にやさしい。だから今回のお話は、みんなの関係性をふかめて見せてくれて、すごいよかったな。」
「大河は半ば家出状態ともいえるから逆によい状況にあるとはいえるのでしょうね。こういってはなんでしょうが、大河の性格からいったらお父さんとは上手く行く道理がないのよ。そして上手く行かない関係でも親子だからといって無理をすれば、なんていうのかしらね、あまり強くいうのもどうかとは思うけれど、しかし大概、無理な関係はどちらかに亀裂をもたらすものよ。そう考えれば家出して放っておくだけ、大河はまだ運があったともいえるのかしら。」
「家出もできない家庭こそがほんとの悲惨であるから、かな。もちろん、これはかんたんにいえることでない。でもただ思うのは、大河は友だちいて、よかったでない。今回のエピソードは彼女の孤独を浮彫りにするといっしょに、彼女の希望をさえ見せてくれて、とても素敵な内容になったのじゃないかなって、私は思う。この記憶が、友だちとの思い出が、大河を支える。それが意味するところはけして小さくないって、私は信じたい。だって、これからが、この作品の正念場なのだから。」
「この文化祭のエピソードで終っていれば、この作品は単なる良い青春ものとして記録されるだけだったのでしょうね。しかし「とらドラ!」の本質は、この先にある、ある意味人間関係の泥濘を描く部分にこそあるとはいってよいのでしょう。さて、おもしろいのはこれからよ。仮借ない人間心理の描出を、心から期待するとしましょうか。どうなることかしらね。」
「快楽主義的なのよね、ある意味。なんというかこの一群の人々というのは他者の気持を斟酌するということに決定的に無自覚であり、すべての自分の選択と決断は例外なく自分のためになるだろうことを選ぶに迷いがないのでしょう。もちろん他者のことよりまずは自分の幸福を考えろというのはある面正しい。しかし生活にはそれだけでは機能しない、たとえ自分に損になろうと他者のために尽さねばならない不運というのは、ま、訪れるものよ。しかしこのタイプの人間は、そういった不運に気づかないという点に‥しかもまったく自然に‥類稀な才能があるのでしょうね。」
「そういったら皮肉かなだけど、ね。‥たぶん純真なんだろな。大河のお父さんもまったく悪人というわけでぜんぜんなくて、ただ純粋に自分の楽しみを追求するために、他者への思いやりというのを欠いてしまってるだけではあるのだと思う。もちろん純粋や邪心のないこと、というと、それらは子どものうちはよいこととして教育されることではあるのだけど、でも実際はそんなことなくて、そこのとこの事情はあんまり語られないものではあるのかなって気がするかな。‥私は、やさしさとは想像力で量られるものだと思う。そしてだからこそ、自分自身に複雑さや陰影を感じてる人ほど、やさしさの機微には聡くなっちゃう傾向はあるのかなとさえ思う(→true tears雑感 真心の想像力)。その意味で、竜児もみのりんもやさしいし、亜美さんもずっと、大河にやさしい。だから今回のお話は、みんなの関係性をふかめて見せてくれて、すごいよかったな。」
「大河は半ば家出状態ともいえるから逆によい状況にあるとはいえるのでしょうね。こういってはなんでしょうが、大河の性格からいったらお父さんとは上手く行く道理がないのよ。そして上手く行かない関係でも親子だからといって無理をすれば、なんていうのかしらね、あまり強くいうのもどうかとは思うけれど、しかし大概、無理な関係はどちらかに亀裂をもたらすものよ。そう考えれば家出して放っておくだけ、大河はまだ運があったともいえるのかしら。」
「家出もできない家庭こそがほんとの悲惨であるから、かな。もちろん、これはかんたんにいえることでない。でもただ思うのは、大河は友だちいて、よかったでない。今回のエピソードは彼女の孤独を浮彫りにするといっしょに、彼女の希望をさえ見せてくれて、とても素敵な内容になったのじゃないかなって、私は思う。この記憶が、友だちとの思い出が、大河を支える。それが意味するところはけして小さくないって、私は信じたい。だって、これからが、この作品の正念場なのだから。」
「この文化祭のエピソードで終っていれば、この作品は単なる良い青春ものとして記録されるだけだったのでしょうね。しかし「とらドラ!」の本質は、この先にある、ある意味人間関係の泥濘を描く部分にこそあるとはいってよいのでしょう。さて、おもしろいのはこれからよ。仮借ない人間心理の描出を、心から期待するとしましょうか。どうなることかしらね。」