シモーヌ・ド・ボーヴォワール「サドは有罪か」
2009/01/06/Tue
「サド研究の古典的な一冊として、その価値が大きく認められてるところのボーヴォワールの「サドは有罪か」は、現代においてもサドが秘めるであろう人間存在の孤独といった実に本質的な思索の核心の意味性を、よくまとめて伝えるものであるかなって私は思う。サドというと、現代日本ではサディズムやSMって手垢にまみれた言葉で語られる存在でしかなくなっちゃった観さえあるけど、でも十八世紀といった歴史的にも革命の吹き荒れた特異で人心が動揺にさらされた時期にあった背景に誕生したサドは、同時代のヴォルテールと比してもなんら劣るとこのない、ある強烈な価値を発してるって見ることは、たぶんサドに傾倒しがちなこだわりをもつ私だけの贔屓ではないのじゃないかな。サドは徹底的に世渡りの拙さによって人生を棒にふった、今ふうにいうなら負け組の最たる結果にほかならなかった。そしてそんな社会的弱者の位置にあったサドだからこそ、そして自身の異質な性的衝動を熟知してさらにそこから目をそらすことなく見つめきる強靭な理性のもち主だったためにこそ、サドが展開しえた思想がある。その示すものの価値というのは、人間の裸形の心理が時代の暗黒面に直面してるだろう現代だからこそ、ある主張を湛えることになってるのでないかなって、私は思う。」
「サドの場合はその異常性癖の理論家と体系化の先駆としてのフロイトらのさらなる祖形として見られる向きは強いのでしょうが、しかしサドのきわめて特徴的な資質は何かといえば、自身の個性を単なる個性として保持できたところにあるのであり、自分の独特な他者と異なった嗜好に、変な劣等感を抱かなかったという点に求められるということはいってよいのでしょうね。そしてそこには口先だけの個性的な生き方だの、人それぞれの良さを認めることが大切だのといった言説とは根本からしてちがった真の意味での個性尊重の思索があった。なぜならサドはその個性のために幽閉させられたのだからでしょうね。社会的な制裁を受けようが、サドはみずからの個性にコンプレックスを抱くことはなかった。少なくとも作品にあらわそうとはしなかった。そこらの意味は、果して強大なものがあると見るべきでしょう。」
『つまり、サドのえがいた主人公は、愛と歓喜をもって自然にしたがっているのではなく、自然を憎みながらしかも自然を理解することなしに、自然を写し取っているのである。そしてみずからは自画自賛することなく、自己を欲しているのである。悪は調和あるものではない。その本質は引き裂くような悲痛なのだ。』
シモーヌ・ド・ボーヴォワール「サドは有罪か」
「サドが吠えたのは社会の欺瞞と偽善をおいてほかになかった。サドは自分を排斥せしめた社会が、万人の幸福と空虚な旗印のもとに、道徳的なふるまいを見せることを極度に嫌悪したのであって、それだからこそサドは悪徳の賛美に走らざるえなかったって、いっていいのでないかな。実際、サドはいかなる意味でも実際的な悪人ではなくて、やったことといえばつまらない売春婦とのいざこざにしかすぎなくて、彼が幽閉の憂目をみたのは文字通りただ社交的な能力が著しく欠損してたって、その生来的な不器用さにあったことはサドの足跡を多少追うならだれもが得心するところだと思う。そしてそんなサドだからこそ、権力が自身の立場に安寧し、自身の保全をしか考えに入れてないくせに、世間のためだとか愛のためだとか連帯のためだとかいった眼目を掲げ、さらに目を覆うことには美名のもとに弱者を差別し虐げることに安んじてるって状況が、サドには見えすぎるほど見えてたのだと思う。だからサドはそんな不合理で狂的な世界の、人間が他者を圧迫しその自由と本来的な生のあり方を疎外する体制を、徹頭徹尾、批判する。だからサドの次のような言葉は、ある種の悲痛さを伴って、きこえてくるのじゃ、ないのかな。即ち、弱者を絶望に陥れるくらいなら、皆殺しにしろ。私が権力を掌中にする立場なら、それほどの悪は引き受け、なおかつその悪を称揚する。悪の悲しみとその引き裂かれた悲痛さをぬきにしては、人間の世界は、その関係はありえぬだろう、って。」
「サドが真に痛烈に批判の矛先を向けたのは、良心や道徳といった当時人々を拘束していた徳目が、半ば有名無実と化し、ただ単なる社会的強者が社会的弱者を自由にするための道具に成り下がっていた有様だったとはいえることなのかしらね。サドが悪を求め悪に美徳以上の価値を付与するのは、その悪が人間本来の生き方を肯定する性質のものであるからなのよ。しかしその種の悪を生きることは、悲しいかしれないけれど、弱いサドにはまったく不可能だった。嗚呼、サドは弱かったのよ。だからサドは狂った世界の前に敗北した。泣き叫んでいるような、奔流の言葉を残してね。しかしそれは、逆説的な強さであったということは、私たちは認めねばならないのでないかしら。」
『抽象的な大殺戮を背後に引きずるような善に同意するよりは、悪を引き受ける方がましではないのか。たぶんこのジレンマをまぬかれることは、不可能であろう。もし大地を繁殖させる人間全体が、その現実全体においてあらゆるものにたいして現前しているとしたら、いかなる集団的行動も可能とならず、各人にとって空気は呼吸できないものとなろう。一瞬ごとに、幾千もの人間が、空しくそして不正に、苦しみ、死んでゆく。しかもわれわれはそのことを悲しまない。われわれの実存はこの犠牲を払ってしか、可能でない。サドの功績は、各人が恥かしげに自白するものを、声高く叫んだことにあるだけではない。恥かしげに自白するといったことを、自己の運命として甘受することをしなかったからである。無関心にたいして、彼は残酷さを選んだ。たぶんそれだからこそ、個人が人間の悪意よりは人間の善意の犠牲者であることを知っている今日、彼が多くの反響を呼んでいるのである。かの怖るべき楽天主義に打撃をあたえることが、人間に救いをもたらすことだからである。牢獄の孤独の中で、サドは、デカルトが身を包んだ知性の夜にも似た倫理の夜を実現した。彼はそのことの明証をほとばしらせはしなかった。しかしすくなくとも、あまりにも安易なあらゆる解答に、異議を立てた。個人々々の分離状態をいつか超克すると期待できるとすれば、それはその分離状態をまちがって認識しないという条件においてである。さもなければ、幸福と正義との約束は、最悪の脅威を包んでいることになる。サドは、エゴイズムと不正と不幸の時を、どん底まで生きた。彼の証しの最高の価値をなすものは、彼がわれわれを不安にさせることである。他のさまざまな形態でこの今の時代につきまとっている本質的な課題、人間と人間との真の関係を、ふたたび問題として取り上げることを、彼はわれわれに課しているのである。』
シモーヌ・ド・ボーヴォワール「サドは有罪か」
シモーヌ・ド・ボーヴォワール「サドは有罪か」
「サドの場合はその異常性癖の理論家と体系化の先駆としてのフロイトらのさらなる祖形として見られる向きは強いのでしょうが、しかしサドのきわめて特徴的な資質は何かといえば、自身の個性を単なる個性として保持できたところにあるのであり、自分の独特な他者と異なった嗜好に、変な劣等感を抱かなかったという点に求められるということはいってよいのでしょうね。そしてそこには口先だけの個性的な生き方だの、人それぞれの良さを認めることが大切だのといった言説とは根本からしてちがった真の意味での個性尊重の思索があった。なぜならサドはその個性のために幽閉させられたのだからでしょうね。社会的な制裁を受けようが、サドはみずからの個性にコンプレックスを抱くことはなかった。少なくとも作品にあらわそうとはしなかった。そこらの意味は、果して強大なものがあると見るべきでしょう。」
『つまり、サドのえがいた主人公は、愛と歓喜をもって自然にしたがっているのではなく、自然を憎みながらしかも自然を理解することなしに、自然を写し取っているのである。そしてみずからは自画自賛することなく、自己を欲しているのである。悪は調和あるものではない。その本質は引き裂くような悲痛なのだ。』
シモーヌ・ド・ボーヴォワール「サドは有罪か」
「サドが吠えたのは社会の欺瞞と偽善をおいてほかになかった。サドは自分を排斥せしめた社会が、万人の幸福と空虚な旗印のもとに、道徳的なふるまいを見せることを極度に嫌悪したのであって、それだからこそサドは悪徳の賛美に走らざるえなかったって、いっていいのでないかな。実際、サドはいかなる意味でも実際的な悪人ではなくて、やったことといえばつまらない売春婦とのいざこざにしかすぎなくて、彼が幽閉の憂目をみたのは文字通りただ社交的な能力が著しく欠損してたって、その生来的な不器用さにあったことはサドの足跡を多少追うならだれもが得心するところだと思う。そしてそんなサドだからこそ、権力が自身の立場に安寧し、自身の保全をしか考えに入れてないくせに、世間のためだとか愛のためだとか連帯のためだとかいった眼目を掲げ、さらに目を覆うことには美名のもとに弱者を差別し虐げることに安んじてるって状況が、サドには見えすぎるほど見えてたのだと思う。だからサドはそんな不合理で狂的な世界の、人間が他者を圧迫しその自由と本来的な生のあり方を疎外する体制を、徹頭徹尾、批判する。だからサドの次のような言葉は、ある種の悲痛さを伴って、きこえてくるのじゃ、ないのかな。即ち、弱者を絶望に陥れるくらいなら、皆殺しにしろ。私が権力を掌中にする立場なら、それほどの悪は引き受け、なおかつその悪を称揚する。悪の悲しみとその引き裂かれた悲痛さをぬきにしては、人間の世界は、その関係はありえぬだろう、って。」
「サドが真に痛烈に批判の矛先を向けたのは、良心や道徳といった当時人々を拘束していた徳目が、半ば有名無実と化し、ただ単なる社会的強者が社会的弱者を自由にするための道具に成り下がっていた有様だったとはいえることなのかしらね。サドが悪を求め悪に美徳以上の価値を付与するのは、その悪が人間本来の生き方を肯定する性質のものであるからなのよ。しかしその種の悪を生きることは、悲しいかしれないけれど、弱いサドにはまったく不可能だった。嗚呼、サドは弱かったのよ。だからサドは狂った世界の前に敗北した。泣き叫んでいるような、奔流の言葉を残してね。しかしそれは、逆説的な強さであったということは、私たちは認めねばならないのでないかしら。」
『抽象的な大殺戮を背後に引きずるような善に同意するよりは、悪を引き受ける方がましではないのか。たぶんこのジレンマをまぬかれることは、不可能であろう。もし大地を繁殖させる人間全体が、その現実全体においてあらゆるものにたいして現前しているとしたら、いかなる集団的行動も可能とならず、各人にとって空気は呼吸できないものとなろう。一瞬ごとに、幾千もの人間が、空しくそして不正に、苦しみ、死んでゆく。しかもわれわれはそのことを悲しまない。われわれの実存はこの犠牲を払ってしか、可能でない。サドの功績は、各人が恥かしげに自白するものを、声高く叫んだことにあるだけではない。恥かしげに自白するといったことを、自己の運命として甘受することをしなかったからである。無関心にたいして、彼は残酷さを選んだ。たぶんそれだからこそ、個人が人間の悪意よりは人間の善意の犠牲者であることを知っている今日、彼が多くの反響を呼んでいるのである。かの怖るべき楽天主義に打撃をあたえることが、人間に救いをもたらすことだからである。牢獄の孤独の中で、サドは、デカルトが身を包んだ知性の夜にも似た倫理の夜を実現した。彼はそのことの明証をほとばしらせはしなかった。しかしすくなくとも、あまりにも安易なあらゆる解答に、異議を立てた。個人々々の分離状態をいつか超克すると期待できるとすれば、それはその分離状態をまちがって認識しないという条件においてである。さもなければ、幸福と正義との約束は、最悪の脅威を包んでいることになる。サドは、エゴイズムと不正と不幸の時を、どん底まで生きた。彼の証しの最高の価値をなすものは、彼がわれわれを不安にさせることである。他のさまざまな形態でこの今の時代につきまとっている本質的な課題、人間と人間との真の関係を、ふたたび問題として取り上げることを、彼はわれわれに課しているのである。』
シモーヌ・ド・ボーヴォワール「サドは有罪か」
シモーヌ・ド・ボーヴォワール「サドは有罪か」