けいおん! 第4話「合宿!」
2009/04/24/Fri
「メイドはいいよね。とてもいい。とくに「けいおん!」に出てくるメイド服は黒と白のへんに装飾とかされてないオーソドックスな型だから、なおさら素敵。澪との相性もまったく抜群で、ほんとによろし。すばらしいかな。だから文化祭ではメイド喫茶もけっこう捨てがたい選択肢なのじゃない?とか私は思っちゃったけど、でもそれをあえてふり捨ててあんなに似あうのにライブやるっていう澪に対しては私は少し微妙な気分をかみ締めねばならなかった。うーん、でもメイド服着てライブやればよろしじゃない!って思ったこともなきにしもあらずだけど、でもその案は原作でばっさり否定されちゃってるのだよね。残念。メイドはいいのに。」
「‥あんたがそこまでメイドの格好好きなのは、ま、はてさてと流していいところなのでしょうけど、しかしさて、本編の内容はというと、ここらあたりでけっこう原作をさらにアレンジし、一歩踏みこんだ描写がアクセントを効かせはじめたと見ていいのかしらね。物語の実質的な中心ともいうべき澪が以前の軽音部の演奏のテープを聞いて焦りを感じるということが合宿への動機となっているのは、これは素直にいい原作の解釈だといっていいのでしょう。それでも焦燥感を覚えているのが澪ひとりだというのがおもしろいところね。性格の問題といえば、そうなのでしょうけど。」
「口ではいろいろいってるけど、でも本音の部分でこのバンドのメンバーの関係性に軽くない意味を見出してるのは澪自身にちがいないから、かな。‥というのも澪は律の強引な手によってなし崩し的に軽音部に入部しちゃってはいるのだけれど、でも澪みたいな子はたぶんほかの練習をもっときちっとする部活のなかでも相応に活躍できるし、また上手に評価もされて認められもするタイプの人であることはまずまちがいないっていえることなのだよね。ただ、いわゆるそういった規律正しい大会を目指してもっと真剣にがんばらなきゃ!って雰囲気に、あえてしてないのが本作の特徴であるのであって、そしてそういったつまり不真面目な空間のなかでのだらだらとした環境を、いちがいに否定するものでない、要するにその種のある活動を気のあう面子で気ままに行うっていった、見る人が見たらその態度の不誠実さに怒っちゃうだろうなって思えちゃうあり方に、ある一定の価値を与えてるのが本作であるにちがいないんだよね。そしてそれはべつな言葉でいえば、ただ単に熱血で一目散に公的な評価‥大会でよい成績をあげようとか、次の試合に勝たなきゃ廃部だー!とか、そういうの‥を得ようとするのでなくて、むしろ「けいおん!」はそういった物語の発起点となるべきある意味深刻な目的設定をさいしょから拒否してるということ。そしてそれはあるていどの人たちに支持されてる物語の方向性だっていえると思うし、そういった事情は私にはこれまでこういった部活ものが、特定の成果を獲得するために‥ある種そのためだけに‥行動して、そしてその選択を称揚するように演出されてきたのだったけど、でもそれに対して新たな価値観を呈示した、その功績がみとめられるものなのじゃないかなって気がするかな。‥まとめれば、「がんばること」への価値観が多様化してきたっていうこと。単純に、むやみやたらに意気ごむだけが部活でない。「楽しみ」ということ。何をすれば「楽しいのか」が真摯に問われだしたということ。私には、「けいおん!」のようにがむしゃらにある成果を目指すのでない、かといって音楽にまったく興味が向けられないわけでもない、そういったある種自然体としての人たちの交流の魅力といったものが認識されればこそ、本作の一定以上の評価といったものが存在するように思われるかな。‥これは以前から思ってたことなのだけど、日本の部活って、ちょっと異様だものね。あんなにみんながんばるのは日本の学校くらいじゃないのかな。だから自身の経験を踏まえて考えると、「けいおん!」のような空気はきらいでない。部活って、よく、わからない。」
「ま、しかしかといって部活の何がわからないのかと問われたら、なかなか簡単に明瞭には返答できそうもないような気はするのよね。それというのもいろいろ疑問はあるのだけれど、まず部活ってなぜ県単位で争われるのが多いのかしら? そして地元単位で競われるのなら、学校単位ではなくもっと地域に解体して部活を広めればいいのじゃないかしら? それとあとは、ま、これは勘でいうのだけれど、部活って教育に害ないかしら? と放言をしたところでエントリを終ろうかしらね。ま、どうもこの問題はふれづらいのよ。むずかしいのよね。はてさてね。」
「‥あんたがそこまでメイドの格好好きなのは、ま、はてさてと流していいところなのでしょうけど、しかしさて、本編の内容はというと、ここらあたりでけっこう原作をさらにアレンジし、一歩踏みこんだ描写がアクセントを効かせはじめたと見ていいのかしらね。物語の実質的な中心ともいうべき澪が以前の軽音部の演奏のテープを聞いて焦りを感じるということが合宿への動機となっているのは、これは素直にいい原作の解釈だといっていいのでしょう。それでも焦燥感を覚えているのが澪ひとりだというのがおもしろいところね。性格の問題といえば、そうなのでしょうけど。」
「口ではいろいろいってるけど、でも本音の部分でこのバンドのメンバーの関係性に軽くない意味を見出してるのは澪自身にちがいないから、かな。‥というのも澪は律の強引な手によってなし崩し的に軽音部に入部しちゃってはいるのだけれど、でも澪みたいな子はたぶんほかの練習をもっときちっとする部活のなかでも相応に活躍できるし、また上手に評価もされて認められもするタイプの人であることはまずまちがいないっていえることなのだよね。ただ、いわゆるそういった規律正しい大会を目指してもっと真剣にがんばらなきゃ!って雰囲気に、あえてしてないのが本作の特徴であるのであって、そしてそういったつまり不真面目な空間のなかでのだらだらとした環境を、いちがいに否定するものでない、要するにその種のある活動を気のあう面子で気ままに行うっていった、見る人が見たらその態度の不誠実さに怒っちゃうだろうなって思えちゃうあり方に、ある一定の価値を与えてるのが本作であるにちがいないんだよね。そしてそれはべつな言葉でいえば、ただ単に熱血で一目散に公的な評価‥大会でよい成績をあげようとか、次の試合に勝たなきゃ廃部だー!とか、そういうの‥を得ようとするのでなくて、むしろ「けいおん!」はそういった物語の発起点となるべきある意味深刻な目的設定をさいしょから拒否してるということ。そしてそれはあるていどの人たちに支持されてる物語の方向性だっていえると思うし、そういった事情は私にはこれまでこういった部活ものが、特定の成果を獲得するために‥ある種そのためだけに‥行動して、そしてその選択を称揚するように演出されてきたのだったけど、でもそれに対して新たな価値観を呈示した、その功績がみとめられるものなのじゃないかなって気がするかな。‥まとめれば、「がんばること」への価値観が多様化してきたっていうこと。単純に、むやみやたらに意気ごむだけが部活でない。「楽しみ」ということ。何をすれば「楽しいのか」が真摯に問われだしたということ。私には、「けいおん!」のようにがむしゃらにある成果を目指すのでない、かといって音楽にまったく興味が向けられないわけでもない、そういったある種自然体としての人たちの交流の魅力といったものが認識されればこそ、本作の一定以上の評価といったものが存在するように思われるかな。‥これは以前から思ってたことなのだけど、日本の部活って、ちょっと異様だものね。あんなにみんながんばるのは日本の学校くらいじゃないのかな。だから自身の経験を踏まえて考えると、「けいおん!」のような空気はきらいでない。部活って、よく、わからない。」
「ま、しかしかといって部活の何がわからないのかと問われたら、なかなか簡単に明瞭には返答できそうもないような気はするのよね。それというのもいろいろ疑問はあるのだけれど、まず部活ってなぜ県単位で争われるのが多いのかしら? そして地元単位で競われるのなら、学校単位ではなくもっと地域に解体して部活を広めればいいのじゃないかしら? それとあとは、ま、これは勘でいうのだけれど、部活って教育に害ないかしら? と放言をしたところでエントリを終ろうかしらね。ま、どうもこの問題はふれづらいのよ。むずかしいのよね。はてさてね。」