けいおん! 第8話「新歓!」
2009/05/23/Sat
「冒頭の憂ちゃんの合格のシーンは、私にもなんかなつかしくて、高校の合格発表の日のことを少し思いだしちゃったかな。というのも、私も憂ちゃんのように掲示板で自分の番号を見つけたのだけど、今から考えるとなんでかな、私はあーうかったなーって感じるだけでとくに感極まるとか泣き出すとかいうこともなくて、無感動にすぐその場から背を向けちゃって足早に帰ってったのだけど、その掲示板にさっさと見限って消えてく様子はなんだか異様に暗かったみたいで‥私の横では幼なじみが落ちてた。あはは‥後日、とある地方紙の小さな写真に私の背中姿が写ってたの。しかもその様子があんまり不合格の哀愁を漂わせてたみたいで‥私、うかってたのに‥いろいろな人からあとでからかわれることになっちゃった。‥青春とは、暗いものなのだね。」
「いや、素直にその場で喜びをあらわすことのできない屈折した心情こそがそこにうかがえると看做すべきかしら、その態度は? もしくは入試なんてどうとも思っていなかったということかしら。ま、それはそれで嫌味たらしいように思えて、なんかあれね。」
「天もつんざくプラトンパンチだー!!」
「ごふぅっ!?」
「‥そういえば、澁澤龍彦は大学受験に二回失敗してるのだけど、さいしょの受験のときの発表の日は、自分で合否をたしかめに行くのがこわくて、代りに妹に見に行かせてる。それで澁澤が家でまってて、帰ってきた妹の開口一番、お兄ちゃん落ちてたよ、というの。‥これはなかなかおもしろい話かなって思うし、それになんていうのかな、澁澤には妹依存の面があって、なんでもかでも妹頼りになっちゃう面があったみたい。外出するときも妹がついてこないならめんどくさくてやめちゃう人であって、傍目から見たら夫婦にまちがわれたってどこかのインタビューで読んだかな。‥それにそうそう、澁澤は女性に自分のことを澁澤君かお兄ちゃんかで呼べって命令してた節があるみたいで、これまた考えてみるとおもしろい。お兄ちゃんって呼ばれたかったのだね、みたいな。‥なんだか人にはお兄ちゃんお姉ちゃんで呼ばれたいって願望が、ある種普遍的にあるのかも。ね、お姉ちゃん?」
「はてさてね。‥しかし、澁澤はその後奥さんになった人にも妹にしたのと同様依存しまくるのだから、ま、なんていうか日常生活からして自分のことは自分でやるといった意識のまったくなかった人物だと思うべきなのでしょうね。たとえば外国旅行に行ったときバイキングのやり方がわからなくて思わずこれじゃ何も食べられない!とパニックになったまでの人という逸話があるのだから、もしかしたら文学者なりその種の芸術的素養のある人にはどうしてもだらけた面があってしまうものともいえるのかしれないかしら。そしてその意味でいえば、唯も芸術家肌とは、はてさて、いえるのかしら? ま、それは怪しいものかしら。」
「唯が天才かどうかはわかんないけど、でもただ今回のお話でけっこう痛かったかなって思えるのは、内輪からだけでなくて外側からこの軽音部の様子を客観的に判断すると、やっぱりどうしても不真面目であんまり素行よろしくない部活に見られちゃうことは免れないことなのかなって感じられたとこだって、私は思うかな。というのも、唯は憂ちゃんに軽音部のいいとこは何ってきかれて楽しいとこって答えてるけど、でもその意見は唯の主観に拠るものでしかなくて、それだけでほかの人が入部するかはわからない。なぜなら唯が楽しいからといったってほかの人が楽しめるかはわかんないのであり、それは軽音部がごく閉じた関係性のなかでささやかに活動してるとてもプライベートな空間であるからこその問題であって、そういった身内の雰囲気になじめるかどうかは部外者からしてみるなら、なかなかどうしてむずかしく思えちゃうものなのだよね。‥それに梓が軽音部に入部する段どりも、これは率直にいって私は原作のほうがよほど自然に違和感なく描写することができてたと思う。というのもそれはなんでかなっていえば、今回のアニメ版では梓はジャズ研のよしあしを判断できるくらいの音楽的素養のある人間だってことは過不足なく表現できてたのだけど‥たぶん梓がいちばん音楽の修養はあるのかなって思う‥その梓が実は唯たちの演奏を高く評価してるって事情がアニメでは描かれてなかったのであり、このためこのエピソードのみでは梓が軽音部に入部する決定的な要因はなんだったのかなって点がぼやかされちゃってるって、いわざるをえないのだよね。‥もちろんそのフォローは次回以降で為されるのかもだけど、軽音部がそれほどあんまり熱心な部でないってことがつよく否定できない事実である以上、彼女たちの活動をどんなふうに魅力的に描いてくかは、四コマである原作と異なってドラマをしっかりと描くほかないアニメ版においては、避けて通れない問題であるにちがいないって、私は思うかな。なぜならキャラクターを魅力的に映えさせるには、その背景にあるドラマをおなざりにしては為されないに、おそらくちがいないのだろうから。‥ここから先が、たぶん本作の分れ目かも。おもしろくなるかどうか、期待かな。」
「原作ではつぎはぎであり要所要所が読者の想像力に任された構成になっている作風なのに対して、アニメではその隙間を上手に埋めていき、見応えのある物語をこそ創造しなければならないだろう、か。ま、そこらへんの作業が前回のクリスマスのエピソードなどは非常に良くできていた印象があるのよね。というのも7話は周知の通り、唯と憂の幼少期の挿話を冒頭に提示することによって、平沢姉妹の年月のある物語とそれによって醸成されてきたろう関係性の深みといったものがとてもよく暗示させられる構成になっていた。だからこそ、本作にはそういった原作を上手く再構成し、実りある物語をこそ求めてしまうのでしょうね。ま、はてさて、どうなることか次回を期待しましょうか。梓が如何にしてあの軽音部の空間に馴染んでいくことか、その過程をこそ楽しみにしましょう。さて、どうなることかしら。」
「いや、素直にその場で喜びをあらわすことのできない屈折した心情こそがそこにうかがえると看做すべきかしら、その態度は? もしくは入試なんてどうとも思っていなかったということかしら。ま、それはそれで嫌味たらしいように思えて、なんかあれね。」
「天もつんざくプラトンパンチだー!!」
「ごふぅっ!?」
「‥そういえば、澁澤龍彦は大学受験に二回失敗してるのだけど、さいしょの受験のときの発表の日は、自分で合否をたしかめに行くのがこわくて、代りに妹に見に行かせてる。それで澁澤が家でまってて、帰ってきた妹の開口一番、お兄ちゃん落ちてたよ、というの。‥これはなかなかおもしろい話かなって思うし、それになんていうのかな、澁澤には妹依存の面があって、なんでもかでも妹頼りになっちゃう面があったみたい。外出するときも妹がついてこないならめんどくさくてやめちゃう人であって、傍目から見たら夫婦にまちがわれたってどこかのインタビューで読んだかな。‥それにそうそう、澁澤は女性に自分のことを澁澤君かお兄ちゃんかで呼べって命令してた節があるみたいで、これまた考えてみるとおもしろい。お兄ちゃんって呼ばれたかったのだね、みたいな。‥なんだか人にはお兄ちゃんお姉ちゃんで呼ばれたいって願望が、ある種普遍的にあるのかも。ね、お姉ちゃん?」
「はてさてね。‥しかし、澁澤はその後奥さんになった人にも妹にしたのと同様依存しまくるのだから、ま、なんていうか日常生活からして自分のことは自分でやるといった意識のまったくなかった人物だと思うべきなのでしょうね。たとえば外国旅行に行ったときバイキングのやり方がわからなくて思わずこれじゃ何も食べられない!とパニックになったまでの人という逸話があるのだから、もしかしたら文学者なりその種の芸術的素養のある人にはどうしてもだらけた面があってしまうものともいえるのかしれないかしら。そしてその意味でいえば、唯も芸術家肌とは、はてさて、いえるのかしら? ま、それは怪しいものかしら。」
「唯が天才かどうかはわかんないけど、でもただ今回のお話でけっこう痛かったかなって思えるのは、内輪からだけでなくて外側からこの軽音部の様子を客観的に判断すると、やっぱりどうしても不真面目であんまり素行よろしくない部活に見られちゃうことは免れないことなのかなって感じられたとこだって、私は思うかな。というのも、唯は憂ちゃんに軽音部のいいとこは何ってきかれて楽しいとこって答えてるけど、でもその意見は唯の主観に拠るものでしかなくて、それだけでほかの人が入部するかはわからない。なぜなら唯が楽しいからといったってほかの人が楽しめるかはわかんないのであり、それは軽音部がごく閉じた関係性のなかでささやかに活動してるとてもプライベートな空間であるからこその問題であって、そういった身内の雰囲気になじめるかどうかは部外者からしてみるなら、なかなかどうしてむずかしく思えちゃうものなのだよね。‥それに梓が軽音部に入部する段どりも、これは率直にいって私は原作のほうがよほど自然に違和感なく描写することができてたと思う。というのもそれはなんでかなっていえば、今回のアニメ版では梓はジャズ研のよしあしを判断できるくらいの音楽的素養のある人間だってことは過不足なく表現できてたのだけど‥たぶん梓がいちばん音楽の修養はあるのかなって思う‥その梓が実は唯たちの演奏を高く評価してるって事情がアニメでは描かれてなかったのであり、このためこのエピソードのみでは梓が軽音部に入部する決定的な要因はなんだったのかなって点がぼやかされちゃってるって、いわざるをえないのだよね。‥もちろんそのフォローは次回以降で為されるのかもだけど、軽音部がそれほどあんまり熱心な部でないってことがつよく否定できない事実である以上、彼女たちの活動をどんなふうに魅力的に描いてくかは、四コマである原作と異なってドラマをしっかりと描くほかないアニメ版においては、避けて通れない問題であるにちがいないって、私は思うかな。なぜならキャラクターを魅力的に映えさせるには、その背景にあるドラマをおなざりにしては為されないに、おそらくちがいないのだろうから。‥ここから先が、たぶん本作の分れ目かも。おもしろくなるかどうか、期待かな。」
「原作ではつぎはぎであり要所要所が読者の想像力に任された構成になっている作風なのに対して、アニメではその隙間を上手に埋めていき、見応えのある物語をこそ創造しなければならないだろう、か。ま、そこらへんの作業が前回のクリスマスのエピソードなどは非常に良くできていた印象があるのよね。というのも7話は周知の通り、唯と憂の幼少期の挿話を冒頭に提示することによって、平沢姉妹の年月のある物語とそれによって醸成されてきたろう関係性の深みといったものがとてもよく暗示させられる構成になっていた。だからこそ、本作にはそういった原作を上手く再構成し、実りある物語をこそ求めてしまうのでしょうね。ま、はてさて、どうなることか次回を期待しましょうか。梓が如何にしてあの軽音部の空間に馴染んでいくことか、その過程をこそ楽しみにしましょう。さて、どうなることかしら。」