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2009/07/16/Thu
「一所懸命に日々をあくせく働いて過す必要のないくらいに十分にお金持でそのために自堕落な生活を送っちゃってる二人の姉妹の日常を描いた一作。といっても本作において描かれる自堕落さとはそうとうの度合、オタク文化やネットカルチャーを自虐的に戯画化したものであるのであって、その種の世界で通俗的に用いられてる表現や呼称、用語をあるていど熟視してなきゃ、この作品の含意するとこのものはわからないのじゃないかなって気がするかな‥でも本作のような作品を手にするような人にとっては、この一作が内容の随所でふれてるネット的な物の見方からあらわれるだろう言葉や価値観‥たとえばリア充とかマイミク外されたからむかつくとか働いたら負けかなとか、そういうの‥に、無縁であることはたぶんないかなって思うけど、ね‥。‥かわいらしい素敵な絵柄でその点の魅力については文句ないけど、でも本作のベースとなってる画風の黒さといったものは、社会制度に上手く順応できないために自分を除いた世界に若干のルサンチマンを秘めてるけど、でもその怨嗟といったのは実のとこそれほど強烈なものでもなくて、ただ何かしら愛されたい、楽しいことをしてたいっていう、オタク文化に顕著にあらわされてるだろう自分への甘さ、自己のおかれた状況をよりよく認識することへの恐れといったものに対して実に明確な指摘を為しえてる部分があるのであり、なかなかどうしてこの作品は単純に笑って済ませるに行かない、ある種の問題を含んでももしかしたらいるのかなって、そう私は思ったかな。‥楽しくかわいく、そして毒を含んでて、意外とこの一冊は掘り出し物だったかも。」
「初っ端から毎日を引きこもって暮すのは不健全だからといってバイトに赴こうとする妹に対し、働くのは大罪に当るからそんな決意は止めろといい放つ姉の蘭子の態度はなかなかおもしろいものあるかしらね。ま、この姉妹二人がいろいろと思い悩んでいる理由の原因とは、突き詰めて考えれば世間一般の常識つまり日々を働かずに無目的に自堕落に過すことは悪だという戒律から、自分たちが外れてしまっているマイノリティであることへのコンプレックスというのがまちがいなくあるのでしょうけど、この姉妹に象徴されたおそらく他のオタクらも内面にもっているだろう苦しみというのは、きわめて日本的文化の産物だといわざるをえないのでしょうね。なぜなら実業的な労働を美徳とするのは日本的な価値観のひとつの特徴といえるのでしょうし、これがイギリスなどだったならば、それこそ働かないのが格好いいとされるに決っているのでしょうからね。ま、とはいったところで、日本のオタクの劣等感が払拭されるわけでもないのでしょうけど。はてさてね。」
「リア充、という言葉がわかんないなって私はずっと思ってて、というのもネットだけに耽溺してそのほかの世界で実際に活躍してないことがそんなに悪なのかなってふしぎに思っちゃう感性が私にはあったからで、そのため現時点でも私はリア充という言葉と、それを用いる人たちに対する共感という意味では、ほとんど理解を絶した側面があるのかなって思ってる。‥ただでも何かな、本作にいわれてるようなリア充‥つまりは実世間でも問題にされてるだろうリア充‥とは、私には世間的にいわれてるだろう社会的に成功してるとか恋人や家族と円満な関係を築けてて幸せだとか、そういった事柄を指す単純なものとも思えなくて、それは私がネットでいえるリア充が真の意味でのリア充‥つまり、幸福‥ではないのじゃないかなって考えるからにほかならない。すなわち、私が思うリア充とは、ネットからは不可視だろう部分に自分の位置と立場をしずかに確保することということに落ち着く。それはべつな言葉でいうなら、私が私でいれるとこを、ネット以外の関係性において保つことというふうになるかな。そしてそういった意味においてのリア充は、社会的な成功でも不成功とも無関係で、みずからの関心をみずからのうちにこもらせるのでなく、外に向けて日々を過す、そういった自意識の外的な志向性をこそ意味するものというふうにいえるかなって思う。なぜなら、己の関心を外界に向け、世界に興味と好奇心を抱くことこそ、幸福の獲得の第一歩にちがいないって、そう私は考えるものであるから。」
「私心のない興味の大切さ、とでもいうのかしらね。ま、こういうことはあまりうるさくいうと説教くさくなるし嫌なものなのでしょうけど、しかしリア充などということを幾度も口にして大仰に飾り立てる人は、少し自分に対する関心が強すぎるのでしょうね。というのも今現在よりも自分はもっとよりよい立場におかれるべきといった自尊心がなければ、リア充の自分なんていう仮定を施すことには決してならないのでしょうから。だけれど、はてさて、それは少々自惚れが過ぎるというものよ。そういう場合は、自分に関心をなくしていくほうが、よほど上手な対応といわれるべきでしょう。なぜなら、自分自身とは空虚なのだから。そして、世界とは実り多きものなのだから。故に外界を向いてこそ、真のリア充は可能になるのでしょう。」
ユキヲ「武蔵野線の姉妹」1巻