ZUN「The Grimoire of Marisa」
2009/07/28/Tue
「スペルカードという発想が東方をしてほかのSTG諸作品と明確に区別されるべきものと為してる大きな要素であることは、製作者であるZUNさんみずから述べられてることであるけれど、でもなぜスペルカードってシステムがそんなに重要な役割を果しうるのかなって疑問に思ったとき、本書「The Grimoire of Marisa」の存在は、その解決の最大の一助になるにちがいないって思うかな。というのもそれはまずこの本の性格を鑑みてみれば察せられることなのであり、本書は一読した人ならだれもがすぐに了解せられることだろうって思うけど、この書はまるである種の昆虫や動物を図録として掲載しまとめた図鑑のように、スペルカードをそれぞれ独立した客体としてまとめ仕上げた、一種の博覧であるにほかならないのだよね。つまり本書はゲームの攻略本でもなければ、いわゆるファンブックとも趣を異にした、純粋にスペルカードをスペルカードって観点それだけのために制作されたものにほかならず、それはスペルカードがそれ単体で独立しうる存在であることを証することになるに疑えない。べつな言い方をするなら、スペルカードという発想はもちろん東方って作品の主な部分を占める特性であることはまちがいないのだけど、でも東方という作品に一方的にスペルカードが依存してるのでなくて、その気になれば、本書が成立してるようにスペルカードはそれだけでも独立しうるものであるということをこの一冊は証し立ててる。なぜなら「The Grimoire of Marisa」とは図鑑であり、そして図鑑の内容の対象にされるのは、客体物であるほかないのだから。ゆえに、スペルカードとは、客体化された事実であると私たちは認めねばならないのだから。」
「STGにおいては敵が弾を撃ってくる。‥ま、それはそういうゲームであるから当り前でしかないのでしょうけど、しかし東方が革新的であった最大の理由であるスペルカードとは、その弾による攻撃を名前をつけて意味をもたせることにより客体化させるということを実践した点にあるのであり、これによってスペルカードとはゲームの一部分んでしかなかったはずの弾幕を、意味のあるひとつの客体としてとり出すことに成功したというべきなのでしょうね。そしてここでおどろかねばならないのは、弾幕に名前をつけるといったその行為そのものであるのは疑いないのであり、なぜなら名づけるということは、すなわち世界を観察し切りとる人間にのみ許された科学的な態度というべきだからなのでしょう。要するにスペルカードの登場によって、無秩序で乱雑だった弾幕の世界を、秩序立て整理し、分類することが可能になったのであり、これによって私たちは新たな世界を垣間見せられたというほかないのでしょうね。ま、であるから、スペルカードという考えはなかなかすごいのよ。それはたしかにいえることかしらね。」
「名前をつけることにより意味が生まれ、そして意味があるからこそそのものと他のものが区別されうるのであり、もし名前がなかったならそれらはそれらとして認識されることがないにちがいないのであろうって考えられるから、かな。‥これはそうむずかしい話でなくて、たとえば蝶にはいろいろな種類があって、それぞれ固有の名称を付与されてることは少し図鑑を紐解いてみればわかることだよね。でもそんなふうに多種多様な蝶がこの世界に存在してるっていうことは、その事実を知ってる人、つまり個々の蝶の名前を知り特徴を弁別できる人だからこそ可能なのであって、もし蝶についてただ一般的な知識しか保有してない人から見るなら、豊饒な蝶の世界は豊饒として認識されず、どのような個性際立った蝶たちもただ「蝶」というひとつの名によって、乱暴に把握されるだけでしかないことは容易に予想できることにちがいない。そしてこれはほかのあらゆる分野においても同様なことがいえるのであって、私たちは知識をもち、それを観察し把握することができる理性があってこそ、はじめて世界は世界本来としての広がりと可能性を垣間見せてくれるのであり、ならばスペルカードとは、その文脈で把握するなら、ただ乱雑だった弾幕の攻撃を一種の様式として整理したにちがいなく、まさしく東方は弾幕を名づけることにより客体的なオブジェとして看做すことが可能であることを教えてくれた、ある発想の鮮烈さに満ち満ちた作品だっていうことができるのじゃないかな。‥名前があるからそれに付随する観念が生まれる。そして観念と言葉がそれぞれ一致対応するなら、ゲームを通して私たちはなんて豊かな観念の満ちる世界を覗くことが可能になるのだろう。それはきっとおどろくばかりに素敵な発見じゃなかったかなって、私は思う。なぜなら可能性に幻滅した世界のヴィジョンほど、私たちを絶望さすに足るものもないのだから。そしてスペルカードとは、そんな絶望に対する無意味な興趣を象徴するものでこそあるのだから。」
「スペルカードというのは無秩序だった弾幕をまさに意味づけし、ひとつの客体として認識させることを可能にした発想であるにちがいなかったといいうるのでしょうね。なぜならコレクションに値するものとは客体化された何かではなくてはならないのであり、もし客体でないあやふやで不明瞭なものを収集しようと考える者がいるなら、その思惑こそはまったくナンセンスであるのでしょうし、そしてこの「The Grimoire of Marisa」こそは完全に語義どおりにコレクションのフェティシズムにあふれかえった書物であるのだから、スペルカードが弾幕の客体化であったことは疑えない事実といえるのでしょう。ま、以上のように考えてみると、弾幕ほど純粋に客体的で見る者が自由に観念を投影できるものもほかにないのか知れないかしらね。弾幕からどのような意味を引き出すかは個々人の自由であるのであり、であるから本書は弾幕フェティシズムの極致といった内容なのでしょう。その意味で、本書はなかなか興味ある一冊とはいえるかしら。無意味で美しい良い一書よ。まったくね。」
ZUN「The Grimoire of Marisa」
「STGにおいては敵が弾を撃ってくる。‥ま、それはそういうゲームであるから当り前でしかないのでしょうけど、しかし東方が革新的であった最大の理由であるスペルカードとは、その弾による攻撃を名前をつけて意味をもたせることにより客体化させるということを実践した点にあるのであり、これによってスペルカードとはゲームの一部分んでしかなかったはずの弾幕を、意味のあるひとつの客体としてとり出すことに成功したというべきなのでしょうね。そしてここでおどろかねばならないのは、弾幕に名前をつけるといったその行為そのものであるのは疑いないのであり、なぜなら名づけるということは、すなわち世界を観察し切りとる人間にのみ許された科学的な態度というべきだからなのでしょう。要するにスペルカードの登場によって、無秩序で乱雑だった弾幕の世界を、秩序立て整理し、分類することが可能になったのであり、これによって私たちは新たな世界を垣間見せられたというほかないのでしょうね。ま、であるから、スペルカードという考えはなかなかすごいのよ。それはたしかにいえることかしらね。」
「名前をつけることにより意味が生まれ、そして意味があるからこそそのものと他のものが区別されうるのであり、もし名前がなかったならそれらはそれらとして認識されることがないにちがいないのであろうって考えられるから、かな。‥これはそうむずかしい話でなくて、たとえば蝶にはいろいろな種類があって、それぞれ固有の名称を付与されてることは少し図鑑を紐解いてみればわかることだよね。でもそんなふうに多種多様な蝶がこの世界に存在してるっていうことは、その事実を知ってる人、つまり個々の蝶の名前を知り特徴を弁別できる人だからこそ可能なのであって、もし蝶についてただ一般的な知識しか保有してない人から見るなら、豊饒な蝶の世界は豊饒として認識されず、どのような個性際立った蝶たちもただ「蝶」というひとつの名によって、乱暴に把握されるだけでしかないことは容易に予想できることにちがいない。そしてこれはほかのあらゆる分野においても同様なことがいえるのであって、私たちは知識をもち、それを観察し把握することができる理性があってこそ、はじめて世界は世界本来としての広がりと可能性を垣間見せてくれるのであり、ならばスペルカードとは、その文脈で把握するなら、ただ乱雑だった弾幕の攻撃を一種の様式として整理したにちがいなく、まさしく東方は弾幕を名づけることにより客体的なオブジェとして看做すことが可能であることを教えてくれた、ある発想の鮮烈さに満ち満ちた作品だっていうことができるのじゃないかな。‥名前があるからそれに付随する観念が生まれる。そして観念と言葉がそれぞれ一致対応するなら、ゲームを通して私たちはなんて豊かな観念の満ちる世界を覗くことが可能になるのだろう。それはきっとおどろくばかりに素敵な発見じゃなかったかなって、私は思う。なぜなら可能性に幻滅した世界のヴィジョンほど、私たちを絶望さすに足るものもないのだから。そしてスペルカードとは、そんな絶望に対する無意味な興趣を象徴するものでこそあるのだから。」
「スペルカードというのは無秩序だった弾幕をまさに意味づけし、ひとつの客体として認識させることを可能にした発想であるにちがいなかったといいうるのでしょうね。なぜならコレクションに値するものとは客体化された何かではなくてはならないのであり、もし客体でないあやふやで不明瞭なものを収集しようと考える者がいるなら、その思惑こそはまったくナンセンスであるのでしょうし、そしてこの「The Grimoire of Marisa」こそは完全に語義どおりにコレクションのフェティシズムにあふれかえった書物であるのだから、スペルカードが弾幕の客体化であったことは疑えない事実といえるのでしょう。ま、以上のように考えてみると、弾幕ほど純粋に客体的で見る者が自由に観念を投影できるものもほかにないのか知れないかしらね。弾幕からどのような意味を引き出すかは個々人の自由であるのであり、であるから本書は弾幕フェティシズムの極致といった内容なのでしょう。その意味で、本書はなかなか興味ある一冊とはいえるかしら。無意味で美しい良い一書よ。まったくね。」
ZUN「The Grimoire of Marisa」
