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>泣いて心配してくれるような他人なんて、ふつうそうやすやすとは得られないもの
石田麦さんは、どこからこれを導き出したのでしょうか? 今までの人間関係からですか?
2010-06-23 水 10:45:40 /URL /ルーク /
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>ルークさん
どうも。
さあ。これは導き出すようなものではないと思いますよ。
2010-06-23 水 21:40:03 /
URL /石田麦 /
編集
2009/12/17/Thu
「佐天さんはやっぱり素敵。というのも、佐天さんのように凡庸に劣等感を抱えて暗くしずかに、されど友だちや家族や恋というほんの一握りの意味を大事にして世の中をすごしてく人というのは、幻想的な物語が描き出す対象としては不適格であろうけど、でも人が雑多な世界の底で生きてく姿の真実のたしかなひとつであろうって私は思うから。‥その点では、美琴や黒子は想像力に欠けたちょっと粗野な一面が見受けられちゃって、私は彼女たちを中心に描く本作はもしかしたらあわないかなという気もしてた‥美琴がおもしろくなってくるのは、彼女の負の感情をまざまざと照らし出すシスターズのエピソードから。それ以前は、ちょっとつまらない‥。だけどそれを補うかのように佐天さんの魅力に焦点が当てられてるかのように感じられるので、その意味ではまだまだこの作品はすばらしいものあるかなって私は評価する。‥レベルアッパーのお話は、ひょっとすると原作と少し見方が変わってくるのかな? そこはちょっと注目したい。」
「美琴は目の前にあるハードルをただ越えてきて、その結果としてレベル5になっただけだといっているけれど、ま、なんというかこの台詞が彼女のこの時点での気質をよりよく表しているのでしょうね。なぜならハードルを越えればいいという意識は、無論、佐天にもだれにでもあるものでしょう。しかしだからといってそうは行かない現実というものがあるのであり、それ故に劣等感や挫折感や他者に対する怨嗟というものは生まれてしまうのよ。美琴はだからそういった部分では、本当、ありがちなお嬢様なのよね。ま、しかたないとは思うけれど。」
「社会的な成功、という点では、運命みたいなのはあるかもしれないといえるから、かな。‥もちろん成功した人、美琴みたいな人は、自身の経験を鑑みて、なぜ自分が成功したか、その概略みたいなのを紡ぎ出すことはできるし、かけがえのない自身の経験を根拠に他者を批判し、ときには説教もし出しちゃうかもしれない。ただ、だけど、そういった姿勢というものは、つまるところ自身の幸運に恵まれた人生の軌跡をある面正当化してるのみであって、だれもが成功者のように生きれない以上、その語られる成功譚は物語の意味あいしか蔵さない。‥才能があっても、ときに、人は負ける。そしてそのみじめさは、たぶん、死ぬ間際までつきまとう。佐天さんのコンプレックスも、だから、消えない。死ぬまでそれはつきまとう。あなたの、影のように。」
「人生には運不運はかならずついて回るものでしょうし、成功者は自身の幸運をほとんど認識しえないものともいえるか、はてさて、しれないかしらね。‥ま、しかし何かしら、それでも佐天の生活は、それほど捨てたものではないと、レベルアッパーに頼ってしまう劣等感のもたらす苦しみなどで滅茶苦茶にしてしまってはいけないくらいに、いえることはいえるのじゃないかしら? なぜならその理由のひとつは、泣いて心配してくれるような他人なんて、ふつうそうやすやすとは得られないものだからよ。初春はいい人ね。本当、それはたしかなことよ。まったくに。」
>泣いて心配してくれるような他人なんて、ふつうそうやすやすとは得られないもの
石田麦さんは、どこからこれを導き出したのでしょうか? 今までの人間関係からですか?
2010-06-23 水 10:45:40 /URL /ルーク /
編集
>ルークさん
どうも。
さあ。これは導き出すようなものではないと思いますよ。
2010-06-23 水 21:40:03 /
URL /石田麦 /
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