さて敬愛なる同志諸君、今宵この歴史古き伝統高き我が冥府最大の集会場である「無数の太陽を基台に置く広場」に集まり頂いたのは他でもない、四年に一度の我らを統べる死神の長にして神の掟への第一等の僕にして自然の摂理への盲目の随意者である冥府の王、すなわち死神主人を選ぶ日が刻々と迫っているからだ。賢明な諸君にわざわざ申す必要もなかろう、今回の宣託はこれまでのそれとは自ずからその重要さが比すべくもないほど巨大であることを。そう、冷酷にして髑髏の使役者たる我々死神は、この冥府に現れてから実に数え切れぬ魂をあの世へと切り離してきた。今更、同志それぞれの陰鬱に満ちた作業を述べる必要もあるまい。罪人を黙々と火の釜へとくべる地獄の鬼どもでさえ、生を高らかに謳歌している人間たちへ鎌を振るう我らほどの苦痛を受けたとは思えまい。なら我らの上に立つ死神主人をいわずもがな。歴史において最高に誇り高いとされた英雄でさえ、この職務には尻込みせずにはおられまい。だからこそ、激務の中の最たる激務とされるこの役目は任期を四年とし、永遠とさえ思える冥府の歴史において死神主人を続投したものがただの一人とさえいないということが、全てを物語っているだろう。
さあ、果たして今回の主人は誰なのか。どこの何某が栄誉ある神の下へ真っ直ぐに続く道に立てるのか。諸君、知っていよう。苦難の後には間違いなく悦楽が約束されているであるということを。そう、死神主人という考えられる限り最も過酷な仕事を終えたものは、神と天使の住まうとされるあの伝説の天国へと召されることが、この冥府が建国されたときに彼の主が約束されたのだ。同志諸君、続投がないのももっともでないか。天国への招待が確定されているのにどうしてそれを断れよう。
諸君、我々は永遠に等しい時間、鎌と共に生き長らえてきた。しかしいずれ天国に行く。冷たい刃と血の暖かさから離れ、歌と花が満ちている天国へと進み行く。同志よ、どうしてこの暗い冥府にいてそのことを思わずにいられよう。おお、願わずにおられよう。
だが、同志よ。天国に向かうための唯一の術が死神の王となることなのだ。王となり、四年、果てしなき四年! 鎌を振るい続けることなのだ。悲しみに浸ることなのだ。
だがしかし、諸君、我々はいずれ誰もが天国の門をくぐりたいと願っている。四年に一度の主人の宣託、それは地獄の始まりと天国の到来、この二つが含まれている。
同志諸君、我々の中の誰が選ばれるのか。鎌を捨て、歌を取るのか。それは明日の宣託を待たねばならぬ。神のみぞ知る次の主人よ、おお、苦難の果てには幸があることを。祈りがあることを……
日記を記していると言ったら、滑稽にと笑われた。ただの笑いではなく、そこには多分の嘲笑乃至は非難が含まれていた。もっともな反応だと私は思う。いつ死神として我が身をなし、いつ終わるとも知れない永遠に等しい虚空の時間を過ごしている冥府のものにとって、時間の痕跡を丹念に刻む日記の作業など、運命を呪う作業にしても遥かにこちらの敗北を印象付けることでしかないことは、毎夜、自室の机でペンを綴っている私が一番知っている。万年筆の先をインクに浸し、革の表紙をめくり、日付とともに今日の起こった出来事諸々を書きつける。どうして私がこんな作業をしているのか、当の私ですらもはやわからない。ただ長い間の習慣であって、そこには既に私の意思は介在していない機械的動作なのだ。束の間の安らぎを得ようと瞼を閉じる前、この日記に向かいペンを握るということが、何か私を強制させるものなのだ。
しかし私は自分の日記を読み返すということを全くしない。少なくとも覚えている限りではしたことはない。ページの最初から最後まで書き終わると、次の無地の紙にまた繰り返す。そんなことを淡々と繰り返してきたのみで、後から見返し郷愁に耽るということを私はしない。死神としてそんな行動に何の感情が湧くものだろうか、私にはよくとわからない。
だがこの日、また本の一冊を記し終えた私は、それを常の保管場所に置こうと机から立った。これまで書き溜めた日記は自室の奥の棚に仕舞いこんでいる。普段は何の用もないので放置されたままになっており、このときも手の書物を投げ込んでそのまま目もくれないつもりだった。しかし―何たることか―扉を開いた瞬間、無造作に置かれた日記の群が床目掛けて雪崩れの如く落ちてきたのだ。私としては呆然とするしかなかった。何を言おう、その量にだ。どれほどの時がこれほどの日記を私に書かせたのか、優に百冊を超える書物が眼前に押し寄せたのだ。
私は困惑と共に呆れ顔をしてしまった。如何な物書きでもこれほどの書物を生涯に記したことはありえまい。床に散ばっている本の大群に加え、扉の奥にはまだまだ眠っているのがありありと窺えたからだ。私は整理するのも忘れ、しばし呆然としてしまった。そっと足元の一冊を手にとりめくると、そこには確かに私の筆跡の跡があり、これを記したのが私であることを黄ばんだ紙面が共に教えるのだ。
しかし幾ら文面を読んでも、私にはこれがいつのことだかさっぱり要領を得ない。まるで生まれる前の出来事を私が見ているような、全くの新鮮さを感じるとしか言い様がなく、少なくなく期待したノスタルジー、私はとんと縁がないようだ。
だがこの書き散らした日記の群は、私がどれだけの間死神として彷徨っているかを確かに証明する物的証拠なのだ。死神は死神主人となり、天国に行く他に解放される術はない。これは死神と覚醒したものが、第一に悟ることだ。しかし死神と呼ばれるものは数え切れないほど数があり、また主人の宣託は四年に一度。これでは星が生涯を終えるときを待つようなものだ。人間としての意識を持つ私たち死神にとって、正にこれは生き地獄といえる。
死神には歴史というものがない。何故なら歴史と呼ぶには余りに長すぎず、覚えているには途方に広遠であるからだ。私が私としての死神になったことは、思い出として残るはずもなく、死神が死神を記憶するには、それは砂漠の砂に一粒一粒名前を与えるようなものであり、人が懐かしむには人の能力を大きく逸脱している。
だから私の日記が私の存在を立証するものであっても、私の歴史を表すものではない。ただそれは私の不可避なしがらみを告知するだけのものだ。死神が死神であるということは、時間の罰を受けるということであり、時間というものは宇宙の黒にぽっかりと空いた穴であって、その穴に落ちたものはひたすら落下のみが許されているのだ。
絶望の溜息も出ない。だから日記は読むことはないのだ。私はもう最初を覚えてないし、最初のない私は故に最後がなく、つまり中間しかない。しかし中間のみの存在があるはずもなく、ならば私は存在ですらない。私は自然の網に捕らえられ、空しく数え切れるはずもない空の星を丹念に記録することを強要された時計の針のようなもので、意識は薄れることもないけれど、集めて実と為すには私は途方もなく小さく、小さいために夢からも見捨てられた。つまりそういう形であって、私は今日も鎌を手に空を飛ぶ。
私と鎌が不恰好なのは仕方がないことだ。部屋で本でも開いているのがお似合いであり、巨大な鎌は背丈を越えている。死神に決まったときの年齢は覚えていないが、少女然とした身体を鏡に映せば、大体の見当はつく。死神の外見は固定であり、何がそれを決めるのかは判然としない。しかし鎌を振るう力も空を駆ける足もある私にとって、姿など問題にはならないのだ。そもそも私たちの姿は生身の人間には見ることは適わない。黙々と私たちに切られるのみの彼らは、どうして自分がここで倒れるのか、刃の傷みは果たしてどこから来るのか、この漠とした不安の在り処は、全て知ることは適わない。
しかし私たちにとり、それは羨ましいことだ。死神の鎌の餌食になったものは死神になることはない。どこか私たちの見知らぬところに飛んでいく。私たちの仕事はそう、次なる死神を増やさないことが第一といってもよい。それは主人となるための機会を、焼け石に水だとは知っていながらも、高めることであり、さらに不幸なものを増やしたくないという私たちの優しさ、……それがさせることなのだ。
死神に優しさ! そう、私たちは優しい。永遠の苦しみを身体で知っている私たちだからこそ、犠牲者をこれ以上出したくないという思いやりが鎌という形を取るのだ。それ以外に何があろうか、私たちに命を摘むという残酷な作業を為させることが!
死神の手には刈るべきものの名前が記されている手帳がある。この手帳に書かれるものは様々だ。意外に思われるかもしれないが、人の名前は一番、少ない。これは私たちにとって喜ばしいことだ。人はしっかりと私たちが鎌で切らなければ死神に具象する可能性がひどく高い。それでは私たちの鎌の先に立つ諸々のものとは何か、それは聳え立つ樹木であったり、花々であったり、犬や猫や馬、鳥や魚、大陸の先端の岬であったり、人気のない廃ビル、電柱や神社、カマキリや遊ばれなくなった独楽、海水や黒くぐずんだ雲、十字路や食堂のメニュー、脇に見える小石や遥かに忘れられた海の骸骨、死神は命を奪う。私たちの永遠の作業はこれら全てを切断することであり、一から先まで忘れることである。
その夜も森羅万象の返り血を浴びた私は、冥府の水で身を流す。鎌の刃を布で拭いてやり、自室の壁へと立て置く。
私は机に向かい、今日もまた日記を開く。筆をインクで浸し、私は今日一日を思い返す。……
「死神主人が決まりなさったぞ。死神主人が決まりなさったぞ。」
「尊いことが起こった。尊いことが起こった。」
「これからあらゆる苦痛を一身に引き受ける冥府の王だ。その苦しみは天地絶後、我らの苦痛は王と共にあり、全ての悩みは主人の心中に呑み込まれる。」
「笑えや死神、泣くな死神。お前の憂鬱はこれ死神主人の独占だ。」
このようなときが来るとは。日記に記す私の手は震えている。まさか主人に私が選ばれる日が来ようとは、どうして思えようか。考えられようか。
果たしてこの事実は皆が言う通りに喜ばしいことなのか?それとも最後の始まりなのか?
死神主人の役目。以下に記す。
一、死神主人は冥府の王であり、神の第一の僕として自然に忠誠を尽くすものである。
二、死神主人はあらゆる命の管理者であり、その精神は何ものよりも気高く、神のみがこの上に立つ。
三、死神主人はあらゆることを為す権限がある。その裁量は宇宙に及び、その思いは流星の如くである。
四、死神主人は苦痛の主である。あらゆる苦痛を知ることが望まれる。
五、死神主人は即ち、森羅万象全ての鎌の刃、それである。
六、死神主人は宇宙の黒である。
七、死神主人はあらゆる死神の痛みである。死神の流す血は冥府の王が代わって流し、身を裂く苦痛は代わってこれを受ける。
八、死神主人は息をしない。しかし意識は鮮明である。
九、死神主人は目を閉じない。残酷は全て知らなければならない。
十、死神主人は天国の裏の面を象徴する。天国と相反するものはこれ全て死神の主のものである。
十一、死神主人はその立場ゆえ、絶望することは許されない。しかし絶望そのものではある。
十二、死神主人は眠ることは許されない。事実から片時でも離れることは許されない。
十三、死神主人の血は命の代償である。命ある限り、心臓は引き裂かれ続ける。
十四、死神主人は存在する限りの罰を一身に受ける。逃げることは許されない。
十五、死神主人は四年の拷問後、褒美として天国へと召される。
悪魔め。何故、私がこんな苦しみに遭わなければならないのか。これが仕返しだというのか。地獄の鬼すら考えつかぬ責苦を、よもや私が蒙ることになるとは。一体、その摂理はどこから誕生する、どこにこのような悪夢があるというのか。
快楽の全ての主よ。死神がどうしてこのような恨みを受けなければならぬのか、私にはとんとわからない。それさえも忘れたのかとお前は言うことだろう。だがな、一つだけ私はこの止めようも止められぬ苦痛の絶叫の中で、肉を裂き、骨に食い込む鎖の中で、闇という闇が展開する瞳の中で、誰一人として助けを貸さない孤独の中で、確信していることがあるぞ。
お前の上に私は昇る。私は決して諦めないぞ。決してだ。
・あとがき
二〇〇五年十二月二十八日に書いた作品です。これは懐かしい。暑くてぼんやりとしていてブログを書く気にはなりませんが、まぁ気晴らしに本作をどうぞ。