秋★枝「煩悩寺」1巻
2010/08/25/Wed
「いつもどおりの秋★枝先生。いや、これはいつも以上かな。純真ミラクルと比較すると純粋に恋愛という枠組でもって物語れる、絶妙な人間関係をきめ細かい筆致で描いている。その心理の変化の過程をあらわす筆遣いは丁寧すぎるほどで、なんか、なんていうのかな、パヤパヤしちゃう!」
「パヤパヤ。」
「パヤパヤ。」
「パヤパヤ。」
「頭がパヤパヤ。」
「はい、どうも。」
「‥ということで、甘く、熱く、もどかしい人間模様を演出するセンスにやっぱりこの作家さんは秀でているなって感じ入った次第なのだけど、読んでいて少し心に引っかかるように思ったことは、私はこういったふうに人を好きには、もう大分なってないなって感じられたところ。‥とかいっちゃうと、これはなんだかセンチメンタルな心情の吐露というもので、わーらしくないと我がことながら突っこまずにはいられないのだけど、ただなんていうのかな、人が人を好きになるということはそれだけですばらしいものだと思うし、それをその人に伝えるということは、よりいいことなんじゃないかなって気が私にはする。‥それに、人を好きになるということはおおむね楽しいことだっていっていいんじゃないかな。もちろんそれだけでは済まない部分も、無視できないほどに大きくはあるけれど。」
「実際問題、彼氏彼女というか、ま、恋人関係になるということには、その人を好きという感情はかならずしも必要ではないのでしょう。というのも、真摯に人を好きになり、誠実にその思いを伝えられるかといえば微妙でしょうし、好きだからこそ自己卑下が働き、相手に近づけないということもありうるでしょうし、そしてそういったことをくだくだ考えている間に、さっさと付き合う関係になる人はなってしまうものだし、ま、なんかもうはてさてかしらね、ここらの話題って。」
「老ゲーテは七十過ぎても少女に恋したけれど、ニーチェは妹にうるさくつきまとわれた挙句、たった一回の接触で梅毒になって狂っちゃった。もちろんこの例は、どちらがよいというものでもない。どちらも大したものと私は感心する。‥漱石先生が「それから」なんてぐじぐじ思い悩みながら女の人の目をうかがう小説を書いていたかと思えば、鷗外は「舞姫」なんて男のエゴを爆発させたかのような話を書き、そのころ熊楠は馬の糞を集めて粘菌の観察をしていた。ほんとう人間というものはわからない。‥と、あれれ、話が変な方向に行っちゃってる。」
「熊楠はいつまで童貞だったのかしらね。たしかどこかの寺の住職に自分は不貞だといったら信用されず、これで住職かと熊楠が驚いたという話があったと思うけれど、あれは出典はなんだったかしら。‥いや、これも横道に逸れた雑談ね。煩悩寺の感想に戻りましょう。」
「作中、描かれている登場人物についてだけど、私は小沢さんはそこそこ気に入ってる。男の人たちについてはとりたててぴんと来ない。それほど変とも思わない。小山田さんのお兄さんについては、こういう活動的で腕力のある人というのはときおりいるかなとだけ思う。その意味では本作は常識的な感性を備えたふつうの大人の、ふつうのやりとり、しかしそこに潜む純情を切りとった傑作だと私は考える。これはおもしろい。続きも楽しみかな。」
「常識人ばかりかしらね、そう見ていくと。そして一般の人というものは、この作品が描くように多面的で人にはいえない思いといったものをさまざまに抱えているものといっていいのでしょう。‥多くのことを人にいえる人はいないし、大抵の人は自分だけの小さな思いというものを大切にし、生きている。その思いを恋や愛という名前で呼ぶのは、ま、人の自由でしょう。ただ愛があったほうが人生は楽しいとは、まちがいなくいえるかしら。いや辛いかしら? はてさてね。」
秋★枝「煩悩寺」1巻
「パヤパヤ。」
「パヤパヤ。」
「パヤパヤ。」
「頭がパヤパヤ。」
「はい、どうも。」
「‥ということで、甘く、熱く、もどかしい人間模様を演出するセンスにやっぱりこの作家さんは秀でているなって感じ入った次第なのだけど、読んでいて少し心に引っかかるように思ったことは、私はこういったふうに人を好きには、もう大分なってないなって感じられたところ。‥とかいっちゃうと、これはなんだかセンチメンタルな心情の吐露というもので、わーらしくないと我がことながら突っこまずにはいられないのだけど、ただなんていうのかな、人が人を好きになるということはそれだけですばらしいものだと思うし、それをその人に伝えるということは、よりいいことなんじゃないかなって気が私にはする。‥それに、人を好きになるということはおおむね楽しいことだっていっていいんじゃないかな。もちろんそれだけでは済まない部分も、無視できないほどに大きくはあるけれど。」
「実際問題、彼氏彼女というか、ま、恋人関係になるということには、その人を好きという感情はかならずしも必要ではないのでしょう。というのも、真摯に人を好きになり、誠実にその思いを伝えられるかといえば微妙でしょうし、好きだからこそ自己卑下が働き、相手に近づけないということもありうるでしょうし、そしてそういったことをくだくだ考えている間に、さっさと付き合う関係になる人はなってしまうものだし、ま、なんかもうはてさてかしらね、ここらの話題って。」
「老ゲーテは七十過ぎても少女に恋したけれど、ニーチェは妹にうるさくつきまとわれた挙句、たった一回の接触で梅毒になって狂っちゃった。もちろんこの例は、どちらがよいというものでもない。どちらも大したものと私は感心する。‥漱石先生が「それから」なんてぐじぐじ思い悩みながら女の人の目をうかがう小説を書いていたかと思えば、鷗外は「舞姫」なんて男のエゴを爆発させたかのような話を書き、そのころ熊楠は馬の糞を集めて粘菌の観察をしていた。ほんとう人間というものはわからない。‥と、あれれ、話が変な方向に行っちゃってる。」
「熊楠はいつまで童貞だったのかしらね。たしかどこかの寺の住職に自分は不貞だといったら信用されず、これで住職かと熊楠が驚いたという話があったと思うけれど、あれは出典はなんだったかしら。‥いや、これも横道に逸れた雑談ね。煩悩寺の感想に戻りましょう。」
「作中、描かれている登場人物についてだけど、私は小沢さんはそこそこ気に入ってる。男の人たちについてはとりたててぴんと来ない。それほど変とも思わない。小山田さんのお兄さんについては、こういう活動的で腕力のある人というのはときおりいるかなとだけ思う。その意味では本作は常識的な感性を備えたふつうの大人の、ふつうのやりとり、しかしそこに潜む純情を切りとった傑作だと私は考える。これはおもしろい。続きも楽しみかな。」
「常識人ばかりかしらね、そう見ていくと。そして一般の人というものは、この作品が描くように多面的で人にはいえない思いといったものをさまざまに抱えているものといっていいのでしょう。‥多くのことを人にいえる人はいないし、大抵の人は自分だけの小さな思いというものを大切にし、生きている。その思いを恋や愛という名前で呼ぶのは、ま、人の自由でしょう。ただ愛があったほうが人生は楽しいとは、まちがいなくいえるかしら。いや辛いかしら? はてさてね。」
秋★枝「煩悩寺」1巻
