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2011/04/09/Sat
「わずか二十五歳の若さで自殺した北村透谷について何等か論じることは、透谷の浅い読者に過ぎない私にとっては難しい。透谷が主に文筆活動を行なったのがたった二年に如かないというのならなおさらでもあるし、またこの作家の生涯のその濃密な歴史を思うなら、私が透谷を話すことの不足を証すに際し、言葉をこれ以上付け足すことはないんじゃないかなとさえ思われてくる。というのも、透谷は、作家って単純に呼称するには不適切なほど、短い生涯に数多もの思想を、その変転を、挫折を、転換を、苦渋を、快楽を、そして希望と最期の絶望を身に染みて味わった人であったろうから。そんな透谷の濃密な生き方は、透谷の玲瓏で、また強固な文体の美しさが、何よりよく反映している。透谷について語ることは、易くない。」
「詩人であり、小説家であり、そして膨大な量にわたる評論の文筆家であった透谷の思想の体系を把握しよう、少なくとも考え迫ろうとすることは、生半にかなうことでは決してないのでしょうね。なぜなら、透谷の文章は、それを一度目にしてさえすれば瞭然とするでしょうけど、達筆で、何より力のある美観を呈している。が、ただ綺麗というだけではない。速度がある。猛烈なる勢い、情によって書かれたと思しい、凄みがある。これを思うと、透谷が単なる文学青年ではありえなかったことが判然とするでしょう。なんていうのかしら、恐ろしい印象さえ感じられる人でもある。」
「透谷はもっとも早く近代的自我に目覚めた人であるって評言がある。私はこれに触れない。今いち、ぴんと来ない。透谷の悲劇の問題がある。透谷はなぜ自殺したか。何に疲れ果てたか。どういった道を辿り、絶望へと帰着したか? これも私は当らない。その問題に対処するに、今の私は考えが何もまとまってない不十分な状態にあることを自覚してる。‥それじゃ私は何をここでいうべきだろう? 自由民権運動に身を投じ、挫折し、愛欲の世界を知り、そのうえでなおかつ恋愛のプラトニックを称揚する機会に恵まれ、またキリスト教的精神に、深く没入し、しかしそれでなお、自殺するに至った、この非凡な人間について、私は何ごとか、果して、いうことがあるのかな。‥と、まどろんで思うと、透谷の書いた小説作品である「我牢獄」、この一作の慎ましやかな美しさ、儚さ、けれど一人の人間の抱くことが可能な思念のうち、もっとも切なくも強い情緒を描いた、この一篇について、私は少なからず心動かされたことを告白しておくべきだろうって、そう結論するに至る。‥この一作はいうに難い美しさを秘めてるんじゃないかなって、私は思う。それは透谷のいた時代の背景を思うならなおさら。また彼の生涯を思うならよけいに。ただ切ない願いが、この一作を光らしている。」
「非常に短い短編、無駄のなく、簡潔明瞭に構成された一作。が、しかし、透谷のそのほかの膨大な文章を念頭に置いた上で読むと、なんて豊潤な世界をこの作品は私たちに呈してくれることかしら。話の筋についてとやかくいうべき類のものではない。ただ美しいと思える一文を引用して、このエントリは終りにしましょうか。それ以上は、不要でしょう。」
『奇しきかな、我は吾天地を牢獄と観ずると共に、我が霊魂の半塊を牢獄の外に置くが如き心地することあり。牢獄の外に三千乃至三万の世界ありとも、我には差等なし、我は我牢獄以外を我が故郷と呼ぶが故に、我が想思の趣くところは広濶なる一大世界あるのみ、而して此大世界にわれは吾が悲恋を湊中すべき者を有せり。捕はれてこの牢室に入りしより、凡ての記憶は霧散し去り、己れの生年をさへ忘じ果てたるにも拘はらず、我は一個の忘ずること能はざる者を有せり、啻に忘ずること能はざるのみならず、数学的乗数を以て追々に広がり行くとも消ゆることはあらず、木葉は年々歳々新まり行くべきも、我が悲恋は新たまりたることはなくしていや茂るのみ、江水は時々刻々に流れ去れども、我が悲恋はよどみよどみて漫々たる洋海をなすのみ、不思議といふべきは我恋なり。』
北村透谷「我牢獄」
勝本清一郎校訂「北村透谷選集」