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2012/06/22/Fri
Kayo
アイマスにだけは手を出さないと思っていた。というのも、年季のある作品は全体を理解するのが大変だから。東方も似たような感じ。でもフランスにいたとき、日本にいたときはほとんど見なかったニコニコ動画を暇つぶしに眺めたのがボタンの掛け違いの始まりだった。……鉄道動画を見ようと思ったら、その関係でもいろいろあるんだね。それはもういろいろ見ちゃった。
Nadja
鉄道なんて興味あったの?
Kayo
ないよ! でも知人に好きな人がいて、その影響でちょっと見てみたけど、私にその興味はやっぱりない。……さておき! アニメのアイマスの感想をします! ……まず私の所見の印象をいうと、こういった日本の現代社会を舞台にした作品というのは見応えがあるかな、というものだった。アニメというと、現実でないファンタジーを舞台としたものがフォーマットのひとつとしてあるものだけど、本作のいうに私たちのよく知る現代社会のある側面を――本作ではアイドルという職業を――クローズアップして物語を構成するというのは、その点だけである魅力があるんじゃないかなって個人的に思う。たとえば、「花咲くいろは」なんかもそうだし、学生じゃなく、社会を描くというのは新鮮なおもしろさがあると思う。もちろん、これはアイマスがリアルという意味合いではなくて、ね。アイマスにはアイマスのリアルがあるのが理解できるし。
Nadja
これはフランスでしばらく暮らしていたからなのかもしれないけれど、Steins;gateやアイマスのように東京の都市空間を丁寧に描いてくれる画面は、都市の雑然としたなんともいえない美しさを表現してくれていておもしろいのよね。いや、ま、これを美しさと捉えるかどうかは難しいところでしょうけど。東京は美しいといえるかどうか? はてさて、深遠な課題ね。
Kayo
私は美しいと思う。美しさにもいろいろあると留保はつけるとして。……アイマスの話に戻ると、物語の主軸となった千早と春香さんのエピソードに注目したいんだけど、千早のお話はある面わかりやすい、よくある型のストーリーなので、このエントリで殊更触れようとは思わない。むしろ、私てきにおもしろかったのは春香さんで、彼女はその人間そのものがばつぐんにおもしろいと感じる。というのも、彼女はほかのメンバーと比較して、アイドルになりたくてアイドルになった人だから。……と、これだけいってもわかりづらいね。これはなんていえばいいんだろう……?
Nadja
副次的な目的を持っているものが多い他の765プロの面々と比較して、春香という人間はアイドルへの純粋なあこがれからアイドルになった。しかし、裏を返してみると、彼女にはアイドルへのあこがれだけしかないように見える。しかしそんな彼女が作中では、そしてファンの間でも、普通の代名詞のように扱われている。またそれは実際そのように見える。しかし彼女にはあこがれだけしかない。となると、彼女はやはり……
Kayo
変だよね。実におもしろいと思う。美希のように才能があるわけでもなく、千早のように背景に必死な事情があるわけでもない。他のメンバーがアイドル足るべくそれぞれ相応の理由を秘めているに比較して、春香さんにはそれがない。あこがれしかない。あこがれ、これがおもしろい。
Nadja
それは、要するに?
Kayo
つまり、春香さんがこの作品の核心だ。……と、なんだか長い話になってきたけど、ここからがアニメのアイマスに関して本題。……終盤、みんなが忙しくなって、春香さんがおかしくなった。うん、これは文字どおり、おかしくなったといっていいと思う。それで、いろいろ紆余曲折があって、仕事よりも仲間みんなでいることを大切にしよう!というのが、アニメの最終的なエンディングだったと思う。仕事より絆を優先する。これが結論だったと思う。……当然のこととして、この結末には賛否両論はあると思う。私はどう思うか? 私は、なんていうんだろう、春香さんたちは今の連帯を求めたけれど、でも人間関係というものは常に変化していくものだ。一年後や数年後には、絶対に人間関係は様変わりしているはず。別れや変化はあって自然で、そしてそれはいいことだとも思うから。……でも、だとすると、春香さんはどうなっていくんだろう? 数年後の春香さん。どうなるんだろう? ……ここに来て、春香さんはアイドルへのあこがれだけの存在じゃないんだなって、私は気づく。彼女は今の自分の生きている環境が大好きなんだな、と思う。その意味でやっぱり彼女は凡人なのかもしれない、とも思う。……でも、そうここが肝心なんだけど、彼女は最終的にプロデューサーにふられるんじゃないのかな。なら、人間関係の変化、彼女のもっとも大切な部分はいつか変化を迫られるんじゃないか。それであれば、春香さんのアイマスという物語は、本質的にひどく切ないものなんじゃないかと、私はそう感じてしまう。
Nadja
ゲームをやっていないから詳細は知らないんだけど、春香さんというのはプロデューサーにふられることに決まっているのかしら。なら、彼女の行く末というものはどうしようもなく悲劇的なのかもしれない。しかしその悲劇性というものはありふれた類のもので、その意味では普通といえるのかもしれない。しかし、悲劇はどうしようもなく悲しいからこそ、悲劇と呼ばれる。ありふれた、とか、凡庸な、とか、その手の形容詞をいくらつけてみても、当人にとっては、悲しいものでしかない。春香さんがおかしくなったのは、なんかそういった理由からじゃなかったかしら。……どうかしらね。はてさてね。