デカルト「方法序説」について
2006/12/05/Tue
『このようにわたしの目的は、自分の理性を正しく導くために従うべき万人向けの方法をここで教えることではなく、どのように自分の理性を導こうと努力したかを見せるだけなのである。教えを授けることに携わる者は、教える相手よりも自分の知性がまさると見るのが当然だ。どんなに小さな点においても誤るところがあれば、その点で非難されることになる。けれども、この書は一つのお話として、あるいは一つの寓話といってもよいが、そういうものとしてだけお見せするのであり、そこには真似てよい手本とともに、従わないほうがよい例も数多くみられるだろう。そのようにお見せしてわたしが期待するのは、この書がだれにも無害で、しかも人によっては有益であり、またすべての人がわたしのこの率直さをよしとしてくれることである。』
デカルト「方法序説」
「デカルトの「方法序説」を読了しました。生前のデカルトはこの著書一冊しか公判しなかったそうで、大部分の彼の論文は死後に公開されたのです。デカルトが唯一生きている間に大衆に届けねばならないと考えたのが「方法序説」。」
「デカルトの生きていた時代はガリレイ裁判があったからね。宗教と自然科学の相反がもっともすごかった時代かしら。それを思うとデカルトも平穏な生涯じゃなかったのだろうね。」
「三十年戦争もあったしね。‥さて「われ思う、ゆえにわれあり」のコギトで有名なこの書ですが、デカルトは疑いを通して明証性を追い求めたのでした。コギトは言語活動に全幅の信頼を抱いている。人間中心的な哲学って感じかな。言語への接近という面から読むと、デカルト的、カント的、サルトル的な展望がみえてくる気がします。」
「存在を決定するのは人間であるって側面があるのかもね。言語ってなんだかよくわからなくなる‥」
「コギトは文明内存在である自己に留まることを指標しているのかもしれないね。ここでは沈黙が鍵を握っているかも。」
「沈黙、ね。話すという行為は話せない存在を忘却して可能だっていう前提があるってこと?」
「話せない存在ってなんだろう? 沈黙、犬や猫、樹木に時計、車、未来、未来のあらゆる生命‥」
『私達は暴力は全人類の行為であるにも関わらず、原則として声を奪われた状態にあり、従って全人類は暴力の無視によって嘘をついており、この嘘の上に言語そのものが基礎を置いているのだという事実を認めねばならぬであろう。』
バタイユ「エロティシズム」
デカルト「方法序説」
「デカルトの「方法序説」を読了しました。生前のデカルトはこの著書一冊しか公判しなかったそうで、大部分の彼の論文は死後に公開されたのです。デカルトが唯一生きている間に大衆に届けねばならないと考えたのが「方法序説」。」
「デカルトの生きていた時代はガリレイ裁判があったからね。宗教と自然科学の相反がもっともすごかった時代かしら。それを思うとデカルトも平穏な生涯じゃなかったのだろうね。」
「三十年戦争もあったしね。‥さて「われ思う、ゆえにわれあり」のコギトで有名なこの書ですが、デカルトは疑いを通して明証性を追い求めたのでした。コギトは言語活動に全幅の信頼を抱いている。人間中心的な哲学って感じかな。言語への接近という面から読むと、デカルト的、カント的、サルトル的な展望がみえてくる気がします。」
「存在を決定するのは人間であるって側面があるのかもね。言語ってなんだかよくわからなくなる‥」
「コギトは文明内存在である自己に留まることを指標しているのかもしれないね。ここでは沈黙が鍵を握っているかも。」
「沈黙、ね。話すという行為は話せない存在を忘却して可能だっていう前提があるってこと?」
「話せない存在ってなんだろう? 沈黙、犬や猫、樹木に時計、車、未来、未来のあらゆる生命‥」
『私達は暴力は全人類の行為であるにも関わらず、原則として声を奪われた状態にあり、従って全人類は暴力の無視によって嘘をついており、この嘘の上に言語そのものが基礎を置いているのだという事実を認めねばならぬであろう。』
バタイユ「エロティシズム」