「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」
2017/07/14/Fri
先日、急にボルヘスが読みたくなったので図書館から仏訳のものを借りてきた。仏訳の、しかもプレイヤード版があるとは知らなかった。それは私がボルヘスの来歴に詳しくなかったからなんだけど。つまり、ボルヘスはフランスの文壇とは非常に近しかった。ゆえにプレイヤードにボルヘスがあるのもなにをかいわんや。
とりあえず『伝記集』が読みたかったのだ。で、「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」に目を通していると、超おもしろい。が、はてさて、世界を変える一冊の本という印象深く忘れがたい一節が現れた。明らかにマラルメ的な…と思うところだけれど、私はマラルメについては門外漢だし、なんとなくマラルメとは異なる気がする、ボルヘスは。というか、フランス文学の潮流とはちがう気がする。どうちがうかは上手く言葉にできないのだが。
「トレーン…」にはこうある。一冊の本は現実を変えるし、過去をも変える。それは事実そうなのだ。なぜなら、かくいう私たち自身が聖書やプラトン対話篇の所産のようなものではないか。
正確な翻訳はやる気がないのでしないけど、大体上記のようなことが、注に書いてあった。現実が変えられるなら、過去も変えられるというのはまさしくそうなのだろうし、また現代のわれわれが歴史的所産であることは疑いえない。が、それは欧米人たちのアイデンティティによるのではないか? 日本人たる私はまたちがうのでないか? しかし、そういう私自身がまさしくボルヘスのいうところが正しいことを証明しているようにも思える。スペイン語の小説をフランス語訳したものを読んで日本語で思索している当の私が。
とりあえず『伝記集』が読みたかったのだ。で、「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」に目を通していると、超おもしろい。が、はてさて、世界を変える一冊の本という印象深く忘れがたい一節が現れた。明らかにマラルメ的な…と思うところだけれど、私はマラルメについては門外漢だし、なんとなくマラルメとは異なる気がする、ボルヘスは。というか、フランス文学の潮流とはちがう気がする。どうちがうかは上手く言葉にできないのだが。
「トレーン…」にはこうある。一冊の本は現実を変えるし、過去をも変える。それは事実そうなのだ。なぜなら、かくいう私たち自身が聖書やプラトン対話篇の所産のようなものではないか。
正確な翻訳はやる気がないのでしないけど、大体上記のようなことが、注に書いてあった。現実が変えられるなら、過去も変えられるというのはまさしくそうなのだろうし、また現代のわれわれが歴史的所産であることは疑いえない。が、それは欧米人たちのアイデンティティによるのではないか? 日本人たる私はまたちがうのでないか? しかし、そういう私自身がまさしくボルヘスのいうところが正しいことを証明しているようにも思える。スペイン語の小説をフランス語訳したものを読んで日本語で思索している当の私が。
J'ai écrit ce conte à Adrogué, à l'hôtel Les Délices, d'Adrogué. C'est peut-être le plus ambitieux de mes contes. C'est l'idée de la réalité transformée par un livre. Mais après avoir écrit ce conte je me suis senti très vaniteux. C'est l'idée d'un livre qui transforme la réalité et qui transforme le passé. Je me suis rendu compte que cela se passait toujours ainsi. Parce qu'au fond de nous-mêmes, nous sommes l'œuvre de la Bible et des Dialogues platoniciens.
(Borges, Œuvres complètes, Paris, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade, t. I, p. 1565)
(Borges, Œuvres complètes, Paris, Gallimard, Bibliothèque de la Pléiade, t. I, p. 1565)