「サクラノ詩」覚書
2017/07/15/Sat
この前、サクラノ詩をクリアした。この手のゲームを遊ぶのは本当に久しぶりだったのだけれど、はてさて、なぜこの作品を遊ぼうと思ったのかしら。理由を覚えていない。気まぐれからだろうか。いや、私は以前からこのゲームとこのゲームの製作者については興味を持っていた。大体、けっこう昔にサクラノ詩のコミックスを読んだ記憶があるし。
感想をいうと非常に楽しいゲームだったで終わるのだけれど、思うことはいろいろある。第一に本作が非常にペダンティックな構成で、芸術論が多い…というか、芸術論を真正面から扱った作品であることに興味を引かれる。ここまでまっすぐに芸術の問題、特に美術、本質的にはまさしく美少女ゲームを論じようとした作品は珍しいだろう。その意味ではメタ美少女ゲームであり、この作品が完成するのに時間がかかったこともそういった点から理解できるようにも思う。ただ、本作が、そういった性質のために、美少女ゲームらしい美少女ゲームではないこと、つまり単純に女の子と仲よくなって終わるゲームとはなっていない点をどう評価するかは意見が分かれるところだろう。何せ本作のラストは、女の子と仲よくなって終わるというタイプのものとは正反対ともいえる結末なのだから。
製作者の芸術・哲学・文学・音楽への興味・関心には総じて共感を覚えるよ、私は。本作で描かれたような問題意識はよくわかる。特に、美となんなのか?という問いはおもしろい。絶対的な美が存在するのか、それとも美とは他者との交流の上にこそ成り立つのか。いいかえれば、この問題意識は、作品とは受け取り手が存在しなくとも作品たりえるのかと問うのと似ている。人間の知覚の限界を知るプラトンならば、私たちが知る美とは仮初めのものであって、それゆえにこそイデアとしての美を指示するのだろうか。だが、たとえばこの前『図書館の魔女』を読んだのだけど、そこでは書物というのは読み解かれて初めて価値を持つという一節がある。私としても、同感だ。だから、絶対的な美というものが存在したとしても、絶対的な作品というものは存在しえないだろう。と、私は思うよ。ただまあこれは趣味の問題かな。つきつめていえば。
本作では、エロゲ伝統といっていいのかどうかはわからないけれど、十年ちょっと前のエロゲによく描かれた擬古典や奇跡もあつかわれている。興味深いのは本作では奇跡が明確に否定されている点で、奇跡でだれかが救われるということはない。また、本作の主人公は例によって個別のヒロインルートに入るとそれぞれのヒロインを救うわけだけれど、それじゃ救われなかったヒロインはどうなるのか、主人公の力がなかったら選ばれなかったヒロインは不可避的に不幸に陥るのでないかという、これまた伝統的問題があるわけだが、本作はこれにも一定の答えを与えている。ヒロインのだれとも密接な関係にならないメインルートに入ると、ヒロインは皆自力で息抜き、そして自力で立ち直ろうとした主人公に悲劇が襲い、彼は孤独になる。
この点が最も本作がメタ美少女ゲーム的なところで、というのも、これは、ハッピーエンドとは何か、私たちがハッピーエンドだと思っていたものとは何かという問いかけであるからだ。だから、本作のテーマのひとつが「幸福の先」なわけだ。
サクラノ詩は非常に思弁的な作品だと感じる。またその一方で、自己言及的かつ自己批判的でもある。なぜなら、奇跡や救われなかったヒロインの問題は、十年ちょっと前の、ナイーブさを反映しているように思えるから。たとえば、最近のラノベ原作のアニメの「冴えない彼女の育てかた」や「エロマンガ先生」あたりになると、選ばれなかったヒロインがどうなるかなんてナイーブな問題をそこまで根を詰めて考えているようにはどうしても思われないから。おそらく考える必要も意義も認めていないし、そういったことを考えることは失礼なのでないかという反省もおそらくはあったろう。その類の問題は、たぶん美少女ゲームにどうしてもまとわりつく宿痾であったようにも感じる。なぜかというと、そのような問題意識は反省的なものであるから。要するに美少女ゲームの主人公の自己批判の反映であったのだろう。なぜそのような反映が必要だったのかというと、美少女ゲームがコミュニケーションの芸術だからだろう。かわいい女の子と仲よくなるという、人間関係の芸術であるからだろう。
コミュニケーションを必ず必要とするのが美少女ゲームであり、文学も音楽も絵画も、人間関係を必ずしも必要とはしない。ラノベやアニメも実はそうだろう。奇跡や救いというものは、人間関係の最も明瞭かつ深甚な表現であったことも明らかなように思える。
で、話は変わって、サクラノ詩で評価しにくい点もあり、それはたとえば悪役の描き方が表層的でつまらないとか、メインヒロインたちよりも最終章のヒロインたちのほうが完成度が高く魅力的に個人的に思えてしまうのもどうだろうと感じる点ではある。でもこれは製作期間が長かった弊害だとも思う。
まだいろいろ考えていることはあるんだけど、とりあえず備忘ということで、思いついたままの文章を上記のようにあげておく。
「サクラノ詩―櫻の森の上を舞う―」
感想をいうと非常に楽しいゲームだったで終わるのだけれど、思うことはいろいろある。第一に本作が非常にペダンティックな構成で、芸術論が多い…というか、芸術論を真正面から扱った作品であることに興味を引かれる。ここまでまっすぐに芸術の問題、特に美術、本質的にはまさしく美少女ゲームを論じようとした作品は珍しいだろう。その意味ではメタ美少女ゲームであり、この作品が完成するのに時間がかかったこともそういった点から理解できるようにも思う。ただ、本作が、そういった性質のために、美少女ゲームらしい美少女ゲームではないこと、つまり単純に女の子と仲よくなって終わるゲームとはなっていない点をどう評価するかは意見が分かれるところだろう。何せ本作のラストは、女の子と仲よくなって終わるというタイプのものとは正反対ともいえる結末なのだから。
製作者の芸術・哲学・文学・音楽への興味・関心には総じて共感を覚えるよ、私は。本作で描かれたような問題意識はよくわかる。特に、美となんなのか?という問いはおもしろい。絶対的な美が存在するのか、それとも美とは他者との交流の上にこそ成り立つのか。いいかえれば、この問題意識は、作品とは受け取り手が存在しなくとも作品たりえるのかと問うのと似ている。人間の知覚の限界を知るプラトンならば、私たちが知る美とは仮初めのものであって、それゆえにこそイデアとしての美を指示するのだろうか。だが、たとえばこの前『図書館の魔女』を読んだのだけど、そこでは書物というのは読み解かれて初めて価値を持つという一節がある。私としても、同感だ。だから、絶対的な美というものが存在したとしても、絶対的な作品というものは存在しえないだろう。と、私は思うよ。ただまあこれは趣味の問題かな。つきつめていえば。
本作では、エロゲ伝統といっていいのかどうかはわからないけれど、十年ちょっと前のエロゲによく描かれた擬古典や奇跡もあつかわれている。興味深いのは本作では奇跡が明確に否定されている点で、奇跡でだれかが救われるということはない。また、本作の主人公は例によって個別のヒロインルートに入るとそれぞれのヒロインを救うわけだけれど、それじゃ救われなかったヒロインはどうなるのか、主人公の力がなかったら選ばれなかったヒロインは不可避的に不幸に陥るのでないかという、これまた伝統的問題があるわけだが、本作はこれにも一定の答えを与えている。ヒロインのだれとも密接な関係にならないメインルートに入ると、ヒロインは皆自力で息抜き、そして自力で立ち直ろうとした主人公に悲劇が襲い、彼は孤独になる。
この点が最も本作がメタ美少女ゲーム的なところで、というのも、これは、ハッピーエンドとは何か、私たちがハッピーエンドだと思っていたものとは何かという問いかけであるからだ。だから、本作のテーマのひとつが「幸福の先」なわけだ。
サクラノ詩は非常に思弁的な作品だと感じる。またその一方で、自己言及的かつ自己批判的でもある。なぜなら、奇跡や救われなかったヒロインの問題は、十年ちょっと前の、ナイーブさを反映しているように思えるから。たとえば、最近のラノベ原作のアニメの「冴えない彼女の育てかた」や「エロマンガ先生」あたりになると、選ばれなかったヒロインがどうなるかなんてナイーブな問題をそこまで根を詰めて考えているようにはどうしても思われないから。おそらく考える必要も意義も認めていないし、そういったことを考えることは失礼なのでないかという反省もおそらくはあったろう。その類の問題は、たぶん美少女ゲームにどうしてもまとわりつく宿痾であったようにも感じる。なぜかというと、そのような問題意識は反省的なものであるから。要するに美少女ゲームの主人公の自己批判の反映であったのだろう。なぜそのような反映が必要だったのかというと、美少女ゲームがコミュニケーションの芸術だからだろう。かわいい女の子と仲よくなるという、人間関係の芸術であるからだろう。
コミュニケーションを必ず必要とするのが美少女ゲームであり、文学も音楽も絵画も、人間関係を必ずしも必要とはしない。ラノベやアニメも実はそうだろう。奇跡や救いというものは、人間関係の最も明瞭かつ深甚な表現であったことも明らかなように思える。
で、話は変わって、サクラノ詩で評価しにくい点もあり、それはたとえば悪役の描き方が表層的でつまらないとか、メインヒロインたちよりも最終章のヒロインたちのほうが完成度が高く魅力的に個人的に思えてしまうのもどうだろうと感じる点ではある。でもこれは製作期間が長かった弊害だとも思う。
まだいろいろ考えていることはあるんだけど、とりあえず備忘ということで、思いついたままの文章を上記のようにあげておく。
「サクラノ詩―櫻の森の上を舞う―」