三島由紀夫「午後の曳航」
2007/10/04/Thu
「自殺にいちばん近いのは少年である。なんていわれる。その言葉の意味は、こういうと誤解もありそうかな、美があるから。少年の自殺には美があって、逆に美のない自殺というのは少年にはあまり似合わない。少女もそかな。でも、そういう死という美への焦がれ‥というのは長くはつづかない。いつかそれは遠ざかるもので、人は幼きころに見た美を見失ってしまう。だから美は幻影となり、死は生きてくうえで邪魔だから、意識の埒外へとおかれてく。そして少年は、未来がそうなることを直覚してるから、死への羨望は、ますます美として認識されることになる。」
「英雄は死ななければならない、なんて言葉もあったかしらね。神話の戦士は、だからさいごは自決しなければならないし、ドラゴンと戦うものはかならず少年でなければならない。」
『父親はこの世界の蠅なんだ。あいつらはじっと狙っていて、僕たちの腐敗につけ込むんだ。あいつらは僕たちの母親と交ったことを、世界中にふれ廻る汚らしい蠅だ。僕たちの絶対の自由と絶対の能力を腐らせるためなら、あいつらは何でもする。あいつらの建てた不潔な町を守るために』
三島由紀夫「午後の曳航」
「物語は、母子家庭の少年、登の前に船乗りである竜二があらわれるところからはじまります。世間から超脱した、少年たちの語る数少ない世界で許しうるべきものに属する海の象徴のような男、筋肉隆々で英雄のような逞しさをもつ男。世界の内的関連を感じさせてくれる男。登は彼に憧れますが、竜二は登の母と交わる。そして彼の父親に納まる。それは永遠を志向する、世界の無力と感情のくだらなさを執拗に語りあう賢い少年には、大人の示す汚辱さをはっきり突きつけられることにほかならなかった。かくして少年たちは決断する。英雄だった男の誇りを取りもどすために。少年たちは、竜二を処刑することを決意します。」
「少年のみる世界は決して広いものではない。だからそこには想像力が羽ばたく余地がある。そして、その翼が地に叩き伏せられるのも、造作のないこと、ということかしらね。」
『十三歳で登は、自分が天才であること、(これは彼の仲間うちみんなの確信だった)、世界はいくつかの単純な記号と決定で出来上がっていること、人間が生れるとから、死がしっかりと根を張っていて、われわれはそれに水をやって育てるほかに術を知らぬこと、生殖は虚構であり、従って社会も虚構であること、父親や教師は、父親や教師であるというだけで大罪を犯していること、などを確信していた。だから彼が八歳のときに父親が死んだのは、むしろ喜ばしい出来事であり、誇るべき事件だった。』
三島由紀夫「午後の曳航」
「三島由紀夫の小説は、けっこうみんなそうだけど、構図が明快でストレートなのだよね。だから描写が図式的で、すごく印象ふかいけど、登場人物の可能性とか、そういうのが排斥されちゃってるって気がするかもかな。丹念に磨いた彫像のような、それ以外を寄せつけない、無駄なく切磋された文章。この作品では、それがとくに感じれらた。三島由紀夫の、骨頂。」
「観念小説家としての三島由紀夫というのかしらね。印象が根深く、そして描写の迫力さかしら。これ以外の展開はありえない、運命というのが描かれているとも、いえるかしらね。」
「自殺、か。私はどうかな。自殺なんて、思ったことあったかな。‥ちょっとへんかなだけど、死んでも私の自意識は不滅だって、固く信じてたことあった。子どものころ。なんでかそんなこと思ってた。」
「死ねば意識はどうなるかっていうの? 子どものころとはいえど、それは何の永続性を確信してたのかしらね?」
「魂の永遠性かな。とかいうとプラトン。今はけっこうわかんない。かんがえるけど、わかんない。」
「永遠なものがこの世にあるか、ね。たぶんないのよ。見渡すかぎり、おそらくは、ね。」
『人間の中途半端な肉体は、何ものにも打ち克つことができない。』
三島由紀夫「午後の曳航」
三島由紀夫「午後の曳航」
「英雄は死ななければならない、なんて言葉もあったかしらね。神話の戦士は、だからさいごは自決しなければならないし、ドラゴンと戦うものはかならず少年でなければならない。」
『父親はこの世界の蠅なんだ。あいつらはじっと狙っていて、僕たちの腐敗につけ込むんだ。あいつらは僕たちの母親と交ったことを、世界中にふれ廻る汚らしい蠅だ。僕たちの絶対の自由と絶対の能力を腐らせるためなら、あいつらは何でもする。あいつらの建てた不潔な町を守るために』
三島由紀夫「午後の曳航」
「物語は、母子家庭の少年、登の前に船乗りである竜二があらわれるところからはじまります。世間から超脱した、少年たちの語る数少ない世界で許しうるべきものに属する海の象徴のような男、筋肉隆々で英雄のような逞しさをもつ男。世界の内的関連を感じさせてくれる男。登は彼に憧れますが、竜二は登の母と交わる。そして彼の父親に納まる。それは永遠を志向する、世界の無力と感情のくだらなさを執拗に語りあう賢い少年には、大人の示す汚辱さをはっきり突きつけられることにほかならなかった。かくして少年たちは決断する。英雄だった男の誇りを取りもどすために。少年たちは、竜二を処刑することを決意します。」
「少年のみる世界は決して広いものではない。だからそこには想像力が羽ばたく余地がある。そして、その翼が地に叩き伏せられるのも、造作のないこと、ということかしらね。」
『十三歳で登は、自分が天才であること、(これは彼の仲間うちみんなの確信だった)、世界はいくつかの単純な記号と決定で出来上がっていること、人間が生れるとから、死がしっかりと根を張っていて、われわれはそれに水をやって育てるほかに術を知らぬこと、生殖は虚構であり、従って社会も虚構であること、父親や教師は、父親や教師であるというだけで大罪を犯していること、などを確信していた。だから彼が八歳のときに父親が死んだのは、むしろ喜ばしい出来事であり、誇るべき事件だった。』
三島由紀夫「午後の曳航」
「三島由紀夫の小説は、けっこうみんなそうだけど、構図が明快でストレートなのだよね。だから描写が図式的で、すごく印象ふかいけど、登場人物の可能性とか、そういうのが排斥されちゃってるって気がするかもかな。丹念に磨いた彫像のような、それ以外を寄せつけない、無駄なく切磋された文章。この作品では、それがとくに感じれらた。三島由紀夫の、骨頂。」
「観念小説家としての三島由紀夫というのかしらね。印象が根深く、そして描写の迫力さかしら。これ以外の展開はありえない、運命というのが描かれているとも、いえるかしらね。」
「自殺、か。私はどうかな。自殺なんて、思ったことあったかな。‥ちょっとへんかなだけど、死んでも私の自意識は不滅だって、固く信じてたことあった。子どものころ。なんでかそんなこと思ってた。」
「死ねば意識はどうなるかっていうの? 子どものころとはいえど、それは何の永続性を確信してたのかしらね?」
「魂の永遠性かな。とかいうとプラトン。今はけっこうわかんない。かんがえるけど、わかんない。」
「永遠なものがこの世にあるか、ね。たぶんないのよ。見渡すかぎり、おそらくは、ね。」
『人間の中途半端な肉体は、何ものにも打ち克つことができない。』
三島由紀夫「午後の曳航」
三島由紀夫「午後の曳航」